無関心である

 ようこそ、このページを開いてくださいました。このページさえ開く関心がないと思って心配しましたが、とにかく、開くだけの関心を持ち合わせておられたことのために、喜びます。

 私は腕時計を持っています。これが遅れているか、進んでいるかを判断するためには、どうしても正確な時報を聞かなければなりません。これと同様、物事を判断するためには、その判断となる基準が必要です。だからあなたが神の存在を信じない、いや信じたくないための何かの基準、すなわちその理由があるはずです。

 あなたが神の存在を信じない理由は、あなたが、神の存在について考えても理解できないからではなく、ただあなたが、神の存在を知らされたくないからであり、さらにあなたが、神に服従させられたくないからです。すなわち、あなたは心の中に、あなたが神を信じると都合の悪い、何かを‥‥‥神を信じると都合の悪い思想か主義か、それとも隠している悪い習慣、不道徳、悪い人づきあいなどなど‥‥‥を持っているからです。

 あなたは罪を愛しているから、神を憎んでいるのです。あなたが隠している罪は、必ずあなたを破滅させることを知ってください。

 聖書はあなたに宣告しています。

 「あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至る。」

 「罪から来る報酬は死です。」

 もしあなたが、自分にはそんな不道徳はないと言われるならば、あなた自身のたましいの永遠の運命について無関心でいなければならない理由がないことになります。

 それならばぜひ関心をもって、神のご存在について考えてください。