夜中。
闇の中、不意に目覚めた。
冬の空、窓から見上げれば新月間近の月は細く、その光は地上に届くことはない。
乾燥しきった喉を潤すために、ベッドから起き上がって部屋から出れば、誰もいない家。
キッチンの冷蔵庫からミネラルウォーターを出して一口飲む。
静まり返った家の中は濃い闇が漂い、それに蝕まれていきそうで、食い尽くされてしまいそうで。
自分だけが異質な存在であることを、日常よりも痛感する瞬間。
部屋に戻ると窓の外に目を移す。
住宅街は動くものもなく、ひっそりと静まり返っていて、街灯がぽつり、ぽつりと無機質な光を照らしている。
ただでさえ冬の夜は静かであるのに、今日は一掃静かで、自分1人取り残されたような寂寞感が襲い掛かってきて、たまらなくなる。
だから、着替えて、外に出る。
自分ひとりじゃないことを、確認するために。
出かけようとして、無意識に掴んだ携帯。
…千波矢…。
声を聞きたくて、電話をかけたい衝動に駆られたけれど、今は午前3時。
きっと寝ている頃だろう。あの、見ているものをも幸せにする、花のような笑顔で。
だから邪魔をするのは忍びなくて、開きかけた携帯を閉じて、そのまま部屋を出た。
いつもだったら、海に行くのだけれど、今日はそんな気にならなくて。
遠くから眺めているだけの光は、一瞬の安息はもたらしても、心の安寧を得るには弱すぎる。
だから、俺は。
闇の中、ひたひたと、閑静な住宅街を行く。
一軒の家の前で立ち止まる。
そこは、普通の家。何度か訪れたことのある家。未だ中には入ったことはないけれど。
東側の部屋がそうだと言っていたから。
見上げると、電気は消えていて、可愛らしい白いレースのカーテンと、水色の小さな花模様のカーテンがかかっている。
そこに眠るのは姫。
忘れていてもいい。側にいてくれるのなら。
もう二度と、暖かな光をくれる君から離れたくないから。
1人にはなりたくないから。


「眠そうね?」
くすくす、と千波矢は笑って俺の顔を覗き込む。
「…ああ。…眠い。」
卒業間近で、それぞれの進路のことで一気に慌しくなった3学期。
今までとは違う活気が出て、教室の中は受験で緊迫した空気を漂わせはじめる。
そんな中、学年トップを護る千波矢は、のんきに、あの、ほわんとした笑顔を浮かべて人の眠そうな顔を見て笑っているのだ。
「携帯枕あるよ?」
「貸してくれ。」
鞄の中から、空気を入れる携帯用の枕を取り出して、顔を真っ赤にしながらふーふーと息を入れてくれる。そんな一生懸命な様子を見ながら、つい、顔が綻んでしまう。
少しは、好きでいてくれるだろうか。
千波矢は鈍くて、自分がもてるなんてわかってないから、誰にでもわけ隔てなく優しい。だから俺は分からない。俺にこうしてくれるのが、彼女生来の優しさからなのか、好意からなのか。
願わくば、俺だけに向けられた優しさであるように、願わずにはいられない。
「はい、できた。」
少しだけ空気の足りない状態の枕を俺の机に置いて、満足そうに微笑んだ。
「あんまり空気いれちゃうと、かえって寝にくいの。」
具合を確かめるように千波矢は枕をぽんぽんと軽く叩いてみる。
「さぁ、どうぞ。」
ずい、とこちらに出された枕に俺は笑ってうなづいた。
「でもさぁ、今日はどうして格別に眠そうなの?」
ぽふ、と枕に頭を預けた俺の上から、千波矢の声が降って来る。
「テストの時にも寝ちゃうときあるし。たまーに、そんな日あるよね?」
子守唄のような心地よい声。
「…眠れなかった…。」
すると頭上でわずかに息を飲むような気配がして、不用意な呟きが心配を掛けている事を知り、言い訳をしようと頭をあげかける。だけど、すぐに頭は小さな手で枕に向かって柔らかく戻されて。
「…電話してくれればよかったのに。話し相手ぐらいにはなれたんだから。」
怒ったような、拗ねたような口調に驚いて顔をあげると、そこには悲しそうに睫を伏せた千波矢の顔。
「また、1人で海に行ったの?」
泣き出しそうな声に、慌てて首を振る。
「いや。…散歩しただけ。」
「…ほんと?」
瞳を潤ませて俺の顔を見上げる表情に、すぐさま俺はうなづいた。
「ああ。…すぐに帰ったし。」
それでも表情は晴れなくて。
「…真夜中じゃ、おまえ、寝てるだろ?」
「起こしてもいいよ。だって…。」
何かをいいかけて千波矢は黙り、それと同時にざーっと、耳まで赤く染まる。
「なに?」
言いかけた言葉を尋ねると、真っ赤な顔のまま千波矢は俯いた。
「…葉月くんの声、聞きたいもん…。」
ぼそりと、周囲には聞こえないような小さな声で、千波矢はそう言ってから、ぐいっと俺の頭を枕に押し付けようとする。
「もう寝てっ!」
そっぽを向いている顔が赤いのがちらりと見えて。
少しは好きでいてくれるらしい。
「珠実ちゃん、購買部行こっ!」
真っ赤になった挙句、千波矢は照れ隠しなのか、仲のいい紺野と連れ立って教室から出て行ってしまった。
その後姿を見送りながら、手元の枕を触ってみる。
ほわほわの枕はまるで千波矢のようで。
他の奴らの嫉妬の視線を受けながら、俺は勝ち誇ったように千波矢の枕に頭を乗せた。



                                        END

 

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