米田の部屋では珍しく素面で米田が大神とマリアに指示を出していた。今、賢人機関のアメリカのメンバーが極秘で来日している。彼らの目的は日本とフランスでできた花組を是非アメリカに作りたいとのことであった。米田は今日、既に花小路伯爵邸でかえでとともに花組の設立の話をしてきたところだった。米田の話を聞いた相手先は日本での調査の締めくくりに花組の活動を軌道に載せるのに大変活躍した人物、大神一郎に是非とも話しを伺いたいと強く希望している。
「というわけでな、明日、二人で先方が泊まっている花小路伯爵のところに行ってきてくれ。」
米田は用件を伝え終わって開放されたのか、机の脇から一升瓶をもちあげ、きゅぽんと栓を抜き透明な液体を茶碗になみなみと注いだ。
「それはかまいませんが…。」
大神の渋い表情などお構いなしに米田は液体をぐびーっと喉の奥に流し込んでからようやく落ち着いたと言うような満足そうな顔をしてから大神に一瞥をくれる。
「しかし、一体何を話せばいいのでしょうか?」
「なーに、固くなることはない。大体の資料もすでに渡してあるから、まぁ、そうだな、相手の質問に答えてりゃいいだろうよ。」
「資料?」
「おう!こないだ、おまえに花小路伯爵に届けてもらったあれだな。」
それは先月のこと。米田長官の頼みで花小路伯爵になんだか書籍のようなものが入った包みを届けに行ったのだ。
「おめぇ、英語はできるか?できねぇよな?」
「はい…。」
「で、マリア。忙しいところ悪いがこいつの通訳で同行してくれ。かえでくんは明日、どうしても抜けられねぇ用事があってこいつに付き合ってる時間はない。そうだ、マリアは先方と面識があったな?」
「はい。」
マリアはアメリカの賢人機関メンバーとは以前、花小路伯爵と出張に出たときに会っている。あれは確か、俺が南洋の演習から帰って花組に復帰したその日だったと、その頃を思い出しながら表情が緩んだ大神に釘をさすように米田は言う。
「いいか、仕事だからな。」
「は、はい。」
顔の緩みを慌てて引き締めながら大神は一礼してから米田の部屋を辞した。マリアもそれに続く。
「どうする?何時に出ようか?」
「何時でも構いませんが…少し早い方がよろしいかもしれませんね。」
「じゃあ、9時に玄関で。」
「わかりました。」
階段を2階にのぼりきったところで大神と別れたマリアは自分の部屋に入るが早いかクローゼットを開けた。一番端に下がっているのは例のスーツである。実を言うと、先月、隊長とでかける前日に試着して以来全然袖を通していない。スーツを出してベッドの上に置いた。
「えーと…。」
マリアはクローゼットの中からブラウスを何枚か出してきた。それを1枚1枚ジャケットに重ねて色目やデザインのチェックをする。気に入らないものや合わないブラウスが次々に床に散らばって行き、たちまちに足の踏み場も無くなって行くほどだ。几帳面な、綺麗好きな彼女はいつもならこんな服の選び方なんかしないが明日は特別なのだ。集中して考えるために片付けなんか後回しである。いくつかのブラウスの候補を残すと今度は先週買ったばかりのパンプスと同じ日に買った新しいバッグを出してスーツの側に置いてみてブラウスを合わせていく。こんな作業がしばらく続いてようやく彼女は明日の服を決める作業を終えた。念入りにブラッシングをしてスーツの埃を取り除き、バッグや靴は乾いた布で丁寧に拭いておく。
「似合うっておっしゃってくださるかしら…?」
鏡の前でスーツを体にあてて確認して見た。仕事だからと米田長官は言ったけど、それでもおめかしはしたい女心である。マリアは鏡の中の自分が大神の隣を歩いている光景を想像して真っ赤になった。
「やだわ、私ったら。」
マリアは一人で照れながら床に散らばったブラウスを慌てて片付け始めた。
翌朝。マリアは早目に朝食を済ませてから一度部屋に戻り、着替えて下に下りることにした。はき慣れないスカートのせいで足元がやたらとスースーとする。マリアはスカートに着替えてからおかしいところはないか、何回も鏡で確認をしていた。それから普段は舞台に出る限りはほとんどしない化粧を薄く施して行く。新しく買った口紅をつけると鏡の中の自分が急に女らしくなったように思えてマリアは少し嬉しい気持ちになった。支度を整えてから時計を見るとすっかりと遅くなってしまっている。慌てて部屋を出て、みんなに見つからないようにみんなが朝食中の食堂を避け、急いでロビーに降りて行くと所在無さげに玄関でうろうろとしている大神の姿が目に入る。
「お待たせしました、隊長。」
マリアが声をかけると大神はぱっと振り向いた。その瞬間に驚いた表情が顔に浮かぶ。
「マリア…。」
「お、おかしいですか?」
どこかおかしいだろうか?慌てて足元や後ろを見直したがどこもおかしいところは見当たらない。やっぱり似合わないだろうか?不安そうな顔になったマリアに大神はにっこりと優しい微笑を向けてくれる。
「いや、似合うよ。綺麗だ。」
「あ、ありがとうございます。」
大神の笑顔と言葉に耳まで赤くなっていくのが自分でもわかるようだった。
「さぁ、早く出ましょう。」
嬉しそうににこにこと満面の笑顔でマリアの姿をいつまでも飽きずに見ている大神を促した。このままこうしていると他のみんなに見つかってうるさいことになるので、その前に建物から出なくては。焦って玄関を出るとすぐに蒸気タクシーを捕まえて乗りこんでからようやく息をついた。
「それにしても、隊長が英語ができないとは意外でした。」
「そうかい?」
「ええ。南洋の演習にも行っていたし、フランス語もできるのにどうして英語が?」
「そうだな…。花組に英語を母国語にする人がいないからだな。」
マリアは花組の面々の顔を思い出しながらああとうなづいた。
「そういえばそうですね。」
「マリアがロシア語、アイリスはフランス語、紅蘭は中国語、それからレニがドイツ語、織姫君がイタリア語。少しづつみんなから教えてもらっているけど、英語だけはいないんだよなァ。」
「全くダメなんですか?」
「いや。挨拶とか簡単な日常会話ならね。ただ、今日のは花組のことだから、専門用語とかになるとわからないし。」
「そうですね。…でも、私もそんなに知ってるわけではないのですが。」
「そうだ!今度、俺に英語を教えてくれないか?」
「私がですか?」
唐突な大神の提案にマリアが目を真ん丸くした。
「うん。英語となるとかえでさんかマリアしかいないだろう?」
「教えるほどうまくはないんですよ。それに私の英語はスラングで…。」
「すらんぐ?」
「少し口の悪い言葉なんです。そうですね、日本語で言うべらんめぇ調っていうんですか?」
大神がくすくすと隣で笑う。
「な、なんですか?」
「いや、なんだかね。マリアがべらんめぇ調でしゃべっているのを考えたらおかしくなってしまってね。米田長官みたいで。」
大神はそう説明しながらもまた笑いがこみあげるようでくっくっとずっと笑っていた。
花小路伯爵の屋敷で賢人機関の人と長時間に渡る話を終えた。主な内容は花組の活動を行う際に何に一番注意を払っているかである。大神は答えに困ってしまっていたようだ。多分、彼にはきっと当たり前のことをしているだけで注意を払うも何もないのだろう。ただ本当に花組が心配だから、大切に思っていてくれるから出てしまう言葉や行動であり、それは自然に、意識していないことなので改めて聞かれても困るのだろう。すごく簡単で、そして難しいこと。誰かに教わってすることではなく、そう、それはほとんど大神の天性の性格とでも言うべきなのだろう。そして大神がそういう人間であるからこそ、花組はその下で存分に自分の力を出し、かつ他の隊員と協力していままでの成果をあげてきたのだ。それは昔、織姫とレニが所属していた星組がうまくいかなかったのも各々が勝手に行動してしまい、統率もとれないし協力体勢もなかったからだとレニが以前に言っていた。そのあたりを説明するのに四苦八苦してしまい、話はとても長引いてしまった。何しろ、自覚のない大神だからこういう説明はマリアがするしかない。どうしてみんなが彼におとなしく協力する気になったかなんてとても説明しづらい。一言で言えばスキだからだが、そのスキには隊長として、男として、人間としてといろいろな意味が含まれている。きちんと説明しないと誤解されてしまうからマリアは丁寧にちゃんと誤解のないように説明をしたのだった。
「ふぅ、結構時間がかかってしまったね。」
「そうですね。」
花小路伯爵邸を辞してから通りにでて時計を見たときには3時近く。午前中から来ていたのにすでにこの時間。途中、ランチタイムがあったものの、それでもかなりの時間を話していたのだ。
「マリア、ずっと話しっぱなしで疲れただろう?どこかでお茶でも飲んで行こう。」
「ええ。」
隊長の提案に賛成してそのままいつものカフェに向かった。向かい合って座って一息つくと大神は今朝のような満面の笑顔で嬉しそうに言った。
「スカート、はいてきてくれてありがとう。」
「約束しましたし…それに…。あの…、せっかく作ったし…。えっと…。」
マリアの語尾がだんだんと小さくなっていってしまう。面と向かってお礼を言われるのは照れくさい。それにマリアがスカートをはいてきた理由はただ約束したからだけではない。その理由を言ったら隊長は笑うだろうか?でも。きっと隊長なら笑わずに聞いてくれるような気がする。それに、出来るだけ自分の思うことを聞いてもらいたい。マリアはそう思って俯きがちになった顔を上げて自分の気持ちを話し始めた。
「もう少し…素直になろうと思ったんです。」
「うん?」
勇気をふりしぼって言うと大神は相変わらずの優しい微笑で続きを促すように聞き返してきた。
「私、ずっともう二度と恋なんてしないって思っていました。日本に来てからも男役ばかりやっていたり、そういう思いの反動でいつもパンツ系のスタイルだったんですけど、隊長に出会って、また恋をして、思いがけずそれがかなって…。だから、少し、素直になってみようと思ったんです。」
大神はやはり笑わずに真剣に話を聞いてくれている。少し安心したマリアは先を続けた。
「…私、いつも誰かに一番に愛してもらいたいくせにそれがうまく表現できなくて、自分でも嫌になるくらい素直じゃなくって。…思っていること、ちゃんと相手に伝えられなかったりしてしょっちゅう後悔していたんです。…でも、今度だけは絶対に後悔したくないんです…。だから、隊長に一番愛してもらえるように…少しでも女らしくしようと思って…。」
そこまで一気に言ってからふと気がついた。
「すいません、理屈っぽいですよね?」
悪い癖である。自分が言いたいことをうまく伝えられなくってついつい言葉が増えて、よりわかりやすくと思うあまりに理屈っぽく、固くなってしまうのだ。それに普段、結構本を読んでいるのに、いざこういうときほどうまい言葉が出てこない。自己嫌悪に陥りそうになるマリアに大神はゆっくりと首を振った。
「ありがとう、マリア。俺の為にそこまで考えてくれたなんて…。今、ここにこのテーブルがなかったら抱きしめたいぐらいだ。」
少し大げさとも思える大神の言葉にマリアの顔はみるみるうちに赤く染まった。
「でも、俺、ちょっとだけ後悔してるんだ。」
大神の意外な発言にマリアは目を大きく見開いて息を呑んだ。後悔している?この姿がいけなかったのだろうか?
「マリアのその姿、みんなに見せるのはもったいないなって。二人だけのときにだけ着てもらえばよかったって。街を歩いていてもみんなが見るからさ。」
不安そうな表情のマリアに悪戯っぽく言った大神は軽くウインクをする。
「隊長!」
からかわれたと分ったマリアの怒った顔を見ながら大神はとりあえず、帝劇に帰るまでに花組の隊員に対する言い訳を考えておかなければと思っていた。
(言い訳) 書いててオチがないと苦しみました。そして、テーマがないのにも苦しみました。とりあえず、スカートのその後ということでメモ代わりに書いてみました。
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