私の希望

 


「ねぇ、銀。今日は市が立つんですって!行って見てもいいかなぁ?」
朝、神子様をお迎えに上がった私に、開口一番にそんなことを仰った。この私が神子様に反対などするわけがないのに、いつも気遣ってくださるのを嬉しく思う。
「はい。喜んでお供致します。」
「ほんと?嬉しい!」
神子様は、嬉しそうに微笑んで私の手をとり、早く早くとせかして引っ張る。
不意に触れた神子様の手は、ほっとするほど暖かく、そして小さい。
怨霊と戦っていたとき、刀を振るっていた神子様の手とは思えぬほど華奢なつくりだけど、数多の戦いを過ごしてきたせいか、刀を持つ手はやはりマメなどができて痛々しい。
それでも、私の手をしっかりと握り締めて、一生懸命に引っ張っていく。
「そんなに慌てずとも、大丈夫でございます。市は逃げませんから。」
笑いながら言うと、少しだけむくれたように頬を膨らませるその表情さえとても可愛らしく思える。神子様に拗ねられても、今は折角つないだ手を離すのはいやで、ゆっくりと歩きたいのだ。
まだ春は遠い先で、寒風ふきすさび、ともすれば吹雪ともなる毎日。神子様の手のぬくもりが何よりも私を温めてくれる。
「あのね、実はね、少しだけお小遣いもらったの!」
嬉しそうにはしゃぐ神子様が子供のようにも見える。
「どなたからですか?」
「昨日ね、秀衡さんのところにお見舞いに伺って、一日話し相手してたら、帰りがけに頂いちゃったの。…いらないって遠慮したんだけど、どうしても、どうしてもって何度も言うから、貰っちゃった。」
その光景が目に浮かぶようだ。
御館は神子様を大層気に入っていらっしゃる。
突然、異世界より本人の意思に関わらず召還されてしまったのに、それでも必死に戦い続ける神子様をひどく心配し、また同情し、その心がけに感動もしている。
通常の人間では得がたい能力を持つという特別で尊い立場におられながら、常に周囲に対して笑顔を忘れず、驕ることなく、優しい心遣いにもとても感心しておられる。
女性でありながら、自ら戦場に立つ気丈さや、巴御前もかくやとばかりの腕前も御館を熱烈な神子様信徒にしている要因だった。
御館がそこまで神子様を気に入られるのは訳があった。先日の戦いの少し前、私は御館に狼藉を働いたことがあった。その計画は誰にも知られてはいなかったはずだったが、神子様はその直前に御館に注意をするようにと、予言をして行ったらしい。そのことがどうやら直接的な原因らしい。
さらに、あの戦いの後、傷が治った私を伴って御館の元を訪れ、私を許してくれるようにと、一緒に謝ってくれたのだ。
そのまっすぐな、ともすれば子供のような純粋な態度が、さらに気に入られたらしいのだ。
「金子、ですか?」
「ううん。金、そのものなの。」
そういって、神子様が袂から取り出した袋には確かに金の塊が入っている。さほど大きくはないけれど、それにしても結構な買い物ができるはずだ。
「やっぱり貰わなかったほうがよかったかなぁ?」
「…御館は、神子様がお気に入りでいらっしゃいますから、喜ばせようとして下さったのだろうと思います。だから、よろしいのではないでしょうか。」
「うん、銀がそういうのなら、もらっちゃおうっと。」
そういいながら、神子様はもう一度袂に金をしまいこむ。
そのときに、今までつないでいた神子様の手が離れてしまったことを残念に思いながら、後をついていく。
「御館のお体の具合はいかがでしたか?」
「もうなんともないんだって。…見たところ、無理をしているようには見えなかったから、本当に直ったんだと思うんだ。」
「それはよろしゅうございました。」
「泰衡さんが、あんまり家から出してくれなかったから、かなり退屈していたみたいだね。金を相手に遊んでいたんだって。」
「泰衡様も、御心配なさってのことです。」
「うん、わかってるよ。」
にこ、と微笑む顔に、泰衡様が悪く言われないでよかったと安堵する自分がいる。
やり方は悪かったが、泰衡様は泰衡様なりに平泉のことを心配していたのだ。それに、いろいろなことはあったけれど、未だに私の主は泰衡様だと思っている。だから、悪く言われるのはやはり辛いのだ。
ただ、御館と泰衡様ではやり方が違いすぎる。両極端の二人だから、互いにすれ違ってしまう。だけど、相手を認めること、それができれば、こんなことにはなっていなかったのかもしれない。神子様にであってからそう気づかされた。
「そういえば、秀衡さんに、婚姻する気はないかって言われた。」
ぼんやりと考え事をしていた私は、不意に漏らした神子様の言葉に思わず動揺してしまい、平静を通すことができなくなり見つめてしまう。
「婚姻…ですか…?」
半ば呆然としたような口調で尋ねると、うん、と軽く頷いてから神子様は話し出す。
「うん。…九郎さんか泰衡さんと。…九郎さんと結婚するならば、平泉が総力をあげて後押しするし、泰衡さんと結婚するなら平泉はすべて私のものにするって。」
神子様は、御自分の言葉の意味がわかっていらっしゃらない。暢気に笑いながら、まるで他人事のように仰るけれど、それは秀衡様にこの平泉を神子様のものにする気はないかと言われているのだ。
御館が神子様同様に、大事に育んできたのは九郎様。鎌倉殿の弟君であり、後白河法皇の覚えもめでたい彼は、平泉の立場を守るために奥州藤原家が擁立しようとしている人である。実際の差配は泰衡様がするだろうが、擁立する以上、表面上の代表者は九郎様となる。
一方、泰衡様は紛れもなくこの平泉の主になるだろう方で、その御方様になるということは秀衡様の言葉どおり、この平泉を手中にするといっても過言ではない。
九郎様と泰衡様。どちらをとっても神子様の相手にとって不足はない。
だけど。
私は、神子様に御結婚などしてほしくない。
「どちらも、申し分ない方だと思います。」
平静に振舞おうとして、声がわずかに乱れてしまう。確かに、ここにいる限りではお二方が一番相応しい。神子様をお幸せにするのに必要なものをみんな持っている方たちなのだ。
神子様を恋うる気持ち以外、何も持たない私とは、違うのだ。
でも、それでも。
「……そうだね…。」
一瞬だけ、鈴のような明るい可愛らしい声音がひどく悲しそうに音色が落ちて、不審に思っていると次の瞬間にはもう顔を上げて、目の前に見えてきた市に向かって元気よく歩き出す。
「何買おうかなぁ?」
物珍しげにあちこちの店を見ながら歩く姿はいつもの通りで、私はため息とも安堵の息ともつかぬものを胸の中から吐き出した。
一瞬だけ、ほんの少しだけ。悲しそうな声は、誰かを思ってのことだろうか?
神子様は九郎様とはさほど多くは語らない。だから、神子様が九郎様と結婚、なんていうことはあまり考えられない気がする。
どちらかというと、やはり私は将臣殿が気になっている。
神子様はいずれ御自分の世界に戻られるのだろう。
そのときには、やはり将臣殿も一緒に戻られる。
将臣殿は私に争う気はないなどと仰っておいでだったが、それはあくまでも将臣殿の気持ちであり、神子様のお気持ちではない。どうしても、と、神子様が希望されるのなら抗えるはずなどないのだから。
「銀?」
「え?はい?」
はっと気づくと、店を覗いて物色していたはずの神子様は、私の顔を覗き込んでいた。あまりの至近距離に、少し焦って、どもるような返事を返してしまう。
「ぼんやりして、どうしたの?疲れてる?」
「いいえ。申し訳ございません。…少し、考え事をしておりました。」
「珍しいね?どうしたの?」
「いえ。神子様はやはり、今日も美しくていらっしゃる、と思っておりました。」
「……っ!…もう、いい…。」
力が抜けたように、神子様はがっくりと肩を落として、今度は小間物を商うお店に向かった。
神子様は神子様だけに、勘がとてもいい。
だから、すぐに私の嘘など分かってしまう。今だって、きっと小間物を眺めていながら、私の嘘がどんなものか考えていらっしゃるのだろう。
しゅんとした横顔がそう物語っている。
また、神子様を悲しませてしまった。
私はこれ以上神子様が考え込まないように、神子様の側に寄る。私が来た気配を察してか、慌てて並んでいる商品の物色を始めたようだ。
「何か、気に入るものは見つかりましたか?」
途中で神子様の視線が動かなくなったので、何か気になる品物でもあるのだろうと、尋ねてみると、うん、と頷いてから、細い指先でとある細工物を指す。
「これ、ね。」
紅水晶なのだろうか、ほんのりと桃色がかった丸い水晶の周りを銀でできた目の粗い籠のようなものが囲っている。揺らすと、中で紅水晶がころころとゆれる。どうやら首飾りのようである。
「お嬢さん、これはいいものだよ。紅水晶は遠く甲斐の国から取り寄せたものさ。」
「わあ…かわいい。」
他に、紫水晶や翡翠などでできたものもあったが、神子様はこの紅水晶のものがいたく気に入ったようで、じいっとそれを見つめている。
「…これで買えるかなぁ?」
そういって、店の人に先程私にも見せてくれた金を見せてみる。
「これは貰いすぎだよ!私は得をするから有難いけどね、こんなに沢山の金をこれと取り替えては勿体ない。」
確かに、相場を考えると神子様の持っている金と、この細工では全然釣り合わない。
「えええ?そうなの?どうしよう…。」
これと取り替えるには、金を少しだけ砕くか、または銭と金とを交換した上で銭を払わなければならないだろう。
それよりも。
「神子様。さしでがましいようですが、私から神子様に献上いたします。」
「え?…献上…?ええっ!?そんな!いいよ、べつに!」
「是非とも、そうさせていただきたいのです。ね?」
そういってから、有無を言わせず店の主から私はその首飾りを買い取った。一緒に麗しい紅の飾りヒモも貰い受けるとその飾りをヒモに通して神子様の首にかけて差し上げる。
「……あ…の………ありがと…。」
「喜んで頂けて私も嬉しゅうございます。」
神子様は真っ赤な顔をなさって、嬉しそうに笑って下さった。
ああ、こんなに嬉しそうに微笑んで下さるなら贈った甲斐があった。
丁度、鎖骨の少し下に揺れるその飾りは、とても神子様によくお似合いになる。
「大変、可愛らしいですね。…神子様も、この飾りも。」
「…そ、かな?…えへへ、ありがとう!」
神子様の胸元で、きらきら、ころころと揺れる飾り。薄桃色の水晶が、銀の網目の籠のなかで守られるようにしている。
「うらやましいですね、この紅水晶は。」
「え?」
「私も、この細工の銀のように、可愛らしい神子様をずっとお守りすることができたらよろしいのですが。…それに、この首飾りのように、神子様のお側にいれたら、どんなに幸せなことでしょうか。」
ふと漏らした戯言に、神子様の顔が、耳までが一瞬で真っ赤に染め上がる。
「し、し…銀…!?」
泣いているのか、笑っているのか、複雑な表情の神子様が慌てて私を見る。
「ああ、申し訳ございません。戯言を申しました。」
「う、ううんっ!そうじゃないのっ!…ええっと…。」
神子様は困ったような顔をして、真っ赤な顔のまま、俯いてしまわれる。
「神子様…?」
その様子に私はまた失言をしてしまったのだと悔いながら、なんとかお慰めしようと声をかけると、ものすごく小さな声で、神子様が。
「…嬉しい…の…。」
と。ぽつりと仰った。
嬉しい。………と仰った…ということは……。
もしかして、少しは私のことを、好きでいて下さるのだろうか。
それとも、やはり、普段から誰にでもお優しい神子様だからそんな事を仰るのだろうか。
まだ赤味の抜けない頬のままで、はにかんだように微笑む顔は本当に誰にも見せたくないほど愛らしいし、美しい。
一体、神子様は私のことをどのようにお考えなのか、とても知りたい。
「私のようなものにそのように思って下さるなど、夢のようでございます。私のほうこそ、その様なお言葉をかけて頂けるだけで嬉しゅうございます。」
「そっ…そんなっ…。」
一度、赤味の引きかけた頬に、また血の気が戻ってくる。そうしてぱくぱくと、言葉が声にならないのか、2,3度口を動かしてから、ようやく神子様の声がでてくる。
「あの、ね。…………。」
神子様は、そういったきり、どういったらいいのか困ってしまわれたようで、本当に顔を赤くしたまま、うっすらと涙さえ浮かべている。
泣かせたいわけではないのに、どうして涙ぐまれてしまうのか。
「やっぱり、私には勿体無いことです。…神子様を悲しませてしまいました。…どうぞ、お忘れください。」
「やだ。」
きっぱりと、はっきりと、神子様は即答される。
「…忘れたくなんか、ないもの。」
ぽろりと、とうとう真珠のような涙がこぼれて流れ落ちる。
「神子様…?」
「…えへへ。ごめんね。…なんか、ちょっとおかしいね。」
神子様は慌てて、こぼれた涙を袖口で拭って、にこ、と微笑んでみせる。
「私が、不用意なことを申し上げたせいでございますね。」
「ちがうよ。銀は、なにも悪くないの。」
「しかし、神子様は…。」
「なんだか、寒くなってきたねぇ。…もう、帰ろうか。」
神子様は慌てて話をさえぎって元きた道を戻るために踵を返す。
確かに、先ほどまでうっすらと日もさしていたのに、今では寒そうな雪雲がやってくるのが見えて、冷えも一段と厳しくなってきた。
「銀、あのね、手を繋いでいいかな?」
しばらくの間、無言で歩いていた神子様が寂しそうに呟いた。
「はい。どうぞ。」
手を差し出すと、恐る恐るといったように私の手を握って、そして隣に並んで歩き始める。
このまま、道がずっと続けばいいのに。
神子様の手をとって、ずっとずっと、歩いていければいいのに。
少しだけ雪がちらつき始めた大通りを神子様の手の暖かさだけを糧にして高館に向かって歩き始めた。



END

 

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