親馬鹿炸裂中!(過去分)
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言葉の遅れ(2001/7/22)
久しぶりの更新です(笑)。先月の6ヶ月検診の際に「ブーブー」や「わんわん」などの言葉がしゃべれるか?という質問を受けました。うちはしゃべれません。1ヶ月経った現在もまだダメです。もうすぐ1歳8ヶ月になろうというのにまだ言葉はでてきません。なんででしょうねぇ?おかげで言語発達調査は8月に再調査になってしまいました。その後、言葉を教えようと単語が書いてある絵本を買って読み聞かせようとしているものの、彼女は一向に興味を示しません。かといって、日中、全然しゃべらないわけではなく、「あー」だの「かー」だのとわけのわからない言語をずっとしゃべっています。で、もういいやと開き直ってそのままにしてあるのですが、これじゃまた8月にいわれるんだろうなぁと頭が痛いのも正直なところ。だいたい、うちでは「わんわん」だの「ぶーぶー」だのという言葉は教えてないんです。わんわんは犬、ぶーぶーは車。それじゃいけないんですかねぇ?それに、他のうちでは子供が普通に発した「まんま」という言葉(これって子供が発音しやすい音なんだそうですが)を喋ったと言っている人もいるんですが、それは意思伝達の意味ではなく、ただ音を発しただけなのに、それでもOKなんですかねぇ?そんなんだったらうちだっていっくらでも言ってますけど。それから必ず言われるのが「下のお子さんに手がかかるのはわかりますが、もう少しお嬢さんとのコミュニケーションを…云々…。」、ちょっと待ちなさい。下に手がかかるのは当たり前ですけど、うちでは下の子供のほうが可哀想なんですが。日中、娘と息子が同時に泣き出した場合、うちでは娘優先です。だって、息子はおむつかミルクなんですもの。作業さえしてしまえば泣き止むのが分かっているからなんですが、それでもコミュニケーション云々といわれるのはどうも納得がいかないです。うちのそういう状態も聞きもしないでなんでも決め付けてそういう風に注意するのはどうかと思うんですけど。しかも、「もう少し年齢を離して子供を作ったほうが…」みたいなことを言外に言われた日には結構頭にきます。とりあえず、再度行って見て、また何か言われるようだったら今度は言い返してこようかなと、ちょっとだけ思ったりもして。それにしてもめんどくさい。
叩いちゃダメ(2001/5/30)
洗濯物を畳んでいる最中に息子が泣き出しました。私の側で遊んでいた娘がよたよたとした足取りで息子の側に寄っていきます。娘はまだ弟がわからず、人形としてしか認識がないようなのでよく息子に対して無茶をします。1歳6ヶ月なので無理もないのですが。それで、私は洗濯物を畳む手を止めて娘の挙動を見守りました。もちろん、息子に無体なことをしたら即刻やめさせるつもりで。彼女は最初ベッドサイドにいて息子の顔を覗き込み、続いて、いつも私が教えているように頭をなでていたのです。よしよしと、安心してみていると、今度は息子の横っ腹のあたりをぺしぺしと軽くたたき始めたのです。いけない。止めよう。私は腰を上げようとしましたが、どうも様子が違うのです。叩いているにしては、何度も規則的にぺしぺしとずっとやっています。そこで私はようやく彼女の行動の意味がわかりました。私は娘を昼寝させるときなどに彼女の背中などをぽんぽんと一定のリズムで軽く叩くのです。そうすると安心するのか、そのうちにいつも眠るのですが、どうやら娘はそれを弟にやっているようなのです。なるほどね。私は苦笑しながら様子を見守っておりました。すると、息子はそのうちに寝付いてしまい、すっかりと静かになりました。1歳6ヶ月。まだまだ赤ちゃん。だけど少しづつおねえちゃんになってきているのでした。
いろんな話1(2001/5/8)
日曜日に退院してきました。しかし、まだ生活をする上でかなり不安です。お腹も痛いし、悪露はまだ赤いですし。何しろ、腰が痛い。再入院になるようなことだけは避けたいと思っています。とりあえず、思いついたまま。
陣痛?
早朝、4時30分頃に軽いお腹の張りがきました。臨月に入った頃から熟睡できなくなり、トイレも近くなったためにこの時間によく目覚めます。で、トイレに行って寝ようとしたけれど、ちょっとしてからまたお腹が張り始めて。寝付けないのでそのまま本を読んでおりました。そこから1時間。不規則だったお腹の張りは段段と等間隔へ。前日におしるしがあったことからも、もしかして、これが陣痛?それにしても余りに痛くない。痛くなさ過ぎる。でも、もしかしてそうだったら。私は、そのまま洗濯を始め、お風呂に入りました。だって、もしこれが陣痛だったら入院だし、お風呂には入れなくなるかもしれないので。(自然分娩だと翌日からシャワーに入れますが、帝王切開だと1週間くらい入れなくなるので)お風呂で頭や体を洗いながらお腹の張りが来る間隔を計ります。およそ10分から15分。痛くないけど(笑)これが陣痛に違いない。そう思いながらお風呂から上がって、洗濯物を干して、旦那を起こしたのは8時前。そうです、入院はできるだけ病院が開いている時間がお得です(笑)。
入院
余りにも痛くなさすぎの陣痛のままとりあえず病院へ。娘はまだ不調ということもあって、ついでに同じ病院の小児科で旦那が診察を受けさせました。受け付けで、「あのー、陣痛らしきものがきたんですけどー。」というと、カルテを調べて
「おしるしは?」
「ありました。」
「ちょっとお待ちください。」
しばらく電話で受付の方が相談し、「では、予定日も過ぎてますので入院ということで。」そのときの陣痛の間隔はまだ10分。軽いお腹の張り程度でした。
最初に分娩室に入って、分娩監視装置をつけて30分。前回のように胎児の心拍数がおちるようなこともなく、胎児は無事。丁度、私の担当の先生が一般の診察をやってて、合間に上がってきて診て下さいました。子宮口は約5センチになっていました。たいした痛みもなく、そこまで開いているとなんとなく得した気分(笑)。それでも陣痛の間隔がまだ間隔が10分ほどなので一時陣痛室に入ることになりました。陣痛室にはすで一人がおりました。旦那さんとお母さんらしき人と3人でいます。時折、苦しそうな声が聞こえてメチャ不安に。自分もああなるのかなーと思いつつベッドに横になりました。その方は韓国の方らしく、お母さんが心配そうに
「日本の方は出産のときに声を出さないと聞いたのですが、韓国では叫ぶので、うるさいと思いますが、どうか勘弁してやってください。」と看護婦さんにお願いしておりました。
「日本人でも叫ぶ人は叫ぶので心配要りませんよ。」
「この子は初産なので、迷惑をかけますがどうかよろしくお願いします。」
「大丈夫ですよ、がんばりましょうね。」
という看護婦さんとの会話に親子愛だなぁと感心しつつ、以前、痛みはないまま陣痛室で本を読んでおりました。早朝からずっと起きたままなので眠いことこの上なく、本を開いたまま何時の間にか夢の中。
トイレ行きたい?
目が覚めたのは11時50分ほどでした。急にお腹がぎゅーっと激しく張って、経験のある方ならお分かりでしょうが、「トイレ行きたい!」みたいな感じで目が覚めました。夕べ、悪いもの食べたかなぁ?そう思いながらトイレにいっても何もでず。そして陣痛室の自分のベッドに戻るとお腹の張りは嘘のように消えました。丁度、娘の診察を終えた旦那が娘と一緒に分娩室に上がってきて、担当の先生と一緒に経過説明を受けました。その途中でも急にまた腹痛。なんとか説明を聞き終えて陣痛室に戻ると昼食が置いてありました。朝から何も食べてなかったのでお腹がすいていた私はがっついて食べ始めましたが、また途中できゅーっと強い張り。それでも我慢しながら食べてると再び激しい張りが来て、とうとう我慢できず、一時食べる手を止めて張るのが終わるのを待っておりました。この時点ですでに3分間隔です。痛いよりは、とにかくウ●●をしたいみたいな感じでした。そして、昼食半ばでとうとう断念。ナースコールをし、現状を説明。即刻、分娩台へと連行されていったのでした。時間は12時15分。
すっきり
分娩台に上がるのに一苦労。ひっきりなしに来るあの収縮の合間を縫って上がろうとするけれど、すでに2分間隔になっているのでなかなかあがれません。それでもようやくあがると、すぐに分娩監視装置をつけ、点滴を入れます。普段、なかなか点滴が入らなくって、痛い思いをするけれど、今ばかりは収縮のほうに気を取られてそれどころではありません。
「呼吸方法がわかりませーん!」
と言うと、看護婦さんが教えてくれました。ちなみにこの病院の看護婦さんはほとんどの方が助産婦の資格を持っています。
「ふー、ふーで逃してください。」
「ふー、ふー…のがしきれませーん!」
「じゃあ、ふー、うんで。」
「ふー、うん、ふー、うん。あ、やっぱりダメでーす!」
「大丈夫、多少だったら力入ってもいいから。できるだけでいいから逃して。」
そういうやり取りが何度か続きました。以前、痛いよりはやっぱり出したいみたいな感じが続いています。きっと、こんなもんじゃすまないんだ。もっと痛いに違いない。そう思いながらもいきみを逃しておりました。隣の分娩室からもいきみ逃しの声が聞こえてきます。先ほどの韓国の方です。お母さんが心配してらしたほど叫んでいません。何度かいきみを逃しているうちに看護婦さんが言いました。
「卵膜を破ります。水が出るような感じがありますからねー。」
ということは、わりと下に下りてるってこと?
「もう、見えてるんですか?」
「奥に膜が見えてきてますよ。」
それからいきみ逃し2回ほど。
「次に来たときは、いきんでください。」
やったー!もう、苦しい我慢をしなくって済むんだ!!!私は嬉々として陣痛を待ちました。きゅーっとお腹が張り出したとき、
「はい、吐いて、吸って、いきんで!」
言われたとおりに下腹部に力を。目をつぶっちゃいけない。声を出してはいけない。背中は反らないで分娩台に押し付けて、あごはひく。本で読んだ数々のアドバイスが頭をよぎります。看護婦さんのいうとおりにいきんで、陣痛が去って、一呼吸。
「どのくらいですか?」
「髪が見え隠れしてます。」
おお、もうすぐじゃん。そう言われると闘志が湧きます(笑)。次には陣痛では頭が見え隠れ。そのときに看護婦さんが一般診察をしている担当の先生を呼ぶように、そばにいる人に言ってました。そうです、ということは、もうすぐ出てくるに違いない。私はやる気まんまん(死語)で次の陣痛を待ちました。そして、息の続く限り気張りました。気張りすぎました。とうとう頭がでてしまい、先生が上がってくるのに会陰切開が間に合わず、裂けてしまったのです(笑)。
「先生はっ!?呼んだっ!?」
「呼びました。今、来ます。」
との会話に混じって、隣からも「こっちも、早く、先生呼んで頂戴っ!」なかなか緊迫した状態です。そう思っているうちに次の陣痛がやってきました。1度の陣痛で2度ほどいきめますが、1度目のいきみの最中に先生が到着。2度目のいきみで無事に出産。それはまるで10ヶ月ためにためた便秘を解消した気分でした。はー、すっきり。時計を見ると12時48分。分娩台に上がってから30分ちょっとでした。
初対面
息子は全身紫で、娘とわりと似た顔をして出てきました。違うのは、娘はぱっちりと目が開いておりましたが、息子は目は閉じたまま。鼻と口は娘よりも大きい。髪はふさふさ。お父さんに分けてあげなさい(笑)。余りに激しい泣き声に先生も看護婦さんも大笑い。うぎー、うぎーと分娩室全体にこだましてます。しかも、なかなか泣き止まない。よっぽど外界に出てくるのが嫌だったのか?最初の対面が済んで、処置のために連れて行かれて、それでもまだ泣き声はこだまする。「自然分娩できてよかったですね。」と先生に言われてはっとする。そーいや、誰も、お腹の傷は痛みますか?って聞いてくれなかったじゃん。あまりに急激にお産が進みすぎて、そんな暇さえなかったの。とりあえず、無事に産めたからいいか。「先生、ありがとうございます。」って、先生、いなかったけど(笑)。まぁ、そんなこんなで、無事に生まれました。その後に胎盤が出て、裂けた所を縫ってもらって。私にとって、お産よりも縫合が一番痛かった!麻酔を追加してもらいました。
背中
で、分娩台に2時間。それで終わると思っていたのに。出血が多かったためにさらに点滴を入れて2時間追加。分娩台は硬かった。おかげで背中や腰が痛いまま。横向きに寝かせては貰ったけど、やっぱり辛いですわ。お隣さんは結局、私と15分違いくらいで無事に生まれたようで、そのあとも経過が順調だったのか2時間ほどでいなくなりました。一人、取り残された私はぼんやりと、さっきの本の続きを読みたいなーと思いながら時計とにらめっこ。寝てしまおうと思っていても、興奮しているのか、一向に眠りは訪れず。午後5時。ようやく病室へ移動。さすがに歩いてではなく、車椅子で移動。荷物を置いて、ほっとして、これでゆっくりと眠ろうとしたとたんに夕食。それから片付け物をしたり、歩行練習して、トイレに行って、そうこうしているうちに新生児室で子供の一般公開(笑)。生まれた子供は、分娩台でしばらく抱かせてくれた後に新生児室へ。その後に午後3時から4時、7時から8時までのあいだガラス越しに対面できるので、見にいったりしているうちに一日は過ぎていったのでした。明日はもう子供と同室。早く眠ろう。だけどやっぱり背中や腰は痛いまま。
そういえば
担当の先生は若い(といっても20代後半から30代)男の先生です。顔は、八戒(最遊記)が入ってます(笑)。結構、いいオトコです(笑)。いや、やだって声も多かったですけど(笑)。指は結構長くて細くって(それは私的なツボ)、とても丁寧な先生でした。検診で、残念ながら流産してしまった妊婦さんに説明するときに、丁寧に、妊婦さんのせいではないということや、この時期の流産の確率が高いことなどを説明して落ち込まないように励ましておられました。私の出産の時刻から考えて、おそらく昼食中だったでしょうに、わざわざ来て下さったのでとてもありがたかったです。そういえば、出産後、分娩台で点滴を受けていたときの看護婦さんたちの会話。子宮口の開いた大きさの測り方は先生によって違うそうです。それに対して看護婦さんが言った言葉。「あのセンセ、指が細くって長いからご自分の指で測るのよ。」他のセンセは器具を使ったり、指にカバーをかけて計るそうですが…(笑)。いや、あの指ならそうだろうと、思わずうなづいてしまいました。
犬(2001/4/28)
娘が保育園に通い始めてまる1週間がたちました。だんだん慣れてきて、それなりに生活しているようですが、やはり他の子供達の大声にはどうしても慣れない様子です。そして、その原因となるのがとある事件でした。
今から1ヶ月ほど前。親戚のところに娘を連れて遊びに行きました。そこの家には娘とほぼ同時期に生まれた中型犬を飼っていて、いつも遊びに行くたびに娘はその犬を追っかけ回して遊んでいました。その日もそうして遊んでいたのですが、とうとう彼も堪忍袋の緒が切れたようで、いきなりすごい勢いで娘に向かって激しく吼え始めたのです。うちにも犬はいますが、老犬で最近は滅多な事では吼えず、ましてや、私達もあまり犬には近づけないようにしていたので、娘は犬というものをすっかり甘く見ていたのです。それを、急に反撃されて、娘はひきつけを起こさんばかりに激しく泣き始めました。丁度、迎えにきた旦那に連れられて娘は外に出ましたが、しばらくは泣き止まなかったようです。それ以来、娘は大きな物音を恐がるようになりました。例えば、風呂場においてあるおもちゃとか、一時期恐がったけど最近は大丈夫だった掃除機とか。生まれて初めて恐い思いをしたようです。また、そのうちに大丈夫になるのかな?
まだ出てきません(2001/4/26)
予定日は昨日だったのですが、まだ出てきません(笑)。不規則なお腹の張りはあるのですが、ずっと不規則なままで、陣痛に結びつかないのが現状です。先日の検診でタイムリミットを5/7に設定しました。41週6日。正期産の最終日まで待つことにしました。この日までに陣痛が来なかったら切腹です。帝王切開で出産したので誘発分娩はできないとのこと。これも仕方がないか。ところで、娘の保育園の契約は最長の1ヶ月でお願いしてあるものの、最悪5月7日に手術となったら契約期間を超してしまい、退院、即娘の面倒を見なければならないという状況に陥ります。うーん、通常の出産ができるのならともかく、帝王切開とかの人にはもう少し猶予を与えてほしいなぁと思いますね。2ヶ月がダメならせめて45日とか。
ところで、娘は元気に泣き暮らしております(笑)。初日になんともなかったのもつかの間、月曜日からむずがり始め、最悪な機嫌で過ごしているようです。ただ、傾向がだんだんとわかってきたのですが、お部屋の中で他の子供達があげる大声が恐いようで、静かなところでは楽しそうに遊んでいるとのこと。割と気の小さい娘でありました。これって、やっぱり、全力で甘やかして育てているせいかしら…?
保育園デビュー(2001/4/21)
昨日から緊急一時保育で娘を近所の保育園に預けることになりました。何しろ、家にいるときにはサルのような奇声をあげて走り回っているけれど、最近になって急に甘えたさんになってしまい、家の中を徘徊する時も必ず私の手をつなぎにきたり、抱っこをせがむことが多くなり、私の側を離れなくなりました。で、今日からいきなりフルで預かってもらうのに、泣いたりしないかなと心配してたのも取り越し苦労。朝、預けに行ってすぐにおもちゃで遊び始め、親のことなんて眼中になくなってしまいました。泣かれるよりはいいかと思いながら、先生に泣いて手がつけられなくなったら電話をくれるようにお願いして家に戻りました。そして、待つことしばらく。結局、一日、電話が来ることがありませんでした。夕方に迎えに行くと、泣いていたようですが(旦那が迎えに行った)連絡帳には、日中は泣きもせずに元気で遊んでいたようで、ちゃんとご飯も食べて、昼寝もしていい子でしたとのこと。なぁんだ。やっぱり取り越し苦労だったのね。それにしても、恐るべき順応性。もう少し、人見知りしてみるとか、そういうのないのかなぁ?とりあえず、また月曜日に預かってもらいます。この分じゃ、心配ないようだけど。
臨月になりました(2001/4/5)
なってからしばらくたちますが、とりあえず無事に臨月を迎えました。娘のときに帝王切開をしている私は、切ったところが脆くなっているので様子をみていましたが、昨日の診察で、とりあえず通常分娩で望んでみましょうということになりました。ただし、無理はせずに、陣痛がきて、収縮が始まったときに傷が開きそうになったら直ちに帝王切開に切り替えるという条件つきです。今度はなんとか通常分娩で産めるといいんだけどなぁ。何が嫌って、2週間も病院にいるのは結構辛いです。退屈で、退屈で。しかも、点滴が嫌なんですね。針が刺さりにくくって、何度もやり直ししたりするし。お腹痛くってしばらく起き上がるのに辛いしね。ああ、できるだけ通常分娩で産めますように。
誤飲(2001/3/22)
だんだんと他の部屋で悪戯をするようになってきた娘は、今日も隣の部屋を散々散らかしてこちらに戻ってきた。あーあと思わずため息が出てしまうような惨状に、私は部屋の扉を閉めて隣の部屋を片付けていたのである。その間、5分も経過していなかった。部屋に戻ると娘の姿は無く、閉めたはずの扉は開いていた。どこにいった?慌ててあたりと見まわすとベランダに娘の姿。慌てていってみるとあたり一面いい香り。ベランダの床には青い液体が撒いてある。そう、それは洗濯の時に使う柔軟剤。端のほうに柔軟剤の詰め替え用の袋が落ちている。そう、彼女は詰め替え用の袋の中身をぶちまけたのだ。彼女の服は青に染まり、全身からいい香り。しかも、口の周りにも青い液体。まさか!!!私は袋の裏面をすぐに確認した。吐かせなくてもいいタイプらしい。そのまま娘を抱えて台所に入ると、すぐに水を飲ませる。多少、嫌がろうが、何をしようがとにかく飲ませた。200cc以上飲ませたところで、今度は彼女の服を脱がし風呂場に直行。体を流してから着替えさせしばらく様子をみていた。特にぐったりすることもなく元気。この分だと大丈夫かと思いながら、一応メーカーに確認してみた。多少、下痢はするかもしれないが、大丈夫らしい。ほっとして、気が抜けて、へたり込んだ時には娘はおねむの様子。完全に娘が眠ってから落ち着いて見ると、私の服も柔軟剤まみれ。ベランダを片付け、娘と私の服を洗濯して、風呂場を片付けて。後始末は大変だけど、とりあえず何事もなくって本当に良かった。
ところで疑問がひとつ。詰め替え用の袋の封は手で切れるといっても、幼児に果たして切れるのだろうか?しかも、1歳のコドモに?謎はすぐにとけた。お姑さんが、袋のまま使っていたのだ。ボトルに入ったものは高いから袋のものを買ってきて、そのまま使っていたらしい。変なトコでケチらないで欲しいなー。そう思いながら、即刻私はボトル入りの柔軟剤を買ってきてお姑さんにあげたのでした。
他の部屋(2001/3/21)
最近、陽気もいいので部屋を開けっ放しにしているせいか娘が他の部屋に出入りするようになった。よたよたとおぼつかない足取りで、他の部屋に入っては、悪戯をして、棚にあるものや、飾ってあるものを手にとっては投げたり、持って歩いたりしている。中でもおかしいのは、正面の小さな物置のような部屋にある鏡台で、その上においてあるブラシをとっては髪をとかす真似を一生懸命にやっているのである。サルだ、サルだと思っていたらやっぱり女の子なんだ。それから、隣の部屋にある巨大なスヌーピーのぬいぐるみ。娘よりも大きいのだが、それにとびつくと、座っていたスヌーピーが重心を崩し、ぐらりと娘に襲い掛かる。スヌーピーに押し倒され、もがきながらようやく起き上がると、今度は仕返しとばかりに彼に乗っかり、抱きついて、しばらくそれで遊んでいる。そうして、ふと、側に私がいないのに気が付くと部屋まで戻ってきて私の手を取って、隣の部屋に連れて行き、また遊ぶ。新しい部屋にあるいろんなものをいじってみたいのだが、恐くて誰かに側についていてほしいというところか。そうして今日も娘は私の手を引いて、他の部屋で新しい発見はないか、目を輝かせて悪戯に燃えることだろう。
ごみ漁り(2001/3/9)
最近、自力歩行がかなりできるようになり、部屋の中をあちこちよたよたと歩き回ります。そうすると、俄然、いたずらの種類が増えてきました。私たちの部屋は機械類が多くて、ビデオやゲーム機、コンピュータやテレビのボタンをいじりまくる他、本棚の本を引っ張り出してぐちゃぐちゃにしてみたり、毛布をかじってみたり、果てはスピーカーの上に乗って、アンテナのブースターのスイッチをかちかちといじるようになりました。中でも一番怖いのが、ごみ漁りです。部屋の中のごみ箱をあさって、中からものを取り出して口に入れてみたりすることです。通常は、紙ごみがほとんどなので放っておいたのですが、この間、お雛様を出したときの古い防虫剤をうっかりごみ箱に捨てたら、それを拾って口に入れようとしておりました。ああっ、危ない!なんとか止めたものの、どうしてもそれが気になる様子。その他、洗濯洗剤の詰め替え袋など、有害なものがついたごみまで口にいれようとする始末。全く目が離せないです。まだ、「めっ!」と言ってもあまりわかっていないし。とりあえず、手の届かないところに捨てるとかするしかないのかな?それにしても、ごみ漁りなんて…もう少しましな悪戯しようよ、ねぇ?
発表します(2001/1/31)
2人目妊娠中です。それもすでに8ヶ月(笑)。とりあえず安定しましたので報告です。実はここまでかなり危ない状況でした(←私が言ってもあんまり信憑性がないけどね)。そもそも、妊娠したと気づいたのが遅かったのです。それは、妊娠初期にひどい出血を起こし、てっきり自分では生理だと思っていたからなのです。いや、だって5,6日の間出血していたしね。そりゃ、間違うでしょうよ。そして、娘の時とは違って子供の着床の位置がかなり下のほうであるということ。最悪の場合、前置胎盤になるかもしれないといわれて、とりあえず出血を起こさないように激しい運動などは避けるように言われてました。出血したら即入院みたいな状態で、絶対安静ではないけど、無理をしないようにとのことで、それ以前に、ひどく疲れやすく、つわりもあってあまり体調の良くない状態がしばらく続いておりました。結局、前置胎盤にはならずにはすみましたけれど、やっぱり今でもあんまり体調がよくありません。というよりも、娘のときがおかしいくらいに絶好調だったので、今回が普通なのかもしれません。で、今年の4月には2人目が生まれる予定です。性別は、超音波で見ていただいたところ、ようやく念願の男の子で大変に嬉しいです。現在、逆子状態になっていて、30週までに直らなかったら逆子体操をしましょうねと先生に言われました。さぁ、残り2ヶ月、がんばるぞ♪ちなみに、余談ですが今回、担当の先生が将棋の羽生さんと最遊記の八戒を足して2で割ったような方なのでかなり嬉しいです(笑)。
さて、娘のほうですが、ずいぶんと良くはなってきたものの、時折かなり大きなげっぷをしたりえづいたりするのでかなり怖い状況が続いています。前はげっぷをあんまりしなかったのになぁ…。おなかの調子もよく、機嫌もいいので大丈夫かとは思うのですが。風邪が治ったら今度は皮膚科に行かなくちゃ。去年の暮れから娘の左腕に帯状に赤いかぶれができていて、なかなか治らないのです。この間、病院で聞いてみたら、風邪が治ったら皮膚科に行った方がいいと言われたので今、風邪が治るのを待っているところです。たいしたことがないといいなぁ…。
嘔吐(2001/1/28)
26日0時すぎ。寝ていた娘が突然に嘔吐し、顔面吐瀉物まみれという事態に陥りました。慌てて旦那が引き起こし、窒息は免れたものの、本人は驚いて泣き叫び、私たちはとにかく後始末。布団はもちろんのこと、一番本人がぐしゃぐしゃで、そのままお風呂に直行。旦那がお風呂にいれている間に、私は汚れた布団を拭いたり、シーツを取り替えたり、汚れた服やシーツが染みにならないように、洗濯機に水を張って汚れ物を放り込むなどの作業を終えて、30分後、娘を寝かせようと再び床につかせた。ところが。再びの嘔吐。また慌てて汚れた服を脱がせたりして(今回はそれほど被害がひどくなかった)体を拭いて、着替えさせて、背中をさすって抱っこをしていたら3度目の嘔吐。抱っこをしていたので布団は汚れずにすんだものの、三度娘を着替えさせ、私も着替えた。今回は鼻からも吐瀉物が出てしまい、綿棒などで取り除いたあとに、水を少量飲ませたところ、30分ほどで再度その水を吐く。着替えさせたあとに、さすがにもうおなかに何も入っていなかったらしく、そのまま寝たものの、3時間ほどの間に4回の嘔吐は私たちも非常に驚いた。年末の風邪は高熱がでたものの、嘔吐などしなかったので今回はじめてで、しかも突然の出来事にうろたえてしまった。家にある本を開いて、とりあえず熱が出ているわけでもなく、意識もしっかりしていることから朝になるのを待って病院に連れて行くことにした。朝が来るまでの間、気が気ではなく、なんとも長く感じられた。朝、病院に連れて行くと風邪とのこと。吐き気止めの座薬を入れてもらい、そのまま帰宅。ほっとして親子3人、帰宅早々爆睡こきました。娘は寝ているところを吐いてしまったために寝不足、私たちは後始末や看病、寝た後も吐いたらどうしようと気になって眠れずに寝不足。みんな寝不足だったのです。熱が出始めて風邪らしくなってきたけれど、年末の風邪とは勝手が違うので、やっぱり不安。安心ができないのは、まだ吐くようなそぶりをみせること。実際、27日の夕方にも一度吐いているし。お医者さんに言われた通りに水分を補給していたのに、吸収し切れなかったらしくげぶっと一発。今、正直言ってちょっと困ってます。また吐いたときの処置なんて聞いてないし。とりあえず、水分補給の時間間隔をあけているけど、これでいいのかなー?やっぱり、今日も寝不足は免れないようです。
虐待(2001/1/25)
最近、親が子供を虐待し怪我を負わせたり殺してしまったりというニュースが多く見られます。そんな時節柄に、よりによって、うちの娘はお姑さんの部屋で転んで左眼の下にとても目立つあざを作ってしまいました。転んだのは先週で、私が夕飯を作っている間、お姑さんと娘が遊んでいたところ、娘は調子こいて歩き回って、自分が散らかしたものの上で滑って、転んだところに引き出しの取っ手があり、そこに顔をぶつけたと、そういうことなのです。転んだ直後、目の下にはタンコブができていました。本人が痛がって泣いていましたが、すぐに泣き止み(かなり痛いはずなのに、ねぇ)、目にも異常がないことからそのまま放っておきました。そして、今、たんこぶになっていたところが青くなっています。たんこぶはかなり小さくなり、外側はすでに黄色くなりつつあります。もう少しで直るのでしょうが、なんといっても買い物とか外に連れて歩くときのバツの悪さ。みんな娘の顔を見ると『虐待!?』というような顔をし、目で顔の反対側や腕などにほかのあざがないか探します。疑われているのねぇ…。幸い、娘はよく甘えた仕草をするので(たとえば、私の胸に顔をべったりとつけるとか、笑いながら私に話し掛けるとか)すぐに疑いは晴れるのですが、その次にくるのは決まってお小言。『おかあさんがしっかりと気をつけてあげなくっちゃ』そういうことを言うのはたいてい中高年。続いてくるのは自分の自慢話と相場が決まっているので、私は自分のせいでもない(お姑さんに預けたのは私だから全く責任はないとは言えないが)のにそんな話を聞かされるのもなんなので、『ねぇ、そうですよねぇ。うちのお姑さんに預けたらやっちゃったんですよぉ。やっぱり、人に預けちゃいけないってことですよねぇ。』と切り返すと、たいていみんな黙り込んでくれます。別にお姑さんが悪いわけではない、原因は娘が自分でこけただけのことなんですけど、うるさいお小言をかわすためにお姑さんには犠牲になってもらっています。年末のあの暴言。今回のことがあって、かなり彼女はおとなしくなって下手に出ているのでこれくらいで許してあげるとしましょう(笑)。
弘道おにいさん(2001/1/20)
最近、NHK教育テレビをよく見ます。16時頃から18時までの2時間。その中でも、自分がはまっているのは『おかあさんといっしょ』の弘道おにいさんです(笑)。旦那が「サル」だというのですが、体操のおにいさんですから多少、サルでもいいかなと。で、娘は弘道おにいさんの体操を喜んで見ております。最近では、親子一緒に身振り手振りでやっています。と、いっても、娘はまだ振り付けにはついていけずに自分が覚えてる個所だけ手を振ったりしてる程度ですけれど。おかあさんといっしょは3歳にならないと出演できないそうなので、早く娘が3歳になることを祈っています。でも、すでにおにいさん、93年から出演しているので、もしかしたらその前に辞めてしまうかもしれないなーと思いつつ、春の移動でおにいさんがまだ残ってくれることを祈っております。それに、せっかく娘が覚え初めて気に入っているので、おにいさんや曲目が変るのはちょっと…ねぇ?
病気(2001/1/1)
新しい年、新しい世紀を迎えました。娘は現在、よく寝ております。つい先日まで風邪をこじらせて気管支炎になってしまい、大変でした。38度以上が4日ほど続き、最初は元気だったのも、だんだんとぐったりしてきましたが、薬が効いたのか30日の夕方から持ちなおして今は熱も下がって、相変わらず咳は出るものの元気になってきました。随分と喉はやられたようで、ハスキーボイスになってしまったのがかわいそうでなりません。で。今回、メチャ頭にきたことがひとつ。もともと、この風邪はうちの御姑さんがうつしたものでした。「私がうつしちゃったかねぇ」というので気を使って「そんなことはありませんよ」と答えたのですが、結局悪くなりました。熱を出したのは26日の夜からですが26日の昼間に銀行に行った帰りにバスが来なくて45分も待たされるということがありました。ただ、その時は娘はわりと沢山着ていたので寒くはなかったはずですけれど。そして、熱を出し、27日に病院へ。気管支炎を起こしかけているとのことで、部屋は暖め過ぎない(というか、暖房は切ってくださいといわれた)、薄着でいさせることという注意をもらってそのようにしていたのです。そうしたら28日の夕方には平熱に下がり、一安心と思って御姑さんに娘を預けたところ、彼女は医者のいうことなど全く無視して部屋をがんがんにあっためてしまい、風呂に入れるので娘を戻してもらった時にはぐったりとしていました。熱は39度まで上昇。結局、それで気管支炎になってしまい、30日まで長引いてしまったのです。しかし、御姑さんを責めてはいけないと、大したことはないですと言ったら「あんたが母親として子供が寒がっているのに暖めてやらないからこういうことになるんだ。45分も寒空に出しておくなんかもってのほか。自分はきちんとして育ててそんなことはなかったんだ」というではありませんか。びっくりですよ。自分のせいで風邪をひいて、しかもよくなりかけたのを自分が悪くしておいてその言いぐさ。一体なんなんでしょうねぇ。医者は最初から「年寄りの言うことを聞いちゃいけません。そういう人は無視してください」と言ってましたけど、無視なんかできませんよねぇ?復讐?もちろんしますよ。これから娘は預けません。(笑)預けても30分以内に返却です。今日も30分以内に返却してもらいました。だって、また部屋を暖めているんですもの。せっかく良くなったのにまた熱が上がったらかわいそうだし。今度ばかりは謝るまでその措置は撤回しません。(怒)
1歳になりました(2000/12/12)
娘が1歳になって、いろいろと思い起こすとやっぱり月並みですけどあっという間に1年がたったんだなぁとしみじみと思います。それにしても子供を育てるのってすごく体力も気力もいるんだねぇ。出産してから1年間、睡魔との戦いだったような気がする。
さて。娘はというと、最近は80センチの服を着せてます。少し大きいけれど、70センチの服っていうのはあまり売ってないし、80センチは安いから(笑)。で、どういうわけかお着替えで泣くのですね。自由にできないのがいやみたいで、怒っています。
最近は随分と自我が出てきて、怒ったり笑ったりします。同時に心配なのが躾。本を読むと1歳くらいになるとメッというとやっていることを止めることができるみたいに書かれているけどうちのはできない。逆にメッというとウシシシと笑いながら尚更やるのですね。いや、別に普段構ってないわけではないと思うんだけどさー。怒っているのを遊んでるのと勘違いしてるような気がするんだよねー?どうしてかしら?
それから困ったことに義母が甘やかし放題で、しかも勝手にモノを食べさせている。「何か食べさせました?」と聞くと「食べさせてない」と嘘をつく。ばれてますよ、お義母様。よだれかけにミカンの汁、バナナのカス、カステラのくず。お義母様は目が悪いから気づかないでしょうけれど、私、視力はいいんです。すぐに食べさせたってわかるんだけどなぁー。で、余計に頭に来るのが甘いものを食べさせてもらえる、好き勝手できるで娘はおばーちゃんがとても好きです。むー。
テレビは教育テレビの『おかあさんといっしょ』や『英語であそぼう』、『いない いない ばぁ』とかが好きです。コマーシャルとかでも、子供が出てて、音楽が流れているとすぐに反応しますね。ただ、音楽といえども、TKとかは好きじゃないみたいで、それ系が流れてても興味を示しません。最近のお気に入りは「あ・い・う」と「WORK OUT3」ですかね。彼女は手をばたばたさせています。多分、本人は一緒に踊っているつもりなのでしょう。「ストレッチアーップ!」で手を上げるまではできるようになりましたが、あとは自己流。でも、側でみているとやっぱり可愛いッス。
言葉はまだ喋れません。ママとかも言いません。人が聞けばママって言っているように聞こえるかもしれませんが、多分、マという発音は赤ちゃんでも一番発音しやすいのでママと言いやすいのでしょう。意味がわかっててママではないと思っています。で、たまに発する言葉は「下!」と「じゃんけん」です。下というのは我が家にいる犬が廊下に上がっていると毛が抜けて廊下に飛び散るので下に下りなさいという意味で「下!」と我が家では命令します。それを覚えたらしくって、「たっ、たっ!」と最初叫んでいたのが、最近ではたまに「した」と発音することができるようになりました。じゃんけんは娘の寝る前のミルクをどっちが作るかでじゃんけんするのを見てて覚えたようです。これは私達のレクの一つで二人が揃っているときには必ずじゃんけんをします。それで、その勝ち負けのリアクションが娘には楽しそうに思えるらしくって、私達がじゃんけんするときには必ず、嬉しそうに側で見て、たまに「じゃんけん」と発音したりしています。
歩くのもそう言えばまだですね。どうも怖がりなようで、1歩歩いてはぺたりと座り込んでしまいます。伝い歩きではかなりの歩数を歩けるようになったし、側に私が立っていればスカートの裾を掴んで一緒に歩くことはしますが、一人では歩こうとしません。1歩踏み出すと必ずぺたりと座り込んでしまうのです。旦那が言うには、あんまり早くに歩けるようになると足に変な負担がかかって足の形が悪くなるから遅いほうがいいんだとのことだけど、どうなんでしょうね?そういうのって、歩くのが遅い子供を持った親のひがみに聞こえるのですけどね。知人にそうなった人がいたといってるけど、歩くのが早かったことと足の形や歩き方がおかしいことの因果関係がはっきりしているわけではないからなー。それに早く歩いてくれたほうがつれて歩くのに楽なんだけど。
早かったけど、これからがまた大変な時期。トイレトレーニングや悪戯や自己主張。うちの娘、回りの人間が甘やかすからロクなのにならないかも…。とりあえず、法律を犯さないよーに育って欲しいってことだけは祈ってます…。
溺死寸前(2000/11/16)
娘をお風呂に入れるのはその時に手の空いているほうがやります。旦那が遅いときには当然私がやりますし、旦那がいるときや私が疲れているときには旦那に頼んだりしています。で。現在、出張中の旦那さんに頼むわけにもいかず、娘を風呂に入れておりました。娘は風呂に入る前、おばーちゃんに抱っこされていい気持ちで眠っていたのを無理に起こして入浴。娘を抱っこして湯船に浸かっていたら私も疲れが出てきていい気持ちに。娘も無理に起こされたので眠いらしく私に抱っこされたままだんだん目が細くなって行きます。そうしてしばらく後。ぽちゃんという水音にはっとして閉じかけた目を開けると、娘が顔をお湯につけていました。慌てて娘の顔をあげさせたら本人もびっくりしたようでけほけほしながら目を真ん丸くしていました。あやうく風呂で娘を溺死させるとこだったよ。あんまりお湯をいい温度にしちゃうのも考え物だなと思った一瞬でした。
はじめの一歩(2000/11/9)
娘が伝い歩きをするようになって、日増しにその速度は上がっておりました。私達の部屋は機械類が多く、ビデオやMDプレーヤー、CDプレーヤー、アンプなど山積みになっている棚がありますが、娘はどうもそれが非常にお気に入りらしくって(ボタン類が好きらしい)目を離すとすごい勢いでそこへ行ってボタンを目茶目茶に押して遊んでいます。それで、壁伝いに行けないように障害物で邪魔しておいたのですが、ふと気づくと娘は障害物の横をすりぬけようとして、へたってました。どうやって障害物の横まで行ったのだろうと、また元の位置に戻して娘を観察していると障害物のところまでくるとまずは後ろでに壁につかまって一歩。そこからは手が何にもつかまることが出来ず、両手をなぜか万歳しながらふんっとふんばり自力で一歩。おおおおっ!娘よっ!おまえはこの瞬間、人間として新たな一歩を踏み出したのだ。感動しながら次の一歩を待っていると、娘はそのままへたりと膝を崩して座りこんでしまいました。もう一度それをやったけれども、以降歩くことはなかったでした。それにしても成長したのね。おかーさんはとても嬉しいけど、でも、ますます悪戯もひどくなるのねぇ…(溜息)。
うんち顔(2000/11/4)
うちの娘は便秘気味です。水分が足りないのか、ウサギのうんちのようにころころとしたうんちをします。.で、固くてなかなかでないらしくて、いつもうんちがしたくなると立ち上がって、出窓のところへ行き、出窓に手をかけて(窓は30センチくらいの高さなので丁度いいらしい)立ったまま気張っております。出窓でやるときが多いのですが、まぁ、つかまり立ちができるところならいいらしく、とりあえずモノに捕まって気張ります。彼女はうんち顔というのがあって、口が少し開いてて、横一文字になります。うんち顔は大変わかりやすく、おかげで彼女はうんちをしてすぐにオムツを変えることが出来ます。分かりやすくていいんだけど…教えてくれるともっと嬉しい。でも11ヶ月の子供がさすがにうんちを教えることはまだできないよ…ね。
えへ♪(2000/10/17)
娘を連れてバスに乗るときにはいつも抱っこをして座ります。そうすると、彼女はしばらく車内を見まわした後に、必ず、首を横に倒して後ろの席に座っている人を見て、とってもかわいく『えへ♪』といった感じで笑いかけます。世の中のおばさん、おばあさんはほとんど育児をしてきた方なので、赤ちゃんがそういうことをしているとついつい、皆さんにこっと自分も笑ってしまいます。そうするともう娘のペース。彼女は首を戻し、何秒か(2,3秒)開けて、再び首を倒して可愛い笑顔で笑いかけます。そうなのです。彼女はバスに乗っている時間の暇つぶしとして、いないいないばぁをしているのです。それも私には見せないような極上のよそ行き笑顔で。ちゃんと分かっているんですね。自分がどう笑ったら可愛がって貰えるかってこと。乳児と言えどもあなどれません。そうやって娘のペースにはまった方々はそりゃもう、嬉しそうに娘を構ってくださいます。それどころか、おかげさまで最近、バスや電車の中での貰い物が多いです。『食べられないかもしれないけど』といいながら、飴やチョコなどをみなさん下さいます。せっかくの好意なので断るのもなんなので、ありがたく頂いて私が食べてますけど。末恐ろしいことです。
大好きな人(2000/10/14)
娘は大のパパ好きです。普段、一緒にいる私よりもパパが好きです。私にはちぃーっとも笑わなくても、パパが帰宅すると手を叩いて、体を跳ねさせて喜びます。そんな娘を横から見ていると正直腹が立ちます。一体、誰がメシ食わしているのかわかってるのか!おかゆまみれになりながらもスプーンでおまえの口に運んでいるのはこの私だぞ!それに毎日着るものを洗濯しているのは私だ!それでもパパが好きかっ!と叫びたくなります。が。最近、どうも娘は生活時間が狂ったようで、夜中2時くらいまで寝てくれません。部屋の中を真っ暗にしておくと、闇の中、娘はよたよたと伝い歩きをしながらパパの方へ歩いて行き、相手が寝ていようとなんだろうとお構い無しに体に乗ったり、ぺしぺしと叩いて見たりして構って欲しいと訴えるのです。そんなとき、ふと思います。こっちに来なくてよかったと。
ティッシュ(2000/10/2)
お子さんがいる方なら誰でも一度はやられているのではないかと言うティッシュ遊び。うちもやりまくりです。ちょっと油断すると引出して遊び、あっという間にティッシュの山。子供の手の届かないところに置くと自分が使うのに不便だし、かといって低いところに置くと遊ばれる。ああ、勘弁してよの毎日です。それどころか、娘は最近新しいものにこり始めました。それはお尻拭き。寝る前におむつを替えて、確かに蓋は閉めたのです。それからトイレに行って戻ってくると、布団の上にお尻拭きが30枚ほど山になっているではありませんか。多分、なんかの拍子に蓋が偶然に開いちゃったんでしょうねぇ。そしてお尻拭きがティッシュよりも始末が悪いのは濡れていると言うこと。おかげさまで私の布団は1/4ほどびしょびしょになりました。
風邪(2000/9/22)
今週の初め、娘の調子が悪かった。鼻水をたらし、微熱を出す。しかし、本人いたって機嫌良く遊んでいたために発見が遅れた。というのは、旦那が抱っこして『なんだか熱ないか?』と言い出し計ってみたら37度5分。少し高め。それから注意して経過を見守っていると熱は少しづつ上がり始め、最高で38度3分。それでも笑って遊んでいるあんたって一体…?ともかく家に買い置きしてあったベビー用のイオン飲料だの、なんだのがばがばと飲ませたら熱は半日ほどで収まる。もしかして、かなり丈夫?そう言えば、私も小さい頃、42度の熱を1日で下げたことがあったな…遺伝か?ともかく、娘は今だ鼻水をたらしているけど元気である。
9ヶ月検診(2000/9/16)
先日(9/14)に娘の9ヶ月検診がありました。一緒に入院してたみんなと会うのも久しぶりで、楽しみに行ったら、みんな大きくなってる!(当たり前だけど)生まれたての小さい頃に毎日見ていたのが、もうこんなになったのねぇって今更しみじみ。それと、だんだんと個性が出始めてきたようで、声をかけた時の反応とかがみんな違うから面白かった。
娘の方は体重が思ったよりも増えていなくってびっくりしたけど、それでも標準体重のど真ん中。良かった、普通でとほっと胸をなでおろす。なぜなら、近所で必ずでかいと言われるから。そんなことはないと、自信持って反論できますね。それから、先生がボールペンを左右に振って、目で追っかけるかテストをしていたら、面白いくらいに追っかけるので笑われました。それに、歯が何本生えているかの確認で上唇をぺろんとめくられても抵抗もせず、大人しくめくられていました。支えると立つかのテストで得意満面に立ってはしゃぐ娘に「得意そうな顔しちゃってー。」と先生も笑っておりました。あうー。娘、検診なんで、遊びに来ているわけではないのよ?本人はどうも遊んでると感違いしていたらしく、ご機嫌のまま終了。特に問題はありませんでした。気になっていることを尋ねられ、最近、歯をかみ締めてヒステリックにいやいやをするのを聞いたら、自分の意思が通らないときにするのだろうとのこと。やっぱり、少し甘やかしすぎだなー。注意するように>父、祖母。
ザーが来る(2000/9/14)
先日の掃除機に続いて彼女は苦手なものが増えてしまいました。それはテレビの砂嵐画面です。それは、先日、彼女はいつものようにリモコンで遊んでいたときのこと。何気にリモコンの使っていないチャンネルのボタンを押してしまったのです。それまで軽快に曲を流していた画面から突如、ざーっという音が!驚いた彼女は慌てて私のほうにハイハイしてきて抱きついてきました。それ以来、彼女は砂嵐が怖くて仕方ありません。丁度、テレビの横にゲームの切り替え機がありまして、そこにピンコードが刺さっています。それを悪戯されピンコードが断線でもするとゲームができなくなるのであまりいじって欲しくありません。彼女はそれを引っ張りたくて仕方がないのですが、私が『ザーが来るよ』というと悪戯の手を止めます。それでも効かない場合にはリモコンで砂嵐に変えると泣きながらテレビから離れてくれます。これは便利。でも、いつまで怖がってくれるかしら?
芸(2000/9/7)
最近、彼女は『ばいばい』をするようになりました。といっても、踊り(9/5)と同じ手の振りなんですけど。そして、もうひとつ可愛げのある芸を仕込んでいます。娘の名前をフルネームで、しかも『さん』付けで呼ぶと手を上げてお返事をするように調教…もとい、教育しています。ようやく機嫌のいいときにはやってくれるようになりましたが、まだまだです。最高にご機嫌のときはちゃんと手を上げて『はー』と返事をしますが(何故だか『はい』と言えない)、やや失敗だと手を上げるだけ。そして更にあまり機嫌が良くないとにこっと笑うだけで、一番機嫌の悪いときは愛想笑いの一つも出てきません。芸を教えるのは難しいですねぇ…。余談ですが、知人で子供にサルと同様に反省を教えた人がいます。子供はすでに大きくなっていますがその事実を知りません。知ったら怒るのかしら…。
踊り(2000/9/5)
娘は最近、歌にあわせて体を動かすようになってきました。縦ノリがほとんどなんですが、たまに手がつきます。手と言っても手を振るだけ。しかもバイバイみたいに手を左右に振るのではなく、手のひらをひらひらと外側に向けたり内側に向けたり。これが彼女にとっての踊りなのです。で、彼女はどんな曲でも踊るわけではありません。大体、よく踊るのはNHK教育テレビの『英語であそぼう』のオープニング曲とWORK OUT3。それから忍たま乱太郎のオープニング。それと、サクラのゲキテイ。ゲキテイはそんなに聞かせた積りはなかったんだけど、手をひらひらとさせて踊ります。このまま仕込んでダンサーにでも…いや、あんまり儲からないからなァ。やっぱりそこそこにお遊戯ができる程度でいいや。
つかまり立ち(2000/8/22)
本格的につかまり立ちができるようになりました。それもかなり長くなり、ぼーっと30秒ほど立っていられるようになりました。で、嬉しくって、あちこちでつかまり立ちをしています。お父さんのお腹、お母さんの背中、出窓とか、本棚とか。で、うちのお姑さん。孫が窓のさんに捕まって立つので、窓の前を改装しました。(笑)今までは味気のないブロック塀だったのですが、鉢植えをかざり、自分でピンクやオレンジの花を鉢に植えて、おもとみたいなのまで合わせて植えてあります。もちろん、鉢植えにはちっちゃい陶器のキティちゃんの人形がちょこんと置いてあったりして。綺麗なお花や植物が見えたほうが楽しいからということで彼女の部屋の窓の外はちょっとした箱庭状態。孫に見てもらいたい一心で毎週植えてあるお花を取りかえる彼女には本当に頭がさがります。
チュウ?(2000/8/19)
私が夕食の支度をしているときにお姑さんが娘と遊んでいます。その間に何やら教え込んだようで、『チュウして』と言うとお姑さんの部屋に置いてあるキティちゃんの人形にかじりつくのです。で、何気なく自分が娘を抱っこしているときに『お母さんにチュウして』といったらいきなり鼻をかじられました。彼女のチュウ、それは鼻をかじることだったのです。これではいけないと私は娘に教え込み、ようやく『チュウして』でちゃんと唇にチュウをしてくれるようになりました。治って一安心しました。しかし。お姑さんが『チュウして』というと未だにキティちゃんの鼻にかじりついているようです。ちなみに娘の初チュウは旦那が奪ってしまいました…。
掃除機(2000/8/18)
これを書くと私がいかに掃除をしていないかがばれてしまうのですが、うちの娘は掃除機が嫌いです。私が部屋の中で使用しているのは大きなのではなくって、ハンディタイプの小さいものなのですが、それでもあの爆音が嫌なようです。彼女が遊んでいる側で掃除機をかけるとパニックになって泣きながら抱きついてきます。それが可愛くって、別に掃除をするわけでもないのに掃除機をかけてみたりして♪私のパソコンデスクの下に置いてあるのですが、私のキーボードとかを悪戯しようとするとわざと掃除機のスイッチを入れます。最近ではキーボードを押すと掃除機がなるのではとびくびくしながらキーを押している姿もまた可愛い♪それだけ掃除機が嫌いなのに、それでも掃除機をさわりに行こうとする姿はとってもチャレンジャーで微笑ましいです。現在のところ、彼女の唯一の敵、それは掃除機なのでした。
つかまり立ちの練習(2000/8/14)
娘が最近、私や、私のパソコンデスク(座敷タイプなので背が低い)につかまって立とうと試みている。しかし、相変わらず頭が重いため、そのまま前のめりにころん。でも負けずにトライしている姿を見て、たまに手を貸してたたせて見る旦那が『あまり早く立ちすぎると足に負担がかかってよくない』と言う。いや、だってね。立とうとしているんだから別にいーじゃん。成功した時のイメージトレーニングってやつだよ。そして、つい昨日までは足を突っ張るまでは行っても頭が全然持ち上がらなかった娘は今日、頭を少し上げることが出来た。この分だともう少しでつかまり立ちするようになるだろう。ああ、掃除しておかなきゃ…。
痛い?(2000/8/8)
うちの娘はあまり泣かない。それがかえって不安を呼ぶ今日この頃。例えば、おすわりをしていて振り向いたときにバランスを崩してこてんと転がっても「えへへへへ。」と一笑い。それから身を捩ってまたお座りに戻ろうとする。床にしこたま頭を打ち付けて、物凄い音がしても滅多に泣かないのだ。それから予防注射。今日はさすがに空腹だし、機嫌悪いし(彼女は機嫌が悪いときにはうーうーと唸る)さすがに泣くだろうと思いきや、やっぱり泣かない。あまりに泣かないので、もしかして痛点が人よりも少ないのでは?と旦那は思ったらしい。しかし、これには理由がある。娘がお座りをはじめた頃。ころんと転がって頭を打っても、『大変ッ!痛かった!?』などと大騒ぎせずに『頭ぶつけちゃったね♪』と笑っていたためである。だって、いちいちそれで泣かれたらうるさいんだもん…。だからといって娘がまったく痛いのに鈍感かと言えばそうでなく、ちゃんと本当に痛いときには泣くのである。子供は自分が痛いかどうかよりも、回りの大人の反応で泣くこともあると思う。大人が慌ててやってきて、『痛かったね、痛かったね』と言うと、痛くなくても泣くようになる。(子供はそれくらいの知能はあると思う)だから、泣かなくていいものは泣かずにすむように育てたいと思っている。でも。フローリングの床に思いきり頭を打ち付けて、それでも笑っているのを見たときにはさすがに『こいつ、馬鹿かもしれない』と思ったのも事実。
どんな時に愛を感じるか(2000/8/6)
サクラ大戦の歌謡ショウへ行って公演のパンフレットを買いました。出演している方々のコメントを読んでいて、思わず涙が出そうになったのは伊倉一恵さんのコメントでした。お母さまが自分がハイハイしている時に書いた日記を読んだ時と書かれていたのだけど、その日記の内容がとても愛にあふれていて素晴らしかったのです。悪戯をしていて、それが前日まではできなかったことで、それができるようになった子供の進歩を素直に喜んでいる母親の気持ちが物凄くよく伝わってきました。おりしも、うちの娘もハイハイをはじめて、今日立つか、明日は立つかといったところ。読みながら、うちの娘もそのうちにこのコンテンツを読んで同じように愛を感じてくれればいいのだけどと思ったのですが。でも、読み返して見ると、とても愛を感じるようなシロモノではなかったですね。せいぜい、恨まれることのないようにしないとね♪
温泉旅行(2000/8/2)
さんざん騒いで2泊3日の旅行に行って参りました。行き先は山梨県の石和温泉。首都圏では有名な温泉地です。今の季節は石和周辺の市町村ではぶどうや桃のシーズンで、あちこちの農園で桃狩、葡萄狩りが行われています。そう、私のように食べもの命の人には大変にありがたいところなのです。行くと決まってから持っていくものを考え、そしてとうとう決行!山のような荷物で行って参りました。何しろ、夏の暑い盛りで、しかも盆地なので気温が高いだろうと思って着替えは沢山。離乳食を食べさせているので離乳食とミルク。当然哺乳壜を洗う道具も一式。そしておむつだって必要だし、寒いときやお風呂上りのバスタオル。あれこれ持って行って、使わなかったものと言えば、虫除けスプレーくらいなもの。で、娘はというと、初めてのことばかりできょとんとした顔でおりました。トンネルのオレンジ色の照明に驚いたり、人が沢山入っている広いお風呂に驚いたり、打上げ花火に驚いたり。それでもぐずって私達を困らせることなく、ずっといい子で過ごしてくれました。環境が変わって寝つけなくなるかと思いきや、移動や観光で眠ったと思ったらすぐに起こされるの繰り返しだったため、睡眠不足の彼女は夜はしっかりと寝てくれましたし、食事中も騒ぐことなくいい子にしていてくれました。(騒がないように私達の食事の前にミルクなり離乳食なりを食べさせて満腹にしていたのですけど)食事と言えば宿の方が、朝食のバイキングで料理を持ってくる間、娘を抱っこしていてくれたのが大変に助かりました。ともかく無事に戻ってこれたし、疲れたけど大変に楽しい旅行でした。
お約束な会話(2000/7/29)
娘を連れて買物なり散歩なりしていると子供好きのおばさんやおねえちゃんやらが寄って来る。『かわいいですね』と言われて嬉しいが、その後にお約束となりつつある展開がある。『いくつになるんですか?』と聞かれて『7ヶ月半です』と答えると『えっ?まだお誕生前なの?』といわれる。そう、うちの娘はフケて見えるらしい。(笑)それは冗談として、生まれたときから髪が沢山はえてて、そのまま抜けもせずにここまで来ちゃったから髪はかなり長くなっており前髪なんか目に入りそうだし、後ろは首筋がすっかり隠れています。葛城ユキ(ボヘミアンうたってた人。知ってる人いる?)のような髪形をしているのだ。私にとってはこれが普通だから何にも不思議に思わなかったのだが、最近、どうやらこれはかなりふさふさしてる部類なのではとようやく気づいたのだ。それに乳児らしくない顔(と、よく人に言われる)。確かに生意気そうな顔をしているからフケて見られても仕方がないかもしれない。で、驚かれたあと、必ず感心したように『大きいですねェ。』と。いや、うちの娘は標準体重だし標準身長なんですけどね。なんで大きく見えるのだろうと思っていたが、最近、原因が判明した。親がでかい(横幅が)かららしい。ごめんね、娘。私のせいで濡れ衣だね。(笑)
ハイハイ?(2000/7/26)
娘は10日程前からとうとうハイハイをはじめて、家の中の床にあるものを手にとって遊ぶようになった。彼女が好きなものはリモコン、携帯電話。ボタンが多いものが気になるらしい。とにかく、それらが床においてあるとそこまで移動して手にとって遊んでいるのだ。しかし。よく見るとハイハイではないのだ。ハイハイって足も使うと思うんだけど、娘は腕の力だけで移動している。これってハイハイなの?いずれにせよ、すごい腕力…。
服(2000/7/20)
3900HITと4000HITを踏んだSASOH様より記念品を頂きました。毎度、ありがとうございます♪夏も本番で、本当に何を着せたらいいものか悩んでいます。着せすぎると暑いし、スーパーや店に入ると冷房が効いてるし。あれこれと考えた末に結局下着1枚で外を連れまわしてるという始末。冷房の効いた場所だけタオルにくるむとか、速攻で買物するとかしてます。しかし下着は綿100%というこだわりはあります。じゃぶじゃぶ洗濯ができるようにね。おかげですでに下着がへろへろ気味。じゃあ服はいつ着せるんだって?他所へ行くときだけちゃんと着せてます。そんなに回数ないですけど(笑)。
雷(2000/7/9)
首都圏はここのところ激しい夕立やら台風やらで雷がよく鳴っていた。娘は初めて夏を迎えるので雷と言うものを初めて体験するのだが、ちょっと困ったことがあった。夕食の準備をしているときはいつも姑に娘を見ていてもらうのだけど、このひどい雷で姑はいきなり仏壇にお線香をあげてお経を唱え始めた。昔からの迷信でお線香をあげると雷が遠のくと言うことのようで(あとは落ちないようにって祈っているらしい)真面目にそれをやっているのだ。私としてはあまりそういうことを娘の前でやって欲しくない。というのは、いくら0歳児とはいえ、かなり知能もついてきて、人のやっていることや持っているものに興味を示す。だから線香などをおもちゃにされたら困る、特に火がついていたらなおさらのこと。それともう一つ。私自身にも覚えがあるのだけど、私は小さい頃は雷は全然怖くなかった。それを祖母が来て、お線香をあげてからというもの、私は雷が怖くなって、以後、高校に入るまで雷が大の苦手となったのである。子供心にお線香や仏壇と言ったものは不気味なものなのであまり今からそういうものにお近づきにしたくないし、怖がらなくてもいいものに余計な恐怖心を植え付けたくはないという気持ちがある。そして、何よりも、もう少し物が分かるようになるまで宗教に対してニュートラルを守りたいのである。
転倒(?)事件(2000/7/1)
もう、一昨日の事になってしまいましたが、私は銀行や郵便局へ行こうと家を出ました。せっかく『ポケットサクラ』(万歩計)を買ったので少し頑張って見ようと、歩いて40分ほどのところまで行く事にしました。ベビーカーに娘を乗せていざ散歩気分で歩き始めました。ぷーの住んでいる所は近所に川が流れていて、それが合流、分岐をしている、東京でも0メートル地帯と呼ばれるところです。しかし、お散歩には結構向いていまして、橋の上から眺める景色なぞはそこそこにいいところなのです。で、大きな橋を渡って、ふと前方を見ると自転車が1台こけておりました。『わはははー、間抜けだー』と思いつつ散歩を楽しんでおりました。ところが!その直後。ぷー娘の乗ったベビーカーが前につんのめり、ぷー娘はコンクリートに顔をぶつけそうになりました。いけないっ!瞬間にそう思った私は、いつもの運動神経ぶっちぎれのニブさはどこへやら、慌ててベビーカーを引き起こしました。(その際に、ぷーの両足のスネに思いっきりベビーカーのシャフトをぶつけてしまいアザになってしまいましたが)一体、何事かと見てみるとそこは先ほど自転車がこけていたところ。ベビーカーがつんのめった原因を調べたようと地面を見てみると歩道を舗装しているアスファルトと、個人の駐車場の出入口のコンクリートの境目で、アスファルトが削れていて3〜4センチほどへこんでいたのです。そこにひっかかってベビーカーはつんのめったのでした。歩道が切れるところなどの段差はこちらも注意しているから大丈夫だけど、まさかそういうところに段差があろうとは。今回は娘は無事だったけど、車椅子の人も同様な危険にさらされているってことで。これって、直さないと危険なような気がするですけど〜?
絵本(2000/6/27)
土曜日に関口宏の番組の最後に女の子が絵本を読んでいた。最近はずいぶんといろいろな絵本がでているんだなぁと思った。その次にアド街ック天国を見ていたら駒込界隈で有名な2つの絵本の出版社をとりあげていた。アンパンマンとかぐりとぐら。スタンダードな絵本。そう言えば、私の小さい頃はどんな絵本を読んでいたんだっけ?と思い返して見たら、私はほとんど絵本を読んだ記憶がない。私の母はとても本好きな人で(と言うか活字好き)私が小さい頃から熱心に字を教え、おかげで私は小学校に上がる前から小学生のための童話集を読んでいた。無論、読んだ本は童話集だけではなく、本当は一番好きだった本は図鑑で、10冊くらいの動物とか植物とか科学とかの図鑑だったのだけれど、あれは正確には読んだというよりも眺めていたに近いものがある。それで、ほとんど絵本というものを読んだ記憶がないのだけれど、唯一記憶に残っている絵本は『すてきな三人組』という絵本だった。どんな話だったかはもう覚えていないのだけれど、その暗いトーンの絵は子供心に妙に印象に残っている。
さて。娘もあと2年位したらきっと絵本なんかを読むのだろう。どんな絵本を読ませようか。やっぱり定番の本を一揃い?いやいや。やっぱり『すてきな三人組』は外せない。図書館なんかで借りてこないで、この本だけは買ってあげよう。『これはね、お母さんが小さい頃に読んだ絵本なのよ』って言って。どんな反応を示すのだろう?好きになるかしら?嫌いになるかしら?好きになってくれるといいなぁ。
6ヶ月検診(2000/6/16)
昨日は6ヶ月検診の日でした。娘を連れていざ病院へ。入院していたときに同室だったみんなも一緒。久しぶりに会ってみると、だんだんと顔がしっかりしてきて、笑ったり、しゃべったりするようになってきてだんだんと個性らしきものがでてきたりしている。おすわりができるようになっていたり、歯が生えて来たり、変化も多い頃。次に会うときにはどうなっているのかなぁ?
ちなみに娘は身長が67センチ、体重8キロ弱と、普通の体形。最近、どこにいってもどういうわけか『大きい』といわれつづけていたのでなんとなくほっとした。旦那曰く、『それって、おまえ見ていってるんじゃねぇか?』、うーん、否定できない…。特に横幅は…。
離乳食(2000/6/14)
もう6ヶ月を過ぎて、そろそろ6ヶ月半になろうというのに娘の離乳食はあまり進んでいない。最大の原因は5月にひいた風邪。それで2週間近くも下痢をしてせっかく始めた離乳食も一時ストップ。下痢が治ってから、様子をみて再会したけどまた一からやりなおしているので時間がかかっております。で、多少遅れているのは仕方がないのですが、それが心配でたまらないのが同居しているお姑さん。娘におかゆを食べさせているとなかなか飲み込もうとしない娘に横から『あむあむしなさいね〜』とか色々な言葉をかけてくる。で、言葉をかけられた娘はそっちを向いて愛想を振るためににこにこして食事どころではなくなり逆効果。しかも正面向いてくれないので次のが食べさせられない。困ったもんだと思いつつも、注意できない嫁の立場。おかげで娘は未だおかゆスプーン4杯どまり。困り果てて、せめて一度に沢山が無理なら回数で稼ごうと、最近、離乳食の回数を昼夜の2回にしてみたのです。そうしたら、食べる食べる。昼間、娘に食べさせてると、娘はやる気まんまんで離乳食の入った器にもかじりつこうとする始末。作ったおかゆを全て平らげ、野菜をとろとろに煮たものまですっかりと平らげて満腹で上機嫌。今までのはなんだったの?というくらいに食べてます。しかし、やはり夕食の時の離乳食は相変わらず量が少ない。そのうちに、旦那から言ってもらおうかな…?ちなみに、本当は離乳食って朝とかにあげるそうですけどね、うちは生活時間がずれててどうしても昼になっちゃうんだよぉお〜(言訳)。
その娘、凶暴につき(2000/6/13)
今日、娘を連れてバスに乗っておりました。買物のためであったのですが、目的のものが見つからず、遠出する羽目に。バスを乗り継いでようやく目的のものを買ったはいいが、家に帰るのにまたバスを乗り継いで行かなければならない。しかも、そんなに遠出するつもりではなかったのでミルクもおむつも持ってきていない。どうか、娘、このまま大人しくしていてくれますように。祈るような気持ちでバスに乗る。抱っこひもで私に括り付けられた娘はバスに乗るとじーっと私の顔を見つめる。やばい、お腹すいたのかなー?ともかく騒ぎ出さないように少し娘をかまってみる。構われた娘は喜び、調子に乗って、いきなり私の口に自分の指を突っ込んできた。そして乳児とは思えないような力で思いっきり顎を下に引っ張る。次は口を左右に引っ張りまくった。あまりに強くやるので口の端がすこし切れる。娘の指を出してめッと睨むと彼女は何故怒られたのか理解していないようだった。不思議そうな顔をして、今度は私の顔をぺちぺちと叩きはじめる。そして、それがあまり面白くないと思ったのか、今度は爪で私の顔をひっかきはじめた。乳児の爪は薄くて、けっこう危険です。まるで紙で切ったような切り傷ができるのです。彼女が眠るまで、ずっとがりがりと顔をひっかかれ、おかげで私の顔は細かい切り傷が幾筋も入って、お風呂で顔を洗うときに跳び上がりそうなほど染みるのでした。今度から近くの外出でもミルクとおむつは忘れずに持って行こう…。
えりまき娘(2000/6/12)
えりまきとかげならぬえりまき娘。最近、娘は唇をぶるぶる言わせてよだれをたれまくり。おかげで着ている服がよだれだらけになってしまうため、よだれかけをかけております。その姿がまるで、あの往年の人気者、えりまきとかげのよう。うちでは『えりまきむすめ』として可愛がっております。唇をぶるぶるいわせてよだれを大量にたらすのはもうすぐ歯の生えてくる証拠。考えて見ればもう6ヶ月過ぎているのだからはえてきても一向に可笑しくはないんですよね。そんな話をしながら娘の口を覗いてみると下のはぐきの前あたりに白いものが。これってもしかして歯なのかしら?
カメラ(2000/6/8)
先日、義弟の結婚式がありました。娘一人を置いて行くわけにもいかず、また、私の実家は父だけなので預けるわけにも行かず(いや、父は結構子供扱いがうまいから平気かも?)結婚式に連れて行くことにしました。披露宴なら泣こうが何しようが、すぐに部屋を出ればいいのだからなんとかなるけど、式ともなればそうはいかない。ちなみに式は教会式。せめて人前式ならばなんとかなったものを。とにかく、娘を黙らせるために、式が始まる直前にミルクを飲ませ、満腹で幸せ状態にして教会に。私達は最も近い身内なので最前列に行くことに。最初、義妹(ものすごく娘を可愛がってくれる)が抱っこしていたのにだんだんとぐずり出す。仕方なく私が抱っこ。列の一番端に座り、何かあったらいつでも退出できるように(いや、できるかどうかは知らないけど)構えて抱っこ。ぐずり出したのもとりあえずは収まり、やがて式が始まる。いつ泣き出すかとドキドキしながらも、式が進行していく。音楽に驚かないか。人の声に驚かないか?心配をよそに娘はきょろきょろと辺りを見まわし、やがて、一点で目を止めた。それは、カメラマン。式の様子をスチールカメラに納めていた。私も嫌いではないので、少しの間式をそっちのけで機材の確認。カメラはキヤノンのEOS1N、レンズは確認できなかったけど、ズームのF値が結構明るいもので、USB付き。何故ならレンズの色が白だったし。ストロボは530かな?そんなことを考えながら娘を見るとじーっとひたすらカメラマンを見つめている。そしてズームの焦点を合わせるかすかなモーター音に反応し、撮影の様子をとにかくじーっと見ていた。おかげで式の最中、娘は全く声をたてず、大変皆様に誉められました。しかし。今から、そんなカメラに興味を持つなんて…。さすが、娘。おじーちゃんとおかーさんの血だわね。一人で内心、ほくそえんでいたのでした。
指しゃぶり(2000/6/4)
最近、指をしゃぶっていることがありますが、つい先日のこと。娘がまた指をしゃぶっているのを見て、ああ、またやってるなーと思ったけどなんかおかしい。よくよく見ると、左手は胴体に沿っておいてある。右手はまっすぐ横に。ええ?ってことは、おまえ、何をしゃぶってるのー?と思ってよく見ると、それは彼女の右足の親指。きゃーっ!それはだめーっ!慌てて指を引き剥がしてきちんと寝かせると彼女はまたふんっと気合を入れて足を持ち上げてそのまま顔の方に。体が柔らかいのはいいとしても何も足の指までしゃぶらなくっても。そんなことをするのはうちの娘だけ?
比較(2000/5/27)
娘はご近所さんからも可愛いと言ってもらって、みんなに構ってもらって大変に幸せな子供だと思います。だけどね。誉めるのも誉めかたってのがあるでしょう?○○ちゃんよりも髪の毛が多いとか、××ちゃんよりも愛想がいいとか、そーゆー誉め方ってないと思うんですよね。比較された子供同士、すごく迷惑だと思うんですけど。同じ人間なんか世の中にはいないんだから比較するだけ無駄と言うもの。たとえ、うちの娘がどこぞの誰ちゃんよりも鼻が上にむいていたとしたって。それは私似で親としてはかわいいと思うところの一つなんですよ。うちの娘が××ちゃんよりも愛想がよくても、それはそれ。××ちゃんだって、きっと両親にはとてもかわいいと思えるところがきっとあるはず。どうして比較なんてするのでしょう?そうやって誉めてもらったって全然嬉しくないです。ちゃんとうちの娘なりのいいところを誉めてやってください。
風邪(2000/5/25)
娘が風邪をひきました。鼻水がずるずるで、しかも咳も出るし、下痢もしてます。って、冷静に書いてていいのかー?と言われそうなものですけど、大丈夫でしょう。多分。だって、ものすごくご機嫌で、にこにこと見知らぬ人に愛想を振り撒き、やたらとミルクは飲んでるし。ほんとに風邪ひいてるの?っていうほど。熱はでてないから、ま、安静にして様子見かな?そろそろ生後半年で、免疫も切れてくるからこれからどんどん病気をするんだろうなぁ。でも、小さい頃に風邪をひいておくと、将来は風邪に対する免疫が強くなるって聞いたこともあるし。ま、なんとかなるでしょ。かくいう私は小さい頃にわりとまめに風邪をひき、1年に1度の割合でもの凄い高熱を発して、見事に1日でひいてしまうと言う、健康なのか病弱なのか分からない子供でした。熱に対する耐性が強かったようですね。38度でえへえへと笑っている私を見た母が『熱で馬鹿になった!』とマジで心配したらしいし。…もしかして、娘もそう?ヘンなところだけ似てるし…。
寝相(2000/5/10)
とりあえず、寝返りなんかするし、足はいつでもばたばたしているもんだからとってもお茶目な寝相をしています。彼女は今、一番押入れに近いところに赤ちゃん用布団を敷いて寝ています。隣に私が寝ているのですが、私はうっかりと寝返りを打てない!何故なら、彼女のお茶目な寝相はこちらの布団に領域侵犯してくるからです。ちゃんと寝かせたときには確かに布団の真中に寝かせているのに、途中で目が覚めかけてごそごそやっている間にころりと転がってこっちにやってくる。反対側は当然押し入れだし、襖があるから転がれないもんで余計にこっちに攻めてくる訳です。この間、朝方にべしべしと背中を叩かれるので目が覚めたらそれは叩かれているのではなく、娘が私の背中に蹴りを入れてました。しかも、顔は眠ってる。くっそー、自分の子じゃなかったら叩き起こしているのにぃ〜。
親子1(2000/5/3)
うちの娘はとにかく足がいつも元気です。ぱたぱたと動いて、足で遊んで、プレイジムなんて手で遊ばないで足で遊んでいる始末。どうしてこの娘はこうなんだろうと思っていたけど、ふと気がついた。なんだ、私に似たのねー。考えてみれば私も小さい頃は足がよく動いてくれて。昔、まだカセットテープのデッキにオートリバースなる機能がなかった時代、私は音楽を聞きながらマンガを読んでいて音が切れると足でテープをイジェクトし、足の指でテープをつまんで取り出して裏表ひっくり返してまたテープをデッキにいれて再生ボタンを押すなんてことをしていたじゃないか。それを見た母がため息をつきながら『どうしてこんな足のうごく娘が…』と悲しそうに言っていた。かくいう母も足でドアを閉める、ものを取るなんてことしていたし。ということは、うちの娘が多少、足が元気なのは親子の血ってことだね。ああ、ヘンなところばっかり似ている…。
黒子(2000/4/27)
ふと気づいたら娘の太ももにほくろが1つ。いつの間に。おそらく先週の土曜日に公園に連れて行って服を脱がして日光浴させたせいだろうと思うけど、でも30分も脱がせてなかったのになァ。でも、黒子ならまだしもソバカスにならないように注意しなければ。明日、コドモのモノを沢山買いに行くので赤ちゃん用UVケア用品でも買ってこよう。でも、私の事だから3日坊主で終わりそうな気がするんだけどな。
寝返り(2000/4/27)
娘が今日、初めて寝返りをしました。最初、脚をばたばたとさせていて、いつもそうやって遊んでいるので見ているとひょいっと体をねじって横向きに。そこで一度停止。それからどうするかと見ていたら、ふんっとばかりにふんばってごろりと。残った肩はもぞもぞとしているうちに抜けました。開始から終了まで30分ほどかかりましたけど確かに寝返り。ああ、これでまた一歩進化です。そういえば、今日は旦那が夕食を食べているのを見て一緒に口をもごもごと動かしておりました。そろそろ離乳食でおかゆを与えようかな?日々進化。もうすぐ娘は5ヶ月を迎えます。
注射(2000/4/26)
25日は娘の4ヶ月検診&ツベルクリンの注射の日でした。生まれて初めての注射で、どうなることやらと思いつつ保健所へ。ぷーの住んでいる地域は年寄りばかりなので赤ちゃんなんて少ないだろうと踏んでいたのですが、隣町に最近やたらとマンションができたり、新築の一戸建てができているおかげで40人ほどの赤ちゃんが集まっていました。最初に問診をしてたのですが、保健婦さんが娘におもちゃを見せて左右に振って目がついてくるか反応をみようとしても、娘は保健婦さんの顔をじっと見詰めて玩具を見ようとしません。前にも同じ事があったんですが…頑固と言うか、なんというか…。続いて身長、体重、頭囲と胸囲を測って、股関節の具合をみて、首の据わり具合をみて、最後にメインイベントの注射です。最初、私が抱きかかえて、その抱き方が悪かったのか、お医者さんが腕をしっかりと押えると『うぇーん』となき始めました。おお、泣いたなと思ったら、お医者さんが手を離した途端に泣き止んで、注射をされている最中は私をみて笑っている始末。ああ、娘。あんたは強かった…。隣で泣き叫ぶ赤ちゃんとそれをなだめるお母さんを尻目にへらへらと笑う娘にそそくさと服を着せておりました。検診の最中も、注射のときもずっとえへらえへら愛想笑いしっぱなしだった娘。大物かただのバカか、明日はどっちだ?
日焼け(2000/4/23)
今日、あんまりに良いお天気だったので海辺の公園に行って来ました。そこで3時間程いたのですが、ああっ、しまった。すでに4月も後半で紫外線がびしびし。気がついて見れば私も、旦那も、もちろん娘もしっかりと日に焼けていました。彼女の頬は赤くなっていて、ほんのりとあったかくなっています。冷やしているんですけど、ほんと、うっかりしていました。これからは天気のいい日に外へ連れて行くときにはちゃんと日焼け止めを塗ってやらねば。なんたって、両親譲りでとても色が白いので、赤くなった後にしみでもできたらこまっちゃうしなー。
いない、いない、ばぁ(2000/4/19)
娘は4ヶ月半になりました。最近、父(=旦那)のいない、いない、ばぁを喜ぶようになり、彼が帰宅してきて顔をみると嬉しそうににっこりと笑っています。始終一緒にいる母親よりも、彼のいない、いない、ばぁの方が楽しいらしい。本人は心が通じているだの、仲良しだからとか、パパッ子だからだとかいいように思っているかもしれないが、実際はあっちの方が私よりも数段面白い顔をしているだけだと思っている。ちなみに旦那は有名人で言うと中日(だったよなー?)の佐野投手に酷似しています。とくに目つきが悪いのと(目が悪いし)頭の具合が。私が勝てるわけないじゃん。と、悪態をついて、うさばらしをしている今日この頃。
白髪(2000/4/13)
娘の髪が1本だけ色が薄くて淡い金色になっているのを見つけた。これって、これってもしかして白髪ーーー?白髪って色素が抜けて出きるんだよね?もしかして、もしかしてーーー?ごめんねーーーっ、娘、おかーーさんが悪かったーーー!もー泣いてるアンタを放り出して洗濯物干さないよ〜。いや、ちょいと待て。冷静に冷静に。考えて見ればあたしだって小さい頃からあったじゃん。たかが色素が抜けただけ。苦労なんかさせてないって。でも、赤ちゃんでもそうなるのねー?知らなかった。私も随分小さい頃から白髪があって、小学1年生のときからもう何本かありましたから娘にあったって不思議はない。それとも、やっぱりまずい?ま、いいか。特に異常ないし。
腹筋(2000/4/5)
娘は無事に4ヶ月を迎えました。最初は宇宙の彼方の生物だった娘もそろそろ銀河系に突入してきたようで、だんだんと人間らしくなってきました。で、今日は、昼間、少しぐずった娘を膝にのせて友達とチャットなんてしていたとき。でろーんと仰向けでえびぞり気味野上体で横になっていた娘が急に『ふんっ』とふんばったかと思うと頭を持ち上げてV字になりました。そうです、彼女は腹筋を使って45度くらい上体を起こしたのです。おお、娘よ!おまえは確実に進化している。感動のあまり、喜んでおでこを撫でたら、また娘はでろーんとえびぞりに戻ったのでした。それにしても、あんた、なんでいきなり腹筋なの?
花見(2000/4/3)
浅草に花見に行ってまいりました。毎年、旦那と二人で必ず墨田川沿いを散歩して、ビール飲んで、焼き鳥食べて…ってやってるんですけど、去年は妊娠が判明したのでビールはお預けでした。そして、今年は娘を連れて。そういえば、去年は『来年は3人で来るんだねェ』なんて言ってたのを思い出しちゃいました。あの頃はまだ子供の存在に実感がわかなかったものですが、今ではしっかりと存在して、私がビールを飲もうとしたときに『先にミルク!』とぎゃーぎゃー泣いておりました。彼女はまだ蕾の多い桜の木の下でたくさんの蕾で濃紅にそまった木の枝を眺めながら1杯やっていました。そして、『来年はこれがよちよち歩いているのかねぇ?』と夫婦で言っておりました。去年同様、歩いている娘なんて実感がわかないけどきっと来年、また同じ気持ちになるのでしょう。
ちなみに、ぷーは隅田川の向島側の岸辺でよく飲み食いをしております。地元町内会の方が出店しているのですが結構おいしいですよ。また金曜日あたりにでも友人と行こうかなって計画しております。
記憶1(2000/4/2)
娘を見ていると不意に自分の小さい頃の事を思い出します。それも、今の今まで忘れていたような出来事。ぷーは1つ違いの兄がいます。その兄はとても愛想がよく、男の子なのにかなりかわいい顔をしていたので母はとても兄を可愛がっておりました。それにひきかえ、私は特段、愛想が悪いわけではなかったのだけどあの兄の前では可愛くないほうの部類になってしまい、なにかにつけ後回し、我慢、適当と言う扱いを受けていました。別にそれを恨んでるわけではないのですが、当然、大人になってから母親に対する態度が反抗はしないまでも(反抗するのも面倒だったので)非常に厳しいものになっていったのは仕方がないと思います。それを思い出すと…娘は私にどういう態度をとるのだろうか。それが不安であったり、期待であったり。複雑な気分です。
キャラ(2000/4/1)
先日、ぷー旦那が言いました。人間、生まれ持ってくるキャラがあると。生まれつきのキャラ。だとしたらうちの娘は間違いなく落ちつきのないタイプじゃないかと思います。なぜなら、生まれてすぐからやたらときょろきょろして視線が落ちつかない。見えないはずなのにとにかくキョロキョロ。しかも、誰がどんなに呼びかけようと自分の興味の向いたほうにしか反応を示さない。誰に似たんだろうか。やっぱ私かしら…?それにずーっと脚をばたばた。止まることを知らないらしい。それから、キレキャラかも。気に入らないとすぐに『うきゃー!』と超音波攻撃に出るし。あんまりにうるさいので抱き上げると『にぱー♪』と満面の笑顔。こいつ、私だったら絶対に友達にしたくないタイプだよな。私自身は生まれたときから大人しく、泣かない子供で、母がすっかり授乳を忘れて(忘れるなよ!)いてもぼーっと天井を眺めているようなタイプだったのに、どうして娘はこうなってしまうの?絶対に旦那と義母とで甘やかしているせいだと私は踏んでいます。二人とも娘が泣くと抱いてあやして、お話して…。娘にとって泣いたら構ってもらえるのが当たり前になっているらしい。女の子は厳しく育てなきゃいけないってのに。どうするんだ、この先。
お友達のうちに行きました(2000/3/31)
入院中に一緒の部屋にいた方のうちに遊びに行きました。普段は午前中に寝て、午後はずっと起きているのに今日はどうしたわけか午後もおねむの様子。うーん?昼間のミルクも大人しく飲んでくれたし、どういうことだ?外面がいいのか?いつもは午後は騒ぎまくって目をらんらんと輝かせているのに今日に限って…。そのかわり、家に戻ってきてから大騒ぎでした。なかなか寝つかず、興奮したようにうぎー、うがーと到底人間とは思えない音波を発していました。
ちなみに、今日、遊びに行ったのは娘より6日遅い生まれの男の子の家です。次男なのでうちの婿にして家を継いでもらおうと目論んでいます。がんばれ、娘。婿さんゲットだぜ!
耳掃除(2000/3/31)
娘は耳掃除が大嫌いです。鼻の掃除もキライですけど、それ以上に耳掃除が嫌いです。でもね、やらないわけにはいかないのですよ。それで昼間、娘の機嫌のいいときを見計らっておもむろに赤ちゃん用の綿棒を取り出したところ、それだけで泣き出しました。それでめげているわけにはいかないので『耳をキレイキレイしようねー』といいながら左耳に綿棒をあてると、もう、それは火のついたように、もしくは殺されそうな声で『うんぎゃー、うぎー、ぴー』と超音波を発しました。結局、掃除の間ずっと泣きっぱなし。そして、その後もずっと機嫌が悪く、ぐずぐずと泣き通しています。そのうち慣れてくれるのかしらねェ…?(ちなみに爪切りも大嫌いだ)
ナンパ(2000/3/29)
火曜日は駅前のスーパーの特売日で魚が安く出るので買物に行きました。魚を選んでビニール袋に入れていると、隣に娘と同じ位の男の子を抱いた人が私と同じように魚を袋に入れておりました。娘はしばらくその男の子の顔を見ていましたが、そのうち男の子に向って『あうー、ぷー』と話しかけました。男の子はしばらく不思議そうに娘を見つめておりましたが、そのうちに男の子のほうも娘に何か話しています。そうです。うちの娘はナンパしていました。しかもその子は男の子にしてはめちゃくちゃかわいい子です。娘はどうやらメンクイのようです。いつも同じ位の子供がいても別にそんなそぶりはしなかったんだけど…。よっぽど気に入ったのかなぁ?でも、もう少し大きくなったら娘に注意しましょう。『色男、金と力はなかりけり』だからね。
ぷっ(2000/3/27)
最近、娘におしゃぶりをくわえさせるとぷっと吐き出します。そしてその後に私を見てにやりと不適な笑みを浮かべています。もう一度くわえさせると再びぷっ。そしてにやり。どうやら、それで遊んでいるらしいのです。吐き出さないようにおしゃぶりをくわえさせてからしばらく指で押えているとそのままじっとしていて、もう大丈夫だろうと私が指を離した直後にぷっと吐き出し、今度は嬉しそうににこりと笑います。…娘は確実に進化して行ってます。
一番気になる事(2000/3/25)
娘が生まれてから3ヶ月以上たった。この間、ずっと心にかかっていることがある。それは母乳の問題。娘が生まれて、最初に娘が手元に戻ってきてから今までずっと気になっていたこと。娘の口はおちょぼ口。私は非常に胸が大きい。これが不幸の始まりだった。私の胸が大きいためにミルク溜りが乳輪の奥の方にあり、娘の口では届かない。だから娘がいくら私の胸に吸いつこうとも、彼女の努力だけではいっこうに母乳は彼女の口に入らないのだ。彼女は出ない胸に癇癪を起こして泣き叫び、吸うことさえやめる。そして、しまいには彼女は胸を見せるとお腹が空いてるのに寝たふりをする始末。それほどに出ない胸が嫌だったらしい。そして、入院中は母乳を絞って哺乳瓶で娘の口に母乳を入れていた。胸が大きい私が自分の手で母乳を絞るには非常な力がいる。その頃から腕の様子がおかしくなり始めた。それでも一日に何回かは母乳のみで与えていたのだった。そう、出ないのではない。絞れば出るのだから。しかし、状況は退院して一変する。退院して1週間ほどで母乳がほとんどでなくなってしまったのだった。原因は恐らく強度のストレス。ただでさえ神経が高ぶっているところに、義母が親切心とはいえ、私にとっては余計なことをいろいろとしてきたり、心無いことを言ってきたのだ。一番、効いたのは母乳の事。義母にしては嫌味とかではなく、単なる彼女の自慢話だったのだが、自分は子供3人を母乳で育て上げた。胸が大きくても出ないのでは仕方ないというようなことを言われたのだ。ストレスで出なくって、それでもなんとかしようとマッサージを繰り返している人間に対してこの言葉は追い討ちに等しい。悲しくて、悔しくて夜中に泣きながら搾乳をし、マッサージをし、それでもなんとか1日1回は母乳をあげられるようになった。このまま、もう少しがんばろう。希望が見えてきた頃。ある日、右手の親指が動かなくなった。驚いてしばらくもんだり、さすったりしているうちになんとか動き始めた。そんなことが1週間。病院で腱鞘炎といわれる。あまり手を酷使しないようにと。赤ちゃんが生まれるとそうなるお母さんは結構いるとのこと。しかし、その原因はほとんどが赤ちゃんを抱いて普段使わない筋肉や腱をつかうところから来るのに私の場合にはあきらかに搾乳から。結局、安静にしてる間に母乳は出なくなってしまった。今は粉ミルクだけで育てている。少しでも母乳を与えていたので免疫とかは大丈夫だろうが、母乳でないと子供が荒れるとかの精神的に悪影響があるというふうに書いてある本が多々ある。それが一番気にかかる。果たして母乳と子供の心は関係があるのだろうか。今、一番の気がかり。そして、読んでいる皆さんにお願いです。お子さんを粉ミルクで育てているお母さんを見ても、それを非難しないで下さい。よく、母乳じゃなきゃだめだとか、粉ミルクだと親子の愛情がはぐくまれないとか赤の他人なのに言う人がいます。だけど、それなりの事情がある場合もあるんですから。
初笑い(2000/3/22)
20日の夜、夕食の片づけで食器を洗っていた私の真後ろに娘を抱いた旦那が立った。はて?何をするのだろうと思っていると、旦那は娘の脚をもって私の背中にキックをさせていたので、私はそれに付き合って「やられたー!」と言っていたところ、娘がにこにこと笑い出した。そして何回も同じ事を繰り返しているうちに娘は『うへ…』と野太い声を出し始め、最後には『うえへへへ』と声をあげて笑い始めた。今まで笑顔は見せても声をあげて笑う事はなかったので初めての笑い声だったのだ。ただ、女の子の割には野太い声で、しかも『キャッ、キャッ』ではなくて『うえへへへへ』である。ちょっと待ってよ、娘。それじゃ変態男ぢゃん。せめてさー、もっとかわいくできないかなぁ、女の子らしく。がっくりとした私に旦那は『でも、赤ちゃんの笑い声ってこんなもんだろー?』と。旦那よ、君がとてもうらやましいぞ。君は娘のやることはなんでもかわいく見える幸せな人なんだね。ついでにもうひとつ言っておくけど、普通は、子供にやっつけられるのは父親の役目であって、母親の役目ではないと思うのだが?
チャイルドシート(2000/3/19)
皆様もご存知の通り、4月から車に乗る子供に対してはチャイルドシートを着用することが義務化されますが、うちでもようやくチャイルドシートをとりつけました。モノはずっとあったんですけど面倒だったのとまだ首が据わってなかったのでとりつけてなかったのですが、先週とりつけて18日にそのチャイルドシートに娘を乗せて初めて遠出をしました。行き先は墓。そう、お彼岸ですから。ところが、首都圏はこの3連休、天気がいいのは今日だけと予報がでているせいか皆さん外出を今日にしてしまったようで道路はどこへ行っても渋滞。いつもなら1時間30分で余裕で到着のお墓まで行きは2時間、帰りに至っては3時間30分を超える長旅となってしまいました。その間、娘はというとおしゃぶりをくわえたままこっくり、こっくりと夢の中。本当によく眠ってくれました。チャイルドシートがダメで泣き叫ぶ赤ん坊もいるというのに、どうしたんだ、娘。結局、娘はぐずることもなく無事に帰宅。なんとかこのままチャイルドシートになじんでくれればいいなぁと思ってます。余談ですが娘のチャイルドシートはキティちゃんの柄です。私は知る人ぞ知るキティ嫌いなのですが、旦那の会社の方がわざわざキティを選んでくださったのでありがたく使わせていただいてます。娘はどうもキティの柄が気になるようで、車の中でしきりにキティちゃんをひっかいておりました。それは好きなのか、嫌いなのか。何年後かに答えがでるんでしょうねぇ。
100日を過ぎて(2000/3/16)
娘が生まれてから100日を過ぎていました。まだまだホンの序の口ですが、振り返ってみるとなかなかハードなようで、実はそうでもなかった100日でした。何しろ、まだ病気はしないし、自力で移動できないし、泣声もまだ隣近所に迷惑をかけるほどではないから。本当の大変な時期はこれからなんでしょうね。最近、よく言われるのが動くようになったら目が離せないよ〜ってことです。それから病気は大変だとか、離乳食は面倒だとか。まだまだそんな面倒なことが襲いかかってきてないので平穏な毎日です。最初は大変だと思ってたけど、こうやってみると案外そうでもなかったのかも。第1子でしたけど、結構適当にやってなんとかなっちゃってたもんねー。将来、子供がこれを読んだら怒られそうだな〜。いまのうちにあやまっとこ。ごめんね、娘。でも、これがウチの血筋よん♪
椅子(2000/3/12)
今日、娘に椅子を買いました。最近は横抱っこを嫌がり、縦抱っこをしろとせがむ毎日。首も据わったし、そろそろいいだろうと椅子を買いに出かけました。当初は木製のしっかりとしたハイチェアーにローチェアーにもなるやつを1脚買おうと思っていたのですが値段を見て思案。思いのほか高いんです。それに木製の1脚だけだと毎回、それを担いで1階と2階を行き来しなければならないことになる。しかも木製なのですごく重い。それに比べてパイプ椅子だとハイチェアーとローチェアーは別だけど安い。木製の椅子1脚の値段で一番安いローチェアーが4脚買えそうな値段。これは当然安いパイプ椅子にしました。家に帰ってきてから早速椅子に座らせると娘はご機嫌でしばらくかわいらしく、何か一人でしきりに喋っておりました。椅子に座るほど進歩してきたのですね。だんだん人間に近づいてきてそのうちに人間の子供になっていくのだろう。
3ヶ月検診(2000/3/10)
昨日、3月9日は娘の3ヶ月検診だった。子供の扱いが荒い割には今まで怪我もしていないし、特に変わったこともなかったので普通に受けてきただけだった。特筆すべきは体重が6キロになっていた事。生まれたときに2500グラムもなかった子供がすっかり標準体重になってスタート時の出遅れを取り戻していた。もしかしてこのまま肥満街道まっしぐらか?親が親だしなぁ…。目の検査をするためにお医者さんが一生懸命に手を目の前に出して左右に動かしているのに見ようとしない娘。『マイペースな子だね』とつぶやいたお医者さん。結局、ペンライトみたいなので光を当てて見てました。ああ、先が思いやられる。それから、一緒の病室だったみんなに久々に会えて楽しかった。自分の子供も可愛いけど、他人の子供も可愛い。入院していたときにはまだ笑わなかったけど、そろそろあやして笑ってくれる月齢になってきてるからめちゃ可愛い。次の検診は3ヶ月後。みんなどんな風になってるかな?
椅子から落下(2000/3/9)
今日、料理中に娘を椅子の上に寝かせていたら猛烈に手足をばたばたさせて遊んでいたのが何の拍子か彼女は椅子から落ちてしまいました。最初、床に膝をついて、そのまま前のめりにべたりと床に額をぶつけた模様。抱き上げると『ふえ…』と泣き出そうとするところ。普通の親ならば膝に怪我はないか、おでこは大丈夫か確認するんでしょうけど、私は泣きそうな娘の顔がおかしくて、おかしくて吹き出してしまいました。泣きかけた娘は私の顔を見て、そのまま一緒に笑ってました。キッチンの椅子はかなり大きくて今まで娘が寝ても大丈夫だったのに、落ちるなんて。首も据わってきたことだし、最近は寄りかかるものがあれば座れるようになってきたのでそろそろローチェアーでも買おうかなァ?
ボケてる…?(2000/3/6)
うちの娘はキッチンに連れて行くと電気ポットや炊飯器や壁掛けの扇風機に向かってしきりにお話をしています。その姿はまるでアルツハイマーにかかったお年寄りのようです。最初はただ単にあーとかうーとかだった言葉も最近ではかなりバリエーションが増えてきて、感情をこめて喋っているかのように聞こえます。だから、本当にポットや炊飯器などに向かって熱心に語りかけているように見えるわけです。そうそう、語りかけるだけじゃなく、笑いかけたりもします。昨日、愛想はただだから振り撒きなさいと書いたけど、ポットや炊飯器には振りまかなくったっていいからね。
愛想はただだよ(2000/3/5)
娘は日々、進化していっています。最近は笑う事も覚えて、とにかく誰かれ構わず遊んでくれた人に愛想を振りまき、にこにこと笑顔でおります。いや、いーんですけどね。女は愛嬌って言うし。でもね、スーパーでお買い物しているときにとにかく他のお客さんに愛想を振りまくるのでそのたびに話しかけられて何を買おうとしていたか忘れちゃったり、あれこれ聞かれて帰るに帰れなくなったりしてます。でも、まぁ、いいか。みんなかわいがってくれるんだから。愛想がいいのはいいことだ。たいていの人は『あらー、かわいいわねー』といってくれるし。そういえば、友人は『うちの娘なんてほんっとーにブサイクだったもんだから、みんな『げ、元気のいい子ねーっ』って言ってた』と笑ってました。その話を聞いて笑っちゃいけないけど、ついつい笑っちゃった。(ちなみにその子は今ではかなり顔が変わってきて、すごい可愛い子供になってます)愛想はただだから、精一杯振り撒きなさい。それも財産のひとつなんだから。
不安なこと(2000/3/1)
最近、ちょっと忙しくって娘をかまっていなかった。そのせいか、偶然なのかわからないけど、以前は私の顔を見ると何か喋っていた娘が声を出さなくなった。それどころか、私の顔を見ても笑わなくなった。そして抱っこすると泣き出す始末。すごく不安…。このまま母親嫌いになってしまわないか?それが、ちょっと腹の立つことに旦那の顔を見ると笑って、喋るんだ…。娘、このままだとおかーさん、ぐれちゃうよ。
初節句(2000/2/21)
来月3日は娘の初節句です。お雛様のお値段はぴんきりですけど私たちがみたところ7段飾りくらいで13万〜。高いですねェ。お内裏様、お雛様、三人官女でも5万はくだらない。仕方がないので本日実家に行って自分の使用していたお雛様を貰ってまいりました。このお雛様。私も母の従兄弟から譲り受けたものでかなりの年季モノ。そのせいかどうかわからないけどうちのお雛様は御殿住まい。間取り3部屋で中央が一番大きい部屋でここにお内裏様、お雛様が入ります。そして左右に控え室。それぞれの部屋の正面には階があり、部屋の周囲をぐるりと廊下が巡っており、しかも欄干もついております。御簾もあったな。友達の中で御殿住まいのお雛様は一人もいなかったんだよね。これって古いから?それとも田舎の方はこうなのかしら?何はともあれ、娘もきっと友達の中では唯一の住居つきお雛様できっと珍しがられることでしょう。
よくお雛様を早くしまわないと嫁に行き損ねると申します。かくいうぷーはしょっちゅうしまい忘れていたために結婚したのはかなり遅いほうでした。身をもって体験してしまったので(偶然と人は言うだろう)娘のために早くしまいたいと思います。しかし、旦那は早くしまって欲しくないようで。
大人には見えないもの(2000/2/17)
娘はよく一点をじっと見つめているときがある。何かそこにあるのかと娘の見ているほうを見ても何もない。天井だったり、窓だったり(しかも障子が閉まってて外は見えない)特に変わったものなど何もない。だけども、呼ぼうが何をしようが目を離さずにじっとその一点を見つめているのである。うちの旦那曰く『子供には大人には見えないものが見えるんだってさ』と。何が見えてるのだろう。泣き出さずに不思議そうな顔をしてじっと見ているということは少なくても禍禍しいものが見えているのではなく、彼女にとって不思議なものが見えているに違いない。『妖精とかかな?』『いや、お父さんやお母さんの霊だったりして』。なんにせよ、私たちは彼女にとっていいものが見えていますように。それからできれば長い間、娘がそれを見る能力を持っていられますようにと祈っている。
片手ではそろそろダメかも(2000/2/11)
うちは一戸建てで私達の部屋は2階にあります。お風呂に入れたりするのに1階に降りて行くときは着替えなどの荷物があるのでいつも子供を片手で抱いてもう片方で荷物を持っておりました。でも、最近大きくなった子供は片手では持ちづらくなってきたのです。しかも本人もツラそうに『うー』と私に訴えるのでそろそろ片手では無理な大きさになったんだなと。それにしても小さく産まれてみんなに小さい、小さいと言われていたときのことが嘘のよう。今じゃすっかりでぶでぶになってしまって、不機嫌な時などはブサイクなペンギンの雛のようです。大きくなったおかげで着せていた肌着がきつくなり上のサイズに買い換えたし、紙おむつも新生児用からSサイズに換えました。普通は生後1ヶ月ほどでサイズがかわりますがうちの子供は2ヶ月かかってしまいました。ちょっとくらい人様よりも小さくても気にしません。身長は通常だし、私の娘ならば確実に太るからです。とりあえず元気だしミルクもよく飲んでるから大丈夫(だと思う)。体は多少小さくてもいいから、早く言葉を覚えて会話したいなぁ。
おもちゃ(2000/2/10)
今日、お隣の奥さんから出産祝いを頂いた。開けて見るとプレイジムで、私はとびあがらんばかりに喜びました。なんたって、欲しかったんですもの。買おうかどうかずっと迷っていて、しかも今月はベッドメリー(ベッドの脇とかに置いたり吊るしたりする音の出る回るおもちゃ)を買ったばかりなのでしばらくは無理かと諦めていた矢先の出来事。もー、奥さんたら♪旦那が戻ってきてから組みたてて子供の寝ているところに置くと、子供は興奮したようにずっと『あーうー』としゃべりっぱなし。しかも自分で下がっている玩具をつついたりして遊んでいた。玩具で遊ぶまでになったのね。またひとつ成長をしたのねと思いながら馬鹿夫婦は子供を見つめておりました。
里帰り(2000/2/2)
子供を産んだときに他人をうらやましいと思ったことは2つある。そのうちのひとつはほとんどの人が退院後、実家に里帰りをすることである。実家に戻ってゆっくりと体を休めながら徐々に実生活の中の育児に慣れて行くのである。勿論、実家に戻れば懐かしい母の味、それから自分が産まれた時の話などを聞きながら母に感謝をしつつ、しばしの間、久しぶりに嫁や妻から娘に戻ることのできる時間を過ごすのである。残念なことに私の母は既に鬼籍の人となっている。だから実家に戻ったところで父と兄の男所帯、体を休めるどころではないから実家に戻ることはできなかった。子供を産むことは初めて親の立場にたつことであり、これで母と本当の意味で同等になったことだと思う。しかしようやく同等になったというのに一番話したい相手がいない。なんと寂しいことだろう。母が死んですでに5年が経とうとしている。自分では互いに口は悪いがとても仲の良かった親子だったと思う。死んでからもいつもそばにいてくれる。そう思って過ごしてきたから寂しくなかった。でも、今回初めて母が死んだことを寂しいと思った。
私の娘が結婚するのはいつだろう。子供を産むのはいつだろう。この子が子供を産むときにはちゃんと里帰りできるように元気でいなければ。そして孫を抱えて奮闘する娘を見ながら今の自分の気持ちを思い出そう。まだ気の早い話だけどね。
おしゃべり
最近、泣声以外の声を発するようになってきました。あーとかうーとか。それとともにあやすとにこにこと笑ったり、話しかけると返事をするように『あー』っていう感じで発声します。だんだんとコミュニケーションできるようになるんですね。それから生後まもなくの頃はミルク飲んで寝て。泣いてミルク飲んでって繰り返しだったのが、最近はミルクを飲んで寝て、それから30分から1時間くらい起きてきょろきょろとしていたり、機嫌がいいと笑顔で手足をぱたぱたと動かします。そういえば、かなり手足も活発に動くようになってきて、しかも足なんかはすごい!蹴る力が強くて将来は競輪の選手にでもしようかと思うくらいです。だんだんと人間に近づいてきました。おしゃべりできるようになる日が楽しみだな。何を話してくれるのだろう?何を話してあげようか。今からそんなことを考えています。(まだまだ先の話なんだけど)
芸名は『マリア・タチバナ』
うちの娘は見知らぬ人からよく『かわいい坊ちゃんですね』といわれる。ピンクの服を着せていてもである。赤ちゃんの性別はわかりにくいので、だからこそ普通は『どっちですか?』と聞いてくれてもよさそうなものであるが『坊ちゃん』と断言してくれる人が多い。入院しているときにある看護婦さんに『凛々しい顔をしているわよねぇ。男だったらさぞかしもてたでしょうに』といわれた。産まれたときからぱっちりとしている目と父親譲りの眉毛がどうもいけないらしい。入院しているときの知り合いが『男の子みたいな顔をしているから宝塚へいれて男役にするのはどうか』と言っていた。泣声も人一倍でかいのでさぞかし声の通る俳優になるのではということだ。それもいいかもしれない。芸名はもちろん『マリア・タチバナ』(笑)。男役だし。色白だし。あとは射撃でも仕込めば完璧さ。
1ヶ月検診
娘の1ヶ月検診にいってきました。雨の中、娘を抱っこひもで抱えて、おむつ持って、ミルク持ってと大荷物で病院へ。バスで1本なのですが、そこへいくバスは1時間に1本しか通らないのです。検診では子供の計測を行います。最近、急にでかくなった娘は4キロを越しておりました。産まれたときには小さい子供だったので心配していたのですが、順調な成長振りにほっとしました。身長に比べるとまだまだ体重が軽いのですが、じきに追いつくでしょうとお医者さんに言われて一安心。それから心配だった顔や首回りの湿疹はとくに心配することもなく3ヶ月で消えるとの事。女の子なんでどうしようなんて思っていたけどこれもOK。最後の心配事の目の動き。たまに娘はすごいより目になってしまうので相談したところ、あれこれとテストしてくれました。とくに今のところは異常がみられないとのこと。ようやくほっとしました。1ヶ月半の間、娘を育ててきて今日の検診でこれで良かったんだって言う自信がようやくつきました。なれない母親業もこれで少しは板についてくるのかしら?
楽しい?病院ライフ
散々の初夜が明けて、同室の人が退院してしまい、6人部屋にたった一人になってしまう私は再度部屋を移ることに。今度はトラブルを起こさないようにと注意して…。しかし、そんな心配もどこへやら。今度はちゃんと話しをしてお互いに部屋で子供を泣かせてもおかまいなしって約束をして楽しい病院ライフがやってきた!みんなで食事の時間には怪しい院長先生の話しをし、互いの子供が寝ないだの、うんちばかりする、泣き止まないだのとあれこれと新米ママ同志の話しをしていたのでした。初日にはぐずった娘も幾日かするうちにだんだんとおとなしくなり、終いにはほっとけば5時間くらい寝てしまう事もあるような手のかからない良い娘になりました。ぱっちりと見開いた目はすこぶる看護婦さんたちにも好評で、しかもミニサイズなもんだからみんなだっこしてしてくれて、お掃除のおばちゃんまで抱っこしてくれるわ、産科の病気で入院してくれるおばさんまで抱っこするわの抱っこ攻撃。おかげで娘は退院する頃にはすっかりと抱き癖がついていたのでした。ただ、病院ライフで困った事は3時間起きの授乳時間の為に少しでも空いた時間に寝なければ体が持たないのでほとんどテレビなどを見ている暇はなく、おかげで浦島太郎状態。世間で何が起こっているかなんて全然わからない。丁度そのときに皇太子妃の妊娠報道があったのですがそれを知ったのは世間で騒ぎ始めてから2日ほど後。しかも人から聞いて知ったほど。普段、テレビ大好きでないと困るのに見なくても過ごせてしまうほど楽しい?病院ライフでした。
初夜
ぷーは術後3日目に大部屋に移り、またその翌日、術後4日目に待望の子供が自分の手元に戻ってくることになりました。戻ってくる予定時刻は昼頃との事。待ち遠しいぷーはうろうろと落ち着きのない熊のような状態で病室におりました。そして12時前。ナースセンターから呼出しがかかっていそいそといってみるとうちの愛らしい子供がコットに入ってちんまりと寝転がっておりました。諸注意をうけ、簡単におむつの交換のおさらいなどをしてから自分の病室に連れて帰ります。子供はすうすうとよく寝ておりその可愛い寝顔を眺めてしみじみと無事に産まれてきてよかったと実感。午後は子供との幸せなひとときを過ごしたのでした。が、幸せだけをかみ締めていられたのはその日の午後だけの話。新生児は3時間おきに授乳が必要です。その日の最後の授乳は夜の11時30分頃でした。それから3時間後。寝ていた私は隣にいる娘のか細い泣声で目を覚ましました。次第に泣声は大きくなります。私は目をこすりながらとりあえずおむつをかえたのですがなにしろ1日目なのでまだ手際が悪い。もたもたしているうちに娘がぎゃーぎゃーと泣き出しました。紙オムツのテープを止めようとしたときに向かい側のベッドから『ふぅっ!』と大きな『うるさいわね』といわんばかりのため息が聞こえました。そうなのです。大部屋、6人部屋なのだから子供を泣かしておくと他人の迷惑になるわけです。ああ、悪かったなと思う反面、そういうやり方はないんじゃないの?とかってちょっと怒ったりして。とりあえずおむつは替えてみたけど泣き止む気配のない娘を連れて授乳室へ入ったのです。まだ充分に母乳の出ない私はミルクをあげてみたものの娘はいっこうに寝る気配すらありません。それどころかもっと飲ませろといわんばかりに口をぱくぱく開けています。そこで看護婦さんに言ったところ、『寝ないんだったら預かりましょうか?』とのこと。いや、そういう問題じゃないんだけど。寝ないからナースセンターで預かってくれるのは助かると言えば助かるんだけど、子供と家に戻ってから子供が寝ないからナースセンターに預かってもらえるのかって。そうじゃないでしょ?それにもっとミルク頂戴と言わんばかりに口をぱくぱくしているのだからもう少しあげてもいいんじゃないかと。結局、預かってもらわずなんとか自分でなだめることに。そしてそれが地獄の始まり。子供はずっとぐずりっぱなしで授乳室から戻れない。眠れない。授乳室には入れ替わり立ち代り人がくる。そして、2巡目に入ったときに『あれ?もしかして、ずっといたの?』そうなんですよ、ずっといるんです。そして次の授乳時間になってしまい、それをあげても泣き止まず、口をぱくぱくは止まらない。途方に暮れた私は眠気で頭がぼんやりと。そして、もうひとつトラブル発生。私が悪かったことだったけど、さっきのため息の彼女ともうひと悶着。すっかりへこんでしまった私はどんよりとした気分でいっこうに寝る気配のない娘を抱えてぐったりとしていたのでした。そして、結局、授乳室から日の出を見て、それどころか朝食の時間もそこで過ごし、8時半に娘がお風呂に入るために看護婦さんに連れていかれるまで私はずっと授乳室にカンヅメになっていたのでした。
親馬鹿モード開始
さて、歩けるようになった私はできるだけ長い距離を歩く練習をし、翌日の午後に早速新生児室へ。ガラス越しにコット(新生児用のベッドをいれ、その中に子供を寝かせる透明な箱。足にはキャスターがついている)に入った我が子と1日半ぶりの対面。2500グラムに達していないので並んでいるどの子よりもひときわ小さい。しかし、黒目がちの瞳はぱっちりとしており、他の子供が新生児特有のくしゃくしゃの顔をしているのに比べ、すでに生後3日で異様に整っていた。そして、この顔はどこかで見たことがある。そう、産まれた頃の私にそっくりである。眼のあたりなんか特に。子供は眉毛から上は(髪の生え際とか)旦那に似て目と鼻は私、口が旦那というモンタージュのような感じでお互いに似ている。ガラス越しに二人、『うちのが一番かわいい』と初の親馬鹿モード。しかし、隣にいた夫婦も負けてはいない。『うちの子が一番しっかりした顔つきでかわいいわよね。』どこの親もおんなじってことか。でもやっぱりうちの子供の方がかわいいよ、奥さん。心の中でそう言いながら根拠のない優越感に浸っていたのでした。ちなみに以前なら2500グラムに達しない子供は未熟児として未熟児室に入っていたそうだけど、最近2200グラムに基準が変わったらしく、うちの子供は入らなくってすんだのでした。
ペンギンになった私
手術の翌日の朝。回診前に看護婦さんがやってきて体温と血圧を測っていた。『どこか痛いところはないですか?』若い看護婦さんが尋ねるので『ずっと同じ体勢でいるから腰が痛くって仕方ない。頼むから歩かせてくれ、歩くのがだめなら体を起こさせてくれ』と言ってみたところ『今日の先生はわりと話しを聞いてくれるから先生に言ってみるといいですよ』との返事。そして回診の際に先生に訴えたところ『いいですよ。歩いてください。ああ、管はとってやってくださいね。』そう、ぷーは手術の為に導尿管とよばれる管を入れられていたのでした。回診のあと、それを外してもらい歩くことに。ベテランの看護婦さんが補助についてくれる。『普通は術後2,3日してから歩くんですけどね。』とのこと。歩行機を持ってきてくれたのだがぷーは使ったことがないためにうまく使えず、面倒なのでそのまま歩くことに。しかし傷口が痛み、普段のようなスピードでは歩けず、しかも傷が痛まないようにかばって歩く姿はまるでペンギンそのもの。その日の病棟には点滴をつけたペンギンが徘徊していたのでした。
地獄の夜
気がついたときには12月4日の午前12時を回っていた。どうやら、一般病室に移されたところで気がついたようだった。それからが地獄の夜の始まり。眠いのに傷口が痛くて眠れない。そして後陣痛と呼ばれる子宮収縮(妊娠中は子宮がびよーんと伸びている状態なので出産後は子宮が元の大きさに戻ろうとしてきゅーっと縮むのです)が痛い、とどめは身動きができないためにずっと同じ体勢でベッドに寝ているので(しかも点滴を入れているので手さえ動かせない)腰が痛いという苦しみの夜。そして、30分ごとに看護婦さんが体温と血圧を測りに来るのでこれまた眠れないという地獄の夜を過ごしたのでした。ベッドサイドにある時計を見るたびに5分しか進んでいない。眠ろうと何度目をつぶっても眠れず。ようやくしらじらと部屋の中が明るくなったころ、痛みも少しはひいてきて地獄の一夜は明けて行ったのでした。
手術室の中
支度をして手術室に入ったのは午後9時45分頃。中に入って手術台に乗せられて。『あら?やっぱり帝王切開なの?』と言われて傍らに立っていた人を見ると外来の看護婦さん。そしてよくよくみると、看護婦さんは全員が外来の人。見知った顔に出会って少し安心。そして麻酔をかけて手術開始。下半身の局部麻酔なので当然、音が聞こえる。顔を左に向けると時計が見えた。午後10時。そして、とにかく上半身が震える。どうしようもなくガタガタと震えるのだ。緊張していると言うよりも、何か生理的なもので震えているようだ。リラックスしようと深呼吸したり、肩の力を抜くようにしても震えが止まらない。震えを止めることに熱中しているとお医者さんが言った。『産まれるときにお腹が押されるような感じがしますからね』と。それから少ししてから確かにぐっとお腹を2,3回押される感覚があった。そしてすぐに私の耳に『うぎー』という泣き声が。続いて、目の前に子供が差し出される。『女の子ですよ、元気ですよ』と言われた。子供の第一印象はやけに黒目がちで目が大きく、頬がこけていたので『宇宙人のグレイ』みたいだと思った。お医者さんも看護婦さんも『目がでかい、こんなにしっかり見開いている』といっていた。子供はすぐに待機していた小児科の先生に渡された。体を拭いたりして処置をしている最中も子供は『ギー』という怪しい泣き声を発し、私は心の中で『私は一体、何を産んでしまったのだろうか』とちょっと怖くなったりもした。その間、私のお腹は縫合されていたのだが、急に吐き気を催した私はそのまま睡眠薬で眠らされてしまい、一体、いつ手術室をでたのだかとんと記憶にはなかった。
決断の理由
そういえば、どうして私が12月3日に入院したかというと、大きな理由として某HPでの占いに12月3日に産まれるとなかなか運勢がよろしいとのことであった。馬鹿といわれようが、何と言われようが、なるべくなら自分の子供の運がいいほうがいいに決まっている。だから3日に入院した。そして、帝王切開に踏み切るときにも、今から手術をしたら何時に子供が生まれるかを尋ねたら10時過ぎと言われたことも要因の一つである。馬鹿でしょ?でも、本当に運の良さって言うのは自分の努力ではどうにもならないことだから。そう思っています。運は呼びよせられるとか実力でとか、わかっちゃいるけど、一番最後の神頼み。少しでもいいようにしてやりたい。それが親の願いってもんです。
分娩室へ、そして決断
着替えをして超音波の検査をし、続いて血液採取。そして分娩室に戻り、もう一度分娩監視装置を装着。そのまましばらくいる。そして、結局、陣痛促進剤を使用することに。それも即効のもの。後で人から聞いたところによると促進剤は注射のと点滴のとがあって、点滴のほうがすぐに利くらしい。しかし、ぷーの体質、点滴が入りにくい&点滴の針が長いということから看護婦さんが散々苦労し、点滴を入れた頃に旦那が到着。点滴を入れたあたりから少しづつお腹が張るようになってきた。そして突然にお腹がきゅーっと痛むようになってきた。これが陣痛なのかしら?そう思っている矢先に再び胎児に異常。やはり心拍数が落ちる。そして当直の先生に言われる。『帝王切開しますか?しませんか?』いや。本当はそんな聞き方じゃなかったけど、私には某電波少年のプロデューサーのように思えたのだ。このまま通常に産んだら死産になる可能性がある。それよりは自分が多少、傷ができても子供が元気なほうがいい。一度は普通に産みたいと返事をしたけれど、やはり思いとどまって帝王切開に踏み切る。決断の時刻は21時15分だった。
12月3日、午後の検診、急転直下、入院へ
12月3日、予定日を1週間も過ぎてしまった私は、それでもまだ42週じゃないからなどと気軽な気分で病院へ検診に。いつものとおりに検診をしてから、今回は分娩監視装置なるものをつけた。これが運命の分かれ道。この機械、どういうものかというと、胎児が動いたときに胎児の心拍数をはかり、胎児が通常分娩に耐える強さがあるかどうかを調査する機械なのである。40分ほどそれをつけてじっとしていた。その結果、ぷーのお腹の子供の様子がおかしいということがわかった。胎児が動くと心拍数がどーんと一気に下降する。そして、その下降の度合いがハンパじゃない。通常の子供は120とかから145くらいの心拍数だそうだが一気に80台までさがってしまうのである。これはおかしい。つまり通常分娩に耐えられないということだ。とりあえず予定日もかなり過ぎているので今日か明日にでも入院をといわれた。どうせだったら早いほうがいい。そして12月3日、午後4時過ぎ、入院。