東方天満宮
由緒 創立は不詳なれど旧社殿は当社より北方十五丁天神山の中央に鎮座し 慶長年間の頃現在地へ遷座せりと云う武蔵風土紀によれば文禄元年 梶川四郎二郎忠助の知行とあり菅公像台座にその名が記され御再興 延享三丙寅歳七月と併記さる。 文政十一年本社を再建その彫刻は丹誠にして結構を極め近郷にその 類を見ず。