そもそもの言いだしっぺが誰だったのか、今ではもう定かではない。
楽屋で次のショウの衣装を決めている最中に、誰かがこんなことを言い出したのが発端だった。
「…たまには違う色を着たいなぁ。」
衣装などはよく個人のパーソナルカラーが使われる。
カンナは赤、マリアは黒と言った具合に、戦闘服の色がそのままパーソナルカラーになっていて、衣装や小物などにその色が使われることが多いし、また持ち物や小道具の持ち主などの識別にもその色を使うことが多い。
「アイリスねぇ、さくらの薄いピンク色がいいなぁ。」
薄いピンク色というのは本当はさくら色なのだが、そういった可愛い色は確かにアイリスだって似合うだろう。
アイリスの言葉に賛成するようにカンナも続く。
「…そうだなぁ。あたいもたまには青がいいかもしれないなぁ。」
レニの色である青は、カンナにとって故郷沖縄の海の色、空の色として好きな色のひとつであるに違いない。
「みなさん、今回は違う色にしてみませんこと?好きな色をとって、次のショウではその色を着けるというのはどうかしら?」
すみれの提案にみんなが期待に満ちた目で頷いた。
マリアは、苦笑しながら手元にあった生地の色見本から8人のパーソナルカラーに近い色を出し、机の上に置く。
「じゃあ。みんな好きな色をとりなさい。喧嘩しないようにね。」
その言葉に全員がわぁっと声を上げてそれぞれに生地をとって自分に当ててみる。普段着け慣れない色に、最初はいくらかの戸惑いはあったものの、そこは全員が妙齢の女性。みんなで似合うとか似合わないとか、それはとても楽しそうにはしゃぎながら決めている。
マリアはそんなみんなの様子を見ながら、自分はどうしようかと考えた。
一番年上であるし、立場上、みんなの中に入ってあれがいい、これがいいと主張するのも憚られる。それならば一番最後に残った色にしよう。
多少似合わない色でも衣装のデザインでどうにでもなる。
そうたかをくくって、みんなが先に自分の着たい色を決め終わるのを、紅茶を飲みながらじっと待っていたのだった。
「決まったーっ!」
それから1時間。ようやく全員の色が決まったようで、マリアが最後に残った色を取ろうとテーブルの上を見てみると。
そこには……黒の生地がぽつり。
「「「「「「「「………………」」」」」」」」」
一瞬、重苦しい沈黙が楽屋内を支配する。
「あっ…あのっ、私、黒もいいなぁなんて。」
最初にこの気まずい沈黙を何とかしようとフォローしたのはさくらだった。
しかし、その手にはしっかりと緑の生地が握られていて。
「私も別に黒でもかまいませんわ。…私、何を着ても似合いすぎるんですもの。」
おーほっほっほっという高笑いをするすみれの手にも薔薇色の生地がしっかりと握られていて。
マリアはそんな様子に、みんなにわからぬように小さなため息をひとつついてテーブルの上に置き去りにされた色をとる。
「私は黒でも構わないわ。」
そう言ってから衣装の計画表の名前のところにそれぞれが持っている色を書き込んでいく。
「じゃあ、これで決定ね。あとでかえでさんに資料を提出してくるわ。…今日はこれで解散。」
そう言うと、マリアは一人で楽屋から出て行った。
別に黒が嫌いなわけじゃないけど。
マリアはぼんやりと考える。
帝撃に入ってずうっと自分の色は黒だったから、別に今までなんとも思わずにいた。
それは確かに地味な色ではある。
だけど、ああいった形で、黒が取り残されてしまうと、なんだか少し悲しい気分になる。
自分がずうっと身につけてきた色だけに、なんだか自分が嫌われているようで悲しかったのだ。
無論、それが思い過ごしであることはよくわかっている。
だけど。
入隊した時に色は決められる。その人の好みも反映されるが、その人を認識しやすい色でもある。つまりは、パーソナルカラーはその人の色、つまり性格とか資質が反映されるというわけだ。
たとえば、さくらが桜色、すみれが紫と言うのは当然名前からくるものでもあるが、何よりもさくらの持つイメージ、すみれの持つイメージをそのまま色として表した結果、あの色となったというわけである。また、他の隊員についてもそれぞれ個人の特色をよく出していると思う。
もっともそれが顕著なのは大神の白。未知の可能性を秘めた色、清廉潔白な彼の気性、まぶしいまでの真っ直ぐな性格、まさに彼の色なのである。
そして、黒がマリアのパーソナルカラーであるということは、つまりマリアは黒という色で認識され易いというわけだ。
マリアは大きくため息をついて、帝都の夜景を見下ろした。
大体において黒は悪い意味で使われることが多い。
黒幕、腹が黒い、黒星、黒日。
それに葬式の時の喪服は黒だし、会場に巡らせる幕は黒と白だし。
そう言えば。
黒之巣会に黒鬼会。どっちも黒がついているではないか。
悪いイメージの多い黒が自分の色を表しているのは、あまり嬉しいことではない。
確かに、自分でも決していい人間とはお世辞にも言えない。
頑固で、融通が利かない。ちょっとしたことでもすぐに考え込んでしまうし、素直じゃないし、人に打ち解けないほうだし。何よりも考え方が暗いのかもしれない。
そこまで考えて、肩を落とす。
「やっぱり、黒が一番似合うのよね…。」
「当たり前じゃないか。」
誰に聞かせるともなしに一人ごちた言葉に、急に返されてマリアははっとして後ろを振り返る。
そこには、大神がにこにこと微笑みながら立っていた。
右手に懐中電灯を持っているところからして、見回りの最中に違いなく、そんな時間になってしまったかと慌ててマリアは時計を見た。
「…どうしたの?こんなところで。」
「…いえ…。」
口ごもるマリアに大神は不思議そうに首を傾げたままでいる。
「黒が似合うとかどうとかって…。…洋服でも作るの?」
にこにこと、満面の笑顔で尋ねられてマリアは言葉を返せずに詰まってしまう。
「どんな服?…できあがったら俺にも見せてくれるかい?」
「…衣装…なんですけど…。」
様子のおかしいマリアに、大神は心配そうに眉を顰め、やさしい声で尋ねてみる。
「…何かあったの?」
無言ではあったけど曇ったマリアの顔が、ありましたと雄弁に語っていて。
大神は苦笑しながら手招きをする。
「…僕の部屋に行かないか?いいウイスキーがあるんだよ。」
渋るマリアを部屋に連れてくると、大神は安い給料の中から大枚はたいて買ったウイスキーをマリアに振舞った。
そのラベルはマリアにも見覚えのあるもので、ニューヨークにいるときによく飲んでいたものだ。現地ではさほどたいした金額はしないものだが、日本ではあまり入手できないため、自然と高額な酒となっている。
「これね、いつもお芝居を見に来てくれるお客さんの店で買ったんだよ。…虎の子はたいたんだけどね。」
そう言って朗らかに笑うと、緊張気味だったマリアの顔も少しだけほぐれてくる。
大神は2,3、そういった他愛もない話でマリアを和ませてから、ようやく本題の、さきほど聞き損なった話に触れて見る。
「黒、嫌いかい?」
言い方を換えて尋ねると、マリアはふるふると首を振る。しかし、振った後で、言いにくそうに少し俯いていいかけた。
「…だけど…。」
「…だけど?」
急かすでもなく、言葉をつなぎ易いように柔らかい口調で重ねると、マリアは逡巡のあと、その先を続ける。
「…黒って…悪いイメージが多いから…。」
そう言ったきり、さらに顔を俯かせてしまったのに、大神はしばらく思案をする。
「俺…黒、好きだけど?」
そう言った大神の言葉に衝かれるようにしてマリアが顔をあげた。
「俺の色、白とは正反対の色だけどね。…だから憧れるんだよ。」
カラリとグラスの中の氷が溶けて崩れる。
瞠目したままのマリアに大神は微笑んで続ける。
「確かに、黒は縁起が悪い色というイメージでもあるけれど、そうでもないんだよ。」
マリアが話しに興味を持ってくれたのに安心してウイスキーを一口、喉を潤してから先を続ける。
「日本の喪服が黒になったのはそう遠いことじゃない。…昔はね、白だったんだ。」
するとマリアの顔が驚いたようになる。
「花嫁の着る白無垢、あれも死装束だしね。ほら、死んだ人に白い服着せるだろう?あれと同じ。」
意外な大神の言葉にマリアは訝しげな顔をする。
「…どうして…?」
「白無垢は、生家を出るときに、もう死んだものだと思うために。嫁に行くと言うのは二度と生家に帰らないと言うことだから。」
「…そうなんですか?」
「昔はね。…それで色直しとして嫁ぎ先で赤い内掛けに着替えるんだ。赤は血の色。命の色だからね。」
「生き返る、とか、そういった意味で?」
「まぁ、そんなところかな。…だからね、充分に白も不吉。実際に中国とかの喪服は白だって、紅蘭が前に言ってたし。」
そう言って大神が笑う。
「それから、黒は正装の時にも使うだろう?だから、きちんとした、正式なとかそう言った意味も持つんだと思う。…そういうとこ、マリアっぽいよね?きちんとしてるっていうイメージで共通する。」
悪戯っぽく大神に微笑まれ、マリアは真っ赤になってしまう。
大神は気持のほぐれた様子のマリアに、さらに話を続ける。
「それから。色の三原色、知ってる?」
「えーと…シアン、マゼンタ、イエロー…でしたっけ?」
「そう。…それを全部混ぜると、おおよそ黒になる。…みんなの色を取りまとめて自分の色となるところなんてマリアそのものだと思うんだよ。」
マリアは言われて確かに黒という色はそうであることに改めて思いいたる。だけど、自分はみんなのことをうまく取りまとめることができているとは言いがたい。大神はさらに畳み掛けるように次の話題を切り出していく。
「…まだまだある。…以前、すみれくんに洋服の買い物につきあわされたことがあるんだけどね。…試着室がすごーく広くて、絨毯敷きだったんだけどさ、その絨毯の色、黒だったんだよ。」
「黒…?」
「絨毯だけでなく、壁もね。…どうして黒なんだろうと思って聞いたら、他の色だと洋服の色目とぶつかったりして服の色を壊すことがあるからダメなんだって。黒だと、他の色を際立たせるから、そこでは全部を黒にしているらしいよ。」
大神の言葉にマリアがなるほどとうなづいた。確かに、試着室の絨毯の色が赤や青などの色だったら洋服の色によってはその色を損ねることがあるかもしれない。やはりすみれのような上流階級の人間の行く店は心遣いが違うなどとマリアは他のことで感心した。
「それもね、マリアらしいと思わないかい?」
大神に言われてはっと思考を戻す。
「私に?」
「…みんなの力や状態を考えて、それを最大限に生かせるよう努力する。マリアはいつもそうだろう?」
言われてマリアは耳たぶまで真っ赤に染まる。
「そんなことないです。…それに、副隊長だし。」
余りの恥ずかしさに口をぱくぱくしているマリアを、大神は微笑ましい気持で眺めながら先を続けた。
「それから、何よりもマリアにあっているのはね。…黒というのは、五行説では北を指すんだ。同時に水や冬も差す。…まさに君にぴったりだろう?」
それは確かにそうかもしれない。
マリアは初めて素直にうなづいた。
ほっとした大神はマリアの側に近寄って、顔を覗き込むようにする。
思いを通わせてからしばらく経つというのに、未だに至近距離で大神の顔を見ると照れてしまうマリアは慌てて顔を背けようとするが、大神の手がマリアの頬を優しく包み込み、自分を直視するような向きに固定してしまったので、マリアの透けるように白い頬はたちまちのうちに桜色に染まる。
「だから、マリア。…黒を、嫌わないでくれないか。黒は、他の誰でもない、マリアの色なんだ。…だから、僕は黒が…大好きなんだ。」
囁くように、だけど強い意志を含んで伝えられた言葉に、マリアの頬は桜色を通り越して朱になっていく。
「それにね。…俺にしか出来ないことがあるように、俺の白と対極にいる黒だからこそ、マリアにしかできないことがある。…俺だけではこの花組はまとめることができない。…マリアがいないと、偏ってしまうんだ。」
真摯な瞳で、そう熱っぽく語られてマリアに否といえるわけがなく。
紅潮した頬でこくりと、幾分少女じみた仕草で頷けば、大神は嬉しそうに破顔して、腕を伸ばして、上背はあるけれど華奢な作りの体を抱きしめた。
「…もちろん、プライベートでも。ね?」
マリアの耳元で悪戯っぽく囁く大神に、マリアは恥ずかしそうにまだ顔を赤くしたままで、それでも酷く嬉しそうに頷いた。
「…私も…白が大好きです。」
上ずった声で、大神に伝えると腕の力が少しだけ強められる。
「…隊長の色だから。…他のどの色よりも好き…。」
呟くような密やかな囁きに、大神の顔は嬉しそうに微笑んでいた。
後日、マリアが黒ではなく、衣装の色を白としてかえでに資料を提出したことがわかって、花組が大騒ぎになったのはまた別の話。
END
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