ヨーロッパで使われていた漢字の活字
『ホフマン活字』のこと 【要旨】


発表:1997年9月<私家本>

 グーテンベルクの発明で、活字印刷がヨーロッパで行われるようになったのは15世紀のことである。それから400年、19世紀の中頃では活版技術は既に完熟期に入っていた。
 一方、西欧における東洋学の発達に伴って、それらの論文に必要とされる東洋の文字、すなわち「漢字の活字」が彼らにとっては絶対的に必要不可欠のものとなり、色々な試行を経て実用化されていったのである。

 とはいえ実際に肝心の東洋(中国または日本)では、近代的な方法による活字は持ち合わせず、依然として整版方法か一本彫刻の木活字方式であった。
 ここでも活躍したのは宣教師達である。1840年のアヘン戦争後アメリカとイギリスは中国での伝道印刷所を開設し、漢訳による聖書を刊行する。当然必要とされる「漢字活字」は彼らの主導により作成され実用化されていったのである。(これらのことについては、九州大学鈴木広光先生の『中国プロテスタント伝道印刷所の金属活字』や、武蔵野美大小宮山博史先生の『19世紀ヨーロッパ中国での明朝体金属活字の開発、そして日本への伝播』などで教えられた。)

 その上海・美華書館で使用されていた活字の一つが長崎の本木昌造にもたらされ、日本の活字の原点となったのであり、更にもう一つはオランダへ輸出され、大手印刷会社「ブリル社」にて実用化されていたのである。従って日本の「本木活字」とオランダの「ブリル社活字」とは、その父を同じくする「兄弟活字」と言えるのだ。

 オランダのこの活字を「ホフマン活字」と呼称するのは、京都の古書肆「キクオ書店」の前田司社長の命名による。その理由は、シーボルトの愛弟子のホフマンが『日本文典』を表したときに使われていたところからとも言う。
 縁あってこの「ホフマン活字」を入手した筆者にとっては、「活字の世界」のテーマの一つとすることになったのである。



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