セブンスデー・アドベンチストの間違い

 彼らはホワイト女史を預言者と認め、彼女の著作によって聖書を解釈している。そして、彼女の預言には多くの問題がある。彼女の預言の間違いを知るためには、そのルーツを知る必要がある。


 アメリカのバプテスト教会のウイリアム・ミラー(1782-1849)という牧師が1843年の3月21日から1844年の3月21日の間に世の終わりが来ると預言した。彼は、ダニエル書第9章24〜27節の預言から、アルタクセルクセス王が出したBC457のエルサレム再建命令(エズラ7:11〜26)から70週(490年)は、キリストが十字架につけられたAD33で(アッシャーの年代計算法による)、そして同じBC457から計算して2,300年は1843年になると言うのである。彼はダニエル書第8章14節の「2,300の朝と夕」とは、2,300年のことであると結論した。しかし当然ながら彼の預言は外れた。

 ところがミラーのグループのひとりのサムエル・S・スノーが、キリストの再臨は1844年の10月22日であると預言した。10月がユダヤ歴の7月であり、その月の10日が贖罪の日であるからである。ミラー自身もそれを受け入れた。しかし、その日にもキリストは再臨されなかったので、彼らは大いに失望した。

 その失望したグループの中にヒラム・エドソンがいた。彼は、天が開ける幻を見たと言った。そしてキリストは地上に再臨されたのではなく、その日に天の聖所の至聖所に入られたのであるという新しい解釈を唱え始めた。彼と彼の仲間は、この新しい解釈とヘブル人への手紙とを合わせて新しい教理を作り出した。

 エドソンと彼の仲間が考え出した教理は次のようなものである。「贖罪の日にささげられる二頭の山羊のうちの一頭はキリストの型である。他の一頭はサタンの型である。アザゼルとはサタンのことである。人間の罪は天にある聖所を汚した。その聖所の汚れをきよめるために、キリストはいけにえとなって死なれた。そして、やがてサタンは人間が犯した罪を負わされて追放され、人間の罪が消滅する。一方、1844年10月22日に至聖所に入ったキリストは、その日より審査の審判を開始された。審査の審判とは、キリストを信じると告白した者の行ないが、本当に復活させらる者に相応しいかどうかを審査することである。世の終わりにはキリストが再臨され、審査に合格した者だけが天に行くことが許される。その時、サタンは人間の罪を負わされ、人が全くいなくなった地にある底なしの穴に追放され、一千年後にそこから出されて、火の池に投げ込まれ、そこで消滅してしまう。」(このような教義には聖書の裏付けは全くない。このことについては後に説明する。)

 セブンスデー・アドベンチスト教会の歴史の中で次に重要な役を演じた人物はジョセフ・ベイツである。彼は、安息日は第七日(土曜日)であるから、クリスチャンは土曜日を聖別すべきであると主張するセブンスデー・バプテストに影響されて、1846年の初頭と1847年にトラクトを書いている。その中で彼は、「ヨハネの黙示録第14章6〜12節に出てくる3人の御使いの中の第3の御使いが語った獣とは、ローマ法王のことである。ローマ法王が安息日を土曜日から日曜日に変えてしまったので、獣の名の刻印を額に受けるとは、日曜日に礼拝することである。神の戒めを守るということは、土曜日を安息日として聖別することである。従って日曜日を安息日として守る者は、神の激しい怒りのさばきを受ける。」と論じた。さらに1849年1月には、ヨハネの黙示録第7章の、生ける神の印で額に印を押される144,000人の者たちは、土曜日を安息日として守るセブンスデー・アドベンチストであると主張するトラクトを書いた。このようにして、セブンスデー・アドベンチストの教理に土曜日安息日厳守という教えが付け加えられた。

 第3番目に重要な役を演じた人物は、エレン・ホワイト女史(1827-1915)である。彼女は数多くの幻を見たと主張し、それを宣伝し始めた。1847年4月7日、彼女は天に引き上げられ、天の聖所に入れられ、さらに至聖所の中にまで連れて入れられ、そこで契約の箱を見ることが許され、十戒の中の安息日に関する第4条が特に輝いているのを見たと主張し、それによってエドソンとベイトの主張を補強した。彼女はあらゆる分野にわたって神の啓示を得たと主張し、それによって彼らの間に女預言者として不動の地位を獲得した。

 ホワイト女史の唱えた教理が、現在のセブスデー・アドベンチストの教理のバックボーンになっているのであるが、彼女の教理の大略を挙げる。

  1. キリストの十字架上の死によって私たちの罪は赦されるが、罪がサタンの上に負わされ、サタンがそれを運び去るまで、罪は消し去られない。
  2. キリストは現在調査審判を行なっておられる。すなわち信仰を告白した者たちの行ないが、復活に値するかどうか、その者たちが律法に忠実であったかどうか、すなわち土曜日の安息日を守ったかどうかに基づいて調査している。
  3. 人間のたましいも肉体もひとつである。人間はたましいを持っているというよりも、人間自体がたましいであるという意味である。だから肉体の死と同時にたましいも消滅する。
  4. 人間はキリスト信者も不信者も肉体的に死んだ時、完全に無意識になる。すなわち消滅する。復活は、生きていた時と同じ姿に神の記憶に基づいて再創造されることである。
  5. 天使ミカエルは受肉前の神の御子である。
  6. ヨハネの黙示録第14章9節の第三の御使いは、1846年からメッセージを語り始めたのであるから、ヨハネの黙示録第14章12節の聖徒たちとはセブンスデー・アドベンチスト教徒のことである。
  7. 地獄は存在しない。
  8. 私たちの罪はサタンに負わされ、サタンがそれを底なしの穴に運び去ってくれる。

以上がセブンスデー・アドベンチスト教団の生い立ちと教理の大略である。これによって分かるように彼らの教理全体は、ミラー、エドソン、ベイツとその他の者たちが作り上げたものである。この教理の特殊性とホワイト女史が、神によって立てられた預言者であるということの宣伝と彼女の大量の預言によって、この教団は非常に多くの信者を獲得してきた。

 では彼らの教理の誤りを聖書から正してみよう。

  1. 先ず1844年にキリストが天にある聖所の至聖所に入られたという解釈の根拠となった年代の割り出し法である。
    エルサレムを再建せよとの勅令が出されたのは、ペルシャのアルタシャスタ王のBC444であって、アルタクセルクセス王のBC457ではない。おまけに紀元0年はないから、1年を引かなければならないのに、引いていないのでキリストが十字架で死なれた年が、その勅令が出されてから490年後のAD33としているが、実際にキリストが死なれたのはAD30である。BC444から69週後、すなわち1週を7年として、483年後、正しくキリストはエルサレムの町に入られ、公然とご自身がメシヤであられることを宣言された。そしてその後に十字架につけられた。ダニエル書第9章の預言のとおりである。なお、70週目の7年間は、教会が携挙(キリストの空中再臨)された後の、7年間の患難時代に実現される。
    現在キリストが至聖所の中で、「調査審判」をしているという考えは、全くの空想に基づいている。聖書的根拠は全くない。まことのキリストは、現在神の右にあって私たちのためにとりなしをしておられる。「罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」(ローマ8:34)
  2. 私たちは日曜日、すなわち週の初めの日を、安息日として守っているのではない。安息日は土曜日である。安息日を守ることは、主なる神とイスラエルの民との契約の関係を表わすしるしてある。「六日間は仕事をしてもよい。しかし、七日目は、主の聖なる全き休みの安息日である。安息の日に仕事をする者は、だれでも必ず殺されなければならない。イスラエル人はこの安息を守り、永遠の契約として、代々にわたり、この安息を守らなければならない。」(出エジプト記31:15,16)
     まことのキリスト信者は、キリストが復活された週の初めの日に主の復活を記念して礼拝するために集まっているのであって、安息日として集まっているのではない。
  3. 人間には霊とたましいとからだがある。「主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。」(Tテサロニケ5:23)
     人間の霊もたましいも不滅である。地獄、火の池は実在の場所である。「そのような者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた神の怒りのぶどう酒を飲む。また、聖なる御使いたちと小羊との前で、火と硫黄とで苦しめられる。そして、彼らの苦しみの煙は、永遠にまでも立ち上る。獣とその像とを拝む者、まただれでも獣の名の刻印を受ける者は、昼も夜も休みを得ない。」(黙示録14:10,11)
  4. ホワイト女史は、ヨハネの黙示録第4〜19章までを歴史的に解釈している。すなわちこれをキリストの復活から終末までの時代に当てはめようとする余り、全てを比喩的に解釈している。ヨハネの黙示録第4〜19章までは教会の携挙の後の、7年間の患難時代についての預言である。従って第14章の神の戒めを守りキリストを信じる信仰を守る聖徒たちは、患難時代のイスラエルの民であり、彼らは神の戒めを守って決してにせキリストとその偶像を拝まない。

では彼らの主張を異端の基準で調べよう。

  1. 聖書以外の権威を認める。
     彼らは、聖書が神の誤りのない霊感の書であることを認めている。しかし、ホワイト女史の預言を誤りのない神からの啓示と信じ、それによって聖書を解釈している。つまり、実質的に彼らは聖書の権威を認めていないことになる。彼らにとってホワイト女史の著作は、モルモン教徒にとってのモルモン教典と同じである。彼らは聖書以外の権威を認めている。
  2. キリストの神性を否定する。
     この点について彼らは十分にクリアしている。「天使ミカエルは受肉前の神の御子である。」としている。だがホワイト女史は、「キリストはご自分の神性の上に、罪で汚れた人間性をとられた。キリストは罪を犯すこともできたが、罪を犯されなかった。」と語っている。
  3. キリストの血による贖罪の完全さを否定する。
     彼らの信仰告白だけを見れば、保守的なキリスト教会とほとんど同じように、信仰による、恵みによる義認を認め、キリストの血による贖罪の完全さを認めている。だが彼らの「調査審判」という教理は、信仰義認の完全な否定である。
  4. 聖霊の人格的ご存在と神性を否定する。
  5. 自分たちの団体、組織、教会のみが救いを与えると主張する。
     彼らの公の信仰告白では、彼らが土曜日を安息日とあかしするために特別に召されたクリスチャンの集団であると言っているが、彼らは土曜日を安息日として守らない者はさばかれると主張している。実際的には、自分たちのみがまことの信者であり、日曜日に礼拝している者は「獣」の刻印を押されたのろわれた者であると語っている。
  6. 地獄の存在を否定する。
     彼らは地獄の存在を完全に否定している。そして人間のたましいは死後に消滅すると主張している。
  7. 特定の人物の預言者的権威を認め、その人物のことばを信仰の対象とする。
     ホワイト女史を聖霊によって油そそぎを受けた預言者と認めている。
  8. キリストの血に対する信仰以外の手段による救いを認める。
     彼らの表面的信仰告白では、救いは信仰によると言っているが、安息日を守らない者は救われないと主張している。

       以上のことから判断して、セブンスデー・アドベンチストは、異端である。