私の幸せ

 

「銀っ!しっかりっ!」
泰衡殿と戦い、なんとか勝利した私はそのまま安心したのか、とても恥ずかしいことに神子様の前で倒れてしまった。
意識を失う前に聞こえたのは神子様の悲痛な叫び声。
ああ、私はまたあなたを悲しませているのですね。
どうか、笑っていて欲しいのに。
あなたが、笑って下さるのなら、私はどんなことでもするのに。


「…が…ね…?…しろがね…?」
側で泣きそうな声で私を呼ぶ声がする。
それは私の大事な神子様の声だということに気づくまでは時間はかからなかったが、目をなかなか開けることができず、ぴくぴくとわずかに痙攣するだけで力がいっこうに入らない。
こんな声を出されるのだからすぐにでも泣き出しそうな顔をしていらっしゃるに違いない。早く目を開けてお慰めしなければ。焦る心とは裏腹に、体は全く言う事を聞いてくれない。
「…銀…お願い、目を覚まして…。」
ああ、いけない。早くしなければ、本当に泣き出してしまう。それだけは本当に見たくないのだ。神子様の涙は、私には一番辛くて悲しいものだから。
泣き顔を見たくない一心で、無理矢理に体に力を入れると、驚くほどアチコチが一斉に軋んで痛む。それでも、神子様の方が心配でなんとか瞼を持ち上げるとぴくぴくと震えながらでもようやく開いたのだ。
そうして、私が一番最初に見たものは、やはり泣き出しそうな神子様のお顔。
「…銀っ!」
神子様はとても驚いたように目を見開き、そして、私の手を握り締める。
「…み…こ…さ……。」
声を発しようとしたけれど、がさがさに乾いて、まるで糊で張り付いてしまった喉はうまく音を出すことができない。口の中でも切ったのであろうか、口中が鉄錆のような味がした。
「無理しないでいいよ……大丈夫?どこか酷く痛むところはない?」
おろおろと、うろたえたような表情で神子様は心配そうに眉根を寄せる。
そうじゃない。…私は、あなたを悲しませたくないだけなのに。
微かに首を振って返事をすると、幾分心配そうな表情が和らいでくる。それでもまだ不安な表情の方が濃い。
最初にお会いしたときから、ずっとそんな表情をしていた。予言をする神秘の神子はもっと無表情に神の言葉を淡々と語るのだろうと思っていたのに、この神子様はとても悲しそうに、私に予言を与え、そしてまばゆい光とともにかき消えた。
御簾の外からなんとか垣間見た顔は、不安そうな表情よりも笑ったらとても綺麗だろうと思っていた。
次にもし会うことができたのなら、笑って欲しいとそう願っていたのに。
だけど、一度もその笑顔を見ることができず、私は、神子様を裏切り、傷つけ…。
気がつけば自分が悲しそうな顔をさせる原因を作っていた。
それなのに、神子様は私を心配してくださる。
「…こ、こ…は…?」
「…高館なの。…私の部屋だから、ゆっくりしていいよ?」
その言葉を聴いて今度は私がうろたえる番だった。
神子様の部屋に私がこのように臥せっていては、神子様がゆっくりお休みになることができないではないか。
慌てて体を起こそうとするが、神子様は私の肩に手をかけて私が起き上がるのを制止する。
「だめよ!傷口が開いちゃうから!…じっとしてて!」
「し、か…し…。」
がさがさとした声がお気に障るのか、少し考え込むような顔をしてから、すぐに何かを思いついたような明るい表情を浮かべて、それから枕もとにあった何かを取り出す。
「…お水、飲んでみる?…これなら寝たままでも飲めると思うよ?」
小さな杯に水を入れ、そっと私の唇に当てて、ゆっくりと水を流し込む。水かと思われたそれは少し暖かい。
こくり、と小さく喉を鳴らして飲めば、ようやくがさがさだった喉の奥が潤って、貼り付いていた喉が緩やかに解けてくる。
「…大丈夫?」
「…はい…お手を煩わせて申し訳ありません。」
水を飲んだおかげで、言葉は随分と出やすくなり、そういって神子様に詫びると、再び神子様は悲しそうな表情を浮かべる。
ああ、私は何を言っても神子様を悲しませてしまうのだ。心配をかけた挙句、悲しませるとは神子様の側に侍る資格もない。
神子様手ずからの看病を嬉しくも、ありがたくも思いながら、それでも側にいることのかなわぬ身を恨めしく思う。
「私ならば大丈夫でございます。…すぐに泰衡殿の屋敷に戻りますゆえ…。」
そういうと神子様はさらに困惑した表情になる。
「…あの、ね…。」
いいにくそうに、言葉を選びながら私に切り出した。
「…泰衡さん…その………主人に逆らうような奴はしばらく顔も見たくないから、高館に八葉と一緒に蟄居してなさいって…。」
その言葉に私は少なからず衝撃を受けた。
泰衡殿はそこまでお怒りなのだ。
「あ、でもね、用ができたら呼ぶからそのときはすぐに来い、だそうよ?」
慌てて付け加えた神子様はそれが泰衡殿の優しさだとわかっていらっしゃるのか、悪戯っぽい顔をして私に伝えてくれた。
要は、しばらくここで養生しろ、ということのようだ。
泰衡殿は相変わらず口は悪くていらっしゃるが、優しい方だ。
「だからね、しばらくここにいるといいわ。ここなら弁慶さんもいるから安心して養生できるし。」
「…しかし、ここは…。」
神子様の部屋で、といいかけると神子様はまた悲しそうに首を振る。
「いいの。…私を助けるためにこんなに怪我をしたんだもの。…看病ぐらい私がします。」
曇った表情でそう言い切ると、私の頭の上に乗せてあった手ぬぐいをとり、私に背を向け、神子様の後ろにあった角盥の中の水に浸す。ぱしゃぱしゃと冷たそうな水音に、神子様の手が冷えてしまわないかと心配になる。
「…ごめんなさい…。」
ぽつりと、泣いているような声で、神子様は呟いた。
神子様が私に謝るようなことは何一つない。謝らなければならないのはむしろ私のほうなのに。
「私は、自分の意志で神子様を助けに参ったのです。…ですから、気兼ねなさる必要はぜんぜんないのです。それどころか、私の方こそ無礼を…。」
「…そんなこと、ない。」
私が言い終わらないうちに、背を向けたままで神子様は言った。
「ですが…。」
「無礼だなんて、思ったことない。…いつだって、銀は優しかったから。…いつだって私を守ってくれるから。…いつだって、私を…。」
そうして、声は上げないまでもとうとう泣き出されてしまわれた。
ひくひくとしゃくりあげる肩が痛々しい。
なんとかお慰めしなくては、と体を起こそうとすると、衣擦れの音に気がついて慌てた様子で私の方へと振り向いた。
うっすらと赤くなった目は涙に濡れており、可愛らしい鼻も同じく少し赤い。
泣かせたかったわけではないのに、どうして私は何をしても神子様を悲しませてしまうのだろうか。
「おきちゃダメ!」
「…はい…。」
これ以上、神子様に逆らうわけにもいかず、体の力を抜いて再びゆっくりと横たわる。一瞬だけほっとした神子様の表情がすぐにくしゃりと歪んでいく。
「…どうして…、だめなのかな?」
神子様は泣き顔のまま、無理におどけたような笑顔を貼り付ける。
「…どうすれば、銀が喜んでくれるのか、わかんないや。…えへへ、ごめんね、気が利かないな、私。」
そうして神子様は泣き笑いのまま、真珠のような綺麗な大粒の涙をぽろぽろと零される。
「神子様…。」
「ごめんね、銀。…ごめんね。」
なんて優しい方なのだろう。
私は胸の奥をぎゅうっと掴まれたような気分になった。
邪な思いを抱いた私が龍脈を汚し神子様の体に異変を起こしていたことも、泰衡様の命令で神子様を監視していたことも、白龍の逆鱗を取り上げた事も、もしかしたら秀衡様を襲ったことだってご存知で、全部忘れてはいないだろうに、それでも私を信じ、看病し、なおかつ喜んでもらいたいなどと。
どうして、こんな私にそれほどまでに優しくできるのだろう。どうして私などの為に涙を流すようなことができるのだろう。
それが龍神の神子の資質というものなのだろうか。
なおも涙を零される神子殿に私は早く泣き止んで欲しくて、私は胸の中にしまっていた言葉を取り出した。
私が望みを口にすることで神子様が喜んでくれるというならば。
「神子様、私は…。」
「うん?」
許されるものならば、ずっと。
私は八葉でもないし、龍神でもないけれど。
「神子様の、笑顔が…。」
遠くからでもいい、見ることができたら。…いつも楽しげにしているあなたを。
「みたいのです…。」
「え、笑顔!?」
神子様は、困った顔で聞き返す。
「はい。…神子様の、笑顔を見られることが、私には一番嬉しいのです。」
「そ、そんなものでいいの?」
「はい。それだけで充分です。」
他には何もいらない。それだけで。
あなたが、その手で、その眼差しで、その心で、私に取り戻してくれたから。
あなたを恋うる思いを持つことを、持つことができることを。
だから、私は今、とても幸せなのです。




END

 

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