20代 純頼公
慶長18年父喜前公の病気により家督を継ぐも在ること6年、元和5年11月忽然として逝く。時に未だ28才。為に大村藩大いにゆらぐ。忠臣大村彦右衛門ありて危きを免がるることを得たり。公、かって将軍秀忠公の叱責にあい宣教師を呵責したることあり、為に怨みを買い毒殺されしかとも云う。