誕生日
自分は一体、何をしてしまったのだろう。 ツーツーという音を発している携帯電話を持ったまま、鷹通は固まっていた。 さっきこれであかねに電話をかけたところだったのだ。明日、一緒に映画を見に行きませんかと。ここのところずっと自分もあかねも忙しくって、それでもなんとか時間を作って映画に誘ったのに、あかねから帰ってきた返事はたった一言、『ごめんなさい』だったのだ。 思い返せば、ここ1ヶ月ほど、ずーっとあかねとゆっくり話をしていない。以前は鷹通が暮らしているアパートに週末になるとあかねがやってきて、食事を作ってくれたり、一緒にテレビやビデオを見たり、それから外へ買物や遊びに出かけたりもしていたのに。週末でなくとも、あかねは時間さえ空けば来てくれていたのに。ここのところアパートに来ないばかりか、電話をかけてもすぐに切られてしまうのだ。 鷹通はそうなる前の最後の会話を思い出そうとしていたが、うまく思い出すことができずにいた。何か、あかねの気に触ることでもしてしまったのだろうか。 街中はクリスマスとやらが近いせいか、きらびやかな電飾がそこここに飾られて、街中が光の洪水と言った感じである。仲睦まじげに肩を寄せ合った二人が歩いている姿もよく見かける。クリスマスとはもともと外国のお祝いだけれど、日本では恋人同志や、子供のためにあるお祭りになっていると、あかねに聞いたことがあった。そんなお祭りが近いというのに。 もう恋人ではなくなってしまったのでしょうか? 鷹通はがっくりと肩を落としながら暗い気持ちで家路を辿った。 自分の身を呈してまで京を守ろうとしてくれたあかねの側にいたくて、鷹通は全てを捨ててあかねの世界に来る決心をした。無論、不安がないわけではなかったが、それでもあかねの側にいられるならば。その一心でやってきたのである。 あかねのことを大事に思う気持ちも、恋しく思う気持ちもまだ衰えてはいない。それどころか、日に日にその思いは深くなる。ずっと側にいたい。けれども、互いに互いの為すべきことをしなければならないから、だから、側にいることが許される時間は少しでも大切にしようと思ってきた。事実、大切にしたつもりでいた。 やっぱり口下手なのがいけないのでしょうか? 友雅のように、女性が喜ぶような言葉をあかねにかけてやれたらどんなにいいことか。なるべく思ったことはあかねに伝えようと努力して見ても、それは随分と陳腐な言葉になってしまったり、あるいは言葉がうまくみつからず、前の言葉を他の言葉で補っているうちに結局話が長くなってしまったりと、どうにもいい結果を生まなかった。好きだという感情を人に伝えることがこんなに難しいことだとは今までわからなかった。口下手のせいでこの胸の中にある思いがあかねにちゃんと伝わっていないのかも知れない。 それとも、あかねのお願いを聞いてさしあげなかったから怒ってるのでしょうか? 帰り際、いつもあかねは『もう少しだけ一緒にいて?』と言うけれど、ご両親のことを考えれば、決まった時間までに送り届けなければと思う。あまり遅くなったり、両親に心配をかけてしまうと、それこそ二人が一緒にいられる時間が減ることもありえるから。そう思って説明もしているのに、あかねはいつも怒ったように『鷹通さんなんてキライ』といって、家に駆け込んでしまう。それが悲しくて、辛くて。本当は私だってもっと長く一緒にいたい。そう言いたくなるのを抑えてきた。…もしかして、今度こそ本当にキライになってしまった? それとも、あかねの望む答えを出して上げなかったからでしょうか? あかねはよく『私が何をしたら一番嬉しい?』と聞く。私は決まって、『側にいてくださるだけで嬉しいです。』と答えるのだけれど、それがあかねには不満のよう。『そういうのじゃなくって!』と怒ったように言うけれど、本当に私にはそれだけで十分過ぎるほどなのだ。あかねと結ばれることもなく、胸の中の甘く切ない痛みと共に一生を過ごして行くんだと、そう思って、覚悟も決めていた。あなたが私の隣で笑っていてくれる。私の思いを受け止めてくれている。それだけで、泣きたくなるほどに幸せで、胸が痛くなるほどに幸せで、もうこれ以上ないくらいで。 あかねに嫌われたら、どうしたらいいでしょうか? それでも、きっと私はこの世界で、あかねのことを想って生きていくのでしょう。あかねと同じ時間を生きていられる幸運を感謝しながら。 その前に。もう少し、あかねの希望に添うようにした方がいいのでしょうか? 後悔やら不安やらで胸が塞がってしまいそうになり、鷹通は慌てて布団を被った。 翌日は朝、大学の図書館で借りた資料を返しに大学に向かった。途中であかねの学校の側を通るのだが、今日はあまり制服姿の学生をみかけない。そうか、2学期のテストも終わって、テスト休みとやらに入ったのだろう。…それならば、暇なはずなのに。鷹通は重いため息をつく。 大学も人はまばらで、図書室などは特に人の姿などはあまり見られない。それもそのはずで、今日を最後に大学は冬季休暇に入るからだった。葉を全て落としてしまった木立が目立つ寒寒としたキャンパスは、まるで自分の心象風景のようで、いるだけで心の奥底まで冷えてきそうだった。本屋にでも寄って行こうかとちらりと考えたけれど、気乗りせず、そのまままっすぐにアパートに帰ることにした。バスに乗り込むとお客は少なく、やはり薄ら寒いバスの中から街中の景色を眺めていた。 笑顔で通りを歩いているカップルや若者。そんな楽しそうな風景から自分だけが切り取られてしまったような錯覚を覚える。 もしかして、あかねはあんな風に、たわいもない話をして、普通に暮らしたかったのでしょうか。 私という存在が、この街にきて以来、あかねは何くれとなく気遣ってくれていた。幸い戸籍や記憶が用意されていたものの、それは知識としてあっただけで、実感としては全くない。そんな私を心配して時間があれば様子を見にきてくれていた。そして、私が寂しい思いなどしないように、できるだけ楽しい話をしてくれていた。でも、あかねだって、普通の高校生。きっとお友達ともゆっくりお話したいだろうし、他の男性にも目がいくでしょう。 私がここに来た事が間違いだったのかもしれませんね。 鷹通は今日何度目かわからぬほどの苦しく重いため息をついた。 もう私からあかねを開放して差し上げましょう。 それはとても悲しいことだけれど。きっと、あかねは優しいから言い出せずに苦しんだことでしょう。元はといえば、私が勝手にあかねについてきてしまったのがいけなかったのです。ずっと側にいたい、一分でも、一秒でも長くあかねを見つめて、あかねのことを考えていたい。それは今でも変わらない気持ち。でも、それが迷惑になることをどうして気づかなかったのでしょうか。 とぼとぼと暗い気持ちでアパートに戻る。今日はもうどこにも行きたくない。何もしたくない。また夕べと同じようにそのまま眠ってしまおう。そう思いながら玄関の鍵を開けて、続いてドアノブを回してドアをあけた。 「鷹通さんっ、おかえりなさーい♪」 明るい声がいきなりして、ぱたぱたと手を拭きながら奥から誰かが出てくる。驚く鷹通を出迎えてくれたのは、意外にもあかねだった。 「あ、あかね?」 どうして?まずはその疑問が頭に浮かんだ。映画に行こうと誘って断られたはずなのに。いるはずのない人間がここにいて大変に驚くのと同時に、久しぶりにあかねに会えてとても嬉しく、思わず顔がほころんでくる。先ほどまで悲しさに悲鳴をあげていた胸が一瞬で温かくなって、じんわりと喜びが染みてくる。ああ、やはり私はあかねを愛しているのだと、そう思った。 「ごはん、食べちゃいました?」 あかねが心配そうな顔で尋ねる。 「いえ。」 「よかった!こっちに来て下さいっ!」 あかねは嬉しそうに微笑んで私の腕を引っ張って居間の方に連れて行く。居間のテーブルの上にはいろいろな中身の入ったサンドウィッチが用意されていた。なにやらテーブルの真中には白い箱が置かれてもいる。 「これは…?」 「私が作ったの。一緒に食べましょう?」 「え?ええ。」 「じゃあ、座ってください。」 あかねは紅茶を入れにキッチンへいった。コートを脱いでハンガーにかけながらしげしげとテーブルの上をあらためて見てみるとサンドウィッチはかなりの手のこみようで、何種類も作ってある。 「はーい、お待たせ♪」 あかねはキッチンから紅茶と、フライドポテトを持って戻ってきた。 「これは一体…?それに、今日、都合が悪いのではなかったのですか?」 尋ねる鷹通にあかねはうふふふと悪戯っぽい笑顔を浮かべてからテーブルの中央に置いてあった箱を開けた。中にはケーキがあって、その上には『たんじょうびおめでとう』とチョコで書かれたプレートまで丁寧に置いてある。 「鷹通さん、お誕生日おめでとう。」 鷹通は何を言われているかわからず、きょとんとしてテーブルの上とあかねの顔を見比べていた。 「あのね、こっちではお誕生日、生まれた日をお祝いするの。今日、鷹通さんお誕生日なのでしょう?」 説明されてようやく合点がいく。そういえば、今日は12月22日。確かに自分の生まれた日ではある。 「だからね、鷹通さんのお誕生日をお祝いしようと思って、がんばって料理したの。」 一体、いつから料理を始めたのか。テーブルに並べられた料理はそれほど短時間ではできるものではない。 「それからね、プレゼント。はい。」 あかねは自分の後ろに隠してあった包みを鷹通の前に差し出した。鷹通はびっくりしながらも、それを受け取って、しばらく包みを呆然と眺めていた。 「あけてみて?」 言われてはっとして包みを解いてみると、中からはアイボリーホワイトのマフラーと、手袋が出てきた。 「これは…。」 どう見ても手で編んだもの。既製品のように揃い過ぎる編目ではなく、ところどころゆるかったりきつかったりする編目が並んで、それでも、柔らかそうな毛糸がふわふわとして、暖かさが染みてくる。 「ご、ごめんなさい。その…ちょっと不恰好なんだけど…。でも、それが精一杯で…。」 しどろもどろになってあかねが隣で言い訳をする。 「一生懸命に編んだんだけど…うまくできなくって。」 鷹通はあかねからのプレゼントを手に完全に凍結していた。その凍結が困惑と取れたのか、あかねは悲しそうな顔を一層曇らせる。 「やっぱり、きちんとしたの、買います。」 そういって、鷹通の手の中にあるプレゼントをひったくろうとした瞬間に、鷹通の手はぎゅっとそのプレゼントを握り締め、そして顔に押し当てて、そのまましばらくそうしていた。 「鷹通さん…?」 あかねが不安そうに名前を呼びかけても鷹通はそのままの姿勢でいる。 「あかね…。」 「はい?」 しばらくしてからようやく口を開いた鷹通にほっとした様子であかねが返事をする。 「私はまだ、あかねの隣にいてもいいのですか…?」 苦しそうに呟いた言葉に、今度はあかねが驚く番だった。 「隣にって…あたりまえじゃないですかっ!」 「私は、私の勝手でこちらにきたことで、あなたを、私に縛り付けてしまうことになってしまいました。私の勝手な行動であなたの自由を私は奪ってしまった。それでも…あかねの側にいてもいいのですか?」 鷹通の肩が少し震えている。あかねのプレゼントの手袋やマフラーに顔をうずめたまま、鷹通は断罪の言葉を待っていた。自分勝手な言い分だということは鷹通自身、充分にわかっている。 ここのところのあの冷たさは全てこのプレゼントのためだったのだろう。いったい、どれだけの苦労をしてこれらを編み上げたのだろう。そう思うと鷹通の胸に痛いほどの切なさと、嬉しさと、あかねの愛しさがいっぺんにこみ上げてきて胸がつぶれそうになっていた。 しかし、そう思えば思うほど、自分はあかねの側にいてもいいのかという疑問が浮かぶ。自分の勝手でこちらに来てしまった自分が、あかねの自由を奪い、行動を制限してしまっている。そしてそれは、あかねを束縛してでも側にいてほしいという自分勝手な願いでもあった。こんなムシのいい話など、あるわけがない。こんな願いを持っていてもいいのだろうか。 突然に腕をつかまれ、ぐいっと力任せに引き下げられた。プレゼントに押し当てられていた顔から手が外れて、涙で少しぐしゃぐしゃになっているみっともない顔をあかねに見られて、うろたえて、慌ててあかねの視線から逃げるようにそっぽを向いた。 「私は自分の自由で鷹通さんの側にいるんです。」 あかねの柔らかな声に鷹通はゆっくりとあかねの方を振り返る。不安げに眉を寄せる鷹通の表情とは正反対に、あかねは穏やかに微笑んでいた。 「側にいたいと思うのは私も同じなんですよ?もし、鷹通さんがこちらにこなければ、私が京に残るつもりでした。」 あかねの言葉に鷹通は驚いたように目を見開いた。 「だから。ずっとずっと、側にいてくださいね?」 お願いしますと、かわいらしく微笑んだあかねを鷹通は思わず抱きしめていた。 「ええ。一生、あかねの側にいます。」 鷹通はあかねの耳元で囁くと、そっとあかねにキスをした。 END |