災難

 

3月の終わり。劉と蓬莱寺、村雨はそれぞれ日本を離れることになった。
中国へ渡る劉と京一、アメリカに渡る村雨は出発日を同日にした。3人とも空港で互いを見送るつもりだったらしい。そして日本残留組もせめて空港まで見送りに行こうと提案したのは龍麻である。
蓬莱寺も村雨もマージャン仲間で、うちに集まっては壬生と4人で卓を囲んでいた。その遊び仲間のうち2人も失うことは大変に残念だったが、彼らが選んだ道なので仕方がない。
見送りに行くのに、龍麻と壬生とうちで待ち合わせることにしたのだった。
「少し早かったですか?」
バイクでうちまで来た壬生は庭にバイクを止めるとヘルメットを脱ぎながら腕時計を見る。
「ああ、そうだね。まぁ、あがってお茶でものむといい。」
如月は壬生の専用湯飲みに茶をいれてやる。龍麻ではないので、この場合は200グラム600円の普通の家庭用の煎茶である。
「それにしても。今度からは誰をマージャン仲間にしますかねぇ?」
壬生がお茶をすすりながら横で招き猫を磨いている如月に問い掛ける。
「一人は雨紋でいいとして…もう一人だな。」
「多少、頭の回る奴じゃないと面白くはないですね。」
「そうだな…。」
如月は頭の中で仲間のメンツを考えてみる。
壬生も如月も暗黙の了解として、龍麻はメンバーに考えていない。弱いわけでもなく、強すぎるわけでもなく、メンバーとしては最適なのだが、龍麻が負けないように気を使いすぎてしまい、結局自分たちの儲けにもならないからであった。
「醍醐…はだめだな。紫暮は?」
「彼はマージャンより道場で稽古のほうが数段好きだそうですよ。」
紫暮と親交のある壬生が答える。
「アランは問題外。コスモの二人は…うるさそうだな。」
「御門さんなんか、本当は適任なんですがね。」
「ああ。しかし、彼はだめだろうな。」
御門は村雨がいなくなる今、秋月の守護に忙しくなる。
「とすると、残りは。」
「霧島くんだね。」
「ああ。彼なら、蓬莱寺の代役とでも言えば喜んで参加しそうだ。」
にんまりと壬生と如月が笑うと店の戸ががらりと開いた。
「よぉ。」
龍麻かと思いきや、入ってきたのは以外にも蓬莱寺と村雨の二人だった。
「どうしたんだ?今日、出発だろう?」
「いや、出発前に一応アイテムを少し持っていこうと思ってな。それと、おまえたちに挨拶もしていこうと思ったんだ。」
「僕たちも空港まで見送りに行くつもりだったんだよ。…行き違いにならなくて良かったな。」
如月はそう言って店に下りていく。蓬莱寺も村雨も並べてあるアイテムから必要なものを手にしていく。
「少しはまけろよ。」
「あいにくこちらも商売だからね。」
「ちぇっ…おまえの辞書には餞別って言葉はないのかよ。」
「人によりだね。」
しれっとして言う如月に村雨も蓬莱寺も渋い顔をする。
「まだ時間はあるのだろう?少し上がっていかないか?」
「ああ、そうさせてもらおうか。」
「如月の茶も、しばらくは飲めないからなぁ。」
そんな3人のやり取りを聞きながら壬生は笑っていた。もう、こんな会話もしばらくは聞けなくなる。
「なんだ、壬生。頭が随分ぺったりしてるな。はげる前兆か?」
村雨の言葉にぴくりと壬生が反応する。
「失礼な。ここまでバイクで来たからだ。…如月さん、洗面所を借りますよ。」
憮然とした表情で壬生が洗面所に消えていく。
「ダメだって、壬生にハゲは禁物だろ?」
蓬莱寺は爆笑しながら村雨をこづいた。
「いや、今日出発だから、もう月のない晩には気をつけなくってすむかなぁと。」
言った村雨も笑っている。
「全く、出る間際くらい、あとくされを残さないで欲しいものだね。」
如月は苦笑して二人にお茶を勧めた。
「もう、しばらく日本茶は飲めないだろうから、とっておきの玉露にしたよ。」
これは本当は龍麻用だけどね、と心の中で呟いた。
「如月さん…!!」
後ろからなにやら怒気を含んだ壬生の声が聞こえる。ああ、さっき彼には家庭用煎茶をだしたのだっけ。
「ああ、すまない、君のお茶も入れ替えよう。」
「お茶なんかどうでもいいんです…!!それより、これはなんです!?」
壬生が手にしていたものは。
それは、かわいらしい、スヌーピーの絵柄の歯ブラシである。
途端に如月の顔が凍りついた。しまった…。
v 「この間はありませんでしたよね?しかも、こんなかわいい柄、まさかあなたが使うのではありませんよね!?」
じりっと歯ブラシを手にしたまま壬生が詰め寄る。
「そ、それは…。」
「この家に来る人で、あなたが歯ブラシを置くのを許可する人となれば龍麻しかない。しかし、今まで置いていなかったものを、今更置くと言うことは…。」
そこで壬生は再びじりっと如月に詰め寄る。
「龍麻をここに泊めましたね?」
普段、冷静で、動揺などせず、ひたすら祖父の教えどおり無の境地にいられる如月だが、ことが龍麻関係となるとバカじゃないかというほど動揺しまくる。とっさに嘘が出ないでぱくぱくと、金魚のように口を動かしているだけだった。
「如月さん、あなた、まさか…。」
壬生の問いかけに如月の顔が一瞬にして紅く染まった。それで全て白状したも同然である。
「あなたは、見送りを口実に、今日も龍麻を泊めようとしていますね?」
「なにぃ!?」
「ほんとかっ!?」
「証拠に、こんなものがありましたよ。」
ぴらりと壬生が出したのは、近所のスーパーのレシートだった。日付は今日。
「うどん玉2こ。イチゴ1パック、練乳チューブ1つ。…」
今度は如月の耳まで赤くなる。こんなもの、一体、壬生はどこから探してきたのだろう。その犬のような嗅覚に感心してしまう。
「あなたが一人でうどん2玉も食べるとはおもえませんが?」
「けっ…手の早い亀だぜ。」
村雨がいまいましげに舌打ちをする。
「これは、今日は悪戯ができないようにこらしめないとだな。」
ふふふふと蓬莱寺も低く笑う。
「ま、待て!それは、その…うわーっ…。」
大の男3人がいっせいに如月に飛び掛った。
「村雨、手ぇ、抑えろ、手!」
「壬生、脚を頼む!」
いくら忍者の末裔だろうが、なんだろうが3対1では話にならない。しかも、3人が3人とも自分よりも体格も良く、体重も重い。いくら抵抗しようと、あっさりと如月は畳の上にその身を縫いとめられてしまった。
「よせっ、はなせっ!」
「おイタな亀ちゃんには、お仕置きよん♪」
蓬莱寺はにんまり笑うと、帳場にある油性のマジックを取ってきた。そして如月のズボンのベルトに手を掛けてはずすとさっとズボンを下ろしてしまった。
「なるほどね。」
悪戯の意趣がわかった村雨も壬生もくすくすと笑っている。
「うわっ、やめっ、やめろっ!」
如月が一人でもがこうとするが、自分よりもでかい男二人に手や足を押さえ込まれているのだ。動けるはずもない。
「ふふふふ。」
蓬莱寺の忍び笑いに如月の背筋がぞっとする。次の瞬間、如月の下着は蓬莱寺によってずり落とされていた。
「お、結構立派なもん、もってるじゃねぇか。」
村雨がにやにやしながら如月の顔を覗き込んだ。如月は目に涙まで浮かべて抵抗をしている。蓬莱寺は楽しそうにマジックのキャップをきゅぽんと取ると如月の分身に悪戯書きを始めた。
最後の!マークを書いているときであった。店の戸がからりと開いた。
「ごめんね、遅くなっちゃって。」
かわいらしく謝りながら入ってきたのは他でもない、龍麻だった。
「お餞別、どうしようかって思って…。」
そう言いながら店の続きの部屋を見ると、そこには、最愛の人、如月翡翠が寝ていて、その腕を村雨が押さえ込み、足元にうずくまるようにして自由を奪っているのは紅葉。そして、こともあろうか、如月の下肢は剥き出しになっていて、そこにうずくまっているのは自分が頼りにしてきた相棒、蓬莱寺であった。
「な、に…?」
一瞬、店の中にいる全てのものが固まった。龍麻も、如月も、村雨も、壬生も、そして蓬莱寺も。
「きゃぁぁぁぁぁっ…。」
一番先に現実に戻ったのは龍麻であった。絶叫し、そのまま脱兎の如く店から出て行ってしまった。
その龍麻の叫びに次に我に返ったのは壬生である。
「龍麻っ!」
慌てて起き上がって、龍麻の後を追うべく店の外に駆け出していく。
「やべぇ…。」
「まずいな…。」
村雨と蓬莱寺の二人は顔を見合わせてため息をついた。
そして。
硬直したまま現実に戻れないのが一人。下半身を剥き出しにされ、自分の大事なものにいたずら書きまでされ、最悪な場面を自分の何よりも大事な、最愛の彼女に見られてしまった彼である。そのまま、呆然と、目の焦点があわないまま畳の上に転がっていた。


「みつからなかった…。」
そう言って壬生が戻ってきたのは30分後のことだった。
「ひーちゃん、脚、早いからなぁ。」
「やべぇな。」
3人でため息をつく。
柱時計はぼーんぼーんと4時を告げた。
「とにかく、僕が誤解を解いておくよ。二人とも、そろそろ空港に向かわなければだろう?」
「あ、ああ、でもよぉ…。」
「このまま、先生とおさらばも…。」
「こうなった以上、すぐには誤解はとけないと思うよ?それとも出発日を延期するかい?」
壬生の言葉にうーんと二人が考え込む。
「ともかく、気になるのだったら向こうから龍麻に手紙でも電話でもよこすといい。」
「ああ…そうだな。」
そう言って、二人は縁側で呆けている男に視線を移す。背は絶望に丸まり、うなだれて、目は虚空をさまよっている。
「大丈夫か、あれ?」
「ある意味、ひーちゃんよりも心配だな。」
「それも僕がなんとかします。」
「悪いな、壬生。」
「いえ…もとはといえば、僕が余計なことを言わなければよかったんですから。」
壬生がため息混じりに言った。
「向こうから、必ず連絡するからよ。」
「すまないな。」
「いえ。お二人とも、気をつけていってらっしゃい。」
「ああ。またな。」
「また、会おう。」
「劉にも、よろしく。」
「ああ。」
そうして蓬莱寺と村雨は如月骨董品店を後にした。壬生はとりあえず店を閉めると縁側に座っている腑抜けになっている店主の側に寄った。
「もう一度、龍麻を探してきます。」
「無駄だよ。」
ようやく如月が言葉を発した。
「もう、終わりだ。」
如月はひどく冷淡に言う。
「でも…。」
「すまないが、一人にしてくれないか。」
壬生に有無を言わせずに、低い声で呟いた。
「当分、僕の前に姿を見せないで欲しい。」
怒っているわけでもない、泣いているわけでもない、何も感情のこもっていない口調で彼はそれだけ言った。
「わかりました。…本当にすみませんでした。」
これ以上は、どんなに何を言っても無駄だと悟った壬生は深深と、土下座でもするように畳に額をつけて如月に謝るとヘルメットを持って庭先のバイクのところまで出て行った。
「すみませんでした。」
もう一度如月に向けて頭を下げると壬生は如月の家の庭から出て行った。


それから何時間そうしていたのかわからない。
いまにも降り出しそうな曇天が少しづつ濃灰に変化していく。そのまま薄闇が忍んで、そしてあたりは暗くなった。
何も考えられない。どうしていいかわからない。何をすべきなのかもわからない。なによりも、気力がでない。
このままいっそ、死ぬのもいいな。
如月はちらりと考える。
男としての誇りを失ったんだ。このまま死んでしまうのもいいかもしれない。
男として最低な姿を、男として一番認めてもらいたい人に見られたのだから。
そう思っていたときだった。まばゆい気がふわりと側に来た。
「まさか…。」
如月の全身がこわばる。
会いたい。…けれど会いたくない。相反する感情が心の中でせめぎあう。
「だめだっ…。」
会いたくないが少しだけ勝ってて。でも、それは動きを俊敏にするほど強くなくて、如月はのろのろと縁側から自室にひきあげようと動き出した。会いたいけれど、どんな顔をすればいいのかわからない。嫌われるのは嫌だ。
それでも龍麻の気はどんどんと近づいてきて、そして店の戸がからりと開いた。
「翡翠?」
返事ができない。息が詰まって、逃げてしまいたいのに、でも、声が聞けるだけで嬉しくって、その場から動けなくなる。
龍麻はただ戸が閉めてあるだけの状態の店をきちんと閉店させてから部屋の方に上がってきた。そこにはなんとも情けない顔の翡翠が呆然としたまま座り込んでいる。
「翡翠?」
呼びかけても返事が返らない。ただ、何かを言いたそうに、龍麻の目を必死で見ているだけだった。
「空港で、しーちゃんも京一も、殺してきた。もちろん、草人形を装備させてからだから殺人罪にはならないよ。」
龍麻の言葉に翡翠の目が動く。
「紅葉には一番キツイお仕置きをしたよ。私がいいと言うまで決して私の前に現れるなって。」
そう言ってから龍麻は持ってきた白のビニール袋からなにやら取り出した。
「ごはん、食べよ?お腹すいちゃったよ。もう10時だもん。」
龍麻に言われて初めて翡翠は10時であることを知った。
「口に合わないかもしれないけどね。そこのラーメン屋でチャーハンと餃子、買ってきたから。」
翡翠の前にチャーハンの入った容器を置いた。しかし、それを食べようともせず、しばらくの間、ずっと座って身動きもしないでいた。
「僕は…。」
翡翠がようやく口を開く。龍麻は黙って言葉を待った。
「最悪の…ところを…見られちゃったね。」
少し笑っているようだった。それが返って痛々しい。龍麻はゆっくりと首を横に振る。
「いや…いいんだ。…こんな情けない男なんだよ、僕は。」
俯いたままで彼は寂しそうに言った。
「そんなことない!…いっつも、私を守ってくれてたじゃない。」
「男3人、やり返せなかったんだ…。」
「だって、それは…あの3人だもの。それに…ずっと、私を守ってくれるって言ったのに。」
翡翠は俯いたままで自嘲気味に笑っていた。
「君を守るのは、壬生にでも頼むといい。彼のほうが僕よりも力がある…。」
俯いたままだった彼にはその言葉を聞いた龍麻がどんな顔をしたのか見えなかった。絶望に顔をゆがめ、泣きそうになりながら、それでも決して泣くまいと必死で唇をかみ締めていた。
「そ…う。翡翠が、そう言うのなら。」
すっと、龍麻が立った気配がした。龍麻が靴を履いているようだ。
「ごめんね、ですぎた真似しちゃったね。」
龍麻はふっとため息をつく。
「…2週間だけだったけど、すごく嬉しかった。18年間生きてきた中で、一番幸せだったの。…ありがとね、翡翠。」
柔らかな、優しい口調でそう言うと、龍麻は店先の方に歩いていき、そして店から外へ出て行った。遠ざかっていく龍麻の気はゆらゆらと不安定で、消えてしまいそうなほどだった。
ふと顔を上げるとテーブルの上には龍麻が買って来たチャーハンや餃子が置かれていて、少し離れたところに龍麻の歯ブラシが落ちていた。翡翠はゆっくりと手を伸ばして歯ブラシをとる。
「これ、ここに置いていいよ。」
初めて龍麻が泊まったとき、洗面所で歯磨きをする龍麻にそう言ったのだった。
「え?ほんとに?」
「ああ。」
あの時、龍麻は恥ずかしそうに笑って、歯ブラシを入れているコップにそっと入れた。そして、ずっと嬉しそうに2本入っている歯ブラシのカップを眺めてて、その顔が可愛くて。その顔を見ているだけで僕も嬉しくて、幸せで。龍麻がいないときでも、2本の歯ブラシが一人じゃないって言ってくれているようで、それを見ると嬉しくて、幸せで胸が一杯になった。
龍麻が僕を呼ぶ声は、耳の中に残ってて、思い出すだけでほんわりといい気持ちになる。
一緒に歩くときは、嬉しそうに、でも一緒に並ばないで必ず1歩遅れる。僕の背中を見てると一緒にいるんだなぁって実感が湧くって、そう言ったのが、とても愛しくて、僕は泣きたくなるほどに幸せで、なんて返事をしたらいいかわからなかった。
龍麻と一緒にいて幸せだったのは僕のほうだ。嬉しかったのは僕のほうだ。
龍麻とずっと一緒にいたいのは僕なんだ。龍麻を守りたいのは僕なんだ。
そう思ったときには僕はもう店の外に出ていた。
とうとう降り出した雨にもかまわずに、龍麻の帰路を辿って走っていく。まだそう遠くには行っていまい。春とはいえまだ冷たい雨は体にまとわりつくようにしとしとと降っている。
龍麻の気を探してどのくらい走っただろうか。すでに全身ぬれねずみになり、ぽたぽたと髪から雫が落ちてくる。見失ってしまったか。そう思いかけたとき、ゆらりと前方に白い人影が見えた。ひどく不安定な気だけど、龍麻に違いない。それはふらり、ふらりと、まるで幽霊のように歩いていく。慌てて走っていくと、びくりと怯えるように肩を震わせた。
「龍麻。」
返事はなかった。けれども、立ち止まってくれる。
「ごめん…。」
すると、龍麻は振り返ってにっこりと微笑んだ。
「風邪ひくよ?翡翠?」
なんでもなかったような顔で、明るい声で言う。
「龍麻…?」
「見送りはいらないよ。」
いつものような明るい笑顔で彼女は言った。肩まで伸びた黒髪に雨を滴らせながら、笑ってはいるけれど、その笑顔に生気がない。
「…この2週間、幸せだったのは僕だよ。隣に龍麻がいてくれたから、幸せで、幸せで、こんな想いをしたのは初めてだった。」
龍麻がじっと黙って立っている。
「情けないけど、君を守りたい。僕は、こんなに情けないけど、君のことをとても愛してて、ほんとは今でも、一生、龍麻を守りたいって思ってる。」
一気に言ってしまって、はぁっと息をつく。うまく言葉が出てこない。
「だから…もし、龍麻がいいと言うなら、僕は一生涯龍麻を守る、いや、守らせてくれっ!」
そうして、言うだけ言ってしまったら断罪の言葉でも待つように、翡翠は頭をたれていた。
「ほんとに、いいの?」
小さな龍麻の呟きが聞こえる。
「翡翠の側にいてもいいの…?」
はっとして翡翠が顔を上げると、龍麻は目に大粒の涙をためてきいていた。こくりと翡翠がうなづくとわっと泣きながら翡翠に飛びついてきた。
「も、もうダメだって、思った。」
大泣きの龍麻を抱きしめると、体が随分と冷えている。
「さ、うちに戻ろう。」
翡翠は、そのまま龍麻を抱えて自宅に戻った。


自宅に戻った二人はぐっしょりと濡れており、もはやバスタオルで拭くどころの騒ぎではなかった。慌てて風呂を沸かし直し、どっちが先に入るかでさんざん譲りまくった挙句、結局は二人で仲良く湯船につかっている。
「あったまった?」
翡翠の質問にこくりと龍麻がうなづいた。
「寒かったからね。」
「そういう翡翠は?」
「うん、僕も大丈夫だ。」
「それよりさ、翡翠。」
「なに?」
「いたずら書き、なんて書かれたの?」
そう言いながら龍麻の目線が興味津々と言った顔で下がっていく。お湯の中で、ゆらゆらと水面が揺れてよく読み取れないが、漢字がかかれていて、しかも、先端の方にはなんだかぽつりと黒い丸が2つ、かかれている。
「わっ、み、見なくていいって!」
翡翠が慌てて隠そうとするが、龍麻はじーっと翡翠を見つめる。
「や。隠さないで。お願い。」
ちゅっとほっぺにキスをされた上、少し首を傾げて上目遣いに見る『必殺お願い攻撃』までされては翡翠も嫌とはいいきれなくなる。まぁ、いいか。少し、慣れてもらったほうが後々のためでもあるし。そういう邪な考えをもちながら隠している手をどけると、自分の体は素直なもので、たちまちのうちに邪な考えは分身に乗り移り、むくむくと立ち上がってくる。
「あっ…。」
分身の変化と共に、文字も大きくなって、読み取れるようになった。そこには。
「四神覚醒、玄武変!!!」
と書いてあり、先端に見えた2つの黒い点は、見開かれた玄武の目であったことが判明。
「ぶっ…(爆笑)」
「蓬莱寺、いつか殺す!!!」
その頃、蓬莱寺京一がくしゃみをしていたとか、していなかったとか。



END

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