「また、会える日まで、ボクのことを忘れないで。」
「うん。送ってくれてありがとう、色君。」
「君の美しい笑顔を少しでも長く見られるのなら、このぐらいはボクにとってなんでもないことだよ。」
家の門前で交わされるやり取りを、聞き耳を立てている尽は密かにため息をつく。
「明日まで、お別れだね、千波矢。」
「明日って言っても、もう半日ぐらいしかないよ。」
「半日もだよ!ボクと、千波矢を半日も分け隔てるなんて!ああ、時間ってなんて残酷なんだろう。」
「大げさだなぁ、色君。」
世界の終わりが来たような派手なアクションで落胆振りをアピールする三原ににこにこと、姉は笑っている。
弟の俺でさえ頭痛がするような鈍さを誇る姉は、ころころと笑っているけれど、今日のデートの相手である三原色のアクションは真剣そのものだった。
背筋が痒くなるようなセリフを平気で言うアイツに、さっきから違う意味での頭痛がひっきりなしにしていて、もしも、この先、アイツが姉ちゃんとどうにかなってしまったら、一生それに付き合わなければ行けないことに気がついて、思わずぞぞぞと虫唾が走る。
「明日、学校でボクにあうまでの半日の間、君の瞳が美しいものを映す事ができないなんてボクには耐えられない。」
姉ちゃん、マジでその言葉、ちゃんと理解できているんだろうか?
わが姉は鈍さから、その言葉に込められた意味の半分もわかっていないだろう。だけど、ほぼ全部、理解することのできる周りの人間にとっては、それは背中が痒くなるようなセリフであることは明白で。
顔はいい。スタイルもいい。天才芸術家で、すばらしいセンスを持っていたとしても、俺には耐えられそうにもない。世渡り上手で知られた俺でも三原と親戚づきあいする自信がない。
俺は秘密ファイルを開いて姉ちゃんの評判を確認する。
今のところ、三原はときめき状態まで行っていない。その一歩手前である。
他にまともそうなヤツで、姉ちゃんのことを好きなのは。
俺は決意を胸に秘め、明日、そいつのところに行くことにした。
「なんだ?」
相変わらず眠たげな瞳のまま、葉月はうっとおしそうに俺を見る。
今日はモデルの仕事のないことは事前に調査済み、姉ちゃんは手芸部の活動で遅くなるのは知っていたから、葉月が教室で眠ってしまわなければ捕まえるのは可能だと言うこともわかっていて、公園のそばを通りかかるのを待ち伏せをしていたのだ。
「…姉ちゃんのこと、好きか?」
回りくどいことは一切言わず、単刀直入に用件を切り出す。
葉月は驚きもせずに、不機嫌そうな顔で俺をねめつける。
いや、実際にはそう見えるだけで、本当はぼんやりと何かを考えているのだろう。
俺たちにはわからなくても、葉月のわかりにくい感情を理解することができる姉が以前、そんなことを言っていたのを思い出す。
葉月が姉ちゃんのことを憎からず思っているのはわかっている。
だけど、葉月から姉ちゃんに積極的にアプローチしているふしはない。
「んだよ、はっきりしないなぁ。」
一向に返事の返ってこない葉月に、俺はいらいらする。
「…姉ちゃん、昨日も三原に口説かれてたぜ。家の前でこっぱずかしくなるようなセリフ吐いて、手まで握ってさ。」
現在、姉ちゃんへの好意が高いのは三原と葉月。
それは両方とも、ときめき状態の一歩手前で。
「…昨日…。」
ぼんやりと、葉月が反芻するように呟くけれど、その表情からは感情は読み取れず。
「…千波矢が…三原を好きなら…。」
仕方がないのか?それであきらめるのか?
俺はそう叫びそうになったのをぐっとこらえる。
「葉月。…これやる。」
俺は葉月に薄いファイルを投げる。
驚いたように目を見開いて、自分の体にぶつかってきたファイルを受け取って、ついで不審そうな顔をしてそのファイルをぺらぺらとめくった。
「…これ…?」
それは俺が知りえる限り集めた姉ちゃんの情報。
弟だからわかることまで書いた大事なファイル。
すでにはばたき学園高等部のアイドルとなっている姉ちゃんのありとあらゆることを網羅したもので、高等部で売ったらすげー金で取引されるに違いないシロモノ。
「それ見て、姉ちゃんのこと研究しろ。」
「…なんで俺?」
不思議そうに尋ねてくる顔は、本当にその理由がわからないと言った様子で。
「…三原よりはマシ。…姉ちゃんはいいかもしれないけど、聞いているほうは痒い。」
そういう俺の言葉に、葉月は初めて顔を僅かだけど綻ばせた。
「だな。」
納得したようで、うなづいてそのファイルを鞄の中にしまう。
「…サンキュ。」
「礼はいい。…負けるな。」
「ああ。」
そう言って葉月はひらひらと手を振ると公園を出て行った。
あいつなら、きっと姉ちゃんをゲットすることができる。
公園の入り口に残る葉月の長い影を見ながら俺はため息をつく。
誰が姉ちゃんの彼氏でも俺は気に入らないかもしれない。
でも三原は嫌なんだ。姉ちゃんを大事な、俺の気持ちもわからずにきっと姉ちゃんを振り回し続けて、姉ちゃんをどこかにさらってしまいそうだから。
それよりは、姉ちゃんが大事で、モデルの仕事さえも姉ちゃんのために辞めてしまおうか考えてくれる葉月の方が、きっと姉ちゃんを大事にしてくれる。俺から姉ちゃんを完全に取り上げてしまわないだろう。
何より、ここで恩を着せておけば、今後、有利だし。
俺はそんな打算的な考えを胸に、来週末当たり姉ちゃんの評判の再調査をしようとスケジュールを組むのだった。
数年後、三原色は芸術のために世界中を回り、妻であるけれど滅多に夫に会えないからと暇をもてあました瑞希が、結婚後しばらくたつのに一向にいちゃいちゃぶりが収まらず、とうとう家でデザインの仕事を始めた珪に苦笑している千波矢のところへしょっちゅう遊びに来ているのを知った尽は、密かにこの時の決断を後悔していたことは言うまでもない。
END |