私の幸運

 


泰衡様からのお召しがあったのは突然のことだった。今から来るように、との仰せらしい。
どうやら、私と神子様が市にでかけたのを配下の誰かが泰衡様に報告したようだ。
「ほんとに一人で大丈夫なの?」
あんなことがあっただけに、神子様の心配はもっともだと思われたが、泰衡様がいまさら私をどうこうするとも思えないのも事実だった。
そんな方ではないのだ。
そのぐらい、神子様もわかっていらっしゃるのだろうけれど、やはり心配は心配なのだろう。
「大丈夫でございますよ。そろそろ行かないと、遅れてしまいますから。」
そういって、神子様の御前を失礼して泰衡様の元へと急ぐ。
正直言って、また以前のように神子様とは違う場所で生活するようになるのは寂しい。
今までは自分が望むだけ神子様のお側にいることができたけれど、これからはそうもいかなくなるのだろう。
しかし、逆らった身で、また泰衡様に許していただけるなど、通常ではありえないことなので、神子様のことを差し引いたとしても大変ありがたく、嬉しいことであった。
「くぅうん。」
屋敷に到着した私を出迎えてくれたのは金だった。
嬉しそうに、尻尾を一生懸命に振って、以前のようになついてくれる。
「よしよし、金。私を覚えていてくれたんだね。」
「わん!」
返事をするように吠える金に思わず笑みが浮かぶ。
「ふふふ。私が世話をせずとも、毛並みがよく整っているね。…きっと泰衡様がきちんと面倒を見てくれていたのだろう?」
「わぉん。」
いま少し、動物の類は得意でないらしい泰衡様が、それでも金を大事にしているのは九郎様のためだった。
この犬を拾いたくても拾えなかった九郎様のかわりに自分が飼い、ほったらかしにするように見せて九郎様に世話をさせていたのだ。九郎様が平泉から去った後、自ら世話をするということはなかったが、代わりに世話をするものを決めて大事にしていたのだ。
「いつまで、そこにいる気だ?」
ふと気づくと、不機嫌そうな表情の泰衡様が階のところに立っていた。
慌てて頭を下げると、ふん、と鼻で笑ってから自分の居室に向かって戻っていく。私は庭先に控えたまま、その姿を見送っていると、部屋で脇息にもたれた泰衡様は眉をつりあげて私のほうをご覧になった。
「…だから、いつまでそこにいるつもりだ?話ができないだろう。」
声はとても不機嫌なのに、部屋に上がるように遠まわしに言う泰衡様にほっとする。今の自分はここで控えさせられたとしても文句どころか、感謝しなければならない立場なのだから。
一礼をしてから足早にあがって、泰衡様の御前に座った。
「先日は、配下の身でありながら大変無礼をいたしました。」
「ああ、能書きはいい。」
「はい。」
「体は治ったのだな?」
「完全、とは言いがたいですが、日常生活に差し支えるようなことはないようです。」
「ふん。…では、前以上に働いてもらおうか。」
「はい。」
泰衡様のお許しに、少しだけ顔が笑ってしまう。やはりお優しい方なのだ。
「なんだ?」
「いえ。ありがとう存じます。」
「こき使ってやるというのに礼を言うなど、変わったやつだ。」
「はい。」
あきれたように言う、その口元が、うっすらと笑っていらっしゃる。
「今までどおり、高館の様子を探り、俺に報告を入れろ。…せっかく神子殿に気に入られているんだ。動きを探るぐらい分けないだろう?」
「は。」
「…神子殿は放っておくととんでもないことをやらかしかねない。…軍は引いたとは言えどもまだまだ安心はできぬ。…妙な動きをしないよう、注意しろ。」
泰衡様の命令が、意外に簡単なものだったので、私は思わずほうけてしまう。もっと、大変なことをさせられるのではと、多少の覚悟を決めてきたというのに。
「……それだけで、よろしいのですか?」
「不服か?」
「いえ。…そんなことはございませんが…。」
「これから、平泉は鎌倉との和平交渉に入ることになる。そのときに、妙な動きをされては困るのだ。切り札は切り札らしく、大人しく、時が来るまで引っ込んでもらわないと。」
ぶつぶつと文句を言っているが、つまりは神子様の状況報告、なのだ。確かに神子様は思い立ったらとんでもない行動に出ることもある。でも、それぐらいは別に大局を揺るがすようなことではないのでは、と思ったりもするが。
「おまえは今までどおり、高館で生活をさせてもらえ。…そうだな、俺に追い出されたといえば、神子殿のことだ、同情しておまえを高館から追い出すようなことはしないだろう。」
「…はぁ…。」
「さらに言えば、せっかく気に入られているのだから、おまえの言いなりになるようにできないものか?」
「それは無理でございましょう?」
「なんだ、無理なのか?」
「神子様は、御自分の信念を大事になさる方です。私が何を言おうと、御自分の信念に会わなければ動かない、そういった方ですから。」
「ふっ…。」
泰衡様はおかしそうに哂う。
「あれだけ神子殿に気に入られているのに、なぜそれを利用しない?」
「…神子様のお心は神子様が決めることです。…それに…。」
ふと、私は先日の神子様から聞いた御館の言葉を思い出した。
「なんだ?」
「御館は神子様を九郎様か泰衡様と娶わせたいとお考えのようですので。」
それを聞いた泰衡様は思いっきり顔をしかめ、そして私の情けない顔を見つめる。
多分、私は泣きべそをかいていたのかもしれない。
神子様を誰にも渡したくはないのに、幸せにできる自信がない自分が、ひどく悲しく思えたからだ。
「………者…。」
泰衡様は、ぼそりとつぶやく。
「は?」
「…うつけ者といったのだ、この痴れ者がっ!」
いきなり、びし、といい音をさせて眉間を軽く扇ではたかれ、私は想いっきり顔をしかめた。
「先日の戦いの折、神子殿が何を守るために戦ったと思うんだ?」
「…私、…ですか。」
「そうだ。…じゃあ、なんで銀を守ったと思うんだ?」
「…それは…私が仲間、だからでしょうか。」
すると、泰衡様はもう一度、私の眉間をびし、と扇で叩いてから、深い深いため息をつく。
「銀。…おまえは、神子殿の鈍さが伝染したんじゃないのか?」
ぐったり、といった感じで泰衡様がつぶやいた。
私はさほど鈍くはないと思っていたが、そうではないのだろうか?
「…ええと…。」
「俺は他に思っている男のいる女なんてごめんこうむる。…まったく、御館も厄介なことを思いつく。」
「…しかし…。」
「九郎だってそうだろうさ。…そんな面倒くさいのはあいつの性分じゃないはずだ。」
「はぁ…?」
何が言いたいのかさっぱり分からない私は、さすがに2回も叩かれて、すこしだけ傷む眉間をさすりながら考える。
「…女が命をかけて守るのは、好きな男だからだろう?…あれは特にそういった傾向の強い女だ。…自覚しろ、銀。」
「……って…それは…。」
「気がついていないのか?めでたいやつだな。…神子殿は明らかにお前を特別に思っているだろう?アレの得意な、友達とか、仲間とか、そういうのではなく、生身の一人の男としてお前を見ているということだ。」
「そ、それはっ!」
「信じられなければ別に俺は一向にかまわんがな。…高館に戻ったら、神子殿に聞いてみるがいい。私を愛していますかと。」
言いながら、泰衡様は、歯が浮くだの、なんだのと酷いいいようだった。
「…わかったら、さっさと高館に戻れ。…それで神子殿がみょうなことをしでかさないように見張ってろ。わかったか?」
「はい。」
「異常があれば逐次知らせろ。定期連絡は3日ごとでいい。…下がれ。」
「はい。」
そうして私は泰衡様の御前を失礼して帰路につく。
神子様を見張れというのは、やはり、泰衡様は私の気持ちを分かった上での命令なのだろう。神子様から離れることができない私の。
それに、今の泰衡様の話は本当なのだろうか。
神子様が、…その…私を…。
確かに神子様は私を命をかけて守ってくださった。だけど、おそらく神子様は八葉のほかの方々に対してでも、同じように命をかけて守ろうとするだろう。
決して私だけではないのだ。
私だけなら、どんなに嬉しいことだろうか。


高館に戻った私を一番に出迎えてくださったのは神子様だった。
「お帰りっ!大丈夫だった?何もされなかった?」
「はい、大丈夫ですよ。」
「なんて言っていた?」
「体の具合を尋ねられました。…それから、しばらくはまた高館に御厄介になっていなさいとも。」
「まだ許してはくれないのかなぁ?」
「いえ、そうではありません。…その…。」
なんと言ってよいものやら、私は困ってしまって言葉を継げないでいると神子様が心配そうに私をご覧になる。
「何かあったの?」
不安そうな表情がすぐに神子様の顔に宿る。ああ、いけない。そんな顔をさせたくはないのに。
「…神子様の…お側に…いたいので…。」
すると神子様は音が聞こえそうなぐらいに、一気に顔を赤くする。
「…そ、それは…。」
神子様の明らかな動揺が、私を不安にさせる。
他に好きな方がいらっしゃるのだろうか、それとも、私を…好きでいてくださるのだろうか。
不意に泰衡様の言葉が頭に浮かぶ。
「神子様…。」
「な、なに…?」
「神子様は…私のことを…どう思っていらっしゃいますか?」
つるりと、言葉が口からすべり出た。
出たあとでしまったと後悔する。
「そ、それは、だ、大事だよ…?」
「仲間として?」
「う、うん。」
「それだけ、ですか?」
そんな聞き方をしたらそれだけでは満足していないのが分かってしまうのに、どうして私はそんな風に聞いてしまうのだろう。
「一人の、男としては…見ていただけないのですね…。」
「えっ!?」
「…ああ、申し訳ございません。…戯言ですよ。」
思い上がりも甚だしいとはこのことだろうか。私はそうごまかして、自分に割り当てられている部屋に戻ろうとした。
「あの、ね。」
不意に神子様が口を開く。
「…好き、なの。」
「…?」
「銀のこと。…男の人として、好きなのっ!」
そういって神子様は真っ赤な顔で私を置いて、ばたばたと廊下を駆けて部屋に戻ってしまわれた。
後に残された私は突然の言葉にただ呆然として立ち尽くしていた。
何度も何度も頭の中で、神子様のお言葉を繰り返して思い出す。
おきたら、夢なんてことはないだろうか。
そっと頬をつねってみると確かに痛い。
…もしかして、これは私の一生分の幸運を使い果たしてしまったのではないだろうかと思われるほど。
それでもちっとも惜しくはない。
変わりに、可愛らしくて美しい、私だけの人を得られるのだったら。



END

 

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