私の誤解
ずっと避けられている気がする。 先日の兄上の話から3日。それ以前はずっと私についていてくださった神子様が以来、ずっとこちらには来ない。 いや、正確には私が起きているときには来ない、だ。 今朝方、不意に目が覚めたとき、神子様が私の足元で眠り込んでいるのを見た。本来ならば神子様の床へお連れするのが良いのだが、この体ゆえそれも叶わず、かといって誰にも可愛らしい寝顔をみせたくないものだから誰かに運んでもらうこともできず、そのまま私の床の足元に横たえて綿入れをかけて差し上げた。 おそらく夜通しついていて下さるのだろう。 でも、私がきちんと起床する時間にはすでに神子様はいなくなっている。 薬や食事も弁慶様や将臣殿、敦盛殿が運んできて下さるようになった。 神子様は、私の前から姿を消してしまわれた。 私は何か不興をかうようなことをしでかしてしまったのだろうか。それとも、疎まれたのだろうか。 その考えに、背筋が凍りつく。 神子様に疎まれるぐらいならば、おめおめと生きている価値などない。 私は静かに目を瞑って神子様の笑顔を思い出す。 柔らかで、暖かくて、春を思わせる、花の様な可憐な笑顔。優しい愛らしい声で私の名前を呼ぶ。それが幸せで、生きがいといっても過言ではない。 それが失われるというならば、何のためにいきていられようか。 「銀、眠っているのか?」 不意に将臣殿の声がする。 慌てて、目を開けると心配そうに私の顔を覗き込む瞳とぶつかった。 「いえ、起きておりますよ。」 「夕食だ。起き上がれるか?」 「ええ、大丈夫です。」 私は引きつる傷の痛みに顔をしかめながらようやく体を起こす。 「具合はどうだ?…まだ痛むんだな?」 痛むのは、体ではなく心なのですと、将臣殿に申し上げても仕方がない。 「大丈夫です。もう、部屋を移ってもかまわないと思いますので、後ほど弁慶様にお話をしようかと思ってるんです。」 「…そんなに辛そうな顔してか?」 辛そうな顔、だったのだろうか。 考え込む私に、将臣殿はふぅっと大きなため息を漏らす。 「無自覚かよ。…ったく、しょうがねぇな。」 そういいながら、将臣殿はお膳をずいっと私のほうに寄せる。 「食え。人間、腹減ってると余計なことばかり考える。…食って、満腹になって寝てしまえ!」 そういって、立ち上がるとどかどかと歩いて部屋を出ていこうとするが、ふと、戸のところで立ち止まる。 「望美は…おまえが思ってるほど強かねぇし、器用でもねぇよ。…悩んで、苦しんで、もがいて。それでも前を向いて歩いていく奴だ。」 そういって部屋から出て行ってしまわれた。 「…悩んで、ですか…。」 私はふぅっとため息をつく。 今の将臣殿の言葉から察するに、やはり私の存在が神子様のお心を悩ませているに違いない。 どうして私は、いつもこうなのだろう。不快な感情ばかりを神子様に与え続けてしまう。 だから疎まれてしまうのだ。 神子様に仕えて、喜んでいただきたかった。 笑って欲しかったのだ。 それなのに、今の私は神子様に苦しみや悲しみしか与えられない。 こんな私は生きている資格などない。神子様のためにある命が、神子様を煩わせるなどあってはならないのだから。 夕食はほとんど手をつけることなく、そのまま眠ることにした。 食べる気分ではなかったというのが主な理由である。今は何を食べても無駄なのだ。この命などもう繋げても仕方がないのだから。 今夜、夜陰に乗じて屋敷を出れば誰にも見咎められることはないだろうから。 食事をほとんど取らなかった私を心配してか、弁慶様が来て診察をしてくださったが、退屈で誰とも話すこともないから却って疲れてしまわれたのでしょうか、などと含みのある笑いを残していかれた。 ともかくも、誰にも見つからずに屋敷を出るには夜半しかない。 それまではどうにもならないのだから、出て行くための体力を温存しようと大人しく床に横たわって目を閉じる。 こんなときにさえ、神子様の愛らしい顔が次々に脳裏に浮かんでくる。 きっと私はこの命を終えるときにもそうなのだろう。 疎まれた私でも、自分の脳裏に可憐な姿を思い浮かべることができるのは、神様が愚かな私を哀れんで与えてくださったもののように思う。 最後まで苦しめることしかできなかった私。 もし、次に生まれることができるのなら、鳥だって、蝶だってなんだっていい、神子様をお慰めできるものであれば。 そう願いながら短い眠りにつく。 夢は見なかった。 ふと、目が覚めると足元に重みを感じる。 ゆっくりと、攣れる傷跡に注意を払いながら体を起こすと神子様がまた足元で伏して眠っておられた。 少しだけ口角を上げて微笑まれる顔は幸せそうで。 どうか一生、神子様が幸せでいられますように。 そう願いながら、私は丸まった猫のようになっている神子様の体を少しだけ伸ばしてやって、その上から私がかけていたものをそのまま移してかけて差し上げる。 「ん…。」 小さく身じろいで、声を漏らした神子様は、さらに幸せそうに微笑まれていた。 もう二度とお会いできることはない。 しっかりと神子様の顔を心に焼き付けて、名残惜しくなるのでもう行こうとして服を着る。そのときに、何か、違和感を感じた。 ほとんど暗闇の中で、わずかに灯る燭の炎にてらしてみると、いつも着用していた服なのに、どこかが違う。少し、大きいみたいである。 床に伏せっている間に、肉が落ちてしまったのだろうか。 そんなことを思いながら、私は部屋の隅に置いてあった自分の得物を手に取り、もう一度だけ神子様の顔を見た。 神子様、ありがとうございました。 心の中でそう呟いた。 一生、お側でお仕えしたかったのですが、もう、その資格もございません。…どうか、神子様、誰よりもお幸せにおなりください。 そうして、後ろ髪を引かれる思いで神子様に背を向ける。 そっと、足音を立てないように、部屋を出た瞬間、急に部屋の中で「ちりんちりん」という鈴の音がし、同時に、何かに引っかかったような気がした。 「…ん……?…銀…?」 神子様が目を覚まされる。 いけない。 慌てて外へ行こうにも、何かが引っかかっている。 「銀…?どこへいくの…?」 神子様は目をごしごしとこすりながら、起き上がってこちらに歩いてくる。 「……神子様…。」 すっかりとおきてしまわれた神子様は私の格好をみて酷く驚いた。 「銀…。」 神子様が動くのと同時に鈴がちりんちりんとなる。よく見れば、それは神子様の手と、私の得物を結んでいた。 私といえば、悪いことを見つかった子供のようにただ神子様の前に立っているだけで。それでもなんとか取り繕おうとでまかせを口にする。 「…どこへも参りませんよ。…すこし、目が覚めてしまったので散歩に。」 「嘘。どうして、それ、持ってるの?」 そうして手にしていた得物を神子様は指差す。 「その…実は、泰衡様の方から…。」 「それも嘘。今日の夕方、九郎さんが泰衡さんのところへいったときに、もうしばらくここへおいてくれって言われたって。」 まずい。 私は背筋に汗をかくのが分かった。 「将臣君が、銀が思いつめてるから気をつけろって言ってたの。…だから、こうしたんだ。…ねぇ、どこへ行くの?本当に泰衡さんのところなの?」 泣きそうな顔で神子様がおっしゃる。 なるほど、将臣殿の助言だったかと、いまさらながら自分の迂闊さに腹がたつ。 「…いえ、本当でございますよ。…ですから、どうか神子様は…。」 「じゃあ。私も一緒にいく。」 「私一人で、との仰せです。」 「泰衡さんのトコの門の前までね。中に入るのを見届けたら戻るから。」 決してひかない、といった様子で神子様は言い返す。 私は途方にくれてしまって、何とかならないだろうかと逡巡していると、神子様は辛そうに眉をひそめて、そして顔を伏せる。 「…やっぱり、ゆるせないよねぇ…。」 そうして、しじまの中に、ぽたりと、神子様の涙が床に落ちる音が響く。 「…神子様…?」 「…ごめんね。…って謝るのもへんだけど。…どうしても、だめだったんだ。」 神子様は何を謝っていられるのだろう。 謝らなければならないのは私のほうなのに。 「…もう…私の顔を見るの、嫌になっちゃった、よね…。」 は? 私は何かが違うことをそこでようやく気がついた。 「…神子様…何を…?」 私の問いかけに神子様が涙にぬれた顔を上げる。 思わず、私は神子様の涙を拭っていた。尊き御身に触れることなどもう二度とないと思っていたのに。 「…とも……ううん、…その…お兄さんのこと、だよ…。…言い訳になっちゃうかもしれないけど、…本当は…私だって、助けたかった…。」 そこまで聞いて、ようやく神子様は私が出て行くのは兄上の件のせいだと思っていることに気がついた。 その誤解はきちんと解いておかないと兄上に対しても失礼に当たる。 「兄上のことは…仕方がないと思っています。」 私の言葉に、神子様は驚いたようで、はねるように顔をあげた。 「…兄上は生き延びたいと、思ってはいなかったと思います。死ぬ直前に、自分が生きていることを悟ることができると申しておりましたから、ですから、神子様は負い目を感じることはないと思います。」 「でも…。」 「兄上は死にたくないと、申しておりましたか?」 「ううん…。」 やはり、そうなのだ。兄上らしいと、くすりと笑いがこぼれる。 おそらく神子様と戦って満足して死んだのだろう。やはり私は兄上がうらやましく思えた。 「兄上は御自分の本望を遂げたのです。それについて、私がどうこう思おうということはありません。」 「じゃあ、なんで…。」 神子様の言葉に、私は返事に詰まる。 「それは私が…。」 神子様はあの綺麗な瞳でじっと私をご覧になっている。 それだけでも、身を焦がれるほどの切なさと、同じくらいの嬉しさを感じる。いまは私だけを見て下さっている。 苦しい胸の内とはうらはらに、神子様に見つめていただける幸せを感じている。 「…神子様に、…。」 「うん?」 「…疎まれて…いるから…です…。」 「は?」 神子様は、私の告白に頓狂な声を出して首を傾げる。こんな時にその様まで可愛らしく思えるのは、もうこれは私が神子様に心酔している証拠。 「って、どうして…?」 どういったものかと、私は考え込んだが神子様にいまさら嘘をつくわけには行かない。神子様をこれ以上心配させたくないから。 「…私の…側には…いてくださらなかったから。…ずっと、夜しか。」 口に出してしまえばなんと子供じみたことだろう。神子様だってお忙しいのに、自分の側にいて欲しいなどと。 そんな願いを持つこと自体間違っていると分かっているのに。どうしても、自分を見てほしかった。私の側にいてほしかった。 こんな私など、もう本当に愛想をつかされただろう。 「…これ、作ってたの。」 神子様は恥ずかしそうに、俯いて、私の服をくいくいと引っ張った。 「…え?」 「…この間の戦いで、あちこち切れて、ぼろぼろになっちゃったから。…新しく、つくったの。」 「神子様、が?」 「…うん。」 恥ずかしそうに返事をする神子様を、失礼だとは存じておりながら抱きしめずにはいられなかった。 私の為に、服を。 そう思うと一気に愛しさが募る。 「…神子様…ありがとうございます。」 「…よろこんでくれて、嬉しい。…あんまり上手じゃないから、恥ずかしいけど。」 腕の中で、とても恥ずかしそうに、でも私に寄り添うように頭を預けておっしゃった。 「神子様が手ずから作ってくださっただけで、私はとても嬉しいのです。」 「…もうっ、大げさだなぁ。」 神子様は私がこうして抱きしめていても逃げようとはなさらない。 少しは、期待してもいいのだろうか。それとも、やはり、優しいから、なのだろうか。 「もう、どこにも行かない?」 心配そうに私の顔を覗き込む目。 「はい。」 「よかった。ずっと側にいてね、銀。」 「神子様がそういってくださる限り、私はどこまでもお側におります。」 「…恥ずかしいよぉ…そういうの。」 神子様は本当に恥ずかしそうに笑って、それでもきゅうっと私の背中に腕を回して抱きついてくださった。 この上もない幸せを感じながら、私は再び神子様のお側に侍ることができる幸せを噛み締めていた。 END |