――ガラガラガラ
「こんにちは、」
「やあ、いらっしゃい。」
土曜日の午後『如月骨董品店』を訪れた龍美をにこやかに出迎える翡翠だったが、彼女が伴ってきた人物を見てふと表情が陰る。
「(誰・・だ?)」
身長は自称175センチの龍美よりも更に高く、180センチ――自分と同じくらい――だろうか。濃紺の学ランに身を包んだ人物。細く見えるがそれは見せかけでその学生服の下はがっちりとした鋼のようなしかししなやかな筋肉がついているのが判る。そして何よりもその足運び、視線の運び方に隙がない。
その恋人の訝しげな視線に気が付いた龍美が彼――紅葉――を紹介する。
「翡翠さん、彼は最近仲間になってくれた人です。」
「ああ、この間の・・・。龍美くんの兄弟子という人物だね。僕は如月翡翠、ここの店主だ。」
翡翠が話は聞いていると頷くと、紅葉は言葉少なに名前だけを名乗る。
「壬生紅葉です。」
――シーン
そのまま押し黙ってしまう恋人と兄弟子に困ったのは龍美だった。
「(う・・、翡翠さんも紅葉も人と、しかも初対面の人と親しく話すような性格じゃなとは思ってたけど挨拶はこれだけ?)」
この静寂に居たたまれなくなった龍美が口を開く。
「じゃ、じゃあ翡翠さん、紅葉に合う武器とかを見せて貰いますね。」
「ああ・・・。」
翡翠は龍美が紅葉を促して品定めを始めた様子を帳場に座って見つめる。
「(”紅葉”だって?)」
毎週土曜日には龍美は『如月骨董品店』の近くにある祖父の道場で稽古するのが常であり、翡翠と龍美がお互いの気持ちを知ってからはその後『如月骨董品店』へ寄って帰って行くようになっていた。
それは翡翠にとって毎土曜日の密かな楽しみであった(もちろん、それは龍美にとっても同じではあったが)。それが今日はあの男を伴って――おそらくこの時間(午後2時)という時間では稽古も休んでのこと――やって来た。しかも親しげに名前を呼び捨てにしている。翡翠としては折角の恋人の来訪も心弾むものでは無くなっていた。
「(兄弟子だと言っていたな。)」
ジロリと嫉妬に満ちた視線でその”兄弟子”とやらの背中を睨みつける翡翠だった。
そんな恋人の嫉妬心など知らぬげに、龍美は紅葉の武器を捜す。
「んと、紅葉の武器は黒崎と一緒だから・・・。」
キョロキョロと目当てのものを探す龍美の視線が棚の一番上で止まる。
「あ、あった♪」
近くに置いてある踏み台に載ってそれを取り、降りるために振り返ろうとした。
――ガクン
「きゃぁ!?」
しかし、長年使い込まれて縁が丸くすり減った踏み台から足を滑らせてしまう。
「「危ない!」」
すぐ後ろに立っていた紅葉がすかさず下から抱き止めようと腕を伸ばし、龍美のほうもこれ幸いと反射的に目の前に現れた助け船にしがみつく。
「!!!」
龍美本人はそんな気はこれっぽっちも無かったのだが、図らずも踏み台に載っていた龍美と紅葉の身長差で、丁度胸の部分が紅葉の顔に当たってしまう・・・・。
少し離れた場所――帳場――にいた翡翠はこれを見て赤くなるやら、青くなるやら。恋人である自分でさえ未だにそんなオイシイことをしたことは無く、せいぜい、キスして手を握って、抱きしめるくらい。それなのに”兄弟子”とやらに目の前でそんなオイシイことをされては恋人としての立場が無い。
「・・・・あ、ありがとう紅葉。」
危機を脱して我に返った龍美が慌てて紅葉から離れる。偶発事故とはいえ、恋人の目の前で彼以外の異性に抱きついてしまったことで内心冷や汗タラタラだった。
「いや・・・気をつけて。」
しかし紅葉のほうは殆ど無表情のままその龍美の手を取り、淑女をエスコートする紳士宜しく踏み台から降りるのを手助けするとすぐに手を離し、尚かつ龍美と距離を置くように少し離れる。
「龍美くん、怪我は!?」
それと入れ替わるようにして翡翠が傍にやって来る。
「大丈夫です。驚かせてすみません。」
ドジなところを見られた龍美は照れたように笑う。
「高いところの物を取るときは僕に言ってくれれば取るよ。こんなことで君に怪我をされては困るからね。でも、龍美くんはしっかりしていそうでちょっとおっちょこちょいなトコロがあるみたいだね。」
先程紅葉が取った手を今度は翡翠が握り”目が離せないな”と優しい笑みを漏らす。
「・・・あぅ・・・き、気をつけます・・・(よ、良かった。紅葉に抱きついてしまったこと怒ってないみたい。)」
その後、龍美は幾つかの回復薬等も購入し、翡翠は用事の終わった二人を帳場の奥の和室へと案内してお茶を煎れる。その途中で龍美の携帯が鳴り始めた。
「あ、すみません・・・。父さん?うん、うん・・・、」
二人に謝って廊下へと出た龍美。どうやら父親からの電話らしい。
「如月さん、」
そこへ今まで黙っていた紅葉が――龍美と翡翠が話すのを彼は黙って聞いており、決して話に加わろうとはしなかった。ただ、龍美が話を振ると言葉少なに”ああ”とか、”いや”と答えるだけだった。――口を開く。
「僕は龍美に対して特別な感情は持っていませんし、これからも持つつもりは有りませんのでご心配なく。」
「どういう意味だ?」
「そのままですよ。」
どうやら紅葉は翡翠が睨んでいることに気が付いていたようだ。
「・・・僕は古武道を使う者として龍美の技に興味がありますし、同じ師に師事した妹弟子であり、尚かつ彼女が師の大切な人間だと判った以上その身を護りたいとも思います。ですが、それ以上の感情はありません。・・・・第一、僕のような人間が彼女を好きになれる訳がない・・・。」
最後の言葉は小さく呟くようなものだった。
「壬生・・・。」
紅葉の”仕事”については翡翠も龍美から聞いて知っていた。だからこそ最後の言葉の意味は察しが付く。
「(自分は龍美くんに相応しくない、そう考えるのか。しかし頭で判ってはいても、思い通りにならないのが”恋”なんだが・・・ね。)」
かつての自分の行動を思い起こし、心の中で苦笑する翡翠だった。
「それは僕としてもありがたいね。はっきり言って恋敵は一人でも少ない方がいい。ただ、これだけは言っておきたい。壬生、龍美くんが差し出してくれた手は決して離さないことだ。」
翡翠の言葉に眉をひそめる紅葉。
「龍美くんは不思議な人だよ。彼女と出会ったことで君の中でも何かが変わる。そしてそれはきっと君にとっても悪い変化ではない筈だ。」
「・・・ご忠告は有り難いですが、どうして初対面の人間にそんなことを?」
全く有り難くなさそうな口調で問いかけられ、翡翠は苦笑する。
「・・・君は昔の、龍美くん達と出会った頃の僕とよく似ている。だからこそのお節介な忠告だ。」
翡翠は龍美達とつき合うようになってからそのお節介気質が伝染したのかもしれないと思いつつも、昔の自分と同じように独りで生きて行こうとしている彼が放っておけず、ついつい口出しをしたのだ。
「一応、心に留めておきます・・・・。」
しかし紅葉のほうはまだ、翡翠の言っている意味が判らないと言った表情だ。
「いずれ判るよ。いずれ・・・ね。」
そして時は流れ――
「やれやれ、人間、変われば変わるものだな。」
「いきなり何のことです?」
隣で大仰に溜息を付く翡翠をジロリと睨む紅葉。
「最初に君がうちへ来た時に言った言葉だ。”龍美には特別な感情は持っていませんし、これからも持つつもりはありません。”」
「ああ、あの時の・・・。」
紅葉はようやく納得がいった表情で紅葉が頷きニヤリと笑う。
「人は変わるものですよ。第一、貴方に人のことが言えるんですか?高校時代に”アイスマン”なんて呼ばれていた男の今の姿を誰が想像するんです?」
「・・・・。」
膝の上に愛息子(祥)を抱っこした状態の翡翠は紅葉の切り返しに黙り込む。その姿はどこからみても良き父親だ。
「ま、お互いに貴方自身が言ったように龍美との出会いで変わったんですよ。」
紅葉はふっと笑みを漏らす――それは龍美達と出会った頃の笑顔とは格段に違う、優しい笑みだった――翡翠の膝の上でご機嫌な祥をあやす。
「・・・そうだな。しかし、龍美についてだけはあのままのほうが良かったとつくづく思うよ。」
これまで散々邪魔をされてきたことを思い返し、再び溜息を付く。
「ふっ、僕が邪魔をしなくても他の連中がやっていますよ。龍美と結婚したんですから、それくらいのリスクは覚悟していてください。」
さも楽しそうに、意地悪く笑う紅葉を翡翠が睨み付けていると店のほうで来客の気配。
「翡翠さん、祥は僕が見ていますよ。」
「ああ、悪いけど頼むよ。」
口では何だかんだと言っても紅葉のことを信頼している翡翠は祥を預けて店へと向かい、あっさりと祥を預けられた紅葉のほうはその信頼がくすぐったいという表情で赤ん坊相手に呟いた。
「どうやら君のお父さんはお母さんに負けず劣らず人が良いみたいだね。」
「マー、マー。」
最初のうちは大人しくしていた祥だったが、そのうちの誰かの姿を捜して落ち着かなくなる。
「(”マー”?龍美のことか?)祥、お母さんはちょっと出かけてるからね。」
紅葉は母親の姿を捜して縁側の方へとハイハイをし始めた祥を慌てて抱き上げる。庭に落ちては大変だ。
「ふな・・・、」
途端に泣き出しそうになる祥に紅葉は慌てて手近にあったおもちゃを見せて気を引く。ご機嫌ときのお守りは良いが泣かれてしまった場合の対処方法など紅葉には判らない。
「ほ、ほら祥、おもちゃだよ。」
「なーなー♪」
猫のぬいぐるみを見てご機嫌に遊び始める祥に紅葉はほっと溜息をつく。
「くす、猫のぬいぐるみが好きみたいだね。」
母親である龍美は大の猫好きであり、そんなトコロも似ているらしい。
と、そこで祥が庭を指して声をあげる。
「なーなー。」
「ん?何?ああ、庭に猫が居るのか。」
どうやら猫は”なーなー”らしいと思い至る紅葉。その内部にふと悪戯心が芽生える。
「祥、僕は何かな?」
「あ〜?」
判らないといった具合に首を傾げる祥。
「くすくす、”パパ”だよ、」
――ドゴッ!!
途端に紅葉の後頭部にヒットする算盤。
「壬〜生〜〜。」
振り返ると翡翠が超不機嫌な顔で睨んでいる。
「貴様という男はーーーー!!誰が”パパ”か、誰が!!!」
――ガラガラ
「ただいま。」
「マー!!」
龍美が玄関の引き戸を開けると廊下を祥がやってくる。ハイハイでこんなスピードが出るのかと思うほど早い。
「あら祥、お出迎え?」
龍美は嬉しそうに息子を抱き上げ、家の外まではっきりと判るくらいの《氣》が渦巻いている奥へと向かった。
――スラッ
「翡翠、それくらいにして下さい。」
紅葉を締め上げていた翡翠をなだめると龍美は今回の原因を尋ね、話を聞き終わるとやれやれと溜息を付く。
「それくらいの冗談ならいいじゃないですか。」
「しかし龍美。祥は僕のことを呼んでくれたことが無いんだよ。」
間違って紅葉を”パパ”と呼ばれたら困ると続ける。
「もう、いくら口にしないからってこの子が何も判らないと思っているんですか?」
龍美は抱いていた息子を紅葉のほうへ向ける。祥は”誰これ?”といった表情だったが、翡翠のほうへ向けると、
「あ〜♪」
嬉しそうに笑って翡翠のほうへと腕を伸ばす。
「あ・・・、」
「ほら、あなたが自分のお父さんだってことはしっかり判ってるんですよ。」
「そうみたいだね。祥、おいで。」
苦笑しつつ翡翠が龍美の腕から祥を抱き上げようとすると祥が一言。
「パー。」
「「「!!!」」」
「しょ、祥。もう一度言ってごらん?」
「パー。」
「祥!」
感激して息子を抱きしめる翡翠に、”表裏の龍”は顔を見合わせて苦笑するのだった。
その後、紅葉の帰った後で翡翠は龍美からしっかり釘を刺される。
「紅葉の冗談に怒って祥から目を離すようなことはしないで下さい。たまたま私が帰ってきた良かったものの、祥に何かあったらどうするんですか!」と・・・・(笑)
《終》
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