太正18年、冬。帝都は毎日寒い日が続いている。来月に春分を迎えるとはいってもまだ真冬である。
「えー、そんなー。」
昼下がりのずいぶんと傾いた日差しが入ってくるサロンで不満そうな顔をしているのは花組の面々である。
「大神さん、どうしてなんですか?」
さくらは鼻息も荒く大神に詰め寄った。
「どうしてって….。それは….みんなから受け取ると誰のを先に食べたとか、また騒ぎになるだろう?それに俺はそんなにたくさん一度に食べれないから。みんなの気持ちだけありがたくいただいておくよ。」
「えー….。」
みんなはまだ納得してくれそうにもない。話の発端はさくらがどんなチョコレートが好きかと大神に聞いたところから始まった。来週、年に一度のバレンタインデーがある。花組は各々で大神に何かをあげようと作戦を練っていたようだが、さくらがみんなへの宣戦布告を兼ねてサロンを通りかかった大神に質問をしたところ、大神は丁重にそれを辞退したのだ。さくらからだけではなく、他のみんなからも丁重にお断りをすると言う。大神のその意見は無理もない。思えば、太正15年のバレンタインデーは大変だった。花組全員からのチョコレートとプレゼントをうっかり受け取ってしまった大神は誰のを先に食べたかで隊員たちより厳しい詮索を受けた。大神は当然マリアのを一番に食べてしまっていたが、それがマリアで本当に良かったと思う。花組で一番の料理の腕前で副隊長である彼女は恋愛感情抜きで考えても一番に食べられる可能性が高いために大神はうまく言い逃れることができ、しかもマリア本人もそんなに激しい妬みを買わずにすんだのだから。これが他の隊員だったらと思うと大神は今考えてもぞっとする。そして、誰のを一番先でこんなにもめるんだから、誰のを最後にしたかでももめると当然思った結果、他の隊員のチョコを少しずつ全部いっぺんに口にいれ2番から最後を出さないようにし、また最後の一口ずつを全部いっぺんに口に入れて最後を出さないようにと工夫しなければならなかった。それから誰のプレゼントを使っている、使っていないでもめたこともあった。またチョコレートの食べ過ぎで鼻血を出したことや、あまりに独創的な味のため、胃がおかしくなったことも忘れられない。
「ごめんよ。」
ひきつった顔で大神はみんなに謝罪をしていた。
「そういえば、そうですね。….あの時、隊長、お腹を壊してお薬を….。」
マリアはもう3年も前の冬の晩の事を思い出した。夜、用事があって隊長室を訪れたとき、大神はうんうん机に突っ伏してうなっていたのだ。あわてて地下の医務室から薬を持ってきて大神に飲ませたのはマリアだった。
「薬?」
カンナがマリアに尋ねる。
「隊長はチョコレートの食べ過ぎで胃をおかしくされていたのよ。用事で部屋に伺ったときにかなり苦しそうな様子でいたから。」
「だらしねーなー。」
カンナが笑う。確かにカンナならあの量のチョコレートを食べても平気かもしれない。だいたい、あげるのは自分だけだと全員が思いこんでいるから1人あたりのチョコレートの大きさは半端ではなかった。それを1日で食べたのである。お腹をおかしくしないほうがおかしいと言うものだ。
「隊長のお体も心配ですから、仕方ありませんね。」
マリアが大神の意見に賛成するとしぶしぶみんなも従う。これを機会に大神に接近しようと意気込んでいた隊員たちはそれをはぐらかされたような形になってしまってまだ不満が残っているようだ。でも、マリアもそれは同じことで、自分だって今年は特別な何かをしようとあれこれと考えていたのだ。イベントの趣旨が趣旨だけに今回ばっかりはみんなで隊長に….という考えは誰の頭にもないらしい。大神を独占したい気持ちはみんな一緒なのだ。自分だってそう。一番自分が大神を独占しているのだからみんなよりも我慢しなければならないのかもしれないけど、でもやっぱり大神と二人で過ごしたいという気持ちは強い。マリアはそんな自分をわがままであると充分にわかっている。大神と二人でいるときも時折心の中をみんなに申し訳ないと言う気持ちがかすめていくのだが、一緒にいたいという気持ちに負けてしまう。所詮どう繕おうとも女なのだ….。マリアはこれほど自分が女であることに嫌悪と喜びを感じた事はかつてない。どんなに仲間が大事でも、大神のこととなると仲間を差し置いてでも一緒にいたいという部分と、女であればこそ大神に愛してもらえるという事実と….。マリアは深くため息をついた。
2月14日、まだ夜明けも遠い時間。寝静まった帝劇の片隅からかたかたと音が聞こえる。厨房で音をさせているのはマリアだった。
「次は….チョコレート….。」
朝3時に起きたマリアは眠い目をこすりながら着替えてエプロンをつけて厨房に入った。今日はバレンタインデー。マリアはみんなに見つからないようにチョコレートケーキを作っていた。こんな時間にでも作らない限りみんなにばれてしまう。
「これでいいわ。」
マリアはなんとかみんなが起き出す前に作り上げると後片付けをしてからそそくさと自室に戻る。部屋でゆっくりと残りのデコレーションをしてから時計をみるとすでに朝食の時間になっていた。
「ああ、いけない….。」
マリアは慌ててエプロンを外して食堂に下りていった。
この日は1日お稽古がつまっていた。午前中には日舞、午後からはバレエのお稽古で一日中踊りっぱなしなのでかなり疲れる。いくら秘密部隊といえども本当の舞台を踏んでいる以上お稽古はかかせない。お客様には恥ずかしいものはみせられないから。
「ありがとうございました。」
バレエの稽古が終わると全員で先生に挨拶をし、着替えにそれぞれの部屋に戻っていく。マリアは舞台の片づけをしてから部屋に戻ろうと廊下を歩いていた。
「お稽古、終わったのかい?」
大神が事務室のほうから歩いてきた。今日はどうやらかすみさんのお手伝いだったようだ。
「ええ、今。」
「ご苦労さん。」
「隊長は….?お仕事、まだあるんですか?」
「いや、今、開放されたところだよ。これからちょっと2階でロビーのシャンデリアの点検でもしようかって思ったんだ。」
「そうですか….。気をつけて点検なさってください。」
大神と別れるとマリアは急いで部屋に戻った。稽古用のレオタードから普段着に着替えてお茶の支度をした。マリアがお茶を持ってサロンに入ると全員がそろっていた。
「おいしいですわ。お稽古のあとですから少し喉もかわいておりましたし。」
マリアがいれたお茶にすみれが満足そうに言う。
「今日は結構きつかったデース。」
織姫はかなり疲れたようでソファーに背をあずけている。織姫だけでなくほかのメンバーも少しぐったりとしているようでいつもは賑やかなサロンも今日は静かだった。マリアはサロンから席を外すと部屋に戻りケーキを持ってきた。
「マリア、それなあに?」
「私から、みんなへのプレゼント。バレンタインデーだから。」
マリアは微笑みながら今朝作ったチョコレートケーキを切り分けた。
「うまそー!」
カンナが嬉しそうにケーキを受け取った。カンナは人一倍食べるから少し大きめに切ってやる。
「んー。おいしい。やっぱり、マリアさんの手作りはおいしいです。」
さくらも幸せそうに言う。
「やっぱ、動いたあとは甘いもんだよな。」
「おいしいね、レニ。」
「うん。」
マリアはみんなの喜んでいる顔を見て少し泣きそうになった。このケーキは贖罪。いつも隊長を独り占めしているから、みんなへのお詫び。そして….。
「お、うまそうだな?」
ロビーのシャンデリアの点検を終えた大神がサロンに入ってきた。
「隊長、よろしければどうですか?」
「ああ、いただくよ。」
マリアはお茶を入れ、ケーキを皿にとって大神に渡す。
「これは?マリア?」
「ええ。みんなに。バレンタインデーですから。」
「ははは。マリアからみんなへか。」
大神がケーキを口に運ぶ。そう、これは贖罪と独占。自分でみんなにあきらめるように言っておきながら私だけ独占したい気持ちの表れ。こうすれば私一人だけのものを食べてくれる。このケーキは私の心….。
「ありがとー。マリア、また作ってね。」
アイリスの笑顔にはっと胸を突かれる。そんな笑顔をしないで。
「ごっそさんでした。ほんま、マリアはん、おおきに。」
紅蘭も満足そうに言う。そんな感謝の気持ちを向けられるようなものじゃない。だって、これは….。
「どうしたんだ?マリア。顔色悪いぞ?」
カンナがうつむいているマリアを心配して声をかける。
「なんでもないわ。….朝、早かったから少し眠いのよ。」
無理に顔に笑いを張りつけて返事をした。
「ごっそさん。マリア、片付け、手伝うよ。」
カンナがみんなの食器を集めてくれる。
「大丈夫よ。」
「いーから、いーから。」
そんなに優しくしなくていいのに。そんな資格は私にはないのに。心の中の声がわんわんと頭の中に響く。
「元気がないね?どうしたの?」
夜、テラスでぼんやりとしているマリアに見回りをしている途中の大神が声をかけてきた。
「いえ….。」
「何か悩み事?」
「そんなんじゃ….ないです….。」
「俺には言えない?」
マリアは答える事はできなかった。言えないと言うわけではないが、言ってしまってもどうにもならないのだ。ならば余計な事は言わずにいたほうがいい。そんな考えを見ぬいたのか大神はふぅっとため息をついた。
「信用….ないかな?」
「いえ….。ただ….私の気持ちの問題なので….。」
慌てて否定をするのに余計なことまで口から出てしまった。
「気持ちの問題?」
言わないでおこうと思っていてもついついしゃべってしまうようになる。
「こうして二人で一緒にいるのは嬉しいんです….でも….みんなに済まない気持ちと、独占していたい気持ちが交互にかすめていくんです….あれほど大事な仲間だと思っていても….。」
マリアはうつむいてしまった。
「それは仕方がないさ。」
意外に明るい口調の大神の返事にマリアははっとして顔をあげた。
「俺も同じだよ。みんなの事が大事なのは帝国華撃団花組の隊長としての自分、ま、もぎりの大神一郎としてもそうかな。でもね、マリア。大神一郎個人としては、マリアが一番大事なんだ。もちろん、大神一郎個人としてもみんなは大事だけど、意味が違うんだよ。友愛と恋愛と。友達として大事なのと恋人として大事なのと、気持ちが違うのはこればっかりは仕方ないじゃないか。」
大神はマリアの瞳をみつめていた。
「俺だってマリアを一人占めしていたいさ。今日の昼だって、ケーキをご馳走になったけど、ほんとは、マリアからみんなにの一部じゃなくって、マリアから大神一郎だけに欲しかったんだ。」
ちょっと拗ねた子供のような声で大神が言った。
「でも、マリアは花組リーダーとしてやっているから、俺も花組隊長としてその一部で我慢したんだ。」
マリアはずいぶんあっさりと自分の心のもやもやを晴らしてしまった彼を驚きの表情でみつめていた。
「マリア….やっぱり、用意してない?」
そんなマリアの尊敬の念を知らないふりをして彼はいたずらっぽく尋ねる。
「ごめんなさい….自分だけ、用意するのも….言い出しておいてあまりに卑怯なような気がして。」
ああ、こんなことならやっぱり用意しておけば良かった。後悔が心の中を走る。
「じゃ、これをもらおうかな。」
そう言って彼はちょっと背伸びをするとマリアの唇をふさいだ。
「これだけで充分。ご馳走様、マリア。」
何が起こったのか把握するまで少し時間がかかった。でも、すぐに状況を把握すると彼女の頬が紅に染まる。
「た、隊長!」
「風邪引かないうちに中に入りなよ。」
笑いながら見回りの続きに出て行く彼の後姿を見送りながらマリアはふとさっきの唇の感触を思い出した。それだけで、また胸が熱くなって。
「仕方がない….か。」
マリアはいつの間にか微笑んでいる自分に気がついた。
「そうですね、隊長。仕方ないですよね。好きになってしまったんだから。」
もう一度自分に言い聞かせるようにつぶやいて、テラスから中に入っていった。 |