あたいはその日も舞台がはねてから個人的な打上げと称してレニと二人ご機嫌で一杯やっていた。あたいと長年連れ添った(?)相棒は最近テラスでのデートや、見回りと称したデートや、書庫での本選びにこじつけたデートや、訓練と称してのプールでのデートや、報告書作成という名の職務にかこつけたデートに忙しくってなかなかお付き合いをしてくれない。だから花組で次に酒の強いレニを捕まえてこうして飲んでいる。マリアがこんなところを見つけたらあのきれーな碧の目ェつりあげて『未成年に飲酒はいけませんっ』って烈火のごとく怒りそうなもんだが、もともとあたい達だって未成年の頃から米田のおっさんよりもアルコール度数の高い酒を散々飲んでたんだから文句なんて言えやしねェ。相棒のつれない仕打ちについてのあたいの哀しいつぶやきにレニがくすくすと笑っている。
「そりゃマリアはずっと待ってたんだし。」
カタツムリ…いや、京極との戦いの後、あんだけの熾烈な戦いにも関わらずただの一度も撤退者を出さなかったという優秀な戦績を認められた隊長は中尉に昇進し、同時に渡仏。その間、ずーっとひたすら隊長の帰りを待ち続けたマリア。本当にそれには頭が下がる。その心意気はまさにヤマトナデシコ、いやロシアナデシコ。(この場合ロシアにナデシコがあるかどうかは不問に処す)
「っとに、あいつも純情な奴だよなー。」
「そこがマリアのいいところなんだけどね。」
レニは実はマリアが大好きで、まるで本当の姉のように慕っている。似ているところのある二人だけど、冷静なふりして実はかなり短気だとか、頭いいようなふりして一番肝心なときに信じられないような天然のボケをかますとかはマリアだけの持ち味。あたいはマリアのそういうところが一番好きなんだけどさ。そんな事を考えながらくぴりと喉を鳴らして泡盛を喉に流し込むと同時に部屋をノックする音が聞こえた。
「あいてるよー。」
カンナの返事にかちゃりとドアを空けて入ってきたのはなんとも情けない顔をしたマリアだった。横で慌ててレニがビールの壜を隠すのが視界の隅に入った。
「マっ…マリア。」
レニのビール壜を見られなかったか心配したがマリアはそれどころではないらしい。
「カンナ…。」
マリアは崩れるようにあたいの胸に飛び込んできた。そして次の瞬間には『うえーん』となんとも情けない泣声をあげる。こんな姿を帝都のお嬢さんたちが見たらきっとショックで立ち直れないだろう。自殺者も出るかも。
「何があった?」
「た、隊長に…。」
おや?とレニと二人で目を合わせた。花組でマリアと隊長が付き合っているのを知っているのはあたいとレニだけだ。普段は完璧に二人の仲を隠しているが、実際のところのそのラブラブぶりは見ているこっちの方が恥ずかしくなってくる。それほどまでに隊長はマリアのことが大事で、カタツムリ、いや京極との決戦を終えた後、ミカサの格納庫に戻って光武のハッチをあけた隊長が泣き出しそうなほどの心配顔を最初に向けたのはマリアの黒い光武のハッチだったくらいだから。その隊長がマリアがこんなに泣くほどのことをするなんて思えない。
「隊長がどうしたんだ?」
「隊長に嫌われた…。」
ひくひくとしゃくりあげているマリアは一度顔をあげてようやくそれだけを言った。
「嫌われただとぉ?まさか。気のせいじゃないのか?」
「気のせいなんかじゃないもんっ。」
あたいを見上げた切れ長の碧の目は朱鷺色に縁取られて、自分の部屋で散々泣いていたことを物語っている。こいつ、一度へこむと長いし深いんだ。
「今日、書庫で待ってたのに…ひくっ…全然来なくて…ひくっ…部屋に行ったら…ひくっ…眠いからって…。」
「疲れてたんじゃねぇのか?」
「…だって…ひくっ…目さえ合わせないの…ひくっ…。」
なるほど、そりゃ、確かにヘンだ。だいたい、あのバカがつくほどの真っ直ぐな性格の隊長が話すときに人の目を見ないなんてこと、あたいの記憶には一度もない。ましてや話す相手がマリアなのに、目を合わせないなんてどういうことだろう?これは単なるマリアの思い過ごしではないかもしれない。
「分かったよ。あたいが聞いてみるから。今日はもう遅いから寝ろよ。」
あたいは少しでもマリアを落ちつかせようとぽんぽんと優しく背中をたたいてやる。でもマリアはかぶりを振って答えた。
「こんなんじゃ…眠れない…。」
マリアは口をヘの字に曲げ、その視線はあたいがさっきまで飲んでいた泡盛の入ったコップに注がれていた。やれやれ。
「酒はだめ。あのな、マリア。酒ってのはな、感情を増幅する飲み物なんだ。楽しいときに飲めば楽しさが倍増。嬉しいときに飲めば嬉しさが倍増。でもな、今のおまえみたいに悲しい時に飲むと悲しさが倍増するだけで余計に辛いんだぞ。」
「だって…飲まなきゃやってられないもんっ。」
「ダーメ!…おまえなぁ、過去に辛いときに酒に逃げて、逃げられた試しあったかよ?」
その言葉にマリアがぐっと詰まる。
「ないだろ?わかったらさっさと寝る。ここで寝てってもいいから。」
「ホント?」
マリアの顔が少し明るくなった。
「ああ。グチぐらい聞いてやる。」
ああ、今晩はグチと言いながらマリアのノロケ話を徹夜で聞くようになるんだ。これも親友、かわいいマリアのためだ。仕方ない。
「ぼっ、ボク、すみれのところに行かなきゃ行けないんだった。そ、そのー、水泳の特訓用の機材が足りないってすみれが怒ってたから。」
ヤバイ展開に巻き込まれないようにじりじりと後ずさりしていたレニはワケのわからない言い訳をするとぴゅーっと遁走した。ちっ、逃げ足の早い奴。あたいは心の中で軽く舌打ちをした。
翌朝。寝不足のあたいは不機嫌な顔で朝食に降りて行った。マリアと眠るのは嫌いじゃない。むしろ好き。二人で転がって、いろんな話をして。甘い、いい匂いのマリアが隣で寝ているとなんだかくすぐったいような気分になって、あったかい。もし、あたいに姉妹がいたらこんな感じだったのかなー?なんて考えたりして。でも、それはあくまでマリアが普段の状態だったらのこと。そして、やっぱり予想通りに昨夜は辛かった。愚痴と言う名のノロケ話を散々明け方まで聞かされて、よーやく眠ったと思ったら生活時間に妙に正確なマリアは1時間も立たないうちにさっさと起き出して身支度をして部屋に戻って行く。目の下に真っ黒のクマを張りつけたまま。おかげであたいは全然寝た気がしなくって気分は最悪だった。しかも、今、その元凶とばったりと会ってしまったものだからこれで爽やかに挨拶をできる奴がいたらお目にかかりたいもんだ。
「やぁ、カンナ。おはよう。」
元凶は爽やかに微笑んであたいに挨拶をした。普段は好ましいその爽やかさが今朝はやけに癪に障る。
「おはよう。朝から元気だな。きっとよく眠れたんだろうな。」
いつもとは違うあたいの受け答えに隊長が困った顔をしている。これくらいの八つ当りはあたいの当然の権利だろう。
「な、なんだよ。」
「昨夜は随分と早くに寝たそうだな。」
それでようやく隊長もぴんときたらしい。
「マリアが何か言ってたのか…?」
「べっつにー。」
「そうか…。」
それきり隊長は俯いてしまった。上の前歯で少しだけ下唇をかみ締めている表情はどこか悔しがっているような、怒っているような。なんであんたがそんな顔をするんだよ。その顔はマリアがするもんだろ?
「そうかって、それだけかよ、隊長。」
くってかかるあたいに隊長は辛そうな顔をこちらに向けた。そんな顔の隊長は今まで見たことがない。思わず心配になって、さっきまでの高圧的な態度はどっかにすっとばしてしまった。
「どうしたんだよ、隊長らしくねぇぞ。」
「…。」
隊長は何も言わなかった。そうだ、こういう時になんか言う人ではない。
「なんか、あったのかよ?ん?」
「いや。なんでもないよ。」
「なんでもないって顔じゃないだろ。言って見ろよ。」
隊長は目を伏せたままぎりっと唇を噛む。こんな癖までマリアと一緒なんだなってぼんやりと考えていると隊長の口が開いて耳を疑うような言葉が出てきた。
「いいんだ…嫌われたから。」
そして踵を返してあっと言う間に部屋に戻って行ってしまった。あたいはというと、本当は追いかければよかったんだって思ってはいるけど、隊長の口から出た言葉があたいの空耳じゃなかったのかなんて考えていた。キラワレタ。確かにそう聞こえた。嫌う?誰が?マリアが、か?そんなバカなことはないだろ?隊長がマリアをか?いや、でも隊長は今、確かに『キラワレタ』と言った。やっぱ、マリアが隊長をって意味だよな?
「互いに嫌われたって言ってる訳?」
レニが不思議そうに細い首をちょっと傾げてカンナに聞いた。
「そーなんだよ。もー、あたいには何がなんだかわかんなくなっちまったよ。」
カンナが困りきった顔でレニの部屋を訪れたのは朝食の後だった。朝食の時、マリアは眉を八の字にして情けなーい顔で機械的にもそもそとパンを喉に詰め込んでいた。その様子ったらいかにもまずそーでよろしくない。やっぱメシはおいしく食わなきゃだ。
「状況を整理して見ようよ。まず、マリアは嫌われたって言うのはなんでだっけ?」
「隊長が書庫に来てくれない。会いに言っても追い返される。」
「隊長が嫌われたって言うのは?」
「わかんない。」
「隊長は嫌われたからマリアに冷たくしているのかな?」
「あの様子だとそうだね。」
「ということはマリアの行動に鍵があるんだね?隊長はマリアのなんらかの行動によりマリアに嫌われたって思ってる。だからマリアに冷たくあたる。」
「でもなぁ。」
あたいはレニに異論を唱えた。
「あの、マリアだぜ?隊長が好きで好きで仕方ない、あのマリアがそんなことするかぁ?」
「だからマリアがそうと思わずにしている事なのかもしれないよ?」
レニはてきぱきと要点を整理して原因を追求していってくれる。一時は混乱したあたいの頭も少しすっきりとしてきた。レニのこういうところはマリアに似ているのかもしれない。いや、マリアって以外とボケてるから、こうてきぱきといかないかもしれねぇな。現に訳のわかんねぇ状況に陥っている張本人なわけだし。
「わかった。あたいが調べて見るよ。」
「うん。ボクも手伝いたいところだけど、水泳特訓用の機材の点検があるから…早くしないとすみれが怒ってるんだ…ごめんね。」
「いいってことよ。あたいにまかせとけよ。」
そうは言ったものの。どうするか。あたいは考えながら公演の支度に入る。胸に思いっきりサラシを巻いてなるべく目立たないようにしてから服を着る。隣ではマリアがぼーっとしながらコルセットをつけていた。いつもはてきぱきと公演の支度をするマリアがぼーっと、ほんとにぼーっと手を動かしている。
「マリア、大丈夫か?」
「え?ええ。」
どうみてもその顔は大丈夫って顔じゃない。大体、きれーな顔はしっかりとファンデーションが塗られているけど、その下は真っ黒いくまが隠れてて、さっきまでそれを隠すために必死でコンシーラーを塗りたくっていたのも知っている。あたいは回りに人がいないのを確かめてマリアにそっと聞いてみた。
「なぁ、マリア。隊長の事なんだけど、いつから様子がおかしいか覚えているか?」
マリアは瞳を斜め上の宙に向けて記憶をたどる。
「ええっと、この間、一緒にプールで泳いだときかしら…?」
「どんな感じだったんだ?」
「あの時は確か潜水の練習をしていたんだけど。その時、隊長は急に帰っちゃったのよ。」
「どうして?」
「わからないわ。…私、何か嫌われるようなこと、したのかしら?いつまでたっても潜水がうまくならないから…きっと呆れて…。」
そう言ってマリアが悲しそうな顔をする。その時の事を思い出して今にも泣き出しそうになっているのだ。
「大丈夫だよ、マリア。」
「でも…。」
「な?心配するな。何があってもあたいはマリアの味方だから。」
「うっ…。」
泣きそうになるマリアに慌てて他の言葉をかける。
「ともかく、今日の公演が終わったらちゃんとはっきりさせよう。マリアだっていつまでもこんな気持ちでいたくないだろう?」
マリアの金色の髪が縦に揺れる。涙をこぼすまいとして必死に見開かれた目がいかに隊長が好きかってことを物語っている。
それにしても、なんで急にプールから戻ってしまったのか。以外と知られていないことなんだけどマリアは泳げなかったのだ。それを、何を思ったのか隊長がフランスに行ったその日に劇場に戻ってくるなり、マリアはあたいに泳ぎ方を教えてくれと言い出した。それから特訓する事1年。最初は顔を水に長時間つけることさえ苦手だったマリアは今では自由形、平泳ぎ、バタフライ、背泳など数種の泳ぎ方をマスターしたのだ。恋する乙女は強いねェ。あたいはしみじみとその時にそう思ったものだった。で、隊長が戻ってきてからはマリアの水泳の教官はあたいから隊長にバトンタッチした。隊長は海軍出身。泳ぎならまかせとけって人だし。マリアの水泳の腕もさらに磨きがかかって、今では楽しく二人で練習といいながらプールでいちゃいちゃしているわけだ。一回様子を覗いたことがあったけどあんときの隊長の顔ったらなかったぜ。マリアの水着姿だもんなぁ。あのナイスバディを付きつけられたらフツーの男なら鼻血もんだろう。マリアだってわざわざ隊長に見せるために水着を新調したくらいなのに。隊長にとって最もおいしいデートのはずなんだけど、それを振りきるほどのことなんてそうそうないような気がするなぁ。あたいは頭の上にでっかいクエスチョンマークをつけていた。
あたいがいくら悩んだって仕方がないから一番単純な方法を取ることにした。つまりは隊長とマリアに話し合いをさせる。これが一番簡単な解決方法だった。ただ、二人が逃げちゃわないようにしないといけない。また、冷静にちゃんと問題を解決できるようにあたいとレニが立ち会うことにした。嫌がるマリアを羽交い締めにして強引に隊長室に連行して行く。中に入った後もマリアが逃げないようにあたいはしっかりとマリアを押えつけていた。
「で、どーゆーことなんだよ。」
あたいは隣で俯いているマリアと、椅子に座ってうなだれている隊長を交互に見た。
「どう言うことって…。マリアは、もう俺のことなんか嫌いだから…。」
なかなか口を割らなかった隊長がようやくそれだけを言った。その言葉を聞いた途端にマリアの顔がはね上がるように上を向き、辛そうに歪んだ隊長の顔をまっすぐに見た。信じられないといった表情で。
「そんな…。」
「だから、もう、これ以上マリアから辛い言葉を聞きたくない…。」
「嫌ってませんッ!」
叫んだマリアに今度は隊長の顔がびっくりする。マリアはうーっと唸るように顔を真っ赤にして、悔しそうな顔を隊長に向けた。きっとあまりの悔しさに文句もすぐに出てこないと見える。いや、悔しいんじゃなくってこれは怒っている。マリアの碧の瞳がきらきらと怒りに燃えている。いつもの、あたいとすみれの喧嘩を止めるような他人のための、他人に対する怒りじゃなくって、自分の素直な感情の怒り。こういうマリアの表情ってはじめて見る。あたいが今までみたマリアの表情のなかで一番人間らしい顔だなァなんて思わず見とれちゃった。
「私っ、一度だって、隊長の事、嫌ったりなんてしてませんっ!ずっと、ずっと待ってたのにっ、帰ってくるまで待ってたのにっ…。」
ぽろっと大きな涙の粒が零れ落ちる。
「寂しくっても、我慢してっ…。戻ってくる場所を取っておいたのにッ。」
「で、でも、マリアは俺に嫌いって言ったから…。」
「言ってませんッ!」
マリアの強い否定の言葉に今度は隊長がむっとした表情になる。
「絶対に言ったっ!」
「言ってませんったら、言ってませんっ!」
全日本低レベル言い争い選手権ってのがあったらきっと優勝しそうなくらいに低レベルな言い合いに頭痛が走る。これが才媛と呼ばれるマリアとフランスに留学した秀才の隊長の喧嘩だとは思いたくもねぇ。あたいとすみれだってもう少し気の聞いたやりとりするぜ?マリアはあまりの悔しさのために喉元から耳まで真っ赤に染め上げ、相変わらずうーうーと唸っていた。あたいとレニは半ば呆れながら、半ばはらはらしながらその口論を見ていた。マリアは逃げるどころか、真っ向から戦っている。これはどっちかが切れて手を出しかねない。どっちを止めるべきか?まさか、マリア、エンフィールドを出さないよなァ?いっくらあたいだって、マリアの霊力入りのエンフィールドの弾をくらったら死ぬぜ。隊長だって死ぬな。とりあえず、マリアを止めた方が良さそうだ。痴話喧嘩の末に死者なんて、しょーもない結末だけはゴメンだしな。そう思った瞬間だった。隊長室のドアがこんこんと軽くノックされ、かちゃりと開く。
「あー、こんなところにおったんか。探したでー、レニ。」
顔を出したのは紅蘭だった。隊長室の中に張り巡らされていた緊張の糸が一瞬のうちに緩まり、隊長とマリアが押し黙る。マリアがドアに後ろ向きで良かった。こんな泣き顔見られたら大騒動だ。紅蘭はこのヤバイ状況に全然気がついてないらしい。あたいはほっとしながら隣のマリアを見る。一気に力が抜けたようで浅く息をしていた。でも、まだその瞳はきらきらと燃えながら隊長にまっすぐ注がれていた。
「なに?」
レニが紅蘭が中に入ってこないように慌ててドアのところに歩み寄る。目だけで睨み合った二人に気づかない紅蘭はのんきにレニに用件を伝えていた。
「あのなー、すみれはんから言われてた水泳特訓用の壱号機雷のことやけど、1コ、ウチが回収し忘れてて、プールの中に置きっぱなしになってたんや。」
紅蘭が申し訳なさそうにレニに手を合わせた。
「ウチのせいですみれはんにエライ怒られたやろ?ホンマ、堪忍やで。すみれはんにはウチからよーく謝っておくから。」
「了解。」
「ほな、お邪魔さま。」
紅蘭が顔を引っ込めてぱたんとドアを閉めた。ぱたぱたと足音が遠ざかって行く。
「隊長、まだ回収なさってなかったんですか?」
さっきまで怒り爆発だったマリアが一瞬副隊長モードの顔になって隊長に向けて言った。こういう切り替えの早さはほんと、脱帽。こうやってすぐに仕事モードと私的モードを切りかえられるからみんなに気づかれないのだろう。
「何を?」
隊長は不審そうな顔で尋ね返す。
「機雷ですよ。この間、私、言ったじゃないですか。…あっ…。」
言いかけたマリアの瞳が真ん丸くなった。同時に隊長の瞳も真ん丸くなる。
「「まさかっ」」
そう言ったのは二人同時だった。あたいの頭の中にはいやーな、脱力しそうな話がじんわりと浮かんでくる。
「じゃ、マリア、この間プールで言ったのは…。」
「機雷です。潜水してて見つけたから、危ないと思って。」
「嫌いじゃなくて機雷…?」
見る間に隊長の顔もマリアの顔も崩れていく。数秒の沈黙がその場を支配した。部屋の床に全身の力を思いっきり吸われてしまったような、そんな一瞬だった。一番先に沈黙を破ったのはマリアだった。
「大体、私が隊長の事、嫌いになるわけないじゃないですか…。」
マリアのつぶやきに隊長が答える。
「だって、潜水の訓練で結構無理させちゃってたから。言われたときに、目が潤んでたし…泣いているのかって思ったから。」
「消毒用の塩素ですよ。長い間練習していたから目に染みて、充血していただけです。それに、隊長との訓練なら、どんなに辛くたって…ついていきます。」
「マリア…。」
「隊長…。」
ここまで来るとアホらしくって見ていられない。あたいは二人の邪魔をしないようにそっとレニと隊長室から出た。後ろ手にドアを閉めて、はーっと二人揃って人生最大のため息をついた。横でぽりぽりとこめかみを掻いているレニに言う。
「なぁ、レニ。こういうの、日本のことわざでなんて言うか知ってるか?」
「うん。この間、織姫が教えてくれた。」
「夫婦喧嘩は…。」
「犬も食わない。」
そのままあたいたちは脱力のあまりへなへなとその場に座り込んでしまった。
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