ライバル

 

「あ、当ったわ…。」
目を真ん丸くして信じられないといった風情で呟いたのはマリアである。
「ということは、マリアが主役ね。がんばってね。」
「は、はいっ。」
緊張気味に上ずった声でかえでの励ましに答える。マリアがくじ引きで当てた役は女役。しかも王子様役との恋愛ものなのだ。太正14年クリスマス公演『奇跡の鐘』以来の本公演での女役である。
「よろしくな、マリア。」
マリアの相手役を引き当てたカンナが嬉しそうに笑った。花組の最年長コンビがそのまま舞台でコンビを組むのは大変に珍しい。稀にコンビを組んだとしてもカンナ得意のアクションもので、双方とも男役でのコンビで今回のような恋愛ものでは初めてだった。
「こちらこそよろしくね、カンナ。」
稽古のスケジュールを確認してその日は解散となる。そそくさと自室に戻ると仕事熱心なマリアは早速貰った台本を読み込んだ。いや仕事熱心というよりも、初めてと言っていいほどの女役で心躍らせ、はやる気持ちで台本を読み込んだと言った方がいいかもしれない。マリアにとってはそれ位に嬉しい出来事のひとつであったのだ。何しろ花組創立以来マリアがやる役と言えばほとんどが男役。カンナ共々大きな身長がたたって(?)いるのである。女性ファンの中には完全にマリアを男性として見ている人までいるのである。マリアはあまり役柄にこだわらず、なんでも一生懸命に演じる性格であったが、それでも過去一度だけ奇跡の鐘で女役を演じたときには格別に嬉しかったのだ。男役だけだった自分の可能性が広がったような気がして、また、少しは女らしくした自分を隊長に見てもらえたから。
「隊長…なんておっしゃるかしら…。」
自分で呟いて、ぽんっと頭の中に大神の屈託のない明るい笑顔が思い浮かばれて思わず一人で赤面する。そう言えばあの奇跡の鐘で主役の聖母マリアに指名してくれたのは隊長だった。他の候補を差し置いて、私を指名してくれただけでも嬉しかったのに、主役を演じて、それが好評で。本当に楽しく、嬉しい思い出。でも、そんなことばかり言ってはいられない。今度はクリスマス特別公演ではなく、本公演で長期間演じなければならない。プレッシャーがだんだんとマリアにのしかかってくる。
「本当にできるのかしら?」
マリアはひとりごちた。何しろ、女役の経験不足の上、しかもロマンスの要素も入っている。前は聖母役だったから、清らかに、聖書にある通りの聖母マリアを演じてれば良かったけど…。
「マリア、いるかい?」
どうしたものかと思案していると、丁度そこにノックと共にカンナにしてはやや低めのトーンの声がする。
「ええ、どうぞ。」
いつものようにバーンと元気良くではなく、かちゃりと静かにノブを回して入ってきたのはいつになく思いつめた表情のカンナだった。
「どうしたの?カンナ?」
「マリア、あたい、頼みがあるんだ。」
カンナはマリアの前まで来ると部屋の床にぺたんと正座し、長いつきあいの中でも1,2度しか見たことのないような真剣な表情でマリアに訴えた。
「頼む!あたいを王子様にしてくれっ!」
あまりにも唐突な、突飛な内容のお願いにマリアは口をぽかんとあけてしまった。
「あたい、いままで王様役はやったけど、王子様なんてやったことがない。しかも今回、マリアがいつもやるような恋物語の二枚目の王子様だから…。あたい、そういうの苦手で。」
カンナは普段アクション関係の役柄が多い。
「お、王子様にしてくれって言われても…。」
困惑の表情が隠せないでいるマリアにさらにカンナは詰め寄ってもう一度頭を深く下げた。
「頼むっ!」
土下座せんばかりのカンナの勢いに押されてやむなくマリアはうなづいた。どうしよう、自分だって自信がないのに。少しの間考えていたマリアはようやく何かを閃いたようで、カンナの前にしゃがみこんで言った。
「わかったわ、カンナ。こうしましょう。あなただけでなく、私もやったことがない役柄に挑戦しなければならないの。カンナが王子様らしく見えるためには私も女らしく見えなければならないでしょ?そのためにはお稽古あるのみよ。私、カンナが納得するまでお稽古に付き合うから、その代わり、カンナも私が納得するまでお稽古に付き合って頂戴。いいわね?」
マリアの言わんとする内容を飲みこんだカンナがマリアの白い手を握り締めぶんぶんと上下に嬉しそうに振った後、感激のあまりにカンナはマリアを抱きしめた。
「ありがとうっ、マリア!」
そこから二人の特訓が始まったのである。
 
「すごい気合デース。」
織姫が付き合っていられないといったような顔で舞台袖から出ていった。既に夜の10時を過ぎている。
「立ちポーズがなってないわ、カンナ。」
マリアが厳しくカンナにチェックを入れる。
「足は蟹股にしないのよ。足は揃えて。背筋伸ばして。胸張って!」
そういうマリアはハイヒールで舞台に上がっている。これも歩みを女らしく細かくする習慣をつけるためである。二人とも役作りは真剣だった。既に花組全員での稽古は終わって、マリアとカンナだけが自主的に居残り稽古を続けているのだ。これがもう既に何日か続いている。その内容というのがカンナの立居振舞、小さな仕草まで一つ一つマリアがチェックしているのだ。一方マリアはというと、普段の低い声を少しハイトーンにして話し、指先の揃え方、目線の送り方まで自分で注意している。
「本当に呆れますわね。」
大神が夜の見回りの途中で二人の練習の様子を舞台袖で見ていると急に後ろから声がした。振り返るとすみれが立っている。
「すみれくん。」
「もうこんな時間ですのに。…私の気晴らしの踊りができませんわ。」
すみれがやれやれといった表情で肩をすくめた。すみれはなんだかご機嫌が悪いようである。でもなんだかんだ言って様子を見に来ているあたりがいかにもすみれらしい。大神の横からひょいっと舞台の方を覗きこんだ。
「お二人の調子はどうですの?」
「まだカンナが納得していないみたいだ。マリアとのバランスを考えているようだね。」
大神の報告にふふんと嘲るように鼻で笑う。
「トップスタァになるのにはカンナさん程度の実力ではかなりの努力が必要ですわね。ま、どんなにがんばってもこの私、神崎すみれには叶わないでしょうけれども。中尉、せいぜい過労で倒れないように注意してやって下さいな。」
世話の焼ける方たちですこととほほほと甲高い声で笑いながらすみれが舞台袖から出て行った。丁度きりのいいところまで終わったマリアが後ろに立っていたカンナを振り返る。
「あら、もうこんな時間。カンナ、休憩にしましょう。」
マリアが台本を閉じてふぅっと息を抜いた。かれこれもう3時間もぶっ通しで稽古をしていた。カンナも一緒に台本を閉じて舞台袖の方に歩いてくる。きっと花組創立以来、こんなに長い間集中して練習したのはこれが初めてだろう。二人だけだからかなり内容も濃くなっている。
「お疲れさん。」
袖で見ていた大神が二人に声をかけた。
「隊長、夜の見回りですか?」
「ああ。お稽古熱心なのはいいけど、あまり無理をしないようにね。」
「はい。」
マリアの隣でカンナがぐったりと元気のない顔をしている。
「あー腹へったぁ。」
どうやら燃料切れらしい。無理もない。ずっとお稽古で立ちっぱなしでなのだから。
「ああ、そう思ってさ。食堂に夜食の用意をしておいたんだ。おにぎりなんだけど。」
これは大神からのほんの差し入れ。やけに頑張っている二人にささやかなプレゼントである。その言葉にぱっと明るい顔をしたのはカンナであった。
「サンキュー、隊長、助かるぜ!マリア、食堂行こ。食堂。」
「そうね。せっかくだから頂きましょう。隊長、ありがとうございます。」
「いや、二人とも毎日頑張ってるからね。」
早くしろとばかりにカンナがマリアの腕を取る。
「わかったわ、カンナ。食べながらもう一回、ちゃんと整理しましょう。」
マリアはまるでカンナに連行されるように食堂に引きずられていった。
 
それから大神は1階の見回りをし、地下の見回りをしてから2階の自室に戻った。部屋に入ろうとノブに一度手をかけたがふと気になって二人がどうしたか食堂に行って見ることにした。いくら熱心とはいえもう既に夜の11時を過ぎている。そろそろ寝ないと、最近、ずっと二人とも遅くまでのお稽古をしているのでどうかすると体を壊しかねないからだ。食堂は静かで、もう二人とも舞台に戻ったのかと思いながら大神が食堂を覗くと、夜食でお腹が一杯になって疲れが出てきたのか、二人仲良く肩を寄せ合って寝てしまっている姿を発見した。カンナならいかにもやりそうだけど、マリアまでもがカンナの肩にもたれて、そのマリアの頭にカンナがもたれて眠りこけている。大神は起こそうと二人の側に歩み寄った。しかし、こうやって改めて見ると本当に二人ともかわいい寝顔をしている。マリアはいつも隠している目が髪の間から覗いていてあどけない顔をして、一方のカンナはマリアが一緒だからか、安心しきった顔で少し微笑んでいる。連日の特訓でかなり疲れているに違いない。起こして部屋に戻そうと大神は思ったが、なんだかあまりに二人ともよく寝ているので起こすに忍びなくなって、せめて風邪でも引かないように毛布を持ってきてそっと二人にかけてやった。
「おやすみ。」
二人は静かな寝息を立てていた。
「あらまー。ほんま、絵になっとるわ。」
紅蘭がくすくすと笑ってから記念の写真をとった。マリアとカンナは食堂で寝入ったまま朝を迎えてしまった。食事をしに降りてきた他の隊員が寝ている二人を取り囲むようにして笑いながらみている。
「ほんと、仲いいですねぇ。」
さくらも笑っている。
「誰が毛布をかけたんだろう?」
「お兄ちゃんだよ、きっと。」
レニの問いにアイリスがほらねと毛布の端っこのネームを指す。確かに大神とあった。
「こうやって二人で寝ているとやっぱりお似合いでーす。」
みんながまたくすくすと笑ったその声でマリアの瞼がぴくぴくっと小刻みに動いた。
「う…ん。」
ゆっくりと明るい碧の瞳が見開かれる。
「おはようございます、マリアさん。」
さくらの声でマリアの目がぱっと覚める。
「ああ、おはよう。…いけない、昨日、休憩しながら寝ちゃったんだわ。」
マリアは慌てて上体をきちんと起こした。
「疲れているようですね。無理しちゃだめですよぉ。」
マリアが動いたのでそのマリアにもたれて眠っていたカンナも続いて起きる。
「カンナ、ごめん、寝ちゃったみたい。」
マリアの言葉にまだ寝ぼけ眼のカンナがごしごしと目をこすった。
「ああ、んー。おはよう。」
「これ、誰が?」
マリアが立ちあがって毛布をたたみながらさくらに尋ねた。
「大神さんだと思いますよ。」
「悪い事しちゃったわ。」
マリアがこきこきと首をまわす。ずっと同じ体勢で寝ていたので首がかなり凝っているようだ。毛布を脇に抱えるとまだ椅子に座っているカンナを振り返って言った。
「カンナ、私、お風呂入ってくるわ。あのまま寝ちゃったから。」
「あたいも行くぜ。」
「じゃ、一緒にいきましょう。」
二人でサロンを出て行った
「本当にいつも何するのも一緒やなぁ。」
紅蘭が笑いながら見送る。
「すごい気合だよね。今回の舞台、面白そうだ。」
レニもうなづいた。
 
「なぁ。マリア。昨日のあのシーンだけどさ。」
「うん?」
マリアが体を洗いながらカンナの提案を聞いている。今回の役作りにカンナはすごく熱心である。マリアはそれに対する感想や取り入れるか否かの返事をした。また台本に書き込みをしておこう。マリアはそう思いながら体を洗い始める。
「背中流そうか?マリア。」
カンナがにこにこしてマリアの背中を洗い始めた。
「あたいさぁ。結構嬉しいんだよね。よーやくちゃんとした男役になったかなって感じで。」
カンナは上機嫌でマリアに言った。
「え?ちゃんとしたって?」
「だんだん普通の男の人が演じられる自信がついてきたんだ。マリアのおかげだ。」
「それを言うならカンナのおかげで私は女役できるんだけど。」
「ま、お互い様ってことだな。」
「そうね。じゃあ、カンナ、今度はあなたの背中を流すわ。」
マリアは泡の沢山ついているタオルでカンナの広い背中を洗い始めた。
「それにしてもカンナ。どうして今回はこんなに熱心なの?」
マリアはずっと気になっていた事を聞いてみる。
「ああ、んーと、前からさ、こういう役やって見たかったんだ。同じ男役でもこういうのやったことなかったし。もう少し、自分でも幅を広げたいなーって思ってて。でも、まぁ、その、こういうのって難しいだろ?あたい、どうにもガラじゃないしさ。今回、たまたまマリアが女役やるんでこっちに回ってきたんだけど、それも一つのチャンスだと思ってさ。」
カンナが恥ずかしそうにぽりぽりと鼻の頭を掻きながら答える。
「それに、その…、今回はマリアが相手だからさ。やりやすいかなって思って。」
カンナにしては珍しく照れたような表情をしている。
「あたい、まだまだ大根だけど。少しづついろんな役をやってみたいんだ。」
カンナらしい前向きな答えにマリアは思わず微笑んだ。
「で、マリアは?マリアもどうして今回、こんなにはりきってんだ?」
「カンナと同じよ。」
マリアが笑う。嘘ではないけど、それだけではない。もう一つは女役を演じる、ドレスを着た自分が少しでも綺麗に、女らしく彼に見えるように…。
「お互い、慣れない役だけど頑張ろうな?」
「そ、そうね。」
マリアはカンナの言葉に慌ててうなづくとカンナの背中の泡をお湯で丁寧に流してやった。
 
二人の特訓は公演開始直前まで続いた。他の隊員もそれには半ば呆れ、半ば尊敬していた。特訓の成果はかなりなもので舞台の質にはうるさい織姫さえもあまり今回は文句を言わないでいる。やがて本公演が始まった。マリアの女役は大正14年のクリスマス、「奇跡の鐘」以来だったのでこれは珍しいとばかりに高い前評判を呼び、チケットはほとんど完売。今日はその初日。満員御礼の札止めで劇場は大混雑。大神はもぎりの仕事を終わらせると舞台を覗きに行った。普段なら客席の一番後ろから見ているが今日は立ち見も出来ないほどに混雑していたので舞台の袖から見ることにした。
「そなたが…あの時の…。」
「申し訳ございません。だますつもりではなかったんです。」
舞台ではマリアとカンナの熱演が続いている。客席のほとんどが若い女性である。マリアの熱狂的なファンが客席を埋め尽くしているのだろう。私生活でも一番の親友同士の芝居で、しかもあれだけ熱心にお稽古していただけに息がぴったりと合っている。
「もう…いい…。何も言うな…。」
カンナがマリアを抱きしめた。さすがにマリアの身長で抱きしめたときに様になるのはカンナしかいない。こうやって見るとなかなか似合いだと大神は思った。心の中はちょっと悔しい事は悔しいが。大神がマリアを抱きしめるとカンナのように肩口にマリアの顔が埋まるのではなく、自分の顔がマリアの肩口に埋まってしまう。男女逆なのだ。やっぱ、カンナくらい身長が欲しいよなァ…。大神は心の中で呟いた。そうすれば、マリアと並んで歩いても彼女がもっと甘えてくれるようになるのに。舞台ではカンナの王子様がマリアのお姫様をエスコートしている。ああ、俺だってそうやってマリアをエスコートしてみたいよ。大神はうらめしそうにカンナの王子様を見つめていた。
「姫…。」
「王子様…。」
今回の見所、キスシーンで一斉に女の子の悲鳴が上がった。実際にやっているわけではないのだが、あまりの二人の熱演でしているように見えてしまうのかもしれない。最後の二人の結婚式のシーンではマリアがウェディングドレスを着る。これはなかなか見れるものではなく、マリアのファンの女学生たちが再び黄色い声をあげた。マリアのウェディングドレスも綺麗で立ち居振舞いから何から女性らしさがにじみ出ている。堂々としたカンナに少し恥じらいを含んだマリア。これはマリア男役さくら女役、すみれ悪役カンナ敵役に続く花組名物コンビになるかもしれない。かくて初日公演は大成功を収めた。
「ご苦労さん。」
終わってから楽屋で休んでいるマリアとカンナに声をかけた。
「初日、成功おめでとう。」
「ありがとうございます。」
「あー、つかれたぜー!」
カンナがごろんと転がった。
「様になっていたよ。男らしい堂々とした王子様ぶりで。」
「へへっ、そうかぁ?そういわれると嬉しいねェ。」
「カンナ、衣装がしわになるから寝転ばないで。」
マリアに注意されてしぶしぶカンナが起き上がった。さくらがその横で化粧を落としている。
「今日のお客さん、すごかったですねェ。みんなマリアさんのファンかしら?」
「すごい悲鳴だったね。悲鳴で劇場が壊れそうだ。」
レニがマリアに言うと照れた彼女は真っ赤になっている。
「でも、似合っていたよ。特に二人で最後にワルツを踊るところなんかよかったよ。」
大神のフォローの言葉にマリアが嬉しそうに頬を染めていた。でも、彼女はまだまだ不満そうに失敗を口にする。
「そうですか?いつも、男役なんでちょっと大股になってしまって。」
「ああ、大丈夫。あたいも大股だから。おかげで踊りやすかったけどな。」
さすがに名コンビ。
「踊りが大きくって舞台映えしていましたー。」
織姫が横でうんうんと満足そうにうなづいた。織姫が言うのだから大丈夫とマリアがほっとしていた。
「マリアの身長にカンナの身長がつりあってたもんね。」
アイリスも織姫に同調した。
「一番の見せ所はやっぱりキスシーンやな。お客さん、卒倒しそうな人、いましたもん。」
紅蘭が笑って言う。
「あれはしていないでしょ?」
大神の質問にカンナがウインクして答えた。
「一応、寸止めってことになっているんだけど、ま、そのあたりはぶつかることもあるわけだ。」
すみれはちょっと気に入らないらしく意地悪そうに眉を吊り上げてカンナに突っかかっていく。
「そのうち、変な噂、飛び交いますわよ。」
「変なって?」
「レズとか。」
マリアとカンナが二人で顔を見合わせて噴出した。
「あたいとマリアがぁ?ぎゃははは。そりゃ、いーや。」
「どっちが男?」
マリアも苦笑している。
「そりゃ、カンナはんでしょ?」
「そっかー。それもいいかもしれない。あたい、男だったら絶対にマリアを嫁にもらうもん。」
カンナが畳をバンバンと叩いて笑い転げながら言った。
「でも、こうやって見ると、本当にお似合いでーす。」
織姫がちゃかす。マリアとカンナがもう一度顔を見合わせた。
「そうかしら。それほどいわれるのなら、結婚する?カンナ?」
珍しくマリアが笑いながら冗談にのってきた。
「ああ。そうだな。あたいはいいぜ。マリア、幸せにしてやるよ。」
「もぉ、何言ってるんですか!マリアさんまで!」
怒ったのはすみれだった。
「いいかげんになさいませ。」
鼻息も荒くマリアとカンナに再び食って掛かった。マリアはあまりのすみれの勢いに面食らってびっくりして目を真ん丸く見開いている。
「そういう問題ではないでしょ?嫁入り前にそんな噂になったら、どういたしますのっ!?」
「いいじゃん、別に自分達がいいって言ってるのに。」
カンナがうるさいなぁと言わんばかりに口を尖らせた。
「マリアさんまで悪ふざけして。中尉、この方たちになんとかおっしゃってくださいな。」
「でも、確かに似合うなぁ。」
急に話を振られた大神が困って苦笑すると怒ったすみれが勢いよく立ちあがる。
「もう、お付き合いしていられませんわっ。」
そういってさっさと自室に戻ってしまった。
「あーあ、怒らしちゃった。」
アイリスが肩をすくめる。
「悪乗りしすぎたかしら?」
マリアも肩をすくめた。
「いいって、いいって。あーゆー時は何言っても気に入らないんだから。」
カンナがマリアを慰める。
「そーそー、やきもちや。ほっときなはれ、マリアはん。」
「日本のことわざで『触らぬ神にたたみなし』っていいまーす!」
紅蘭の言葉に織姫もうなづく。
「織姫、祟りなしだよ。」
レニの訂正にみんながどっと笑った。
 
その日の夜。すみれはなんだか部屋で一人お花を活けるにも気力がなく、ただぼんやりと一人サロンでお茶を飲んでいた。読もうと思って持ってきたファッション雑誌は1時間ばかり同じページが開かれている。
「すみれくん?」
「あら…中尉。」
「どうしたんだい?」
「あ…お茶を…。」
大神がカップの中を見るとお茶はとうに冷めていて、しかも結構時間が経っているようでミルクティーに膜が張ってしまい、しかもやや変色している。
「俺が入れ直してあげるよ。」
「まぁ…ありがとうございます。」
大神はミルクティーを入れ直してすみれの前に置いた。
「どうしたんだい?考え事?」
「なんでもないですわ。」
すみれはほぅっとため息をつく。
「カンナとマリアのことかな?」
言うとすみれが真っ赤になった。
「あたり?」
「本当に嫌な方。勘の鋭い殿方は嫌われましてよ。」
すみれは怒ってぷいっと横を向いた。
「ははは、ごめん、ごめん。」
大神がとりあえず謝まるのを聞くとすみれはふうっと大きなため息を一つついた。ばれているのなら仕方ないと思ったのか、独り言のようにゆっくりと大神に話し始めた。
「私は…ずっとカンナさんとコンビで舞台に立ってまいりました。それからマリアさんとも。…今回、二人が舞台で主演をしているのをみて、なんだか自分に腹が立ちましたの。」
「どうして?」
「二人とも…今回はすごく真剣で…。毎日、随分夜遅くまでお稽古をしておりましたでしょ?私とのときはどちらもそんなに熱心でもなかったのに…。どうしてですの?私だって今まで真剣にやって参りましたわ。」
すみれは辛そうに目を伏せた。しばらくの間、沈黙が流れた。大神は先を促すことなくすみれの気持ちが落ち着くまで待っていた。やがて、すみれがまた続きを話し始めた。
「それに…いつもカンナさんとはかけあい漫才のようになってしまいますでしょ?罵り合いの大喧嘩。それがうけているという見方も出来るわけですけど…。でも、今のマリアさんのように、ちゃんと女役として勤め上げていれば…。カンナさんが王子役としての新しい分野を広げられたわけですわね。」
「…。」
「女役として…カンナさんの男役としての幅を広げられなかった私が自分でくやしいのです。さくらさんでもなく、織姫さんでもなく、カンナさんの幅を広げたのが男役のマリアさんだったというのが余計に悔しいのですわ。」
「そうかなぁ?俺はそう思わないよ?」
予想外の大神の返事にすみれは驚いた表情で聞き返す。
「え?」
「リア王でのゴネリル役のすみれ君がいなかったら、カンナはいつまでもアクションスターだったと思う。それを王様という新たな局面を開いたのはすみれくん、君の導きだと思う。確かに、今回、マリアは王子様としてのカンナを引き出したかもしれない。でも、それはその前にリア王という下地を君が導いていなかったらなかったことだと思うんだ。」
「中尉…。」
勇気づけられて照れるすみれに大神はさらに続けた。
「マリアは普段王子様をやりなれているからこそ、カンナが王子様をしやすいように姫を演じることが出来るんだ。それはもう仕方ないことだと思うよ。でもね、もっと根本を考えると、君が王様役としてのカンナの道を開いたおかげで、カンナどころか今回のマリアが姫役という新しい道を開く基礎を作ったと、そう思えないかな?」
にっこりと笑った大神の顔にすみれが照れていた。
「そうですわね…。そう言うことにしておきましょう。」
すみれはさっき嫌な方と言ったのは前言撤回と心の中で思いながら励ましてくれた大神にこっそり心の中で感謝していた。そこに丁度マリアが大きな紙の袋を抱えて入ってきた。
「すみれ、隊長…?どうしたんです?」
「ちょっとティータイム。」
大神が返事をするとマリアが紙袋の中をごそごそと掻きまわして袋を一つとりだした。
「優雅でいいわね。じゃあ、これを提供しましょう。」
そう言って二人の前にその袋を置いた。
「マリアは何をしているんだい?そんな大きな袋を抱えて。」
「買い物から戻ったところです。カンナの食料…。ゆうべ、飲み比べに負けてしまいまして。」
「まったく、馬鹿馬鹿しい。」
すみれが怒った様に言う。けれどもそんなすみれの様子など無視するようにマリアが続ける。
「今買ってきたんだけどすみれもどう?どうせ、カンナが来たら全部食べられちゃうんだし、先に食べない?」
マリアの持っている袋の中はクッキーだのビスケットだの。お菓子類がほとんどであった。
「ティータイムなら丁度いいでしょ?」
マリアは先ほど出した袋の封を開けてすみれに少し出してやる。すみれは不機嫌そうにふいっと横を向く。その様子を見ていたマリアは小さなため息一つと共に荷物を脇に置いてすみれの正面に座ってその不機嫌そうに歪んだ顔を覗きこんだ。
「すみれ、あなたがやきもち焼かないでもちゃーんとカンナの中にはあなたの場所もとってあるから。安心なさい。」
「だっ…誰がやきもちなんて!」
図星を刺されたすみれが真っ赤になってマリアに食って掛かった。そのあまりのお約束な反応にマリアが可笑しくってたまらないといった風に余計に挑発をする。
「ほーら、素直じゃない。カンナのこと、結構気にしてるくせに。」
「そっ、そんなことありえませんわ!」
「そうかしら?ねぇ?隊長?」
悪戯っぽく笑って側に立っている大神に振る。大神はマリアの意図が読めたらしい。
「気にしてないって言うのなら、マリア、結婚式あげるか?カンナと?」
「だからやめて下さいって言ってるでしょ?」
すみれが再び烈火のごとく真っ赤になって怒った。がたんと立ち上がってマリアに文句を言おうとした矢先、丁度そこにカンナが入ってきた。
「遅いよ、マリア。」
「ああ、ごめんなさい。」
「なんだ?すみれ?何を真っ赤な顔をしてんだ?」
カンナがすみれに近づいてくる。
「ほらほら、落ち着けよ。はい、座って、座って。茶ぁ飲んで。」
ぽんぽんとすみれの肩を叩いて椅子に座らせ、すみれの手に紅茶のカップを持たせる。
「おっ、マリア、買ってきたんだ?」
「そうよ。だって、お腹すいたってさっき騒いだじゃない。」
「サンキュー。へへへ。だからマリアって好きだぜ。ほら、すみれも食おうぜ。うまいんだ、これ。この間、ファンの子から差し入れもらってさぁ。うまかったからマリアにリクエストしたんだ。」
カンナはクッキーを1枚つまんですみれの口に入れた。
「な?うまいだろ?」
こういう時のカンナはすごく強い。すみれを落ち着かせてしまう。怒っていたすみれはなんだか拍子抜けして大人しくくわえさせられたクッキーをもぐもぐと食べていた。
「どこのだ?これ?」
「そこの角から5件目の。」
マリアはくいっと顎で側の路地の方角をさす。
「ああ。わかった。そんな近くだったんだ。隊長も食べなよ。」
「ありがとう。」
大神も座って一緒に食べ始める。
「なんで、最近、機嫌が悪いんだ?すみれ?」
「悪くなんか…!」
身を乗り出して反論しようとしたすみれの言葉をカンナがさえぎる。
「ばーか。おめぇと何年ごしで喧嘩してると思ってんだよ。」
驚いたようにすみれは目を大きく見開いた。
「普段のおまえなら“あーら、カンナさんはやっぱり女としての幸せはあきらめたんですのねぇ”かなんか言うだろ?どうした?」
「別に…。」
「すみれはずっと私とカンナが一緒にいて、仲良く稽古したりしてるから妬いているの。」
「マリアさんっ!」
すみれは怒ってマリアをたしなめようとした。
「なーんだ。ばっかだなー。たまたまさー、二人ともやりなれない役が来たからいつもよりも稽古時間が多くなっただけでさ。」
「そういうこと、私も別にカンナだからじゃないのよ。」
二人のあまりのあっけらかんとした答えにすみれががっくりと肩をおとした。なんで今までこんなにいらだっていたのだろう。すみれはなんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。そうだったのだ。いくら仲が良くったってそれだけの理由でお芝居をどうにかする人達ではなかったのだ。そんなことも気づかないで、ここずっとやみくもに不機嫌に過ごした私って一体…。すみれは自分のあまりの馬鹿さ加減に体中の力が抜けて行く気がした。
「わかりましたわ…。」
すみれが力なくいう。
「もう、お二人で好きなようになさってくださいな。…もー、こーなったら明日っから、この帝劇のトップスタァ、神崎すみれが本気を出して演技しますわ。お客様の目を全部私に集めて見せますわっ!」
強気のすみれが帰ってきた。
「ぎゃはは。やってみー。」
カンナが挑発する。
「そちらこそ、ほえ面かかないようにお気をつけなさいっ!」
すみれはそう言いながらも笑っていた。
 
「それにしても、お客さんの反応はすごいね。」
大神は自分の部屋に報告書を持って来たマリアに言った。
「ええ。本当に私もこんなになるなんて思わなかったんです。」
「でも、マリアの姫役、本当に綺麗だし、色っぽいからな…。」
「そうでしょうか?」
顔を真っ赤にして、いつものように恥ずかしそうに少し俯いてマリアが答えた。この初々しさは出会ってからしばらく経つのに未だに消えないでいる。
「あまりに綺麗なんでちょっとばかりカンナに嫉妬するときもある。」
「まぁ、隊長まで!」
マリアは恥ずかしそうな顔で怒った。
「冗談だけどね。…それにカンナの王子様役もかなり熱演だし、そりゃすみれくんがやきもちやくのも無理はない。」
「ええ。本当にカンナはすごい熱演です。」
「カンナだけじゃなくマリアの演技も真に迫っているって事さ。」
「もし、ほんとは私がカンナと付き合っていたらどうします?」
マリアがいたずらっぽく笑う。
「カンナと決闘だな。…勝てる見こみ、薄いけど。」
二人で笑いあった。
「私ね…嬉しいんです。」
「ん?」
「カンナに新しい道が開けたし、私にも新しい道がひらけたし。」
「そうだな。」
「今回、やってよかったと思います。」
マリアがにっこりと笑った。
「でも、本当にカンナとはなんでもないんですよ?」
心配そうにマリアが俺を見る。
「わかってるよ。俺は楽しそうなマリアを見ているのが嬉しいから。」
「隊長。」
マリアがぽっと頬を赤く染めた。
「カンナに何かしてやりたくって一生懸命なんだろ?それくらいわかるさ。」
俺はマリアを抱きしめようと手を伸ばした。と、そのときに。
「隊長ー!食堂の電球取り替えるの、手伝ってくれー。」
廊下からカンナの声。
「本当はライバルだったりして。」
俺の言葉にマリアがくすっと笑った。



END

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