わが国極初期の古活字版=文禄五年刊
『小瀬甫庵版・補注蒙求』のこと


◆目次◆
  はじめに
1.わが国でもてはやされた『蒙求』 
2.文禄5年刊『甫庵版・補注蒙求』の抜粋 
3.甫庵がこれを刊行のトップに選んだ理由? 
4.わが国最初?の組版による古活字本 
5.その作業手順を追って 
6.わが国の社会に与えた影響 
  おわりに 



は  じ  め  に

 中国の古典に『蒙求』という本がある。
『論語』や『唐詩選』ほど有名ではないが、平安朝の時代にわが国にもたらされ、その内容が現代のことわざ辞典のように教訓的であったため、貴族の子弟たちの必読書とされていたという。
 その後も鎌倉時代から江戸時代にかけて、武家・僧侶・町人にいたるまで勉学の第一歩としてこれを暗誦したようである。

 唐の李瀚という人が表した書物(西暦 746年)で、それまでに数多く輩出した偉人たちの故事来歴をくわしく調べ、その業績の内容を適切な「四字成句」にし、韻を踏んで暗誦しやすいように配列した教科書の一つであったのである。

 当時の県知事にあたる「李良」という人が、その内容にいたく感激し、自らすすんでこれを時の玄宗皇帝に推薦しようとしたのである。
 その後宋の時代になって、学者の「徐子光」が、この内容に解説のための<補注>を加えてから、爆発的に世間に広まったという。

 渡来してからの我が国への影響は測り知れないほどのものがあり、紫式部の『源氏物語』、『徒然草』や『平家物語』など、はてまた歌舞伎の筋立てや川柳俳諧の世界に至るまで、この蒙求の説話をヒントにした作品が沢山ある、というのだから驚きである。
(この項は早川光三郎氏著『蒙求』より)

 中でも最も有名なものは「蛍の光 窓の雪」と卒業式でなじみの『孫康映雪 車胤聚蛍』であり、「天知り 神知り 我知り 子知る」のことわざで名高い『震畏四知』などである。

 いま私が「活字の世界(3)」で述べようとすることは、このような『蒙求』そのものの有益さと立派さを孫引きで解説することではない。
 実はこのあと詳しく述べるように、小瀬甫庵という人物によって刊行された<わが国活版術の嚆矢とされる書物>がこの『補注蒙求』なのであるということと、彼が考えぬいた末に名誉ある刊行のトップにこれを選んだ必然性を皆さんに納得頂きたいからである。そのために内容の一部を紹介しつつ本題に入ろうとするからであり、しばらくはその意味でのお付き合いを頂ければ幸いである。


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