はっはっはっ・・・・
晴れ渡った青空の下、私は上野駅から必死に走っていました。
今日、帝国華檄団に配属される大神一郎少尉の待つ上野公園へと・・・
ちらりと時計を見ると、既に待ち合わせの時間を数分過ぎていました。
はっはっはっ・・・・
私は桜見物でにぎわう公園の人込みの中を必死に掻い潜って走りました。
待ち合わせの場所の高台へと上る階段を駆け上がっている時、ふと上を見上げると青空を舞う桜の花が太陽に照らされて光っていました。
それは桃色の小人が空を舞っているように見えました。
ドン!
”うわぁぁぁぁ、ご、ごめんなさい!!”
私はぶつかってしまった人に頭を下げると、自分の頭を軽く叩きながらまた前を見て走り始めました。
はっ・・・はぁ・・・・
待ち合わせの場所に着いた私は息を整えると周囲を見渡しました。
待ち合わせの場所。
それは私が初めてここに来た時と同じ場所でした。
桃色の屋根が頭上に広がり、眼下には帝都・東京の街並みが広がっていました。
はぁ・・・はっ!
あの人だ!
私は白い軍服を着た人を見つけました。
あの人が、大神一郎少尉だわ・・・・
ドキドキと高鳴る胸を押さえつつ近寄ろうとすると・・・・
”えっ? マリアさん?”
私より先に大神さんの横に立ったのはマリアさんでした。
”どうして・・・・マリアさんがここに?”
そう考える私をよそに、マリアさんは大神さんと連れ立って歩いていってしまいました
”ちょ・・ちょっと・・・マリアさん、大神さん!!”
呼びかける私の声が聞こえないのか、二人は公園を出ていってしまいました
”な・・・・これは・・・・どういうこと・・・なの?”
放心状態の私の肩を誰かが叩きました。
慌てて振り返るとそこには・・・・
”お父様・・・・”
軍服を着た父・真宮寺一馬がそこに立っていました。
父はにこりと微笑むと私に言いました。
「さくら・・・桜の花のように・・・な・・・・」
そう告げるとお父様は私に背を向けて歩いて行こうとしました。
”ま、待って・・お父様!! お父様〜!!”
叫びながら父の肩に向かって伸ばした私の手は・・・・
ドターン!
「痛ったたたたた」
さっきのが夢だと気付くのに十分な衝撃を受けた腰を摩りながら周囲を見渡すと、そこは私は自分の部屋の床の上でした。
自分の横には倒れた椅子と一冊のアルバムが落ちていました。
私はやっと状況を把握しました。
机に顔を伏せて寝ていて、夢と同じように手を伸ばしてバランスを崩して転んだ・・・・のでしょう。
「さくら〜、大丈夫?」
その声に腰を摩りながら入口の方を振り向くと、アイリスが半開きのドアからヒョコっと顔を出していました。
その顔は少し寂しそうな、不安そうな顔をしていました。
「ええ、大丈夫よ」
私は心配させまいと微笑みました。
「そう・・・・うん! さくらなら大丈夫だよね。だってさくらいつもそんなドジしても大丈夫だもんね」
「ちょっと、アイリス。それどういう事?」
「キャハハハハハ、そういう事だよー!」
膨れっ面の私に”ベー”と舌を出すとアイリスは笑いながら私の部屋から逃げて行きました。
「もう・・・アイリスったら・・・」
廊下を走り去るアイリスを見送ると、私はドアを閉める代わりに窓を全開にし、そこから頭を出しました。
すると、サァーと私の頬を桜の匂いを連れた春の穏やかな風が撫でて行きました。
その時、私は気が付きました。
自分の頬が涙で濡れていた事に・・・・
そして、
「そう・・・・うん! さくらなら大丈夫だよね・・・・」
そう言った時にアイリスがあんな顔をした訳に・・・・
ふと気が付くと、机とアルバムに水で濡れた跡がありました・・・
私は着物の裾で涙を拭いました。
〜 SS 後日談「さくら・・・桜のように・・・」 〜
はらり はらり・・・
と青空を舞う花びらは夢の中で見たのと同じように可愛く、美しく、しかし、儚く、悲しく見えました。
満開の桜達が立並ぶ上野公園。
夢を見たその日の昼、私達は・・・・
「ああっ! それは私の卵焼きですわよ、カンナさん!」
「へ? そんな事、決めてあったのか?」
「決めてあろうと無かろうと、私の前においてあったじゃありませんの! これだから野蛮な人は困りますわ!」
「あんだと? だーれが野蛮人だって?」
「あら・・・自分の事だと気が付かないんですの?」
「てめぇ! 今までの決着付けてやらぁ!!」
「望む所ですわ!!」
どこへ行っても元気な人達です・・・・・はぁ・・・
私は思わず溜息を付いてしまいました。
「ああ・・・まーた始めちゃったよぉ・・・・」
アイリスは溜息を付きながらもカンナさんの皿に乗っている問題の卵焼きを食べていました。
なかなかいい度胸をした子だなと今更ながら思いました・・・・
「まぁ、こういう時は他人の振りをするのがエエとうちは思うけどなぁ」
「そうだね・・・ほっておこう・・・」
「賛成ですね。こんな人達と一緒だなんて思われたくないですからね」
と、三人は皆で作った料理をつつきながら静観する事に決めたみたいです。
「もう、二人とも止めなさいったら!!」
「そうだ。他の人の迷惑になるじゃないか!」
対照的にマリアさんと大神さんはそう言いながら必死に二人を引き離そうとしています。
「おうおう、頑張れよ〜!」
「支配人・・・もうちょっと他の言葉は無いんですか?」
日本酒の空瓶を頭上で振りながらそう言った支配人にかえでさんは苦笑いを浮かべていました。
私は大きく溜息を付くと席を立ちました。
「あれ? さくら、どこ行くの?」
アイリスが箸咥えながら、少し心配そうに尋ねました。
「ちょっと・・・ね」
「ああ、さくらさん。厠ですか?」
能天気にそう言った加山さんに、私は手近いにあった重箱を投げつけてしまいました。
「あ・・・・あの・・・何か変な事を言ったかな?」
変形した顔に蒲鉾をのせてそう言った加山さんに、アイリス達は溜息を付いていました・・・
私は行く当ても無く公園の中を歩いていました。
ただ、何となくあの場に居辛かったから・・・・。
大神さんとマリアさんが協力してカンナさんとすみれさんを引き離しているのを見ているのが・・・
私は今日何度目かになる溜息を付きました。
”大神さんとマリアさんが結婚する・・・・”
頭では納得したつもりでも、未だ・・・・未練が無いと言えば嘘になります。
だから、未だに大神さんとマリアさんの前で笑えません・・・
”さくらは大丈夫です”と笑いたいのに・・・・笑えません・・・
私は大神さんの事が好きです・・・・・今でも・・・
数年前のここで初めて会った時から・・・・ずっと・・・・
雷に脅えた私を抱きしめてくれたあの日・・・
私の目の前で大神さんが魔神器を壊したあの日・・・
勝利のポーズを一緒に構えたあの日・・・
それらが頭に浮かび上がる度に胸を締め付けられるような痛みを感じました。
何故? もうそんな事考えては駄目だからなの?
大神さんにはもう・・・届かない・・から
それとも・・・・・
ふと気が付くと、私は今朝の夢に出てきた景色と同じ場所に私は立っていました。
桜の屋根の下に広がる帝都の街並が見えるこの場所に・・・・
大神さんと初めて会った場所・・・・・・
あの夢が頭を過りました。
それを私は頭を大きく振って追い払おうとしました。
でも、やはり頭から離れません・・・・・
「・・・大神さん・・・・」
不意に涙が零れ落ちました。
それは流れとなって私の頬を伝わって行きました。
空には桜の花が散っています・・・・
散った花は元に戻る事は無いのです・・・・・
翌年、桜の花は咲きますが、同じ形、色、大きさの花は無いでしょう・・・
私の心の花も・・・・散って・・・しまったのですね・・・・・
これから私は・・・・・・
「いよぅ、さくら! ック、こんな所で何してるんだ?」
「へ?・・・・・」
慌てて袖で涙を拭って振り返ると、そこには・・・・
「支配人? どうしてここに?」
酒瓶を片手に持った支配人が立っていました。
顔は赤くなっていましたが、足取りはしっかりしていました。
「ああ? どっかの誰かさんが重箱投げちまうから食い物が無くなっちまったんでよぉ、じゃんけんで負けた俺が食料調達しなくちゃならなくなっちまったんだよ」
「は、はぁ・・・・ゴメンナサイ・・・・」
(こっちはそれどころでは無いのに・・・・)
私は頭を下げると同時に溜息が出ました。
「そうだ、丁度良い! おめえにちょいと俺の昔話を聞いてくれねえか?」
「は、はぁ? な、なんでですか?」
支配人の突拍子もない発言に私は戸惑いました。
そんな私を笑いながら支配人は言いました。
「手ぶらで早く帰る訳にはいかねえだろ? だから時間稼ぎしたいんだよ」
「は、はぁ・・・・・」
納得できるような出来ないような発言に私は了承してしまいました。
すると支配人は私の横に立つ桜の木に凭れ掛かりながら話し始めました。
昔よ、ある男が少し照れながら俺に話したんだ。
「今度、子供が産まれるんですよ」
ってな。
まぁ、俺が半分白状させたようなもんだけど、まぁ、それはいいや。
その日も今日みたいに青空が眩しい日でよ、そいつを含めた仲間達と花見をしている時だったかな・・・
それで俺はそいつに聞いたんだ。
「ほぉ・・・で、何て名前にするんだ?」
ってよ。
そいつはまた照れながらこう言ったよ。
「男の子だったらまだなのですが、女の子だったらもう決めているんですよ」
とな。
「ほう・・どんな名前だ?」
と俺が尋ねると、そいつは立ち上がると低く垂れ下がっていた枝に手を触れながらこう言ったよ。
「この花は・・・桜は、何時も私達、花を見る人々の方を向いて微笑んでいるんですよ。
そう、何時も・・・毎年春の季節になると何時もです・・・・
だから、今度生まれてくる子が女の子なら、辛い時、苦しい時、悲しい時、そんな冬の寒さのような厳しく辛い日々を乗り越えて、春にはこの桜のような元気な笑顔を見せてくれるような・・・
そんな子になって欲しい・・・そう思って・・・・・」
「さくら・・・・その名前にしたんだとよ」
「・・・・・・・・・・」
俯いている私を一目見た後、支配人は言葉を続けました。
「なぁ、さくら。辛い時に辛い顔しちまったら駄目だ。
そうしたら気分は沈むしかなくなっちまう。
そういう時は逆に笑うんだよ。”全然大丈夫だ!!”ってな。
萎んでばっかりじゃ花はいつまで経っても咲かない。咲こうと努力しなければ・・・な」
「で・・・でも・・・・嬉しくないのに笑うだなんて・・・・・そんな事・・・」
言葉と共に溢れてきそうになる涙を私は必死に拭いました。
支配人はそんな私の肩をボンと叩いて言葉を続けました。
「でもよ、駄目だって沈んでたんじゃ何も始まらねぇんだよ。
前に一歩進む努力をしなくちゃなぁ。それの一つが笑うって事なんだよ。
なぁに、失敗なんてのは星の数ほどしなくちゃならねえ物なのさ。
人ってのは幾つも失敗して、辛い事があって、それを乗り越えてこそ成功できる様になれる不器用な生き物なんだからよ。
そうだろ、さくら。舞台で何回も何回も失敗したお前ならよく分かるんじゃないか?」
”まぁ、後は自分で・・・・・な”
もう一度私の肩を叩きながらそう言うと、支配人は人込みの中に戻って行きました。
私は涙を拭いながら支配人の背中に頭を下げました。
「さくらは桜・・・・か」
私は頭上に広がる桜の花達を見上げて呟きました。
”桜は、何時も私達、花を見る人々の方を向いて微笑んでいるんですよ”
お父様が言ったというその言葉・・・
(そうですよね・・・)
昔、同じような事をお父様に言われた事を私は思いだしました。
あれも丁度、桜の花の時期でした。
「いいか、さくら。花が綺麗なのは、花達は笑っているからさ」
幼い私を肩車して歩くお父様は、頭上に広がる桜のトンネルを見上げてそう言いました。
「お花が・・・・笑ってるの?」
不思議そうにお父様の顔を見下ろす私に笑いながらお父様は言葉を続けました。
「そうだ。だからさくらも、この花達に負けない様に笑うんだ。”わっはははははは!”ってな」
「そうしたらさくらも美人になれるの?」
「ああ、今よりもっと綺麗に、元気になれるさ」
「うん! さくら負けないよ! わっはははっはははははは!!」
お父様の肩の上で大笑いしながらバタバタと足を動かしました。
「そうださくら。その調子だぞ! その元気を忘れるなよ」
お父様は微笑みながらそう言いました。
「もう、あなた。さくらは只でさえお転婆なんですから、これ以上お転婆になられたら困りますよ」
そう言ったお母様の口元も緩んでいました。
(そうですよね・・・・私が辛い顔をしたままじゃ大神さんとマリアさんだって・・・・それに・・・)
私は大きく溜息を付くと空を見上げました。
どこまでもどこまでも広がる透き通るような青空。
(この下にいる筈ですよね・・・・大神さんじゃない大神さんが・・・・・
その人に・・・・・・笑える様に・・・・)
「あっははははははははは!!」
私は大空に向かって大声で笑いました・・・・
桜の花びら達は風に乗って踊っていました
ひらり ひらり・・・と軽やかに・・・・
彼らは美しく輝いていました・・・・
私も・・・・
数十年後・・・・
バタバタと廊下を勢い良く走る音が家中に響いた。
その音は徐々にこの部屋へと近付いて来ていた。
「お爺ちゃん!!」
そう叫びながらドアを勢いよく開けたのは一人の少年だった。
年はまだ小学生の低学年ぐらいだろうか?
顔が埃まみれ、服も汚れているのにそんな事などお構いなし。
今時珍しいヤンチャ坊主である。
それはこの部屋で読書をしていた老爺の孫であった。
「おうおう、どうしたんじゃ? 倉庫で何か面白い物でも見つかったか?」
老爺は老眼鏡をはずすと、にこりと微笑んでその子の方を向いた。
「ねえねえ、おじいちゃん。この人達誰なの?」
少年は両手で抱えて来た埃まみれの古いアルバムを畳敷きの床の上に広げて最初のページの写真を指差した。
「ああ、この人達かい? この人達はな、お婆さんの学校の時の友達だよ」
老眼鏡を掛け直してアルバムを覗きこんだ老爺はそう答えた。
その写真の中には数人の男と十人程の女の姿が一緒に写っていた。
少女達の服の同じ型であったが、色はそれぞれ違っていた。
どこかの建物の前で撮ったその写真はセピア色になっても輝いて見えた。
「ふーん。ねぇねぇ、じゃぁ、この人がお爺ちゃんなの?」
そう言いながら少年は白っぽい服を着た青年を指差した。
「かっかっか! 何を言うか! ワシの若い頃はもっと”イケてた”わい!」
老爺は胸を張ってそう言った。
(言葉がちょっと間違っている様な気がする・・・・)
少年はそう思ったが口には出さなかった。
今ここで老爺を気落ちさせてお小遣いが貰えなくなるのが痛い、と子供ながらに判断したようだ。
なかなか出来る子供である・・・・
「おやおや、どうしたんです?」
「あっ! お婆ちゃん!!」
少年が振りかえると、着物に身を包んだ老婆が立っていた。
薄目の色合いながら派手な色のそれには出せない上品で綺麗な感じがした。
「あら、ここに居たの。伸也君が玄関に来てるわよ」
「あっ! いけねぇ。そう言えば野球やるって約束してたんだった」
少年はアルバムの事など忘れて慌てて部屋を飛び出して行った。
「はははは。あのヤンチャぶり、誰に似たんだかなぁ」
老爺は頬髯を摩りながら笑った。
「さぁ、誰でしょうね?」
老婆も笑いながら老爺の前に座ると、懐かしそうにアルバムを手に取った。
老婆は何枚かページをめくると、ある所を懐かしむ様に摩った。
そこは水で濡れたような跡があった。
「大神・・さん・・・・と間違えるとはなぁ・・・」
「大神さん・・・だなんて・・・・ウフフフフフフフ」
その老婆の笑う顔を老爺は微笑んで見ていた。
昔と変わらないこの笑顔・・・・・・・
この笑顔に何度励まされ、何度救われた事か・・・・・・・
そして何度美しいと思ったことか・・・・・・・・
老爺はボンヤリと自分の愛しき者を見て言った。
「おいおい、そんなに笑わなくていいだろ?」
「だって昔はそんな風に呼ばなかったでしょうに・・・」
「まぁな・・・アッハハハハハハハ!」
「・・・・そうやって何時も誤魔化すんですから・・ウフフフフフフフフ・・・」
二人の笑い声が部屋中に響いていた。
ふと老婆の目に庭に植えてある梅の花が映った。
「花は笑っているから美しい・・・か」
老婆はそう呟くと穏やかな笑みを浮かべた。
「そうだ。また今年も支配人の所に行かなくちゃいけませんね」
「ああ。そろそろ東京の桜も満開になっているだろうからなぁ」
「ええ。そして今年も、もう一つの桜も見てもらわないと・・・・・」
老婆は縁側に立つと空を見上げてそう呟いた。
空は眩しい青が広がっていた。
その空に老婆は微笑んだ。
「そうだね・・・・・」
隣に立った老爺は彼女の肩をポンと叩いた。
穏やかな春の日差しが二人を照らしていた。
そんな二人の顔は微笑んでいた。
何時も・・・何時までも・・・・・
梅の花も、東京の上野公園の桜達も皆、微笑んでいた・・・・
〜Fin〜