真・女神転生 ELSE(3)


西の空に赤く大きな目が、こちらを見つめている。
大破壊をかろうじて逃れたビルが、瓦礫の山の中から卒塔婆のように立っている。
「ゴン、何してる?置いてくぞっ」
「あっ、待ってよ、アニキ」
夕日を見ていたボロに身を包んだ小さな人影が、慌てて駆け出す。
その先には、対照的にこざっぱりした服に身を包んだ長身の男が立っていた。
「まったく………お日さんを見てても腹は膨れんぞ」
アニキと呼ばれた男は、吐き捨てるように言うと再び歩き出した。
「うん、ごめん………わかってるんだけど」
子供の声で答えながらゴンは、必死になってアニキの後を追いかける。
「わかってるならいい」
短く答えたアニキは、それ以上言葉を続けず無言で歩き続けた。
ゴンも歩幅の差を埋めるのに忙しく、それ以上口を開く事が出来なかった。
十数分歩くうちに、周りは段々と暗くなって来た。
二人は無言で歩く速度を上げた。
昼間が安全というわけではない、だが、夜と比べればマシだ。
やつらは、闇の中では昼間以上に活動的になる。
そして、昼間以上に残酷にも。
まだ、日がかろうじて残っている間に、二人はねぐらにしている崩れかけた小さな
建物にたどり着いた。
元々建築中であったのだろう。
壁はむき出しのコンクリート、そして、窓は四角い穴だった。
ねぐらに帰った二人は、更に奥に進み唯一扉のある部屋の前に来ると、扉の周りを
調べ、異常が無い事を確認すると鍵を開けた。
よく見ると扉は、どっかから持って来て後で取り付けたものだった。
部屋の中に入ると、そこだけは、今までの寒々とした風景と違った生活臭のある
場所である事がわかった。
「ふう」
アニキは部屋の中に入り溜め息をつくと扉に内側から鍵をかけた。
「アニキ、腹減ったよぉ」
「ああ、飯にするか」
ゴンはアニキの言葉に、黒く汚れた顔をくしゃくしゃにして笑った。
アニキは、部屋の隅にある金庫に近付きナンバーを回した。
カチリ、鍵の外れる音がし、アニキが扉を開けると、そこには缶詰が並んでいた。
「ゴン、水汲んで来い。それと野菜だ」
「あい」
返事をしたゴンは、素早い動きで扉と反対側に立てかけてある梯子を登り、天井の
鉄扉を押し上げた。
「こら、バケツを忘れてるぞ」
「あっ、いっけねぇ」
ピョンと梯子から飛び降りたゴンは、部屋に置いてあったバケツを引っ掴むと
再び梯子に飛び付き、天井の上に消えた。
「さて、俺は火をおこすか」
アニキは部屋の中央に作ってある囲炉裏を見ながら呟いた。

「ふう、うまかった。アニキは料理うまいなぁ」
「お世辞はいい」
アニキは懐から出したシガレットケースからタバコを取り出すと火をつけた。
この時代、タバコやコーヒーなどの嗜好品は下手をすれば人の命より価値があった。
無論、食料はそれ以上に価値を持っていたが。
(アニキは頭いいからなぁ)
ゴンは、タバコの煙を吹かすアニキの姿に目を輝かせた。
あの日、空をミサイルが駆け抜け、東京の街を、いや、世界中に破壊の爪痕を
残した日を境に世界は変容した。
何処からともなく現れた異形の者達が徘徊し、人間は世界の主の座から引きづり
降ろされた。
ゴンは、両親ともはぐれ、一人荒れ果てた街を宛もなくさ迷っている所をアニキに
拾われたのだ。
何故、アニキがゴンを拾ったのかはわからない。
だが、アニキはゴンにこの変わり果てた世界で生きるための術を教え、そして、
守ってくれていた。
一見、冷たくぶっきらぼうだが、必要な時には側にいてくれた。
それだけでもゴンは嬉しかった。
ゴンというのは、権田という昔の名前からだった。
昔は、そのいかにも田舎者じみた名前が嫌いだったが、今、アニキにゴンと呼ばれて
いると『そう、悪い名前じゃ無いな』とも思えた。
「ゴン、野菜はまだあったか?」
「えっ?うん、まだあったよ………四五日は大丈夫だと思う」
「そうか」
その返事を聞きながらゴンは、ちょっと誇らしげに笑った。
アニキは、ゴンを子供扱いしない。
いや、勿論そんな事は無いのだが、出来そうな仕事は片っ端からゴンにやらせる。
それも、またゴンは嬉しかった。
(でも、アニキは何でボクの事を………)
ゴンには、それだけが疑問だった。
「ゴン」
「な、何?」
「おまえ、何か臭うぞ。上で水でも浴びて来い」
言われたゴンは、クンクンと自分の匂いを嗅いだ。
確かに少しすえた匂いがしてる。
「綺麗に装うのは危険だから駄目だが、臭いのも問題だからな」
アニキはそう言うと二本目のタバコに火をつけた。
「わかった………」
ゴンは、ちょっと元気が無さそうに言うと立ち上がって梯子に近付いた。
「あっ、アニキ」
梯子に手をかけたゴンは、振り返って言った。
「何だ?」
「覗いちゃいやよ」
「馬鹿野郎!!誰が覗くかっ!!さっさと行け!!」
「あ〜い」
アニキに怒鳴られ、ゴンは梯子を上がった。
「ったく」
その後ろ姿を見送りながらアニキが煙を吹かした。
「ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ」
動揺したのかアニキはタバコの煙にむせた。

チャポン、ゴンは水を張った手桶にタオルをつけた。
二階の部屋は、いわゆる物置だった。
廃墟のあちこちから拾って来たガラクタや食料・燃料等の生活必需品が山のように
積み上げられている。
出入り口は、二つ。
だが、その一つである屋上への出入り口は、鎖と鍵で閉じられている。
屋上に上がれる出口は、ここのもの以外は全て崩れているか、塞がれている。
周りに飛び移れるような建物や高い木は無い。
だが、異形の者達、全てをひっくるめて悪魔と呼ばれる者の中には空を飛ぶ者もいる。
それに、人間にしても壁を這い上がる事だってありえる。
『用心に用心し過ぎって事はねぇんだ』
それがアニキの考えだった。
「うん、アニキの言う通りだった」
ゴンは、前に近くを飛び回っていた悪魔がいた事を思い出しながら呟いた。
明くる日、鉄扉の屋上側に無数の引っ掻き傷が残っていた。
ブルッ、その時の事を思い出しゴンは震えた。
一度恐怖を感じると、ロウソクに照らされた部屋にすら何かが潜んでるような
気すらして来た。
ゴンは、慌ててタオルを掴むと緩く絞って体を拭き始めた。
細い首筋と手足を拭い、膨らみかけの乳房を撫でるように拭く。
淡い光に照らされた少女の姿は、妖精族と呼ばれる悪魔のように可憐ではかなく
見えた。
手早く体を拭ったゴンは、石鹸を掴み体に擦り付ける。
ドキッ、何かの動きを感じ心臓が大きく波打ち、一瞬体の動きが止まる。
だが、それの正体が自分の影だと気が付いた途端、その口から安堵の息が漏れた。
怯えるあまり、見間違えたのだ。
「アニキ………」
ゴンは、恐怖を打ち払うための呪文を唱える。
胸が締め付けられるような疼きが、少女を襲う。
「権田 ゆうこ?………うむ………お前は今日からゴンだ。いいな?」
悪魔にからかわれている所を助けた男は、そう言うと「ついて来な」と言った。
12歳と言えば、ある程度、男と女の事は知っている。
ゴンは、その事も覚悟していた。
今思えば、疲労感と空腹でどうでもよくなっていたのかもしれない。
少なくとも男は「飯を食わせてやる」と言った。
その時は、それしか頭にしかなかった。
だが、「俺の事は、アニキって呼べ」と言った男は、ゴンに飯を食わせると
「食った分は働いてもらう、働けない役立たずならこれ以上は食わせない」
と言い、ゴンにボロをまとわせた。
それ以来、ゴンは男の子のように振る舞い、アニキに言われるままに色々な仕事を
こなして来た。
「アニキ………」
理由も分からないままゴンの目から涙がこぼれた。
どれ位そうしていただろう?
「おいっ、ゴン。どうした?何してる?」
階下からアニキの声がした。
「な、なんでも無い」
ゴンは慌てて体を拭くと、そさくさと新しい服に着替えた。
「なら、いいが」
下からぼやくような呟き声が聞こえて来た。
ゴンは、ちょっぴり嬉しくなった。
(心配してくれてるんだ)
思わず顔がほころびる。
(そうだ!!)
ゴンは着替えかけた服を脱ぎ、別の服に着替えた。

梯子を使ってゴンが降りて来た時、アニキは背中を向け横になっていた。
一張羅の服を脱ぎ、ラフな格好になっている。
「ア………ア………」
何度か声をかけようとして、途中で吃る。
「ア、アニキ」
意を決したゴンは、なるべく明るい感じで声を出そうとした。
しかし、むしろ口から出たのは苦しげな声だった。
「どうした?腹でも痛いの………」
振り返ったアニキの言葉が途中で止まる。
その目の前にはTシャツにホットパンツという姿のゴン、いや、ゆうこがいた。
細い手足が、白くまぶしい。
Tシャツの胸元を押し上げるまだ小さな膨らみの先がくっきりと形を浮き出していた。
「お、おまえっ、な、何だよ」
慌てたように言うアニキは、いつものアニキではなかった。
「えへっ、似合う?」
ぎこちない口調でゆうこが聞く。
「うっ、し、知るかっ」
アニキはそう言うと顔を横に向けた。
「アニキ………」
ゆうこの顔に陰りが浮かぶ。
「やっぱ、ボクなんかお呼びじゃ無いか………そう思ってたんだけどね」
明るくおどけたように言おうと思った台詞は、意志とは裏腹に語尾が掠れ、震えた。
「ボクなんか………ボクなんか」
何だか情けなくなり、居たたまれなくなったゴンは、その場に座り込み、顔を手で
覆った。
手の隙間からしゃくりあげるようなすすり泣きが漏れて来る。
「ゴン………」
アニキは、その様子を見て戸惑うような顔でゴンに近付いた。
背中を丸めて泣く少女の細い肩にそっと手を乗せる。
「何で、何で、何で、拾ったのよぉ、何でよぉ!!」
少女は理不尽な問いを口にしながら目の前の男にしがみついた。
「何で、何で、女の子じゃいけないのよぉっ!!うっ、うっ、うわぁぁぁん」
大きな声で泣きじゃくる少女をそっと抱き締め、男は黙ってその髪を撫でた。

「アニキ………ごめんね」
ようやく泣きやんだ少女は、男の胸に顔を埋めながら小さな声で囁いた。
「気にするな」
その髪を優しく撫でながら男は呟くように答えた。
「アニキ、好きよ」
「俺もだ」
男の意外な言葉に少女は、ピクリと体を震わせた。
「だが、今は駄目だ。時代が悪すぎる」
何処か遠くを見るような目で男は呟きを続ける。
「それに、お前はまだ子供だ」
「そ、そんな事っ」
少女は顔を上げて抗議の言葉を口にする。
「いいや、子供だ」
今度は、はっきりと言い男は、少女の顔を胸に押し当てた。
「そんな事、そんな事、関係ないもん、そんな事」
男の胸に頬を寄せ、少女は呪文のように呟き続けた。
「確かに法律なんてものは、とっくの昔に無くなった」
再び、男の声は呟きに戻った。
「今、俺がお前を抱いても誰も文句は言うまい」
「じゃあ」
少女は、期待に満ちた声を小さく上げた。
「だが、やはり、お前はまだ子供なのさ」
男は、そう言うとぎゅっと少女を抱き締めた。
「だから、今はまだ駄目だ。わかったな」
男は少女の耳元で囁くと、軽くキスをした。
「………うん」
その返事に、どこか哀しそうな響きを聞き取った男は小さく溜め息をつくと
「俺の名前は、荒神 タケルだ。ゆうこ」
と囁いた。
「タケル………荒神 タケル」
「そうだ、だが、いつもは今まで通りアニキと呼べよ。俺もゴンで通すからな」
「うんっ」
小さく返事をするとゆうこは、タケルの背に回した腕に力を込めた。

「お楽しみの所、すまんな」
「きゃっ!!」「なっ?!」
二人は突如響いた声に驚き、身を固くした。
「この調子では、いつまで経っても話が進みそうにないものでな」
部屋の中に突如現れた老人は、そう言うと「よっこいせ」と床に胡座をかいた。
「しかし、若いもんはええのぉ〜」
抱き合う二人を見ながら老人はニマニマと笑った。
「うっ」「きゃっ」
二人は同時に声を上げると顔を赤らめ互いに離れた。
「おやおや、遠慮せんとくっついとったらええのに」
老人は、そう言うと「くっくっく」と笑った。
「貴様、何者だ!!いったい、どうやってここに入り込んだ?!」
「どうやって?簡単じゃよ、お前さん等の意識ひ同調したんじゃよ」
「意識に同調?」
「そう、悪魔召喚プログラムにちょっと手を加えてな。この架空の世界に入り
  込んだのじゃ」
「悪魔召喚プログラム?架空の世界だと?」
「そうじゃ、意識を同調させれば、この世界を作り出している者の所に来るのは
  当然の成り行きというもんじゃて」
「この世界を作り出している?」
「そうじゃろ?エクシー」
「エクシー?」
その老人の視線の先を見たタケルは、眉をしかめた。
「何をわけのわからん事を………この子はゆうこだ、エクシーなんて名じゃない」
「ふぉっふぉっふぉ、それは、記憶を操作されたからそう思うんじゃ」
「何だと?」
「のぉ、エクシーよ。お前さんの気持ちもわからんでもないが、このままじゃ、
  どうにもならんぞ」
「おい、じーさん」
「お前さんだってわかっておるのじゃろ?このままこの世界に留まっていても
  やがて来るのは破滅だけじゃ、ということを」
「だからな、じーさん」
「エクシーよ、ぼちぼち潮時じゃぞ。この金剛界と人間界の間に作り上げた半電脳
  空間とも言える擬似空間を維持するのもそろそろ限界のはずじゃ」
「さっきから何の話をしている?」
「だからこそ、おまえさんも女の証しを求めたのじゃろ?最後の思い出に」
「だからなぁ」
「ごめん、アニ、ううん、タケル」
「な、何だよ、ゆうこ?いきなり」
「私、本当は人間じゃないの………ゆうこっていうのも仮の名」
「な、何言ってるんだよ?!」
「ホントにごめんね、でも、この気持ちは嘘じゃなかったよ」
そう言う少女の体に変化が現れた。
体の線の細さが増し、背中に透明な羽根が現れ、それと同時に体が縮んでいく。
「よ、妖精?」
大人と子供の両方の表情を持ち合わせた顔が小さくうなずく。
「私はエクシー、あなたの仲魔」
「仲魔?」
「今、この世界の呪縛を解くわ。そうすれば、あなたは全てを思い出す」
悲しみのこもった瞳で妖精はタケルを見つめた。
「本当に楽しかったわ、幸せだった」
妖精の顔に、ゆうこの表情が浮かぶ。
「でも、それはこれでお終い。また、仲魔と召喚者との関係に戻るの」
妖精の言葉と共に周りの世界が、揺らぎ出す。
「な、なんだ?」
「擬似空間が消えようとしてるのよ。支えを失ったら、どちらかの世界………多分
  人間界ね、に落ちるわ」
「何が、そうなってんだ?!説明してくれ!!」
「する必要は無いわ………全てを思い出せば、ここで起こった偽りの記憶は消える
  もの………だから」
最後の言葉と共に妖精の姿が消え、そのすぐ後にタケルの姿も消えた。
何もかも消え去った空間に一人残された老人は
「すまんかったな、これも運命じゃ」
と呟いた。
「いいのよ、オヅノ………面倒かけてごめんなさい」
妖精が消え去った空間から微かに声が返って来た。
「………頑張るんじゃぞ、タケルと仲良くな」
老人は、そい言い残し、やはりその空間から消え去った。
「うん、わかってる………わかってるよ」
最後にそこに残ったのは、妖精のものとも少女のものとも判別出来ない呟きだった。


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