超短編小説作品

未勝利


 天気晴れ。馬場状態良。ゲートイン直前、騎手には迷いがあった。

 最後の直線でスパートか、もっと早くか。

 彼がまたがる馬は血統の魅力で話題になり、クラシックホースの 声もあがるほどだった。しかし、デビューから10戦して未勝利。 もうクラシックの夢は叶わない。

 オーナーも調教師の先生も今まで俺を乗せてくれているが、この ままじゃじきに降ろされる。それに、いつまでも勝てなかったらこ いつの行き先も決まってしまう。

 騎手も馬も背水の11戦目。

 調整は万全。今までで最高のデキだ。なんとか勝ちたい。こいつ はスタミナよりも瞬発力だから最後の直線でスパートしたほうがい い。でもそれで10回も負けた。いつもより早めにしかけるか。い や、それでは詰めが甘くなる。

 まだ迷い。各馬ゲートイン完了。

 内枠の逃げ馬がとばすだろう。ハイペースになる。そしたら前が バテたところを一気に。それじゃいつもと同じだ。思い切って前に 行くか。でもこっちがバテては元も子もない。それにこいつはスター トが下手だから簡単には前に行けない。

 まだ迷い。そしてゲートオープン。案の定出遅れ。

 ちっ、こうなったらまた後ろからだ。前はとばしてるな。ハイペー スだ。ぎりぎりまで我慢してためるだけためて直線勝負。いつもの こいつの走りをさせてやればいいんだ。最後方からの追い込みこそ、 こいつのそして俺の競馬だ。小細工なんかいらない。俺たちの競馬 を見せてやろうじゃないか。

 腹は決まった。やがて第3コーナーにさしかかる。最後方で我慢。 馬群をひっぱる逃げ馬はハイペースがたたってバテてきた。まだ我 慢。第4コーナー。各馬動きが激しくなる。先頭が入れ替わる。

 よし、ここからだ。行け。

 騎手の意思が手綱を通して馬に伝わる。インコースを奪い合う馬 群を避けて大外を回る。右手でムチを抜く。コーナーを曲がりきる。 ゴールまでは直線約300メートル。先頭との差は10馬身。

 いけえぇ。

 ムチが入る。重心が下がる。一歩一歩ストライドを刻むたびに先 頭との距離が縮まる。他の馬とは明らかに脚色が違う。左手で手綱 をしごき右手でムチを振るう。まっすぐ前を見つめて他の馬など見 ていない。自分たちのアイデンティティを見せつける。先頭の馬に 並びかける。そのままゴールイン。先頭の馬の前に鼻を突き出した のは、ゴール板を過ぎたあとだった。2着。11戦未勝利。


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