落石横丁@八重山 (’99.6.10〜21)

1日目

 羽田空港について早速搭乗手続き。登場ゲートは81番とのこと、要はバスで移動しなければならないのである。んで移動するわけだが、また長いこと走るんですわ。走りついた先にあった飛行機は小さい飛行機でした。120名ぐらいですかねぇ乗れる人数は。さすがにジャンボに比べて装備はちゃっちくなるんですが、救急防具の説明をリアルで見る事が出来たので良しとします。
 そんなこんなで3時間で石垣空港についたのですが、まぁ小さい。那覇空港も小さかったのですが、その比じゃなかったです。その時明日乗るRACの波照間行きの飛行機も見たんですが、無茶苦茶小さい。揺れの具合がちょっと不安になりました。

 石垣島の最初の感想。暑い。直射日光の当たり具合が違うのか、気温30度のはずなのですが、全然高い気がしました。そして、陽がやたら高いんです。午後5時過ぎなのに自分の目線45度上にあるんですよ。夕方と言う感覚じゃなかったね。結局日が沈んだのは7時過ぎでした。逆に考えると朝は遅いんだろうなぁ。
 そして、初日にやったことはホテルで以前注文してきた本の製本でした(^^;。製本道具持ってこなきゃもっと荷物積めたんだけどなぁ。

 明日から波照間に行きます。

2日目

 波照間に移動する。乗る飛行機は19人載りのプロペラ機。スチュワーデスのお姉さんも当然いるわけでなく、救急防具の説明もなしでした。んで乗ってみた感想なんですが、離陸、飛行中は快適で、怖くありませんでした。でも着陸がジェットコースターによくある”あの”感覚を味わうこととなり、結構びびりました。飛行時間が15分と短かったのが意外でした。

 波照間島の最初の感想。暑い。まだ9時半だというのに暑い。風があったので日陰では過ごしやすいのですが、ひなたは厳しいです。また、困ったことに昼に近づくにつれて日陰が無くなるんですわ。10時過ぎに、昨日製本した本を発送しに郵便局へ行きました。記念の消印でお願いしたのは言うまでもありません。その後モンパの木で絵葉書を購入し、ニシ浜を覗きに行きました。最初の感想は”完璧な青”でした。

 その後11時から15時までお昼寝。やはり朝7時起床はつらいです。その後、ぶりぶち公園を探し、大泊浜を見に行きました。ぶりぶち公園は見つけにくいと聞いていたんですが、なるほど見つけにくかったです。しかも何処から入れば良いのか判らず場所を確認しただけで終わってしまいました。
 大泊浜はニシ浜と違って波が荒く、ゴミなども結構ありました。ハングル文字や中国語のペットボトルは記念に持って帰ろうかと思いましたが、かさばるので写真だけで止めておきました。

 夕飯はたましろならではのてんこ盛りの料理群。メインは炊きこみご飯と汁(名前失念)。それに刺身に冷奴に、アサリの煮物に、バナナにパインにおしんこ。自分は刺身まででギブアップ。一気に何処まで食べることが出来るかがポイントのようです。っていうか、量多すぎ(苦笑)。そうそう、泡波も飲みました。

 早急に飯を食べた後は星空観測センターへ。ほとんど解説のオジさんオンステージでしたが、空には星がこんなにも多くあるのかと言うことを再認識。普段空なんか見ていないから余計に感動してました。南十字星は雲の関係で完全には見ることが出来ませんでした。とりあえず、上下の2点だけを確認しました。天の川の光には結構来るものがありました。

 センターから戻ってきた後は宿のオジさんの好意で沖縄蛇三線の演奏などを聞かせてもらいました。あと神酒も飲ましてもらいました。波照間初日から密度が濃いは予想外、今後が大変楽しみです。

3日目

 朝食(やはりてんこ盛り)で牛乳を飲む。って、普通のことなんですが自分にとってはとても久々で、高校の時田舎で飲んで以来11年ぶりのことになります。ギンギンに冷たい奴なら大丈夫なんですが、ぬるくなるとちょっとね。あと、紙パックの奴は駄目になりました。あと、朝に納豆食べたことも久々のことでした。やはり旅の成せる技か。

 今日は「日本最南端の碑」を目指してひたすら歩きました。日焼け止めも前もって塗っておいたのですが、焼けていることでしょう。良い天気でしたから。森を見て、畑を見て、海を見て、空を見て、のんびり歩いていきました。My little loverの「evergreen」をBGMにしてました。マイラバをBGMに散歩するというのも旅の目的の一つだったので、かなり満足でした。また風景とBGMがガッチリ合うんだなこれが。「白いカイト」「evergreen」は特に馴染んでました。

 「日本最南端の碑」までおよそ100分。日陰もなくひいひい言いながら歩きついた先にあったのは、激しい風と荒波でした。大泊浜も荒かったのですが、こっちの方が全然上。まるっきり違う海の表情でした。かんじんの碑ですが一つだけじゃなかったんですね。大小さまざまあったのには驚かされました。そのあと、またひいひいいいながら宿まで帰ったのでした。

 本日の夕飯もてんこ盛り。鮭と高菜が乗ったご飯と2玉は確実に入っているであろう八重山そば。それと刺身、冷奴などなど、昨日と同様の付け合わせ。昨日よりも慣れてきたのか、冷奴半分だけ多く食べるのに成功しました。にしても胃がパンパンです。
 その後、初めて胃薬を飲みました。食後のやつにすれば良かった。

4日目

 自分の部屋は相部屋で3人が宿泊している。最初のうちはなかなか話しづらいのだが、慣れてくると3人組のような感じになる。今日は同じ日に来た同部屋の人が帰るので記念写真を撮って見送った。旅用の名刺が必要だなぁと強く思ったりもした。
 そして、一人が抜けてもまた新しい一人が入ってくる。そうして3人組は面子を替えながらこの部屋に居続けるのである。

 今日は泳ぐ。と決めていたので、その前の準備にと港で飲み物を買いに行く。が、丁度港についたときに雨が降り始める。最初のうちはスコールのような感じだったのだが、雲が繋がってしまい、結果普通の雨と変わらなくなった。仕方が無いので雨が止むまで港にいることにした。
 丁度、サトウキビの研究がてら旅しているオジさんがいたので、ずっと話していた。いろいろ話の引き出しが多く、雨が止むまでの3時間飽きることがありませんでした。

 雨が上がったのは干潮に近い11時45分。ニシ浜に行くと結構な所まで干上がっている。泳ぐにはちと厳しいが珊瑚を見に行くには絶好の状態になっている。サンダルではなくフィンを付けたままで海に入ったのでとても歩きづらい。でも裸足だと傷だらけになるのは目に見えて明らかである。頑張って歩く。ある程度沖まで行くと、魚がうようよ登場する。4月の沖縄の時もこんな感じだったけど、格が違うな。明らかにこっちの方が上。クマノミがでかいしたくさんいる。同部屋の人もクマノミの凄さに感動していたっけ。
 天気自体は終始曇っていて、潮が満ち始めると風が強くなりだし、陸に上がるのが辛くなりました。まさか波照間島で「寒い」を連呼するとは思ってもみなかったです。結局、切り傷も何箇所か作ったけれど1時間半波照間の海を楽しんでいました。ちなみに、泳ぐとおなか結構減りますね。歩き回った時とは減り具合が段違いでした。でも、夕飯完食は出来ませんでした。まだまだ修行が足らないなぁ。

 泡波を呑みながら宿泊客としゃべっていると、名物の青いつなぎのオジさんが登場。みんなで、オジさんの牛小屋へ行って星空を眺めていました。さそり座とスピカはばっちりになりました。相変わらず天の川は綺麗でした。

5日目

 月曜と言うことで、郵便局に行く。ここの郵便局は本土と違って8:30から16:30の時間開いている。30分早いんですね。そこでここで買った絵葉書を送り(当然記念スタンプ)、今後余計な荷物になるであろうみやげ物類をまとめて送る。なんやかんやで、明日はもう出発だからなぁ。持ち物軽くしておかないと。

 今日も泳ぐ。今日は大潮なのでかなり遠くまで歩いて行ける。なんたって-8センチだ。フィンを付けたままふらふら歩いたので擦り傷が増える。それにもめげずに前進すると、見事な魚の群れを見ることが出来る。曇りがちだった昨日も素晴らしかったが、今日は快晴、もっと素晴らしい。風が吹いても寒く無いのは当たり前として、魚が太陽の光に反射してきらきらひかる。見ていて全然飽きません。ちなみに、今日はクマノミに攻撃を受けました。
 結局3時間近く泳いでいたみたいです。体力ついたなぁ自分。もっとも、日焼け止めを塗る時に盲点となっていたふくらはぎがばっちり焼けてしまい、ひりひり言ってます。

 たましろでの最後の夕食。今日こそは完食を目論んでいたのだが、一番恐れていたメニュー「天ぷらうどんとうな丼」の前に敢え無く撃沈。私が悪うございました。
 食事中に自己紹介をして、話の合った四人と泡波を呑みつつしゃべっていると青いつなぎのオジさん登場。今回は魚を獲りに行くんだそうな。刺身をご馳走してやると言われ四人で港に行く。港への移動は車、ただし荷台の上。電波少年のヒッチハイクの感じを少し味わう。
 海パン一丁になったオジさんを見送ってから星を見たり、海を見たりいろいろ時間をつぶして待つこと一時間。オジさんやっと帰ってくる。魚をたくさん獲ってきて。そのあとオジさんの牛小屋兼自宅で刺身をご馳走になる。カツオやらブダイやらカラフルな魚やら。食べる時も醤油ではなく、味噌と酢と唐辛子をブレンドしたやつを作り、それで食すのだ。食べてみるととても美味しくやみつきになる味である。もっとも、自分は唐辛子本体をなめてしまって唇が熱くなり、刺身を味わう余裕が無くなってしまった。この熱さは朝起きるまで続いていました。

 オジさんと別れた後は暗闇の中をたましろに向かってゆっくり帰った。さそり座と天の川と北斗七星の低さに感動しながら。

6日目

 波照間での滞在も朝で終わり。4日間と言う日数は長いようで案外早いものである。小学校の時に夏休みが早く感じたのと一緒なんだろう。飛行機に乗る関係上出発が早く、朝食を急いで食べなければならず、最後の勝負も敢え無く敗れる。
 送迎車の出発するまでのわずかな間、昨日から泊まりに来たベテランのオジさんに与那国の良い場所を教えてもらい、3日間同部屋だった相方と健闘を称えあう。また逢えるといいね。
 送迎車の運転をする人がたましろのオジさんだと思っていたらモンパの木のおばさんだった。オジさんに御礼を言うのを忘れてしまった。次回まとめて言わせていただきます。

 空港に着いてしばらくすると飛行機が到着した。ほんの十分ちょっとで荷物を入れ替え、すぐに離陸した。早かったなぁ。また行きたいなぁ。そういえば、結局宿帳書いてないなぁ。ま、いいか。
 こうして波照間に別れを告げ、次は与那国へと向かう。

 石垣からYS-11に乗って与那国へと向かう。このYS-11、7月10日で引退なのである。この話結構有名らしく、飛行機に詳しくない自分でも、なんか良いタイミングで乗れたなと思うのである。しかし同じプロペラ機だけど大きい。なにしろスチュワーデスが機内にいるからなぁ。なんか錯覚してないかい?大きいと言うことは揺れも小さく、着陸の時の恐怖感も味わうことが無く快適なのでした。揺れが無かっただけという気もしますが…。
 そうして30分強の飛行の後、与那国島へと到着したのである。

 波照間の時みたいに待たされることも無く、送迎バスの人は待っていた。与那国の最初の感想は山におおわれているなぁと言うこと。波照間よりも大きいからか車が結構走っているなぁと言うこと。家が多いなぁと言うこと。今までとは異なった印象でした。多分違う島に行く度にいろいろ思うのでしょうねぇ。
 泊まった宿はよしまる荘と言う所でダイビングサービスもやっている所。ここはダイビングが有名でどちらかと言ったらダイビングメインの人が多いみたいです。ダイバーの話を聞いてみると結構面白そう。やっぱり本腰入れてライセンス取ってみようかなぁ。
 部屋は個室を取ったのですが、今思うと相部屋でも良かったかなとちと後悔。波照間での相部屋生活が結構楽しかったからだろうなぁと思うのでした。

 夕食まで結構時間があるので、西崎(いりざき)に行く。日本最西端の場所でちょっと記念写真。ここは歩いていける距離だったのでゆっくりと行ったけど、残りの場所はバイクを使わないと無理みたいなので翌日からゆっくりと見ることにしましょう。

 夕食後応接まで宿泊客らと話していると、今の時期に海の祭りであるハーリー祭というのがあるらしく、今年は17日なのだそうだ。で、気がつくと宿泊客もハーリーのレースに参加できると、んで自分も参加することになりました。と言うことで明日は一日中ハーリーを漕ぐ練習だそうで、与那国観光は出来なくなりそうです。ま、滅多に体験できないことだからいいか。

7日目

 今日は一日中ハーリーを漕いでいました。最初慣れていないせいか手の豆をつぶしまくっていました。その後は筋肉痛です。明日は頑張るぞ。
 んで、寝ます。

8日目

 密度の濃い一日でした。

 午前中はハーリ祭。正式には海神祭。漁業関係者が海上平穏と豊漁を祈願する意味合いの祭で石垣などでも行われています。んで結果なんですが、もうメロメロ。多少は練習したからかたちにはなるかなと思っていたら、とんでもない話。てんでバラバラ。三組でスタートしたんですがダントツの最下位でした。まぁレース終了後、宿のおとうさんに怒られるかと思っていたら笑顔で迎えてくれたので一安心でした。笑顔の理由にはお父さんの所属する南組が総合優勝したからなんですが。
 こういう祭は開催時期を知らなければなかなか見ることは出来ないし、ましてや単なる観光客が祭に参加できると言うのは大変難しいことです。これを簡単に実現させてしまった自分はなんて幸せ者なんでしょうと思うのです。また、お祭の雰囲気と言うのも味わう機会と言うのは少なくなってきたように思います。予想外のハーリ漬けの与那国になりましたが、観光メインの与那国よりも全然充実したように思いました。詳細な観光はまた来ればできるしね。

 午後は観光。与那国に、よしまる荘に何度も来ている常連の人に与那国の基本スポットをガイドしてもらった。この人は与那国を知り尽くしている人なので、普通よりちょっとお得な観光案内になりました。与那国空港のベストポイントと言うのも教えてもらいましたし。ちなみにこの人は同業者でした。波照間のときも一人いたからなぁ。結構いるんですね。
 3時間ほどの観光でただ一つ予想外だったのが「日焼け」。バイクで走っているうちは快適なので気が付かなかったのですが、戻ってみると太もも真っ赤。初めて火照りながら寝ました。

 宿に戻ると今日のハーリの打ち上げで、泡盛のサービスが付いていました。自分、たっぷり呑ませていただきました。

9日目

 泡盛を呑みすぎてろくに眠れなかった。それでも今日は与那国最終日。やり残したことがあるので、それをやるために午前中はお出かけ。要は最西端の記念の消印をはがきに押してもらうと言うことなんです。自分の宿のある久部良にある郵便局は分室なので通常の消印しかないそうで、本局のある祖納までバスで行くことになりました。
 バスと言ってもスクールバスで手を上げれば乗れるという地方にはよくあるタイプのものです。そのバスに乗るとまた長閑なこと、運転手さんがマイク越しにお客さんと会話しています。当然その土地の言葉です。何言ってるんだか全然わかんないわ。祖納について本局で記念の消印を押してもらって用事は終了。あとは一時間ほど帰りのバスを待っていました。そして来たバスはスクールバスではなく、代行バスという名の乗用車でした。理由を聞くと午前中の飛行機で来た団体さんが観光で利用する為に全部持ってかれたとの事。珍しいこともあるもんだ。

 お昼は前々から行って見たかったカレー屋さん「ユキさんち」毎日日替わりで独特のカレーが出るんです。一昨日初めて行った時はとうがんのカレー、今日はチキンとトマトのカレー。多少水っぽい感じはするんですがそれを差し引いても満足でした。結構リラックスできる場所です。とりあえず、これで与那国で押えておきたかった所は全て回ったと言う感じです。忘れていたらまた来ればいいか。

 あとは飛行機の時間までのんびりとしてました。飛行場で常連の伊藤さんに「また六月に来いよ」言われました。はい、また来ます。そしてまた漕がせて頂きます。今度はスキューバーもやりたいかも…。ということで与那国の旅も終了。最後の舞台石垣になるのです。

 飛行機の中で寝ていて気が付くとそこはもう石垣島。この空港に着陸するのも三回目。すっかり慣れました。二つの島に行っているときはハブ空港的性質に思ってましたが、最後の締めでリゾート気分を味わおうかなぁと思案中。とりあえず明日考えることにしましょう。

10日目

 石垣で行動する一日目。どこに行こうかなぁと考えていて、下手に近いところよりも遠い方がいいだろうと言う考えに達し、石垣島の先のほう、平久保崎灯台を目指して行くことにしました。タクシーで行くのも値段がバカにならないと言うことでバスを利用。片道一時間半ののどかな旅でした(片道1100円)。 

 バスの終点平野に到着したのが12:30。帰りのバスが17:40と結構時間があるのでのんびりと灯台まで向かうことにしました。雲が結構出ていて快晴ではなかったのですが、それでも暑い。とりあえず腕の焼き具合を均一に出来ればいいかなという感じで歩きました。まわりの風景を見ながら歩いて30分弱で灯台に到着。180度どころじゃない250度水平線の風景。灯台の先からは石垣港に向かう連絡船が見えている。絶景ですなぁ。
 灯台の付近でぶらぶらしたあと、その反対側にある昔の灯台跡の方に向かった。実際、そこには登ってはいけないような感じだが、というのも人工的な道は無く柵も外されているからなのですが、好奇心からか登ってみる。かなり急な上り坂で小石が多い。サンダルで来ているので下るときの事を考えるとちょっとブルー。
 灯台跡は灯台の方よりも高い場所にあり、それだけ見晴らしも良い。昼寝するには丁度良い場所があったのでそこで寝る。雲が良い具合に出ているので直射日光を浴びずに済む。ただ、風がとっても強い。下手をするとそのまま下に落ちてしまうほどの強さである。ちょっと怖くなったので下ることにした。時間は14:30。まだ3時間もある。

 下に降りた時にバイクで旅をしている兄さんに逢う。どちらともなく話はじめると、もう一人姉さんが加わった。この人は同じバスに乗った人だった。自分は最後尾で寝ていたのであまり関心が無かったのだが、当たり前だが灯台を目指していたか。ということで、灯台の近くで座って駄弁ることにした。
 バイクの男性はキャンパーで九州一周していて、気が付いたら石垣に来ていたとの事。女性は離島をいろいろ旅しているとの事。両方とも年下。若いからパワーがありますわ。話はじめて20分もするとキャンパー仲間の男性が合流。彼は雪駄を履いて自転車でここまでの30キロ以上の道のりを漕いできたのだそうだ。スゴ。しかも彼、話の引出しが以上に豊富で、旅の話から動物の肉、お笑い、大麻などなど何時知識を仕入れているのかと思うぐらいの内容でした。そんなこんなであっという間に時間は経ち、17:00になってました。
 キャンパー二人組と別れて姉さん(年下だけど)と二人でバスの停留所まで歩く。話ながらだと長い距離も全然苦にならない。あっという間に到着しました。そしてバスに乗ってからはバスの運ちゃんを交えてのおしゃべり大会になりました。聞く所によるとこの姉さん、今日の宿を決めていなかったのだが行きのバスの運ちゃんの家に泊まらせてもらえる事が決まったそうな。ここではこんなこともありなんだなぁ。バスの中の1時間以上の時間もあっという間に過ぎ、姉さんは終点の一歩手前のところで下車しました。

 波照間、与那国と違って石垣は大きいから今までのような出会いは無いかなぁと思っていたんですが、そんなことは無いですね。予想外の楽しい一日でした。もっともキャンパー系だから出会えるんであって、リゾート系の旅行客相手だとそう上手くはいかないみたいですね。

11日目

 雨、かなり大雨の一日。旅行客にしてみれば残念なことなんですが、石垣に生活している人にしてみれば久々のまとまった雨だそうで、今後の水不足対策にも大切なことなんです。とうとう最終日になってしまいしかも雨。あまり観光はしないで、旅行計画時に言っていた所を行くことにしました。その場所は「具志堅用高記念館」。この場所、市内観光のコースにもなっているのですが、その見学時間はわずか15分。そんなに簡単に見れてしまうのかと思うととても悲しくなってしまうので、確認の為に行くことにしたのです。
 んで結果ですが、10分以内で見終わってしまいます(涙)。内容はトロフィーや認定書などが飾ってあって、本人の試合のビデオが流れているといったもの。ここまで簡単だとは思いもしませんでした。入館料が大人400円と安かったのが唯一の救いでしょうか。自分は雨宿りも兼ねてしばらく試合の映像を見ていました。

 あとはどこも行かずとっとと最後の宿「日航八重山リゾート」に行きました。宿の予約の時点では最終日だからパーっといこうという感じがあったけど、いざ泊まるとなるとちょっと違う感じがしました。やはり自分には相部屋のほうが性にあっているような気がします。やっぱり自分はキャンパー系ですな。
 14:00にチェックインしたので晩飯まではかなりの時間があるので、とっとと寝ることにしました。体を休めるのがこの宿での目的ですから。
 この宿では人と知り合うことは無く、唯一の収穫はケーブルテレビで香港韓国の番組をやっていたこと。とくに音楽関係が充実で最新の音楽が聞けたのはもうけものでした。横浜に戻ったらHMVのASIAコーナーに直行になりそうです。

12日目

 最終日。後は帰るだけ。石垣は今までの新聞・TVなどの情報に触れることの少なかった離島に比べて、遥かに情報に接することが出来る。だから世間の動きにも対応できる。まぁ雑誌の発売日の遅さはいかんともしがたいのだが。

 空港までのタクシーの中の話で、運転手さんは石垣空港の延長などの公共事業に対してぼやいていた。半分以上が土地の人じゃないからすぐ潰れてしまう。いつまでたっても不便な暮らしのままだ、と。全然違う土地の人ではなく現地の人の言葉なだけに考えさせられます。確かに公共事業に頼りっきりになってしまうのも問題なんですが、反対(特に土地の人で無い第三者)によって、決まることも決まらなくなってしまうと言うのはなんだかなぁと思うのでした。自分達はどこまで口出ししていいんでしょうねぇ。

 石垣発宮古経由の羽田行きに乗る。宮古経由と言う時点で直行便のありがたみは無くなっている。ま、いいか。宮古の待合室で職場のお土産のお菓子を買っておく。宮古島にも寄ったのかと聞かれそうだが、適当にはぐらかしておこう。空港ロビーと言えども30分はいたわけだし。
 あいにくの雨の中の離陸となった。最後に綺麗な珊瑚を見ることが出来ないのはちと残念ではあるが、また来れば良いわけですし。
 今度行くことが出来るのはいつになるのかなぁ。とりあえず、次回の行程を考えることにしますか。(了)