○夜景


 昔、バイクで北海道をツーリングしていたとき、道北の とある湖畔にテントを張った。
 キャンプするような山はどこもそうなのだろうけど、そこは特に人家も少なく、静かな場所だった。夕食も済み、近くでキャンプしていた旅人と話しながら夜空を見上げたときだった。

 そこには圧倒されるばかりの、沢山の星々が広がっていた。空から何か圧迫感を感じるほどの数だった。
 その星空の中に、白っぽく帯状に連なっている部分があった。雲で白く見えているわけではない。目を凝らすと、その部分には数え切れない星の光の粒が集まっていた。都市近郊で育った私にとって初めて見る、天の川だった。

 誰も通らない道路に寝転び、その見事な星空に見とれていた。ゆっくりと動く星があるのに気付く。それは人工衛星だった。
 自分の息遣いと心臓の鼓動だけが聞こえる。耳鳴りが意識されるほどの静寂に包まれていた。







 そしていま、都会の夜空を見上げている。

 人工的な照明の影響を受けて、月を除いて星は見えない。数が少ないのではない。ひとつも見えないのだ。
 だから、都会の夜空に星はないと嘆いてみたくもなる。
 でも、それでは何の解決にもならない。

 深夜になっても消えない街の明かりは、都会の象徴だ。人の集まる所、人の通る所のほとんどに照明があり、周りを明るく照らす。外を歩くのに、懐中電灯は必要ない。日常生活において、いわゆる”真っ暗闇”を経験する機会はあまり無いのではないだろうか。
 街が明るくなれば、当然その光は夜空にも影響する。豊かな自然や星空を失うかわりに、我々は機能的で便利な生活を手に入れた。


 残念なことではあるけれど、人里離れた田舎で見るような星空は諦めよう。そして、少し発想を変えてみる。都会の星は空ではなく、地平線より下にあるのだ、と。

 道路を走る車や道路を照らす街灯、ビルや高層マンションの窓からもれる光と、赤色の航空障害灯、観光施設のライトアップなど。それらがまるで星のように、都会の夜を彩っている。
 強さや色、配置はバラバラでも、ひとつひとつの光には理由があり、それを利用している人がいる。光の数以上の人々の営みが、都会の夜景を創り出す。


 人工的な夜景ではあるけれど、季節によっても街の明かりは変化を見せる。例えば冬のクリスマスの頃は街路樹が美しく電飾される。そして夏には、花火が夜空を飾る。






○撮影データ(ページ上の写真より)
・1枚目  日時:2003年6月19日   場所:東京都中央区
 カメラ:ペンタックス MZ-5  レンズ:ペンタックス SMC FA Zoom 28-70mmF4 AL
 フィルム:ベルビア50  その他:バルブ撮影 F4 約10秒露光
風の強い夜で、雲がこちらに向かって流れていました。雲は街の明かりを受けて、夜空に浮かび上がるように見えてます。約10秒間の撮影中にも雲は動いているので、その移動がブレとなって写っています。

・2枚目  日時:2003年7月26日   場所:東京都中央区
 カメラ:ペンタックス MZ-5  レンズ:ペンタックス SMC F Zoom 100mm F4.5-300mm F5.6
 フィルム:ベルビア50  その他:バルブ撮影 F5.6 約5秒露光
望遠レンズで撮った隅田川花火大会のひとこま。近くで見ると大迫力の花火も、遠くからだと弾ける泡のように小さく、炸裂音も街の騒音に埋もれてしまいます。しかしビルの明かりを背景にした花火は、都会独特の風景です。




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