89年正月

 



新年のっけから熱を出して半纏と炬燵とお茶、すぐ脇には布団という生活を2日間過ごしてしまった。4日から仕事。私は3日に熱が下がったのを体温計にて確かめると、そそくさと親がうたた寝をしている隙に外へと出ていった。
「さて、どこにいこうかな」
と思いながら階段を降りると左から近所の話好きなおばさんがやってきた。「二言おばさん」という仇名の人でこっちが一言いうと二倍になって返ってくるという人だ。(または、いつも一言余計な事をいうから)そいつに捕まってはいかんと右へ行った。
右にはバス停がある。赤羽行き、王子行き、新宿行き。 その中で一番早く着た新宿行きに乗って新宿から先を考えた。私はまだ初詣をしていない。どっかの神社に行こうか・・・。近いところだとつまんないし。というわけで毎度のごとくロマンスカ―で江の島へ出てそっから鎌倉を目指そう。と安易に決めてしまったわけである。ロマンスカ―は当日分の券が30分ぐらい前に全部売り切れた。私はたまたま1人だったので楽に取れたが乗車前に私の前に並んでいた4人組はばらばらになってしまったらしい。しきりと誰がどこに座るかでもめていたようだった。
「あたし1人で違う車両なの?」
 女の子が男の子に文句を言っている。
「じゃあこっちでもいいぜ。でもこれって通路側だけど。」
「えーー、通路側なのぉ。」
「どっちにすんだよ」
男の子が文句を言っていると突然に改札の方から拍手がおこった。振りか向くと丁度大学駅伝が映されていてどっかの大学がゴ―ルインしたところである。
 乗車が開始された。私の席は・・・と探していくと通路側の席がそれだった。隣人は同じぐらいの年の男の人である。軽く会釈をして座ると荷物を膝の上に乗せて車内を見回した。子供連れが多い。あちこちで子供の超音波のような声が響いてる。それとセットで子供を叱る母親の金切り声も合いの手のように入って車内は騒がしかった。
 列車が走り出すほんの一瞬だけ車内は静かになる。本を読んでた人は
顔をあげ、通路を走っている子は立ちどまり、みんな窓の外を見て走り出した事を確かめる。一瞬が過ぎ去ると さっきよりも 母子の奏でる音楽はまた一層騒がしくなる。
「おかーさん、走ってるよ」
「はいはい。ジュ―スこぼさないようにね」
母親はいたって無感動。私はと言えばなるべく隣人のボディゾ―ンを犯さないように通路側に身を寄せ本を読んでいた。いろいろと散歩に出て隣人となる人を見てみてきたが、この人は「ほっといてくれ」タイプだったので ほっとく事にしたのだ。たまに私が本から目を上げて隣人を見ると彼は窓の外をじっと見ている。 ずっと見ているのだ。
「どこまでいくのかなーー」
「まさか 江ノ島までなんてのはナシだよーー」
 そう心の中で思いつつ本を読んでいた。町田で1/3が降りてまた少し乗ってくる。子連れの、一番騒がしかったのが降りて初老の夫婦が乗ってきた。車内は 妙に静かになった。隣人はまだ窓の外を見ている。
  やがて藤沢についた。隣人は急にぶんぶんと手を振る。窓の外には白のコ―トに赤い靴を履いたかわいい女の人が立っていてその人も手を振っている。彼は喜びいさんで降りていくとその女性と手を繋いで跳ねるように階段を上っていった。その表情は車内とは別人のように明るかった。
 そこで車内の2/3の人が降りてしまいがらんとしたまんま江ノ島についた。帰る人で切符売り場は混んでてロマンスカ―も18:50発までは満席になっている。「帰りはJRだなあ」そう思いつつとぼとぼと江の電の方へ歩いて行った。
 江の電の中、私の隣のカップルは周囲の冷ややかな視線も気にせず いちゃいちゃしていた。
「どうした?気分悪いのか?」
男の人の胸にもたれかかった女の人に男の人が聞いた。 「うん、ちょっと頭が痛いの」
彼らはずっとその体勢でいる。
途中、たまたま私の前の席が空いて座ることができた。海は凪いでほとんど波がない。窓から傾きかけた日差しが入ってきて心地よかった。穏やかな、本当に穏やかな景色である。
長谷で私の隣に座っていた親子が降りたのだがどこで降りるのか反対側にいた父親に子供が人の間を縫って聞きに行ったりしていた事に、前にいた例のカップルの女の方が腹を立てて
「混んでるのに非常識よ」
とえらい剣幕で怒っていた。そして気が済むとまた
「頭が痛いの」 と言って男の人にもたれていた。
鎌倉に着いてホ―ムを歩いている時にそのカップルが私の前を歩いていたのだが、女の人が座ることができなかったのでまた文句を言っていたのが耳に入った。
「立ってるところが悪かったのよ。だって江ノ島から乗ってきた子は座ってたんだもん」
と私の事を言っている。
「だって あの子はさ・・」
と言いかけたところで男の人は背後の私に気がついて口を閉ざしてしまった。無論女の人もである。気まずいので私はそそくさと急ぎ足で改札の方へ歩いて行ってしまった。
改札には人の波があった。今、私の乗った電車に乗りきれないので駅員がロ―プでお客をせき止めている。そして改札を出ると駅に入れないで ずっと並んでいる人が地下道の方まで続いている。そしてJRの駅にも人、人、人。こりゃあ下手すると当分帰れない。そう思った私は仕方ないので初詣を次の機会にして帰る事を考えはじめたのであった。
 JRで帰れないとなるとあとは京急である。正月はバスはあてにならない。私は横須賀か久里浜へ出ようとJRの切符を買ってホ―ムに入った。ホ―ムにはやたらと人がいてこぼれてしまいそうだ。電車に乗ってどこまで行くかを考えた。横須賀の方が近いが京急の駅が近くにあるのかどうか私は知らない。どっちでもいいように久里浜まで買ってしまったことだし、終点の久里浜まで行くことにした。JRの駅から京急の駅が見えるというし。
そして久里浜につく。私は京急の駅へ向って歩いた。3分もかからない。ここで大人しく帰れば良かったものを、私はまたいつものクセが出てしまった。
「そーだ。ここにはフェリ―があるんだった」
私はバス乗り場でフェリ―埠頭行きに飛び乗ってしまった。もう時間は5時を過ぎていた。(あ、過ぎてないかも)
 埠頭に着くととにかく5時ちょっと過ぎで フェリ―は行ったばかり。あきらめて次のを待つことにして時刻表を見ていた。どうやら30分ばかり遅れているらしい。このフェリ―に乗るのは2度目で前は金谷から久里浜へ来たのだった。今度はその逆になる。
もうあたりはとっぷりと暮れていてすっかり夜になっている。 前回も夜ではあったが春だったのでこんなに寒くはなかったのだ。乗船してから船室に一回入って座ったが、あまりの空気の悪さで気分が悪くなり船が出る前からデッキに出てしまった。デッキをぶらぶらしているうちに出航し、船が旋回した。みるみるうちに港が遠くなる。 
 久里浜港はライトが沢山灯っていて海上から見ると素晴らしく綺麗な眺めだった。1つ1つのライトが遠ざかっていくにつれ固まったり線になったりして見えている。私はしばらくそれを眺めていた。そして中間点まで来ると 空には星が一杯に散らばっている。うっすらと天の川らしきものさえ見えた。オリオン座、おうし座、すばる。こんなところで思わずこんなに綺麗な夜空が見えたのには驚いた。夜で水平線がわからないからどこからが星でどこからがライトだかわからなくなるぐらいだった。
 そろそろ金谷港に近いだろうと前を見たがぽつりぽつりとライトがあるだけでそれらしいものは見えなかった。35分間だということだからそろそろ見えていい頃なのだがと見ていたが、やはりそれらしいところがない。 鋸山の麓だということだから・・と見ると山の中腹にライトがぽつねんと灯って、その下が少し明るい。 まさかと思ったがやはりそこがそうだった。
「こんなに寂しかったけかな?」
と思ったが、あの久里浜港のライトを、,見た後だけに余計にそう思うのかも知れない。港に入ると船は旋回して着岸した。19:15分 金谷港着。
 浜金谷港は観光地という感じがする。ドライブインがあったりしてパチンコ屋がある久里浜とは偉い違いだった。ずっとデッキにいた私はすっかり冷えてしまったので腹ごなしと体を暖めるためにそばを食べた。どーいうわけかそばは緑色だった。
 5分で食べると浜金谷の駅に向う。
「千葉行きに乗る人、いませんか」
と、私が駅に入った時に駅員さんが叫んだので
「のりますっっ!!」
と言うと無札証明書と言うのをくれて、それを持って飛び乗った。電車の中は暖房が入ってないし、ゴミが一杯。アブナイおぢさんがいるしで快適ではなかった。それでもなんとか蘇我まで来て後続の逗子行きに乗り換え、ようやく暖かな暖房に包まれた。しかし汚い。
 柿ピ―が散らばったり、雑誌が床の上にあったり、缶がころころと転がっている。それでもあったかいだけ救われる。錦糸町で乗り換え、秋葉原で乗り換え、王子に着いたのは21:00を回っていた。
 正月ダイヤでバスは最終しか残ってなかったので、また寒空の下10分待つ。家にたどり着いたのは21:30過ぎ。
「まーー、いい子で遊んできたね」
と笑われ、部屋に入ると疲れが出て、寒空の下薄着いたことも祟ってまた38度以上の熱を出して寝込んでしまったのでした。



今回のコース
  近所−新宿(バス)
  新宿−片瀬江の島(小田急)
  江の島−鎌倉(江の電)
  鎌倉−久里浜(JR)
  久里浜駅−久里浜港(バス)
  久里浜港−浜金谷港(フェリ―)
  浜金谷−王子(JR)
  王子−近所(バス)

なお、浜金谷港についたのは 18:15でした。


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