私の願い

 


私が高館で養生するようになってから数日。
泰衡様に言い渡された蟄居がいつ終わるのかは今のところ分からない。
それでも、今の自分にできることといえば、早く体を直して、いつ泰衡様からのお召しがあってもいいようにしておくことだけだ。
養生を第一に考えてくださいと弁慶様に言われ、傷が半ば塞がったのに未だに床上げをできないでいるのは至極退屈である。せめて雪見でもしようと傷に触らないようにゆっくりと床を抜け出して縁近くにいざってみた。
庭は一面の雪。しかし、その庭の真ん中に、なんだか愛らしい雪の人形が座っている。まるでかの達磨大師のように足がない、かわいらしいそれは、炭で眉や鼻や口が、目は小さめの柑子でできている。
これはきっと神子様が作ったに違いないと、そう思いながら微笑ましい姿のそれを悪戦苦闘しながら作っている神子様の姿が眼に浮かぶようで、なんともいえない愛らしさを感じた。
「おう、風邪ひくぞ。」
「将臣殿。」
後ろからの声に振り向くと、そこには綿入れを持った将臣殿がたっている。
「望美が、これをかけてくれってよ。」
そういって将臣殿は私に綿入れをかけてくださる。
そうして、私がぼんやりと見つめていた庭の景色に目をやると、ああ、と雪の人形を見ながら苦笑し、そのまま私の前に座り込む。
「あれ、か。望美だな、あれは。」
「可愛らしい人形ですね。」
「雪だるまっていうんだよ。見たことないか。」
「ええ。…達磨って、達磨大師の達磨ですか?」
「ああ。ああいう手足のない人形のことをだるまっていうんだ。」
そういいながら、今度は私の方に視線を戻す。
「…無事だったんだな。」
将臣殿の声が少し震えていたのは寒さのせいだけではないように思えた。
「…はい…。」
私が完全に記憶を取り戻してから、こうして将臣殿とゆっくり話をするのは初めてで、一体、何をどういったらいいのかわからない。
「…将臣殿も…よくぞご無事で…。」
「ほめられたことじゃねぇけどな。」
そういって、酷く悲しそうな表情をする。
父上は重盛殿が蘇ったと思いたかったようだが、やはり面差しや仕草などは似ていてもどこか違う。
都落ちした私達を支えてくださった将臣殿は、ご自分が生き残ってしまったことを不満に思っているように聞こえた。
もともと平家ではない将臣殿がどれだけ力を尽くしてくださっていたか、私は母上からよく聞いて知っている。だから、この方は平家と運命をともにすべきではないのだ。
「将臣殿はいずれご自分の世界に戻らなければならない方。こうしてご無事でいられたことを、喜びこそすれ、そんなふうにおっしゃっては…。」
「………。」
将臣殿は、複雑な表情のままで俯いた。
互いにかける言葉もないのは生き残ってしまったゆえの罪悪感か、長い沈黙がそこに流れていく。
「…結局、母上たちは見つからなかったそうですね。」
その沈黙が重すぎて、私が先に口を開いた。どこで誰が聞いてるかもわからないから、帝が、とはいえない。
「…ああ…噂のひとつもでないってことは、なんとかなったんだろ。」
将臣殿は俯いたまま、そう答える。
「兄上は…。」
ふと気になって、将臣殿とも仲の良かった知盛兄上の話を出すと、俯いていた顔をさっと上げ、泣き出しそうな表情で私を見た。
「すまない…。」
ぽつりと呟いた彼の言葉に、知盛兄上はすでにこの世の人ではないんだということを悟った。
実際に、知盛兄上の最期の話は噂として聞いたことがある。神子様たちと戦い、敗れ、そしてそのまま鎌倉に送られるのを良しとせず、入水したということを。
やはりそれは噂などではなかったのか。
「あいつでも危ないと、分かっていたんだ…。それなのに…。」
将臣殿は、また力なくがくりと肩を落とした。
兄上の件を酷く後悔していたのだろう。
兄上はよく将臣殿に突っかかってはいたが、実のところ、一門の中で一番将臣殿と仲が良かった。なんだかんだと憎まれ口を叩きながらも一緒に酒を飲み、話をし、競い合いながら互いに互いを認め合っていたような節があった。
私からしてみればあの兄上が、そこまで他人に打ち解けることがあるなど思っても見なかったから、将臣殿という人間が酷く珍しい人に思えたのである。
元来がそうなのか、将臣殿は義理堅いから、兄上を危険な場所に置くのはためらわれただろう。それをあえてそうしたということはおそらく壇ノ浦がそれほどまでに過酷だったということにほかならない。
そして、先ほどの「ほめられたことじゃない」という発言の真意もようやくそれで納得が言った。
「謝ってすむことじゃねぇが、すまなかった…。この通りだ。」
将臣殿が私に頭を下げられて、慌てて私はそれを止める。
「将臣殿のせいではございません。」
「しかしな…。」
「私のせいだよ。」
不意に、濡れ縁から声がして、そちらのほうを見ると神子様が立っていた。私の薬を持ってきてくださったようで、苦そうな匂いがすでに立ち込めている器を私の前に置くと、手を引いて、そのままじっと見つめる。
「私が、殺した。…この手で。」
そうして悲しそうに顔を歪ませた。
「殺したの…。」
くしゃりと、神子様の顔が歪んだまま崩れた。
将臣殿はちっと舌打ちをすると神子様の肩を抱き、ぽんぽんと宥める様に優しく2,3度叩いてから立ち上がるように促した。
「わりぃ、それ、忘れずに飲んでおいてくれよ。」
そうして将臣殿は神子様を連れて行ってしまわれた。
残された弁慶様の薬等を取ると、苦味を感じないように一気にそれを煽る。
普段、顔をしかめるほどの苦さが不思議と何も感じなかった。

小さい頃から、よく乳母に言われていた。
私と知盛兄上はそっくりなのに、性格が正反対だと。
事実、自分でもそう思う。
戦でも、捕虜になった私とは違い、最後の最後まで生き残る人だと思っていた。しかし、実際はもうこの世にはいない。
母上と帝を助け参らせるために、自らの命を犠牲にして一族を永らえさせたのだ。
その兄上に引導を渡したのが神子様だったということに、私は不思議に憎しみを感じなかった。
普段からとても仲の良い兄弟とはいえなかったが、私は少なくとも兄上を尊敬していたし、嫌いではなかった。一番上の宗盛兄上よりは、知盛兄上のほうが私は好きだった。その兄上を殺した、と言うのが神子様なのに、どうして私はこんなにも平静でいられるのだろう。
どんな名乗りをしたのだろう、どんな言葉を交わしたのだろう、どんな戦いをしたのだろう。神子はどんな風に思ったのだろう。
むしろ、知盛兄上に嫉妬に近い感情を抱いているのに、はたと気がついた。
神子様の手にかかって死ねるのならば、そして死してなお神子様のお心の中に、泣き出してしまうほど強烈に残れるのならばどんなに嬉しいことだろう。
一緒にすごした八葉でもなければ、味方でもない、敵方なのに、だ。
それほどまでに知盛兄上の存在は強烈だったのだろう。それがなんともうらやましく思えたのだ。
私は、どうなのだろうか。
神子様によって生かされて、神子様によってここに住まわせていただいているこの身は。
私が無くなったら神子様は悲しんで下さるだろう。だけど、その悲しみは長いだろうか?すぐに風化してしまうのではないだろうか。
泣き出してしまうほどの昂ぶりをもって私を思い出して下さるだろうか。
おそらくそうではあるまい。
それが酷く悔しく思える。
気にかけてくださらなくても結構だ、なんて、そんなのは奇麗事だ。
私のことを、少しでも見てほしい。気にして欲しい。
神子様に生かされてる、この愚かな私を。





END

 

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