The short history of |
"Jesus Christ Church in Japan" |
(日本イエス・キリスト教団小史) |
W「日本イエス・キリスト教団への再合同、そして現在まで」(1945年以降)
Vで見てきたように、終戦まで日本のプロテスタント教会は、宗教団体法と政府の政策により、日本基督教団へ合同させられていましたが、GHQによる改革政策の進展に伴い、再び信仰と教会活動の自由が与えられました。
終戦まもなくの1946(昭和21)年、同じ「日本伝道隊の流れ」を汲む群れが、お互いの霊的・交流面での相互補助を主目的として、友交団体「日本伝道会」が結成され、約20教会が結集しました。しかし、それは一応所属教団を異にした友交団体であったのにとどまっていました。戦後になって、一度は「大合同」させられていった各教派の中には、日本基督教団から離脱し、再び「自教派・教団の再建」を実現していく動きが見られるようになっていきました。そして日本伝道会も、「わたしたちの教団結成」という目的の下で、満5年で発展的解消をしていったのです。
1951(昭和26)年7月20〜21日、神戸市兵庫区、神戸中央教会を会場に、「日本イエス・キリスト教団 創立総会」が、21教会から教職・信徒代表委員が招集されて開催されました。議事は主のご臨在のうちに順調に処理され、教団規則承認、各議案の審議、創立宣言書朗読、などが行われ、委員選挙が行われました。その結果、初代委員長には小島伊助師が選出されて各委員も選出され、、顧問には沢村五郎師が推戴された後、全教師の教会任命書が朗読されました。当時の資料によると、教会数21、会員数1343名で教団が構成されていきました。
そして、第3回総会(1953年)には、教団の大同団結が実現し、40教会が結集しました。その後、教会の加入・設立が相次ぎ、教団の発展成長に伴って組織構成は変遷を遂げ、各部は各局へと昇格していきました。
特に教団結成30周年を迎えた第31回総会では、創立当初からの懸案であった「教団の信仰告白文」が上程され、全会一致での採択をもって、わたしたちが依って立つ信仰的立場を確認したのです。この「信仰告白」は、B・Fバックストン師によって伝えられた「きよめの信仰」、創立時以来の教憲(教団の憲法)に基づく、聖化の教義に基づいた教団信仰の確認を意味し、外部に向かっては、わたしたちの宣べ伝える信仰内容を表明するものであるのです。
このように、わたしたちの教団は、北海道から九州・沖縄に至るまで堅実な発展を遂げ、現在では9教区、132教会で構成され、日本の福音派における最も有力な教団の一つとして、主の豊かな祝福のうちに育てられて来ました。そして、わたしたちの教団の使命は、キリストの十字架と復活による新生と聖化を、すべての「失われていく魂」に伝え、やがて再び来られる、主の栄光のみ前に立ち得る「新婦なる教会」の完成を進めることであります。
わたしたちの教団は、同じ信仰によって主の御旗の下に結集し、すべての供給を主にのみ仰ぎ、この福音を全日本のすみずみに満たすために立てられ、今日まで歩んできました。自給自立の創立精神に基づき、外国ミッションとの経済的・教会政治上での利害関係は、まったくありません。創立当初の標語聖句「我親(みずから)汝と共にゆくべし、我汝をして安泰(やすらか)ならしめん。」(出エジプト33:14、文語訳)の約束こそが、わたしたちの教団の立つべき土台であることを信じるものであります。
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