星空の思い出

 

もう僅かな日しか残されていない。土御門殿へ向いながらも鷹通の心は塞ぎ込んでいた。もう少しで、あの少女は元いた世界に戻ってしまう。そして永遠に会えなくなるのだ。だから少しでもその姿を、笑顔を、仕草を自分の心に焼き付けて、一生覚えていようと思った。哀しいことだけれど自分にはそれしかできないから。
「おや。鷹通。今日は随分と早いのだね?」
後ろから声をかけられて振り向くと友雅が立っている。相変わらず着崩した直衣が似合いすぎるほどでその美丈夫ぶりには町をゆく娘達が軒並み見惚れている。
「おはようございます、友雅殿。」
鷹通は慌てて笑顔を作って挨拶をした。
「友雅殿も随分お早いのですね?…もしかしてどこぞの姫君のところから直接参られたのですか?」
にっこりと笑顔で切り返す鷹通は知り合ったばかりのときよりも随分と友雅の扱いになれてきていた。
「ふふふふ。随分というようになったのだね、鷹通。」
「あなたとずっと行動をともにしていたおかげですよ。」
「やれやれ。」
友雅が肩を竦めてみせると笑いながら二人で並んで屋敷の入り口に向っていく。
「もうすぐだねぇ。…最後の青龍の呪詛ももう解けているのだろう?」
友雅の問いに鷹通がうなづく。
「ええ。あとは青龍の解放を行うだけです。」
「神子殿の力は日に日に強まっている。おそらく青龍も無事に解放できるだろうね。」
「そうでしょうね。」
鷹通は平静を装って友雅に答えた。そう、青龍が解放され、京の町が救われ、そうして神子が元の世界に戻る。それで京は何事もなかったように、静けさを取り戻す。それは待ち遠しい日であり、またずっと来て欲しくない日でもある。
「いいのかい?」
友雅の言葉に一瞬どきりとする。
「何がですか?」
「神子殿が好きなのだろう?」
「なっ…。」
図星を刺されて思わず鷹通が赤くなる。あわてて否定をしようとするけれど舌がもつれてうまく言えないでいるとくすっと友雅が小さく笑った。
「ああ、嘘ついたって私にはわかってるからね。…鷹通はすぐに顔に出る。若いね。」
からかうように言われると余計に否定したくなるが、否定したところでおそらくこの噂の多い少将は本当に気がついているのだろう。ぱくぱくと金魚の様にあけていた口を閉じ、鷹通は今度は黙り込んだ。
「神子殿が京を救ったら…その後はどうなるのでしょう。」
鷹通が呟く。
「さぁね。雨が降って、穢れも払われて人々は平穏な生活を取り戻す。…そして神子殿はおそらく元の世界にお戻りになるのだろうよ。もともと、そのために龍神の神子の勤めを必死にやりはじめたのだからね。それに…。」
いいかけた友雅がふと口に出して憚るようなそぶりを見せる。
「それに、なんですか?」
その友雅の態度に違和感を覚えた鷹通は必死に食い下がる。その一生懸命な姿に友雅は苦笑いをしながら言葉を繋いだ。
「恐らく、神子殿は元の世界に大きな執着を持っているからね。…元の世界を捨ててしまうにはあまりにも神子殿は若すぎる…。若いからこそ京にも慣れるのが早かったのだろうけれど、恐らく向こうにまだ遣り残したことがあるはず。両親も、未来も、全てまだ神子殿には無限大の可能性がある。だからこそ、神子殿はあんなにも輝いていられるのだろうけれどね。」
その友雅の言葉は正しいと鷹通はわかっていた。そう、神子殿は帰りたがっているのだ。元の世界の話を道すがらに聞いているととても嬉しそうに楽しそうに話す。その世界は自分にはほとんど夢の世界で、ここにはないありとあらゆる便利なもの、新しいもの、珍しいものがあるようだ。そんな世界で育った神子のこと。ここではさぞかし不便をしているだろう。神子殿が帰りたいと思っていても仕方のないことなのだ。
「月から来たかぐや姫は月に帰る。…昔からの理だからね。」
友雅もまた辛そうに呟いた。


その日、頼久と鷹通が神子に同道した。青龍の呪詛も早々と解かれ、あとは残っている怨霊たちを解放して回り、来るべき青龍との決戦に備えて五行の力を蓄えることに専念をしていた。
「え…?鬼の少女が?」
案朱の怨霊を封印し終えた後、鷹通ははじめてその話を頼久から聞いた。朱雀の解放が済んだ翌日に鬼の少女がこの案朱に現われたと言うのだ。
「この案朱のことでしたら鷹通殿が詳しいと伺ったことがあります。この側に、鬼の住むようなところがあるかどうか…?」
頼久の問いに鷹通は少し考えて見た。けれども、そのような場所の噂などきいたことがない。
「思い当たるところはありませんね…。このあたりは少し鄙びたところですので、鬼の棲家には悪くはないとは思いますが、見たという話は聞いたことがございません。」
「そっかー。」
あかねもがっくりとした様子であった。
「なんだかね、彼女、様子が変だったの。だから何かあったのかなーって。その時は何も他に聞けなかったんだけど、もし居場所がわかればもう少し相談に乗ることができるのになって。」
あかねの心配そうな様子に鷹通と頼久は互いに顔を見合わせ本人には分からないように小さく微笑む。そういう、あかねの優しいところが鷹通はとても好きだった。敵対する鬼にでさえ理解を示し、話を聞いてその手を差し伸べようとする。誰に聞いたわけでも、教えられたわけでもなく、彼女自身の天性の優しさなのだろう。その優しさ故に時には傷ついてしまうことがあるかもしれないけれど、おそらくこれは生涯変らない彼女の本質。だからこそ龍神の神子なのだろう。
「もう一度、会えないかなァ。」
あかねは諦めきれないように呟いた。


鷹通は何度目か分からない寝返りをうった。連日の八葉としての任務で京の隅々まで歩き、なおかつ治部省の仕事をもこなして体はとっくに疲れ果てているはずなのに眠りは一向に訪れてこない。
原因はわかっている。眠ろうと、考えまいとしていても、瞼の裏に神子殿の明るい笑顔が浮かぶせいだ。今ごろ何をしておいでだろうかとか、よくお休みになられているだろうかとか考えると、次から次へといろんなことを考えはじめ、そのうちに、『鷹通さん♪』という弾んだ呼び声まで思い起こすと胸の奥がきゅっと締まり、痛いような、甘いような不思議な感覚に包まれる。こんなことは生まれて初めてだった。
私はごろりと寝返りを打った。
神子殿と一緒にいると、嬉しくて、楽しくて、全てが夢のように感じられる。けれども夢は長く続かない。もうすぐ、その幸せな夢は終わってしまうのだ。そして、本当の夢となってしまう。どんなに願っても、二度とその姿も見えない遠い世界にお帰りになってしまうのだ。どんなに遠くに行かれても、きっと私は忘れないでしょう。
けれども、神子殿は私のことなどお忘れになってしまうかもしれません。
私の願いなど叶わなくても仕方がない。けれども、どうか、忘れないで欲しい。そう思うのは私のわがままなのでしょうか?私の名前を忘れてしまったとしても、こんな感じの人が側にいたということだけでも、それだけでも覚えていてくだされば…。
かぐや姫は地上で起こった全ての出来事を忘れてしまったが、神子殿も元の世界にお戻りになられたらここでの出来事を全て忘れてしまうのでしょうか。
どんな形でもいい、神子殿の記憶に残りたい。
鷹通はため息をついて再び寝返りをうった。


それから数日後。
「うっわー!綺麗っ!」
あかねが思わず感嘆の声をあげた。
「すごーい。なんだか星がそばにあるみたいね。」
あかねのいた世界と違って、街灯がないために夜になれば隣の人さえよく見えないほどの暗闇に無数の蛍が舞っている。それはまるで天上から星が降りてきて側近くで輝いているかのような錯覚を覚えるほどの見事さだった。
「蛍は見たことありませんか?」
「私の世界では蛍なんて、よっぽど空気や水が綺麗なところに行かないと見れないのよ。だから本物を見るのは初めてなの!すごーい!」
無邪気にはしゃぐあかねの様子をみながら鷹通は微笑んだ。連れて来て良かったと。
頼久からここで鬼の少女を見かけたことを聞いて、また現れるやもと期待をして来たが今のところ現れる様子はない。しかし、鬼の少女のことなどは単なる口実。本当は鷹通はあかねにこの光景を見せてやりたかったのだ。
前にあかねは鷹通に星を眺めるのが好きだといったことがあった。あれはまだあかねが京に召喚されてまもなくの頃。遠出をして、帰りが遅くなったときに、夜空に輝く星の多さにあかねが驚き、そして喜んで部屋に戻ってからもしばらく鷹通に星の名前を聞いていたのを思い出したのだ。
そして、まるで地上に星が降りたかのようなこの光景の中で、鷹通は自分の気持ちをあかねに伝えることを決心したのだった。あかねにはこんな気持ちは迷惑なのかもしれない。けれど、それでも、そんなことを思っていた自分がいたことを、かぐや姫に本気で恋をした馬鹿な男がいたことを覚えていて欲しかったのだ。
けれども、あかねは困る様子もなく、暗闇でよく表情はわからなかったが、声は弾んだように明るい声で鷹通に礼を言ったのだった。
「鷹通さん、連れてきてくれてありがとう!こんなに素敵な景色、きっと一生忘れない!」
一生忘れない。あかねの言葉に鷹通の胸がとくんと高鳴った。
良かった。もう、これで思い残すことはない。
私もこの景色を一生忘れないでしょう。おそらく、これが神子殿と二人で過ごせる最後の時間でしょうから。あなたと二人で来たことを、私は死ぬまで忘れません。あなたと、ここで見た景色を、あなたの優しさを、あなたの明るさを。あなたに出会えた幸せを…。きっと、私は忘れない…。


「やっぱり、いないよねぇ。」
あかねが隣で仕方ないなとでもいいたげに呟いた。
「そうですね。」
自分も同様にうなづいた。
あれから一年。初夏の宵。あかねと安朱の毘沙門堂に来ていた。帰りに琵琶湖疎水沿いを少し歩いていたが、蛍は1匹もいない。いや、いるはずがない。
「綺麗だったのにな、蛍。」
あかねの残念そうな呟きが可愛らしくってついついくすりと小さな笑みをこぼしてしまう。
二人で案朱の蛍を見た数日後、青龍を無事に開放し、さらにその翌日、アクラムを倒して無事にあかねは元の世界に戻ってきた。京に召喚されたときと違っていたこと、それは戻ってきた人数が二人ばかり多かったこと。
戻ってきたのは蘭と、そして鷹通も一緒だった。
その身に竜神を招いてまで京を守ったあかねについていくことを、鷹通はもはや迷うことはなかった。神子がいなくなる、そう思っただけで耐えがたく、どうしようもないほどの悲しさと、生身を引き裂かれるような辛さがこみあげてきた。あかねがいなくては生きていられない。そして、あかねと共にいられるのならば、自分が今まで住んでいた世界を捨てても惜しくないと、こちらの世界にやってきたのである。
1年はあっという間だった。
最近、なんとか余裕ができ、時折、あかねとこうして京都のあちこちをあの頃のように回ることがあった。
今日は随心院に行ってからこちらに回ってきた。蛍がいるわけがないとわかってはいたけれど、それでももしかしたらという気になってしまったのだ。
「仕方がないですよ。」
「うん。」
あかねを促し、日の暮れた道を山科駅へと並んで歩いていく。
「でも、見たかったな。」
諦めきれないように呟くあかねがかわいそうで、なんとか心を晴らしてやりたくって別の提案をしてみた。
「それでは、今度、蛍が見られる場所を調べていってみましょうか?」
「ううん、安朱じゃなきゃだめなの。」
あかねの意外な執着に思わず首を傾げてしまう。
「どうしてですか?」
「だって、鷹通さんが…。」
「私?」
「好きって言ってくれた場所だから。」
その言葉に1年前のことを思い出した。二度と会うこともできなくなると覚悟した自分はあかねを案朱に誘って、その気持ちを伝えたのだった。無論、自分が想いを伝えた案朱とは随分と違っているけれども、時空を超え、もはやここがもとの案朱の時代がずっと後の場所なのか、それともパラレルワールドで違う次元の案朱なのかはわからないけれど、あかねにとって、鷹通が気持ちを伝えてくれた思い出の場所なのである。
鷹通にとっては、そのことをあかねが大事に思ってくれていることが何よりも嬉しかった。きっと忘れない。自分の中でも一番大事な思い出なのだから。
「あかね。」
鷹通は立ち止まると改めてあかねの名前を呼ぶ。
「うん?なぁに?」
あかねは急に立ち止まった鷹通に不思議そうな顔をして返事をする。
「ずぅっと、あかねを愛しています。」
鷹通は微笑んでそう言って、そっとあかねの唇にキスを落とした。その瞬間にあかねは硬直してしまい、暗がりでもわかるほどに顔が真っ赤に染まっている。
「な、な、鷹通さんっ、急にっ!」
「これで、ここも思い出の場所になりましたね?」
にっこりと、鷹通は平然として言う。あかねは絶句してしまいぱくぱくと口を開いている。
「また、来年もきましょうね?」
あかねにそう言うと、苦笑しながらも嬉しそうにうなづいてた。
あの時と違って飛び交う蛍はいないけれど、見上げれば天の川が瞬いていた。



END

 

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