スカート

「ふう....。」
部屋に戻ったマリアは小さく息をつくと持っていた衣装箱をベッドに置いた。その真新しい箱のふたに手をかけるとそっと開ける。中にはツイードの濃いグレーのスーツが1着、綺麗に折りたたまれて入っている。これは半月ほど前によく行く店にオーダーをして作ってもらったものだった。マリアの身長ではとてもではないが既製服は着ることができない。だから必然的にいつも服はオーダーメイドとなってしまうのだ。マリアはオーダーしてから何度、この服をキャンセルしようかと思ったか。でも、そのたびにお店に迷惑をかけてしまうことと、1着くらいならと心の中でささやく声に押されてとうとう服が完成してしまった。
「似合うのかしら....?」
いつもなら向こうで受け取ったときに試着をして見ておかしいところがないかチェックをするのだが、今日ばかりはそれはしなかった。人前でこういう服を着るのが恥ずかしかったのだ。このスーツは、ボトムはタイトスカートだったのだから。マリアのクローゼットには何着かの服がならんでいるが、いずれもパンツばかりでスカートがひとつもない。それはマリアがニューヨークにいた頃からずっとそうである。スカートをはかない理由はいくつかあった。破滅を願って生きていた自分がいまさら女になったところでどうにもなるものではない。それにユーリーへの想いもまだ捨てきれていなかった。自分の女である部分を封印して彼だけを唯一の人として終わる事も考えていた。ましてや、用心棒という仕事をやっていくには女だからといってあなどられないことも必要であった。かくて1着のスカートもないまま帝都に来て、そのまま男役として過ごすうちに無意識に私生活でもスカートを着用しない日々が続いていた。それを....。マリアは新しい服を見てため息をついた。いまさら、何をしているのだろう。人前でこういう服を着るのも恥ずかしいのに着る機会なんてないのにどうして作ってしまったのだろう。あの時の私は浮かれていたのだ。自分でも情けないくらいに。
「マリアは、スカートはかないの?」
マリアの脳裏をふっと大神の言葉がかすめていった。それは1ヶ月前。衣装部屋を掃除していたときの言葉。どこからそういう話題になったのか覚えてはいない。
「私....持っていないんです....。」
「そうなんだ?似合いそうなのに。」
何気なく言った大神の言葉がずっと心の中にとどまっていた。似合う?私に....?今までそんな事を言ってくれた人は誰もいなかった。だからついついいい気になって作ってしまったのだ。お世辞を間に受けてしまうなんて。自分のあまりの単純さに腹立たしく思う。
「きっと、似合わないわ....。」
あきらめるためにマリアはスカートを着けてみた。鏡をみてみるとそこには普通の女が立っていた。膝上のスカートは形良く、丁度ウエストからの体のラインに沿うようになっている。難を言えばスカートから出ている足があまりにも白過ぎる。....ストッキングでもはけばいいのかしら。それに靴がこのままじゃ似合わない。パンプスか何か....。それからバッグも合うものを持っていないし。マリアはそこまで考えてはっと我に返った。いつこれを着るのだろう?靴やバッグまで揃えたところでこれを着る機会なんてないのに。でも....。マリアの心の中でひとつの光景が浮かんでいた。これを着て隊長と二人で出かけたい....。これを着た私....隊長の隣に並んだら少しは恋人みたいに見えるだろうか?マリアは鏡を覗きこむ。....だめだわ、きっと。鏡の中の女がため息をついた。怖そうな切れ長の目。いつもヘの字に結ばれた口。どれひとつとっても可愛げのない表情。これでは....到底そんな風には見えないだろう。せめて隠している目を出して見るとか....。マリアは左目を隠している前髪をかきあげた。やはり綺麗とか可愛いとは言いがたいものだった。自分の容姿に失望したマリアは椅子に座り込んだ。どうして自分はこうなんだろう....?もう少し女らしければ良かったのに....。硬いきついイメージがどうしても自分にはついてまわる。こんな顔をしていれば仕方がない。女らしい柔らかな、あたたかさが自分には欠如しているのだ。みんなには自然に備わっているものなのに自分だけ持っていない....。
「....マリア?聞こえてる?いないの?」
急に耳に入ってきた声にはっとした。大神の声だ。ぼんやりとしていてノックにも気がつかなかったらしい。
「あ、はい。」
慌てて返事をする。
「ああ、良かった。中にいるの?ちょっといいかな?」
「ええ。」
マリアは慌ててドアの方に寄って開けた。
「大丈夫?返事がなかったから。....あれ?」
大神の視線が下に降りていくのを見て自分で今の状態を思い出した。しまった。まだ着替えてない。
「あ....。」
みるみるうちに体中の血が顔に上ってくるのがわかった。
「そ、その....これは....。」
狼狽して言い訳をしようとしているマリアに大神が微笑んだ。
「よく似合っているよ。綺麗だ....。」
「た、隊長、お世辞はいいですから....。」
「お世辞じゃないよ。....マリアは綺麗なんだから、いつもこういう格好でもいいのに。」
「あの、用事は?」
真っ赤になりながらもなんとか話題をはぐらかそうとして大神に聞いた。
「ああ、そうだ。米田長官からあさって、花小路伯のところにおつかいに行くように頼まれたんだけど....久しぶりだしマリアも一緒にどうかなと思って....。」
「あ、はい。ではお供いたします。」
「じゃあ、俺、朝は用事があるから午後2時に玄関ね。」
「承知しました。」
とにかく、早くドアを閉めてこの服を脱ぎたかった。
「では、かえでさんに外出届をだすことにします。失礼します。」
あわててドアを閉めるとほっと胸をなでおろす。とんでもないところを見られてしまった。急にこんなものをはいていて隊長はどう思っただろう?考えるだけでも恥ずかしくなったマリアは慌ててスカートを脱いでクローゼットの奥にしまいこんだ。

大神と一緒に横浜に行くのは久しぶりだった。考えて見ればあの黒鬼会との戦いのあと、横浜に行って以来だから、もう随分になる。大神はなんだか米田長官から書籍らしきものが入った封筒と何か包みを渡された。これを花小路伯に渡すように言われているらしい。
「残念だなぁ。」
横浜に向かう蒸気鉄道の中で大神がつぶやいた。
「え?なんですか?」
「マリア、いつもの服装だから....。」
つまらなそうな顔で口をとがらす。そのしぐさがまるで子供のようだ。
「この前、スカートはいていたから....今日はてっきりスカートかと思ったんだけど....。」
「あ....。」
あのときのことを思い出して顔が羞恥で真っ赤になる。
「似合わないんです....やっぱり....。」
「え?だって、この間とても似合っていたのに....。」
「お世辞はいいですよ、隊長。」
マリアが苦笑いしながら言った言葉に大神はむっとしたようだった。
「お世辞じゃないよ。」
思いのほか強い口調にマリアが驚き、思わず謝ってしまう。
「す、すいません....。」
「あ、いや、ごめん....。でも、俺、本当にお世辞でなんて言っていないから....。」
大神はそのまま俯いてしまった。そのまましばらくの間、沈黙が流れる。マリアは大神の俯いたままの横顔を見ていて急に不安になった。なんだか怒った顔をしているように見える。気に障ることを言ってしまったのだろうか....。怒っているのだろうか....。久しぶりの一緒の外出で浮き足立っていた気持ちにみるみるうちに暗雲が立ちこめる。沈黙はずっと続く。どうして何も言ってくださらないのだろう。このまま、嫌われてしまったらどうしよう。どんどん悪い方へ考えが落ちて行くマリアの瞳の中に映っていた大神の横顔がじわりとにじんだ。謝らなければ。マリアの唇が少し震えながら言葉を発しようとしたときに大神がふとマリアの方を見る。
「マリア....?」
様子が違うマリアに大神が首をかしげる。
「ごめんなさい....。」
小さな震える声でそれだけを搾り出した。今度はマリアの瞳が潤んでいるのに気がついた大神が慌ててしまった。
「ごめん、ちょっときつい言い方だったね。マリア、ごめんね。」
「いえ大丈夫です。すいませんでした。」
大神がすこし困ったような顔をしている。それから話しにくそうにようやく口を開いた。
「その....この間、ちょっと嬉しかったんだ。前に衣装部屋でスカート持っていないって言ってたのに....着ていたから....。もしかして俺のためかなーなんて勝手に思い上がっちゃって....。」
恥ずかしそうに大神が言う。
「だから、今日、着てくるもんだって....勝手に思いこんでて....。恋人みたいにして腕を組んで、一緒に歩いてとかって勝手に想像しててうかれてたんだ。どんな服をきていてもマリアはマリアなのにね....。ごめん。」
その言葉を聞いて、マリアは少し悲しそうに眉を寄せて、俯き加減で答えた。
「似合わなかったんです....。女らしくなくって....。もーすこしさくらやすみれみたいにかわいければ似合ったのかもしれないんですけど。」
その言葉に大神がきょとんとした顔をしている。
「女らしくない?誰が?」
「私です。」
「どうして?」
「怖い顔ばかりしていて....。」
泣きそうなマリアは必死で涙をこらえて言う。
「ほら、見てごらん?」
大神は丁度目の前にある蒸気鉄道の窓ガラスを指差した。
「なんですか?」
「ちょっと見にくいけれど、マリアの顔。映っているだろう?」
「え?ええ....。」
「女らしくないかい?」
そう言われても....。マリアは困った顔でガラスを再び覗き込んだ。
「よく見えないか。まだ昼間だもんな。でも俺、マリアは女らしいと思うよ?」
「だって....。」
「マリアが見たのは花組のリーダーの顔だろ?たしかに、みんなの前でちょっとは怖い顔してないと、花組はまとまらないからなー。」
大神はマリアの顔を見てにっこりと微笑んだ。
「何しろ、カンナとすみれくんの喧嘩を止められるのはマリアしかいないし。俺じゃいうこときいてくれないから。さくらくんや紅蘭や織姫くん、アイリスやレニの面倒見るのも笑ってばかりじゃだめだよね?本当にその苦労は俺にはよーくわかるよ。」
大神はうんうんとうなづきながらいった。普段、そういうことで苦労しているから実感もよく涌くのだろう。
「隊長ったら。」
ようやくマリアが笑ったので大神はほっとした顔をする。
「今度さ、あの服着て、二人でどこかにデートしに行かないか?」
「でも....。」
「でも?」
「いえ、なんでもないんです。」
マリアはそのまま目をそらしてしまった。

「じゃ、乾杯。」
かちんとグラスを鳴らす。
「出た時間が遅かったからあまりゆっくりとできなかったね。」
「ええ、でも仕方がないですよ。」
「せっかく日本に戻ってきてからの初めてのデートだったのになー。」
大神があまりに残念そうに言うのでマリアがおかしくなって笑っている。
「あ、ほら。窓を見てごらん?」
大神が指を指す。窓の外は既に暗くなっている。
「ね?笑顔でしょ?」
大神の言葉にマリアははっと気がついた。確かに窓ガラスに映っている自分の顔が笑っている。口元をほころばせて目がたれていて。自分でも信じられないくらいに穏やかな笑顔をしている。
「あ....。」
「俺、いっつもそういう顔のマリアを見ているんだよ?」
いたずらっぽい顔で大神はマリアの顔を覗き込んだ。
「昼間も言ったように花組リーダーとしての怖い顔も見ているけどね。俺もよく怒られるし。」
「それは隊長が....。」
マリアがむきになって反論しようとするのを大神は微笑んで先を続ける。
「でもね、二人でいるとこんな女らしい顔をしてくれるんだ。マリアがそういう顔をしてくれるとなんだか嬉しくってさ。少しは俺のこと、好きでいてくれるんだなって....。マリア、自分にもっと自信をもちなよ。かわいいし、きれいだと思うから。」
「でも....。」
「でも、何?」
そういえば昼間の会話も『でも』で途切れてしまったのを大神は思い出した。
「自信ないんです....。やっぱり....。」
またマリアのテンションが下がる。これはよっぽどの根深い自信喪失。
「女らしさってどういうのかな?外見だけじゃないと思うよ?マリアはみんなの世話したり、よく料理をしたり、掃除もするし。よく気がついて俺なんかしょっちゅう助けてもらっている。そういう生活のことや性格なんかをぜーんぶひっくるめて女らしいって言うんじゃないかなぁ?もし、世間一般的に言う女らしさと言うものが外見だけをさすものなら、俺、女らしくない人でもいいや。」
マリアの顔がぽっと赤くなる。
「マリア、いいかい?間違えちゃいけない。さくらくんやすみれくんは確かにかわいいし、いい子だと思うけど、俺はマリアを選んだんだよ。俺にはマリアが一番女性らしく見えるんだ。だから無理にさくらくんやすみれくんのようにならなくたっていい。マリアはマリアのままでいいから。」
「はい....。」
マリアが真っ赤な顔で照れながらうなづいた。大神はそんなマリアを見ていてとても嬉しい。こうやって、ひとつずつマリアが自分で思いこんでしまっている事、悩んでしまっていることをゆっくりと解決していけたらいいと思う。いたずらっぽく笑いながら大神は次のチャンスの為のお願いをしてみた。
「だから、今度はあれ着てきてね。」
「わかりました。」
どうにも、あのスーツが惜しいような、そういう大神のそぶりをマリアが笑って答えながらなんだか不思議な気持ちを味わっていた。一人でいるとどんどん悪い方向にいってしまう考えが二人でいると、いや、大神と話しているとどんどん明るい気持ちなる。あれほど後悔したスーツも、明日には似合う靴やバッグを見に行く気分になってしまう。
「良かった。ようやく笑った。」
大神の言葉にマリアが微笑んだ。
「はい....。今度はいつにしましょうか?」
「そうだな....季節が変わる前にしよう。」
大神はそっとマリアの右手の小指を自分の小指で絡め取る。
「約束。」
大神と絡めた小指を見つめながらマリアは次の休みの日までに買物を済ませなくてはと考えていた。

END

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