私の想い
「…道理でな。…そうじゃないかとは思っていたんだが。」 将臣殿の言葉に神子様は小さく頷くと今度は弁慶様の方を見る。 「ここにいることがわかったら、まずいことになっちゃうかな?」 ここは神子様の部屋。 八葉の方々は、大社で何が起こったのかまったく知らない。 どうして神子様が行方不明になったのか、鎌倉軍がどうしてひいていったのか。 目が覚めた私がまっさきにしなければならなかったのは、八葉の方々にこの数日の出来事を話すことであった。 神子様の信頼を裏切り、泰衡様に逆鱗を渡した私を表だって非難する方はいなかったが、やはり、悪感情を持つ方はいた。それも仕方のないことだと自分では思っていたが、神子様が懸命に私の弁護をしてくださり、とりあえずの険悪ムードから脱出した。 私のために皆様に滔々と説明をして下さる神子様はとても必死なご様子で、私の為にそこまでしてくださる神子様に、性懲りもなく邪な気持ちを募らせていた。 そして、その話の中で神子様の口から本当の私が明かされたのだった。 さすがに敦盛殿と将臣殿は私と顔をあわせたことがあるから、そうではないかと思っていたようだが、その他の方は多少なりとも驚いていたようだ。 神子様は私が鎌倉と敵対していた平家の者であるということを隠しておくべきか否か、弁慶様の考えを尋ねられる。 「…今すぐにどうこうということはないと思います。お話ではどうやら政子様からはすでに荼吉尼天はいなくなっていますしね。それに捕虜として捉えたはずの将がこんなところにいたとしたら、みすみす逃亡させてしまった鎌倉方の名誉にも関わります。…ただ計画が失敗したと分かったら彼をどうにかするなどの動きがあるかもしれません。こうしている間にも鎌倉の手先が近くに潜んでいるかもしれませんから、当面の間、彼は今までどおり銀として接したほうがよろしいでしょう。」 弁慶様の言葉に、みな素直にうなづいた。 「おまえも、その方がよさそうだしな。」 将臣の言葉に、私は微笑したまま頷いた。 重衡でいるよりも、銀として神子様の側で神子様に仕えていたい。それが私の正直な気持ちだった。 私の生は神子様が与えてくれたもの。重衡だった私は鎌倉で呪詛を仕掛けられて死んだのだ。そして銀としてあのまま呪詛とともになくなってしまうはずの命に救いの御手を差し伸べて下さったのは神子様だから、私は重衡ではなく、神子様が与えてくれた命、銀で生きたいと願っている。 「それにしても、本当に先輩が無事でよかったです。一時はどうなってしまうかと…。」 将臣殿の弟君の譲殿が眼鏡、と呼ばれるものを指で押し上げながら安堵の表情で呟く。 「心配かけてごめんね。でも、ちゃんと大丈夫だったでしょう?」 神子様は皆様方に心配をかけまいと、穏やかな微笑を浮かべて返事をする。 だけど、本当は大丈夫などではなかったのだ。さすがに泰衡様も神子様に怪我を負わせるようなことはなかったけれど、弓を向けたこともあったのだ。 けれど、それは決して皆様に喋ってはならないと、事前に私にきつく口止めをされていた。もっとも、それが知れたら確かに私はここで暢気に臥せっていることはできないと思われるが。 「で、銀はいつまで姫君の部屋に滞在するんだ?」 ヒノエ様の言葉に、私はうっかりと忘れかけていたことを思い出した。 私が臥せっているここは、神子様の部屋なのである。 「申し訳ございません。すぐに部屋遷りいたします。」 「ダメ!」 神子様は強い口調でそれを禁止する。 「まだ傷口はふさがってないの。無理をしたらまた出血するから。少なくともある程度ふさがるまでは移動禁止。」 「妬けるねぇ、望美。それほどまでに銀にご執心なのかい?」 からかうようなヒノエ様の口調に、神子様は一切挑発にのらない、といった態度で真面目に答える。 「看病するのがあたりまえでしょう。…銀のこの傷は全部私のせいなの。私が無茶を言ってしまったからこんなことになったんだもの。」 それでもさらに何かを言い募ろうとしたヒノエ様にやんわりと弁慶様が中に入ってくださった。 「ヒノエ。気持ちはわかりますが、銀の傷は本当にまだ完全には塞がっていないのですよ。動けるようになったら移ることを考えるとして、とりあえずはここから動かさないほうがいいでしょう。」 「ああ、そうだな。望美が休めなくなるというなら、他の部屋で休んでもいいわけだし。…まぁ、銀は早く傷が良くなるようにゆっくりしとけ。」 将臣殿の言葉に私は静かに頭を下げる。 「じゃあ、あまり銀を疲れさせてもよくないだろうから。」 九郎様のお言葉でその場はお開きとなる。 少々起きているのが辛くなり始めた体を再び床に横たわらせようとすると、後ろから神子様が手助けをしてくださる。 「大丈夫ですよ。」 「無理はしないで。」 お言葉に甘えて横たわらせていただくと、神子様は嬉しそうに微笑まれる。その、春の花でさえかすむような愛らしい笑顔を見ることができてとても嬉しく思う。その笑顔をきちんと頭の中に刻み付けておきたくて、幸せな気分で見つめていると、不意に神子様を呼ぶ声がする。 「望美、ちょっといいか?」 将臣殿が部屋の外からちょいちょいと手招きをする。 「あ、うん。…銀、ごめんね、少しはずしていい?」 「はい、神子様のお心のままに。」 「もうっ…すぐにそういう言い方をする。すぐ戻るから。」 神子様が頬を染めながらもはにかむように微笑んでから傍らを立っていかれると、不意に寂しくなる。 今まで暖かな春の日差しを浴びていたような感覚が急に冷えてしまう。 少しだけ切なくなって、神子様の姿を目で捜し求めると、神子様の短い裳のすそが戸の向こう側に見えた。 「…ん、…だよね……。」 明らかに困惑している声音に、私は思わず聞き耳を立ててしまう。 「…でも……。」 将臣殿の低い声はあまりよく聞こえないがために、話の内容が聞き取れない。 神子様はどうしようか逡巡しているらしく、考え込むような声が聞こえる。時折聞こえる将臣殿の気遣わしげな声に私はふと昔のことを思い出した。 そう、確か、将臣殿は以前に神子様と弟君を探しておいでになった。 最初に将臣殿にその話をされたのはいつだったか。…きっと父上が将臣殿を迎え入れてからすぐのことではなかったか。 途中ではぐれた弟と、幼馴染の女の子を探していると。この世界にきていないかもしれないが、もしやいるかもしれないと心配そうにされた将臣殿に、やんわりと筒井筒の間柄かと尋ねた経正殿。将臣殿は筒井筒の言葉をしらなかったらしくそれには返答されなかったが、それでも神妙な顔をしてとても大事な人なのだと、そういったことがあった。 以前、私が銀としてこの屋敷に何度か出向いたときも、将臣殿と楽しそうに歓談する神子様を目にした。 神子様の話し方や表情が、他の方に対するそれとは違うのに気がついていた。 同じ世界から来たということもあるのだろうが、同じ世界からきた将臣殿の弟君、譲殿に対しては神子様はもう少し違った話し方をなされる。 将臣殿と話している神子様は多分、生来の神子様なのだろう。 八葉であり、幼馴染であり、過ごした時間の長さも気心もしれた一番身近にいる存在。将臣殿は神子様に好意を寄せておられ、神子様もおそらく将臣殿を一番頼りにしておられる。 私は、将臣殿が少し羨ましく思えた。 神子様に気にかけていただこうとはおこがましい考えだと分かっているし、そんなことは夢なのだと、望むべくもないことだと分かっている。だから、せめて神子様の一番お側で侍ることができたら、どんなに幸せなことだろう。 空っぽだった銀という器には、どんどん神子様への思いだけが満たされていく。 「…わかった…。」 話が終わったのか、神子様は部屋の中にお戻りになられる。 少しだけ憂いを残したままの表情で、それでも私に柔らかな微笑みを投げかけてくださる。 将臣殿と離れるのが惜しかったのだろうか。 「ごめんね。…ええと、何かしてほしいこと、ある?」 「いいえ、何も。」 「疲れたでしょう?少し休む?」 「それではお言葉に甘えまして、少しだけ。」 「邪魔だったら、外へ出ているから。」 「いえ、邪魔だ、などというようなことはございません。ここは神子様のお部屋でございます。どうぞ、そのままに。」 たとえ将臣殿を思っていらっしゃっても構わない。ただ、お側に置いて頂きたいのです。 「うん。…じゃあ、ここにいるから。…何かあったら遠慮なく言って頂戴ね。」 「ありがとうございます、神子様。」 私の足元の方に移動して、なにやらごそごそと始めた様子の神子様の気配を感じながら私はゆっくりと目を閉じた。 そう、今が過分な幸せなのだ。 きっと神子様の義理堅さからくる優しさなのだ。あの時、泰衡様のお屋敷から逃がそうとした私への、ただの恩返しに違いないのだ。私のようなものでも、仲間だとおっしゃってくださる神子様の、優しい心なのだ。 だから、期待してはいけない。ただ、思うだけで。 こうして、側にいることができるだけ、思うことができるだけで、以前の私に比べたら夢のようであるのだから。 今、こうしてお側にいることの幸せを噛み締めながら、寝るのは少しもったいないなどと思いつつも少し辛く、そして幸せな夢路を辿り始めた。 END |