ある春の日の午後。かえでの部屋には大神とマリアの二人の姿があった。
「うふふふ。米田長官ね、口ではあれこれ言ってるけど、嬉しいのよ。」
かえでが面白くって仕方がないというような笑顔で二人に言った。
「あれでもね、マリアはもちろん、カンナや紅蘭やレニの父親代わりを自負しているのよ。だからね、この話を聞いた後、支配人室で姉さんの写真を前に嬉し涙で祝杯をあげていたのよ。」
内緒ねと付け足してくすくすっと小さくかえでが笑った。しかしすぐに表情を戻すと今度は心配そうに眉をひそめる。
「で、どうするの?花組のみんなにはいつ言うの?」
「夕食の時にでもって思っているんですけど…。」
大神にしては珍しく歯切れの悪い答えに今度は意地悪く微笑む。
「うふふふ、無事に済めばいいわね。」
その一言で大神とマリアの笑顔が同時にひきつった。それが二人にとって一番大きな問題である。そんな二人の表情をおかしそうに眺めて軽い口調でかえでが言った。
「がんばってね。」
他人事のかえでの無責任な励ましに背中を押されて二人はかえでの部屋をあとにする。
「がんばってね…か。」
大神が小さくつぶやいた。傍らでは不安そうなマリアの瞳がじっと大神を見つめている。
「頑張らなくっちゃな。」
大神がマリアの不安を拭うように笑顔を見せた。

大神とマリアはさっき、栃木から戻ってきたばかりである。栃木に行っていたのは大神の両親にマリアを会わせて結婚の報告をすることが目的であった。前もって用件を伝えてあったので両親は一体どんな女性が来るのだろうとあれこれ考えていたようだが息子が連れてきた女性があまりにも想像とはかけ離れていたために最初は面食らったようであった。しかし、少しづつ話をしているうちに二人の気持ち、特にマリアの心映えに感心し結婚を祝ってくれたので二人にとっての大きな難関のひとつを無事に超えることができ帝都に戻ってきた。そしてほっとする間もなく今度は花組にこの事をちゃんと言わなければならないと二人は帰りの汽車の中で相談していた。このままずるずると報告が遅れては後ろめたい気持ちがどんどん大きくなってしまう。二人に残されている一番大きく、難しい問題はこの事である。マリアは大神がどんなに花組の隊員から好かれているかをよく知っている。それがただの人間や隊長としての好きではなく、一人の男性としての好きであることも。だからこそ最大の難関だと思っているのである。
「俺が言うよ。」
考え込んでいるマリアに大神が言った。
「でも。」
「俺がマリアを選んだんだ。だから俺が言う。マリアは何も言わないでいい。」
「わかりました。」
花組のみんなに何をいわれようとも全員からちゃんと理解をしてもらうまで頑張る覚悟を決めていた。そうでなければ二人の結婚など意味はない。
「よし、行くか。」
大神の言葉に緊張した面持ちのマリアがうなづく。これから最後の難関に挑まなければならない。これを避けて通る事はできないのだ。二人で覚悟を決めて食堂に降りて行くと既にみんなが集まっていて、カンナなどは3杯目のごはんをかっこんでいるところだった。
「大神はん、遅いで。マリアはんもはよ食べんと、カンナはんに全部食われてしまうで。」
紅蘭が笑顔で出迎えてくれる。いつもの位置にマリアが座るのを確認すると大神はそっと深呼吸をした。
「みんな、実は聞いて欲しい事があるんだ。」
大神は意を決して切り出した。突然のことにみんなの顔が大神のほうに向く。きょとんとした顔が7つ。カンナも箸を止めて大神のほうを見た。
「みんなに大事な報告をしなければいけないんだ。」
ゆっくり、そしてはっきりとみんなに聞こえるように言う。
「なんですの?いきなり。」
食事を終えたすみれが口元をナプキンでぬぐって不思議そうな顔をして尋ねる。それを受けて大神はつばをごくりと一度飲みこんでから大事な一言を言った。
「俺…結婚することにした。」
「「「「「「「えええ!」」」」」」」
大神の爆弾発言に花組のみんなが一斉に凍った。時間が一瞬止まった。花組の全員の顔は半分くらい目玉になるほどびっくりとして目を見開いている。まるでそれは全員が一斉に金縛りにあっているようにもみえる。
「だ、誰となんですかっ、大神さんっ!」
一番最初に金縛りからとけたのはさくらだった。
「マリアと結婚する。」
7人の顔が一斉にマリアに向いた。ぎらりと鋭い14個の瞳に睨み付けられたマリアはヘビに睨まれたカエルよろしく硬直し、ひきつった笑みをその顔に浮かべている。
「ほんとなんですかっ、マリアさんっ!」
さくらの今にも掴みかからんばかりのすごい勢いにマリアが思わず少し後傾の姿勢になりながらこくんこくんと2,3度うなづいた。それを見た他の6人はみんな目を丸くして言葉も出せないでいる。
「い、いつの間にそおゆうことになったんですのっ!」
次にようやく気を取りなおしたすみれが大神の方に振り返って叫んだ。
「いつの間にって、そ、それは。」
大神もあまりの勢いに後傾姿勢になる。
「中尉さーん、やっぱり日本のオトコー、サイテーでーす!」
続けざまに織姫の攻撃も入る。
「私、私…っ。」
あまりの衝撃に耐えかねたさくらががたんと席を立ってそのまま食堂を駆け出して行ってしまった。マリアが慌てて追いかけようと席を立ちかけたが紅蘭がそれを制止する。
「今、マリアはんが行くと帰って逆効果や。ウチがいってくる。」
紅蘭はそう言って後の始末をカンナに託して食堂を出て行く。
「正気ですのっ!マリアさんっ!」
紅蘭を見送ったすみれが今度はマリアにくってかかった。
「正気よ。」
ようやくマリアも冷静になったらしい。いつものペースが戻ったようでゆっくりとした口調で短く返答する。
「こういうことになるのが分ってて、決めたんですのね?」
「ええ。」
強い口調のすみれの言葉にひるまずにマリアがまっすぐにすみれに視線を返す。そのままマリアとすみれは見合っていた。大神がどきどきしながらそれを見守っていたが、数秒の後にやがてすみれの長いため息でそれが終わった。
「それなら仕方ありませんわ。」
すみれはその言葉を残してすっと席を立つと食器を片付けてさっさと部屋に戻ってしまった。
「マリアさーん、いいんデスカー?日本のオトコ、信用ナリマセーン。」
「隊長は大丈夫よ。」
きっぱりと言い返したマリアに織姫があきらめた顔で笑った。
「マリアさーん、物好きデース。こういうの日本の言葉で『蓼食う虫も好き好き』言いマース。」
織姫はにこりと微笑むと小さくつぶやいた。
「物好きは多いんですねー。」
そうして彼女もまた食事を終えて部屋に引き上げて行く。食堂に残されたのはレニ、アイリス、カンナ、マリアと大神になった。
「ま、めでてえこった。」
カンナが笑顔でがぱがぱとご飯をかきこんでいる。レニは隣のアイリスの様子を心配そうに気遣っている。
「大丈夫だよ、レニ。」
アイリスが少し潤んだ瞳でレニに言った。
「おにーちゃん、アイリスね、知ってたの。」
アイリスがぽつりとつぶやく
「おにーちゃんはマリアが好きなんだって。ずっと前から知ってた。」
寂しげにアイリスが言う。カンナも箸をとめてアイリスの方を見た。
「たまにおにーちゃんと手をつなぐとね、アイリスの事を考えてくれている間にちょっとだけマリアの事、考えているの分ったの。でもね、おにーちゃん、アイリスといる間はなるべくアイリスの事だけを考えるようにしてくれているのわかったから。」
無理に作る笑顔が痛々しい。
「ホントはね、ずーっと前から知ってたから。それでも、いつかはアイリスの事好きになってくれるかなーって思ったんだけど、やっぱりだめだったね。」
えへへと恥ずかしそうに笑ったアイリスの瞳から涙がこぼれた。
「アイリスねぇ、マリアだーい好きなの。アイリスが日本に来たときからぁいっつもお菓子作ってくれて、お勉強も教えてくれて。あやめお姉ちゃんいなくなってから、マリアがあやめお姉ちゃんの代わりをしてくれたよ。アイリスが寂しい思いをしないようにって。それにね、マリアがどんなにおにーちゃんの事好きかも知ってたんだぁ。だから…。」
俯き加減になっていた顔を上げて精一杯の微笑をマリアに向けた。
「マリア、おめでとう。きっと幸せになれるよ。おにーちゃん、優しいもん。」
「アイリス、ありがとう。」
マリアがお礼をいうとアイリスが照れたように笑った。
「アイリス、大人だなー。」 感心したようにカンナが言う。
「あったりまえだよ。もうアイリス、いくつになったと思っているのぉ?いつまでも子供のアイリスじゃないんだからね。」
えへんとカンナに胸を張って威張って見せるアイリスは少しだけ泣き笑いをして目を真っ赤にしていた。
「マリア、結婚したら花組を辞めちゃうの?」
ほっとした表情のレニがマリアに聞いた。
「長官とも、かえでさんとも話をしたんだけど、当分は花組にいることになるの。」
「当分って…?」
「わからないけれど。これからのことはゆっくり考えて決めていこうって思って。」
「劇場からマリアがいなくなっちゃったら…寂しい。」
不安そうな表情のレニにマリアが微笑んで返事をする。
「しばらくはここにいるわ。花組の隊員ですもの。」
「よかった…。ボク…マリアがいなくなったらどうしようかって思った。」
ほっと息をつくレニにカンナも微笑んでいる。アイリスにとってマリアが良き姉であったようにレニにとってもそうである。しかももともとの性格に似ているところのある二人は本当の姉妹のように仲がいい。
「で、どうするんだ?式とか決めたのか?」
カンナがにやにやと笑いながらマリアに聞いた。
「式よりも前にみんなに理解してもらわなきゃだから…。」
「相変わらず、苦労性だなー、おまえ。」
カンナがあきれた顔で笑った。

その夜。劇場内には微妙な緊張が流れていた。ここ、地下格納庫にめずらしい人物が現われたのもそのせいかも知れない。
「よぉ、紅蘭。」
整備中の紅蘭がここでは珍しい声を聞いて顔を出す。
「カンナはん。」
「ちいっと休憩しないか。」
そう言ってカンナが出したのはおにぎりとお茶である。
「いや、気ぃききますなー。」
紅蘭がタオルで手を拭きながらカンナの方にきた。
「途中でさくらおっかけていっちゃただろ?腹減ってるだろうと思ってよ。」
「さすがカンナはん。」
紅蘭が嬉しそうにおにぎりに手を伸ばした。一口かじってから紅蘭がつぶやいた。
「マリアはん、幸せそうでしたなぁ。」
「ああ。」
「ウチも大神はん大スキやけど…ウチ、もう随分前から大神はんの気持ちわかってたんや。」
紅蘭が声のトーンを落とした。
「大神はんはウチらによう気をつこうてくれて…でも、マリアはんにだけは…。」
紅蘭がお茶をぐいっと飲む。
「マリアはんにも当然気をつこうてましたけど…でも、同時にマリアはんにだけは甘えてましたなァ。」
紅蘭がおにぎりをほおばる。
「そうだなぁ。」
カンナも紅蘭の言葉に思い当たるふしがあってうなづいた。
「あたいも、それで隊長の気持ち、わかったんだよなぁ。マリアに怒られても嬉しそうでさ。そういうこと言えばマリアに怒られるって分ってるくせにわざと怒らせて叱られてるし。あれが二人のコミュニケーションなんだよなぁ。」
「ウチらの入る余地なんてまーったくない。」
紅蘭とカンナが笑い合う。
「嬉しかったのは、それでも大神はんはウチのこと、ちゃんと考えていてくれたこと。ちゃんと向き合って、気ィつこうてくれて。ついでに言えば、ウチのこと、ちゃんと女性扱いしてくれはったこと。」
「あ、それ、あたいもだ。」
また二人で笑いあう。
「マリアはんも、偉かったって思うん。隊長と副隊長。馴れ合わないように、かなり自分を押さえてたんとちゃうかな?ふつー、バレバレになるのが当たり前なのに、マリアはんの行動より、大神はんの行動でわかったくらいだから。」
「マリアはそういう奴だからな。」
「ホンマ、真面目なお人や。」
紅蘭は2つめのおにぎりを食べ終わる。
「このおにぎりもマリアはんでっしゃろ?」
「あたり。みんなごはんもろくに食べてないからって。」
「はははは。マリアはんらしいなぁ。」
紅蘭が笑った。
「カンナはんもおおきに。うちのこと心配してくれて。でも、ウチは大丈夫や。心配せえへんようマリアはんに言っておいてくれんやろか?」
紅蘭は明るい笑顔で言った。

「マリアー!いるかー?」
こんこんとノックの音と一緒に聞こえてくるのは親友の声。
「ええ、開いているわよ。」
かちゃりとドアを開けて入ってきた親友は右手に泡盛の一升瓶をぶら下げていた。左の脇にはするめをかかえている。
「飲もうぜ。」
にこにこと笑って言う親友にマリアは苦笑して椅子から立つと彼女のウォッカとコップを二つだしてきた。
「ひさしぶりね。」
「ああ。」
二人で互いにコップを鳴らす。
「おめでとう、マリア。」
「ありがとう…でも…。」
笑顔がすぐに曇る親友の肩をカンナがばんばんと叩いた。
「心配ねぇよ。」 カンナががはははと笑う。
「すみれはあれでもちゃんと理解してる。ま、まだ気持ちを整理するのに今晩くらいはかかるかも知れねえな。花を切るはさみの音、ずっとしてるからな。明日はきっと劇場中生け花だらけだぜ。」
カンナが豪快に笑う。いつも喧嘩ばかりしているけど、一番すみれのことがわかっているのもカンナなのだろう。
「紅蘭も心配ないってマリアに伝えておいてくれって。織姫も大丈夫だしアイリスもレニも。残りはさくらだけどな。」
「ええ。」
マリアの顔が曇る。
「仕方ねぇよ。こういうのは。」
カンナがぐいっと泡盛の液体を流し込む。
「カンナ…カンナは?」
マリアがふと聞いてみる。いつも明るい親友の目が真ん丸くなって、それから少し困ったような表情をした。
「正直に言うとさ、やっぱ隊長は大スキだけど。でも、隊長がマリアを選んだんだ。だからいいんだ。」
「カンナ…。」
「はい、笑って笑って。」
カンナがマリアの頬を軽く引っ張る。
「カンナ、私…。」
マリアは俯いてしまった。結婚することが本当に正しい選択だったのだろうか。マリアは少し迷っていた。そんなマリアの迷いを分ったのか、カンナがにっこりと微笑む。
「大丈夫。きっとみんな分ってくれる。だから、マリアは胸張って、堂々と隊長の奥さんになればいい。」
「カンナ…。」
「さくらだって本当はわかってるんだ。でもな、少しだけ時間がいるんだよ。あいつは一番まっすぐで、一番マリアも隊長も尊敬しているからな。」
「そうだといいんだけど…。」
「そうだよ。」
カンナはマリアのグラスにウォッカを注いでやった。

翌朝。さくらは朝食に下りてこなかった。心配したマリアが部屋に様子を見に行こうとしたが珍しくすみれがその役を買って出る。
「すみれが行くのぉ?」
アイリスがびっくりした顔をしている。
「田舎娘によーく言って聞かせてきますわ。」
そう言ってすみれは食事を終えると2階に上がって行った。
「さくらさん、いらっしゃるの?」
すみれがこんこんとドアをノックする。返事は返ってこない。
「まだ寝ていらっしゃるの?」
部屋の中を歩く音がしてかちゃりとドアがあいた。
「起きていらっしゃるのなら早くお返事なさいな。」
「すいません。」
トーンの低いさくらの声にすみれが小さなため息をつく。
「朝食、片付けてしまいますわよ?早く降りていらっしゃいな。」
「すみません…朝食…いりません…。」
「いいかげんになさいっ!」
いきなりのすみれの怒声にさくらがびっくりして凍りつく。
「いつまで不幸のヒロインやっていたら気がすむんですのっ?あなたのような田舎娘にはそんなもの似合わなくってよっ!」
すみれの目が珍しくまじめである。
「言いたいことがあるのなら、はっきり本人におっしゃいっ!まったく、田舎者はこれだから困りますわっ!いつまでもいつまでもずるずるとっ!」
すみれは一人で怒るとくるりときびすを帰して自分の部屋に戻ってしまった。戸口に残ったさくらは呆然としてそのすみれの姿を見送るとやがて意を決したように部屋の中に戻って行った。

「大神さんっ!お話がありますっ!」
意気込んださくらがサロンにやってきたのはそれからすぐの事であった。サロンではマリアがアイリスに勉強を教えており、レニもその横で読書をしていたところだった。
「な、なんだい?」
大神がひきつりながらも笑顔でさくらに答える。
「教えてください、どうしてマリアさんなんですか?」
大神が瞬間、マリアの顔を見た。マリアは少し困った顔で大神を見つめている。
「どうしてって…。」
「マリアさんでなければいけない理由があるはずです。どうしてマリアさんを選んだのか教えてください。」
大神は鼻息の荒いさくらをとりあえず椅子に座らせた。アイリスやレニは勉強どころではなくなってしまっている。一緒にいたマリアも困った顔で大神とさくらの顔を交互に見ていた。
「どうしてなんて…よくは考えたことなかったけど…。」
大神が少し考え込んだ。
「俺は花組の隊長だから。たとえば自分のプライベートよりも、自分の奥さんよりも花組の隊員の事を心配しなければならないときがあるんだ。マリアならそういうこと、説明しなくてもわかってくれるし、マリア自身もその人の事を心配してくれると思う。それに、もし俺に何かあったときに、マリアなら俺の代わりを立派に勤めてくれると思う。」
「仕事がらみということですか?」
「それだけではないけどね。それがいくつかの理由の一つだよ。」
「そのほかには?」
「うまく言葉にできないんだけど…。」
大神がぽりぽりと頬をかく。今までどうしてマリアがいいのかなんて具体的に考えたことなんかなかった。花組の少女達の中でどうして自分はマリアでなければならなかったのか。それを言葉するということはなんとも難しい作業であった。なかなか答えられない大神に業を煮やしたさくらは今度はアイリスたちと一緒にいるマリアにくってかかった。
「マ、マリアさんはっ!大神さんでなければならないはずはないでしょうっ!マリアさんぐらいの人だったら、他にも沢山いるじゃないですか。それに、それに…マリアさん、最初、大神さんに辛くあたっていたのに。」
今度は攻撃の矛先が自分に向いてきたのでマリアは困惑の表情を浮かべる。
「そうね、確かに最初は辛く当ってたけど…でも…。」
「それは俺が未熟だったからだよ。マリアが言うことが正論だったから。」
「そ、そんな隊長…。」
あの頃のことはマリアが赤面してしまうくらいに今持ち出されると困ってしまう話題のひとつである。
「辛く当っていたのは別に俺が嫌いとかじゃなくって、しっかりとした隊長になって欲しくてのことだったんだろう?」
大神のフォローに救われた気持ちのマリアが続ける。
「はい…。…それにね、さくら。隊長でなければならない理由なんてわからないわ。だって、それはあなただって同じ事でしょう?」
「そ、それは…。」
今度はさくらが返答に困ってしまう。
「だから、その質問にうまく答えることができないのよ。」
マリアが申し訳なさそうに言うとさくらはきびすを返して下の方に降りて行ってしまった。

その夜。さくらはマリアと大神と時間をずらして食事をした。カンナはそんなさくらの様子を心配そうに眺めていたが、やがて何かを思いついたようににっこりと微笑んだ。夜の11時。カンナは紅蘭を誘ってさくらの部屋にやってきた。
「紅蘭、それにカンナさん。どうしたんですか、こんな時間に。」
「少し付き合ってくれんか?」
そういうと二人で半ば強制的にさくらをテラスのところまで引きずって行く。テラスには人影が2つ。よく見るとマリアと大神の姿だった。
「黙ってろよ。」
カンナがさくらに口止めをする。3人でカーテンの陰に隠れて二人の様子をうかがっていた。
「本当に…この選択が正しかったのでしょうか…。」
テラスでは不安気な様子でマリアがつぶやいている。
「マリア…。」
うなだれたマリアが悲しげに言う。
「これでは…せっかく隊長が作り上げた花組のチームワークが崩れてしまいます…。私なんかのために。」
「あ、また言った。私なんかって。」
それを茶化すように大神はわざと明るくマリアに答えた。しかしマリアはがっくりと首を垂れたままで治る気配もない。やれやれという表情をした大神はぽんぽんと元気付けるようにマリアの背中を軽く叩く。
「大丈夫だよ。信じていれば、必ずいい方向にいく。時間がかかることをやろうとしているんだ。すぐに結論がでなくってもいいじゃないか。」 「本当に…そう信じていらっしゃいますか?」
顔を上げたマリアはまっすぐに大神の瞳を見詰めた。大神はマリアの視線をまっすぐに受け止めて大きく力強くうなづいた。
「ああ。それに、できないから逃げるのはいやなんだ。マリアだってそうだろ?」
「ええ。」
マリアの不安が少し軽くなったのを大神は察してすぐに話題を変えた。
「それにしても、厳しい質問だったなァ。」
大神が朗らかに笑う。
「マリアじゃなければいけない理由か。言われて見れば難しいんだけどね。マリアの一番マリアらしいところって、こういうときじゃないと出ないからなァ。」
意地悪を言う大神にマリアが少し小さくなって答えた。
「すいません…素直じゃないから…。」
「あ、あ、そういう意味じゃなくってね。マリアは花組のリーダーとしてやっぱりある程度の威厳はなくっちゃだろ?それを考えるとみんなの前でこういう風にしているわけにはいかないもんな。」
マリアがふぅっとため息をついた。
「私って、そんなにいい人間に見えますか?」
「うーん、まぁね。ソツがなく見えるからね。…もっとも本当はすごくボケてるとか、お茶目だったりするの、俺、知ってるからなァ。」
「う…。」
図星に返答できないでいるマリアに大神は愉快そうに笑った。
「いいじゃないか、そのギャップも楽しい。」
「そうでしょうか?」
「マリアはなんで俺なの?」
「そ、それは…」
マリアがさらに困った表情をして口篭もる。
「ま、いいか。さて。そろそろ中に入ろう。風邪引くよ?」
「ええ。」
二人で中に入ってくると窓に鍵をかけてそれぞれの部屋に戻って行く。二人の姿が完全に消えたのを見送ってから3人がカーテンから出てきた。
「な?マリアだって、本当は一人の女なんだよなー。あいつ、すげぇ照れ屋だし、みんなの手前、いっつも目ェ吊り上げてるけどさ。あれでもかわいいところ、あんだよな。」
カンナの言葉に紅蘭もうなづく。
「今の二人の会話で答えになったか?」
「…ええ。」
悲しそうな顔で目を伏せたさくらはそのままそこにしゃがみこんだ。
「分っているんです。マリアさんと大神さんがお似合いで…。私なんか入る余地もないって…。」
「さくらはん…。」
「でも、それを素直に認めてしまったら…私の今までの気持ちはどうなってしまうんでしょう。」
膝を抱え込むようにしてさくらが泣き出した。
「私、マリアさんを尊敬しています。でも、譲れないんです。」
「そりゃ、わかるけどよ。」
カンナがぽりぽりと鼻の頭をかいた。
「あたいも親友だけど、譲れないって思ってた。…でもなぁ、隊長のあの顔を見てたらな。仕方ねェって思うようになった。悔しいけどな。」
カンナの告白にさくらが顔をあげてカンナの顔を意外そうな顔で見つめる。
「なんだよ、あたいだって女だぜ。」
「そうですわね、あなただって、一応、女のはしくれですわね。」
急に後ろから聞こえた声に驚いて振りかえるとそこにはすみれと織姫が立っていた。
「なんだよ、すみれ。」
「聞こえてしまいましたわ。相変わらずの大声ですこと。」
ふふっと愉快そうにすみれが笑う。
「さっくらさーん、仕方ありませーん!あきらめましょー。」
織姫が調子はずれの声で言う。
「譲れないって思うのは、みんな同じことですわ。」
すみれの言葉に珍しくカンナもうなづいた。
「マリアさんも真剣で。中尉もあんなに真剣なら…私たちが割って入るのは野暮と言うものではないかしら。」
すみれはすみれなりに自分の思いを殺して、乗り越えてきたのだ。
「蓼食う虫はたくさんいたですネー。」
織姫も笑っている。
「あれぇ?みんな、なにやってんのぉ?」
今度はサロンのほうから可愛い声が聞こえてくる。そこにはレニとアイリスが立っていた。
「いや、なんでもないんだ。」
カンナのごまかしにレニがすばやく反応をする。
「この時間なら、おそらく、みんな隊長とマリアのテラスのデートを覗きに来たのだろう。」
そこにいた5人が絶句する。
「レニ…、おまえねぇ。」
カンナが言いかける。
「あたり?」
「まぁ…な。」
くすっとレニが笑った。
「おまえらは?」
「ボクとアイリスは寝つけないから星空でも眺めようって思って。よくマリアがここから星空や銀座の夜景を眺めているから。」
レニの言葉ににやりとみんなが笑う。どうやら思いはみんな一緒なんだ。
「わかりました。」
さくらがすっくとたち上がった。
「仕方ないですね。もう…。」
そう言ったさくらの顔は晴れ晴れとしていた。

  「マーリアさんっ。」
翌朝、食堂で朝食をとり終わり、部屋に戻ろうとしたマリアにさくらが近寄ってきた。
「なに?」
「覚悟っ!」
さくらがいきなり問答無用でマリアの横っ面を思いきり張った。マリアが呆然としてさくらを見つめている。
「大神さんを、幸せにしてあげてください。もし、少しでも悲しませたりしたら、こんなもんじゃ許しませんから。」
にこにこと笑うさくらにマリアはようやく合点がいった。これはさくらからのほんのちょっとした逆襲。彼女なりに一生懸命に考えた自分自身で納得のいく大神の譲り方。
「心配ないわよ。」
マリアが微笑んで言う。さくらの笑顔は泣き顔に代わっていた。
「マリアさんっ。」
さくらがマリアの胸でわんわんと泣き始めた。
「譲れないんです、でも、譲りますから。だから、大事にしてください。」
「ええ。わかったわ。」
胸でなきじゃくるさくらの頭を愛しそうにマリアがなでている。二人の姿を大神や花組の隊員は微笑みながら眺めていた。
 

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