雨上りの月夜に〜裏版〜

 

昨夜激しく降った雨は既に止んでいて、空には半分ほどになった月がかかっていた。アクラムとの戦いに勝利し、京を黒龍の瘴気から守りきったのは昨日の昼のこと。その戦いで持てる五行の力を使い果たしたあかねは、戦いの直後に今までの疲労も重なったのか、ぱたりと倒れてしまった。急いで左大臣邸に運ばれた後、一昼夜神子は眠り続け、ようやく体力の回復が成ったあかねが目を覚ました時には既に暦が進んでしまい、帰るにはまた次の良き日を待たねばならなくなった。ともかく神子が元気を取り戻したことはすぐに八葉全員に知らされ、こうしてみんなが集ったのである。
「神子様の支度が整いました。」
女房の声にはっとして振り向くと龍神の神子と呼ばれる少女が麗しい十二単姿でしずしずと入ってきた。慣れない装束に戸惑いながらもほんのりと頬を上気させて、その頬の色が着ている白撫子の襲の色目と似ている様は大変に愛らしい。付き添っていた友雅が神子を上座に案内すると女房達に目配せして裾をさばいてやるように指示を出す。ようやく座についたあかねは昼まで臥せっていたとは思えぬほどの元気そうな声でみんなに尋ねた。
「似合いますか?」
その場にいた皆が思わず見とれてしまうほどの愛らしさに自然とみんなの顔に笑みがこぼれる。
「よくお似合いですよ。」
真っ先にそう言ったのは鷹通だった。
「こうしていると本当に藤姫の姉妹のようですね。…大変によくお似合いですよ。」
永泉もにっこりと微笑んで言う。
「あかねちゃん、かわいい。ほんとにお姫様みたいだよ。」
詩紋も嬉しそうに言う。
「えへへへ、良かったぁ。似合わないって言われたらどうしようかってドキドキしちゃった。」
「似合うに決まっているよ。なんたって私が神子殿のために最高級品の中から見たてたのだから。」
神子の隣に座っている友雅が当たり前だと言うのを頼久は重い心地で聞いていた。そう、本当によく似合う。いつものような水干姿とはまた違い、少女らしく、いや、立派な姫君に見える。
「…久…?…頼久?」
誰かに呼ばれた声が急に耳に入り、はっとする。
「は、はいっ。」
慌てて返事をして回りを見まわすと皆がこちらを見ていた。
「どうしたのです?そんなに怖い顔をして。」
藤姫が訝しげに眉を寄せているのが目に入った。慌てて首を振ってその場を取り繕う。
「いえ、なんでもありません。…神子殿、回復なさって何よりでした。」
頼久の言葉にあかねは嬉しそうに微笑みうなづいた。その姿の華やかさは皆が誉めるようにすっかりと姫君のそれである。
「申し訳ございませんが、そろそろ警護の時間ゆえ、これにて御前失礼をさせていただきます。」
言い終わるが早いか、頼久はすっくと立ち上がると誰も止める間もなく、あかねに一礼し戸外へ出て行ってしまった。


「神子殿からのお文です。」
梅雨のぬかるんだ庭の警護中に藤姫づきの女房から手渡されたのは撫子の花が添えられた紫苑の料紙だった。明日は物忌みでもないはずだがと不審に思いながらもそのまま受けとって袂に入れ、そのまま忘れていたのだった。その日の全ての勤めが終わったのは子の刻もとっくに過ぎた頃。自分の部屋に戻り、休もうとして結い上げていた髪を解き、夜着に着替えるために上着を脱いだときその文がぽとりと床に落ちたのだ。
その文をぼんやりと眺めながら先日の出来事を思い出していた。
あれから5日がたつ。その間、一度も神子の顔を見ていなかった。いや、違う。わざと避けていたのだ。
八葉としての勤めを終えた今、既に身分は臣下と主、京を救った龍神の神子と神子の宿の家の警護というあまりにも違う身分に戻らざるをえなかった。以前のように軽軽しく神子殿の側に上がることも慎まなければならない。神子殿はもう京を歩き回り怨霊を封じていた頃の神子殿ではない。左大臣家にとって賓客なのだ。
紫苑の料紙。物忌みの度に神子殿が使われていた。私がこの色が好きだと漏らしたとき以来、全て私宛ての時にはこれを必ず使われていた。かさかさと文を開けてみると神子の慣れない文字で『今夜、来てください』とだけ認めてあった。
「馬鹿なことを…。」
口をついて出た言葉は神子殿に大してではなく、自分にであった。神子殿にお会いすることができる。それだけで息が止まりそうなほどに、心臓をきゅうっと掴まれたような、それでいて苦しくなく、むしろ心地よい気がしたのだ。そしてすぐにでも神子殿の御前に伺う気に一瞬なってしまったのだ。…しかし。自分は今更どうしようというつもりだったのだろう。もうすぐ元の世界に戻る神子殿を無事にお返しすることが神子殿の最初からの願いでもあり、八葉として残った最後の勤めではないか。
この文の意趣が分からないほど子供でもなく。かえって神子殿のひたむきな気持ちが読み取れるからこそ辛かった。
左大臣家では姫君の待遇をもって神子殿を遇している。それほどのお方なのだ。それを私の如き武士など手が届くものではない。苦労をかけさせるのが目に見えているではないか。柔らかで滑らかな手はがさがさになり、今のような姫君の着るような豪奢な着物は纏えず、飾り気のない質素なもののみで雑仕女に混じって立ち働かねばならなくなる。そんな苦労は似合わない。神子殿にそんな生活をさせることはできない。私が動かなければそれで神子殿は良い暮らしを送ることができる。元の世界に戻るでもよし、京に留まって友雅殿や鷹通殿の妻になれば先の心配などせずに済むような豪奢な生活ができるのだ。泰明殿にしても今は陰陽師という身分ではあるがあれほどの才能をもってすればもっと上の位になることだって夢ではない。沢山の式を操る泰明殿のこと、貴族にも負けない暮らしをさせることができるであろう。永泉殿も還俗なされば皇子なのだ。今のような身の回りのことは何もしなくとも良い生活を神子殿に送らせることができるのだ。
臥所に横たわると背筋がひんやりと冷える。
ただ目を閉じて時間の行くのを待っていれば良いのだ…そのうちにきっとこんな思いも忘れる日がくるのだろう。あの神子殿の朗らかな笑顔も、優しい心も、可愛らしい声も、みんなみんな。出会ってから3ヶ月で強烈に焼き付いた神子殿の仕草や表情は脳裏に浮かべるだけでまだ甘い痛みを伴っているけれど。
気づくと涙が一筋こぼれていた。袖で乱暴に擦るとゆっくりと体を起こし深い溜息をひとつついて頭を抱えた。
忘れられるはずなどない。この思いをなくすぐらいなら、死んでしまったほうがマシだった。神子殿で一杯になった私は、もう既に壊れて、何の役にも立たない。それほどの強い思いをどうやって消せば言いのだろう。それを消してしまったら、もう私は存在できないかもしれないのに。

カタリ。
不意に物音がした。ほとんど条件反射のように脇に置いてあった太刀を掴んでそっと音を立てないように戸口へ寄る。外の気配を伺っていると小さな声がした。
「あかねです…。」
その声に驚き頼久は戸を大きく開けた。そこには薄い夜着にふわりと上衣を羽織ったあかねがほっとしたような表情で立っていた。
「神子殿…。」
驚いた顔の頼久にあかねはふわりと微笑むとおずおずと尋ねる。
「あの…。入ってもいいですか?」
「え?あ、はい。」
頼久は慌てて戸口から退いた。あかねは『お邪魔します』と断ってから中に入ると初めて訪れる頼久の部屋をくるりと見まわしてからちょこんと頼久の前に座った。
「神子殿、そのままでは痛いでしょう?お待ち下さい、何か敷物を…。」
「かまわないですからここに座ってください。」
あかねがぴしりと言うのに頼久は気おされて思わず指であかねが指し示した場所に座り込んだ。
「お手紙は届いてましたよね?」
臥所の傍らにあった紫苑の料紙をちらりと見ると低い声で言う。
「どうして来てくれなかったんですか?」
「それは…。」
言いよどむ頼久にさらにあかねが続ける。
「私は子供っぽいから、だからなんですか?」
「そんなことはありません。」
慌てて頼久が首を振って否定する。
「私のこと、キライになったんですか?」
「いいえ!」
「じゃあどうして!」
頼久は返答できずに悲しげに顔を背けた。神子殿がお怒りになっているのは当たり前なのだ。自分が裏切るような真似をしているのだから。このままこうして神子殿に嫌われてしまえば全てがうまくいく。自分の命よりも大事な人を貶める事などできないから。
そう思っていたが、どんっと自分の体に何か当った衝撃に驚いてはっと胸元に視線を戻すと神子が自分に抱きついていた。
「み、神子殿?」
おやめくださいと言葉を発しようとした唇を柔らかなあかねの唇が塞ぐ。暖かくて、甘くて、柔らかな感触に頼久は陶然としていた。女性の唇に触れるなどということは初めての経験で、今まで口にしたどのような果実よりも甘く、そして柔らかだった。長いキスをしながらあかねは徐々に頼久に体重をかけていき、ついにはその逞しい上体を床に押し付けられていた。あかねは頼久の下肢に馬乗りになるようにまたがり、上体はすっかりと頼久に預けている。その頃にはあかねの舌先が頼久の口内に入り込み、誘うようにくちゅくちゅと彼に絡み付く。頼久はそんな行為は初めてだったし、それが自分が愛して止まないあかねから受けているとあれば男ならば拒否できるはずもなかった。いや、それどころか抑えようとしても頼久の欲情は煽られていく一方である。恋愛に疎く、ましてや十五で兄を失って以来、剣の道一筋にきた頼久が女を知っているわけはなく、かといってどう扱えばいいのか知らないわけでもなく、ただ相手が相手なのと今後の事を考えると先の一歩を踏み出して良いものか彼は躊躇していた。
あかねは自分の下で次第に熱を帯び、硬度を増してくるものの存在を感じていた。どうしたらいいかなんて全然分からない。そんなこと今までしたことなんかない。でも、保健体育では習ったし、それに眠れないときにこっそりと見た深夜番組や、偶然買ったマンガや、みんなできゃーきゃーいいながら興味本位でみたそういう本で得た知識はある。それを総動員して頼久の篭絡に努めていた。そして頼久のものが段々と熱くなり、最初はわからなかったのが次第にあかねの肌に食い込むほどになってきているのを感じながらとりあえず自分の方法に成果が現れ始めたのを知ってほっとしていた。でも、これだけではだめなのだ。
あかねは口付けを交わしたまま手探りで頼久の帯の結び目を探す。それは思いのほか早く見つかり、また端をくいっと引くとするりと簡単に解ける。あかねは唇を離すと長い口付けで息のあがっている頼久の下肢のほうへ移動する。
「神子殿、何を…?」
問いかけた瞬間に頼久の体に快感が走りぬける。軽く頭を起こして見るとあかねは頼久の夜着のあわせをはだけさせ屹立したものを小さな手でそっと握ったところだった。
「いけません、神子殿っ!」
頼久の制止の言葉も無視してあかねは互いの唾液に濡れて光る桃色の唇を頼久のものに近づけて行く。慌てて起き上がって止めようとしたが遅かった。最初ためらっていたようだったあかねは意を決して頼久を自らの口中に含んだのだった。
「うっ…。」
甘い痺れが頼久の体中を支配する。起こしかけた上体はまた床に臥し、絶え間なく襲ってくる快感に頼久の四肢は突っ張るように力が入っていた。最初は先端のほうで様子を見るように留まっていた舌先もだんだんと動く幅を大きくしてくる。その度に頼久はうめき、それにつれて怒張し、破裂せんばかりになってくる。普段のきりりとした美貌を歪めながら必死に耐える表情はさらに綺麗で、普段結い上げている髪を下ろしてあるのとあいまって見惚れてしまうほどだ。人間、どんなに体を鍛えても粘膜までは鍛えられない。しかも友雅のように百戦練磨のものならばいざ知らず、頼久は清童でそう言った刺激には滅法弱く、なれていなかった。
「神子殿っ…。」
あかねは切羽詰った頼久の声に彼の限界の近い事を悟り唇を離す。慣れない快感に肩で息をしている頼久は神子を省みることもできなかった。先端からはとろとろと透明な雫がこぼれ落ちている。あかねは自分の着けている夜着を素早く脱いで全裸になると一瞬ためらったが、それを打ち消すように首を振ると勇気を振り絞って横たわる頼久の精悍な体の上にまたがった。
腹につくほどに立ち上がった頼久のものを引き起こすとそのまま自分の秘所の入り口にそっとあてがう。ぬるりとした感覚は頼久のこぼしている雫のせいなのか、それともあかねの知らぬ間に潤っていたあかねの蜜のせいなのかはわからない。
「おやめください、そんなことをしてはっ…。」
頼久の声が合図のように、あかねは一気に自分の腰を頼久の体に沈めた。悲鳴を上げそうなほどの鈍痛があかねを襲う。
「…っく…。」
泣きそうになりながらも必死に唇をかみ締めてその痛みを堪える。頼久の引き締まった体の上であかねは身動きもできずに、ただただその痛みが少しでも弱まるのを待っていた。
「神子殿…。」
泣き出しそうなあかねに頼久が手を差し伸べてあかねの上体を抱き取った。
「神子殿…後悔しませんか?」
頼久の声は意外なほど優しかった。こんなことをしてしまった以上、頼久に嫌われるのは覚悟の上だったのに、あかねの髪を愛しそうに撫でながら囁いた。
「絶対にしないもん。」
「神子殿はこうすることで贅沢な生活を捨てておしまいになった。」
あかねがこくりとうなづいた。
「それでも頼久さんの側にいたいの!頼久さんの隣にいたいの!」
頼久はくすっと笑うときゅっとあかねの体を抱きしめる。
「だから、こうしたの。」
「嬉しいですよ。」
頼久は上体を起こしてあかねを腹の上にのせたまま胡座をかいてすわった。
「頼久さん…責任とってお嫁さんにしてくださいますか?」
あかねの可愛らしい言葉に頼久は頬にちゅっとキスをして答える。
「それよりも、私をこんなにした責任を神子殿に一生かけてとってもらいますよ?」
そう言うが早いかゆっくりと律動を開始した。
「んんっ…。」
まだ異物感に慣れないでいるあかねが大きく後ろにのけぞった。頼久は片手であかねの胸の先端を嬲るとひくひくっと引きつるあかねを見ながら満足げに微笑む。
「神子殿、あなたの中は熱くてうねっているのですね…?」
一度は落ちつきを取り戻した頼久のものはまた膨れ上がり、狭いあかねの中でいやというほどにその壁をこすりあげている。あかねの中の襞が絡み付き、頼久のものの動きを邪魔するようにうねり頼久にこれ以上ないほどの快感を与えている。最初はゆっくりとした動きだった頼久もそれにはたまらずに自然に己の動きも速くなってくる。
「い、やぁっ…っんんっ。」
あかねの腰を両手で持ち、上げては強く引き下ろす。あかねはつま先まで引きつらせて痛みが浮揚感をともなった他の感覚に変わっていくのを体の中で感じていた。
「あんっっ…も、だめっ…。」
あかねは両腕を頼久の首に回してしがみついた。それとほとんど同時にあかねの体はびくびくと大きく震える。
「神子殿っ…。」
あかねの痙攣と同時に頼久のものを受け入れているところも強く収縮した。堪えきれずに頼久は己の精をあかねの最奥にむかってどくどくと吐き出した.


「頼久さんの髪、綺麗ね。」
臥所で裸のまま二人は抱き合っていた。互いの肌から離れがたく、身を拭ってもそのまま夜着はつけないでいた。互いの肌のぬくもりが心地よい。
「そうですか?」
「いつも結い上げているときにそんなにさらさらしているように見えなかったのにね。」
「実は、あまり髪を結い上げるのは得意ではないのです。」
「え?そうなの?」
「はい。ですから、いつもあのようにばさばさに…。」
「じゃあ、どうしてこんなに伸ばしているの?」
「兄がなくなったときからほとんどそのままにしておりますので…。」
「ふーん。じゃあ、私が頼久さんの奥さんになったら私が毎朝結い上げますね?」
「本当ですか?」
「ええ。」
「では、なるべく早く結い上げていただけるようにしましょう。」
頼久はそう言ってあかねにキスをする。幸せな恋人達をいつのまにか顔を出した月が優しく照らし出していた。



END

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