池辺町
都筑郡川和町大字池辺から新設した町です。古くは都筑郡池ノ辺村といい、明治二十二年の市町村制施行の際、東方村、川向村、佐江戸村、川和村、折本村、大熊村、本郷村飛地と合併して都田村大字池ノ辺となります。昭和10年9月30日に川和町大字池ノ辺と改称します。町名は旧村名を採っています。「池辺」の読みは「いけべ」ではなく、「いこのべ」です。伊予野辺・池野辺とも書いていた。もと、赤池という大きな池が宗忠寺の前にあり、その辺りに村があったので「池辺」と呼ばれるようになったといいます。「新編武蔵風上記稿」の「池辺村」に「天正十八年太閤秀吉より狼籍制禁の札をあたへられたり、其文書は村内百姓久米吉と云もの所蔵せり、この久米吉が先祖は北条氏分國の頃、此地の小代官を勤めたりとぞ、尚舊家の條を照らし見るべし、此地をいけのへと唱えることは、其頃よりのものにしも見えし、されば古きよりのことならん」の記録があります。中央を中原街道が通っています。南部は内陸工業地帯になっています。町内に、区内に残る三つの富士塚の一つである池辺富士があります。