お父さんの手記


港北ニュータウンの
   鳥たちについて

 我が街、港北ニュータウンは、都市計画上、緑をある程度、保全する考えのようだ。私の住むマンション周辺の緑も、人にとっては格好の散歩コースとなり、鳥たちにとっても、中々の住環境となっているのではないか。したがって、住んでいる鳥の種類や数は、予想以上に多い。ただ、残念ながら野鳥についての知識が乏しいため、正確なところは把握できていないが。

 今までに鳥に関して一番感激したことは、カワセミを見たことだ。数年前の夏の朝、出勤時、近道のためマンションのせせらぎを横切ろうとした時、鮮やかな残像だけ私に残して、水路にそって、一瞬のうちに飛び去ったのだ。きれいな水辺であるというわけでもない。こんな都会にいるなんてと思ったのだが、どう見ても図鑑で見るカワセミの姿なのである。そういえば、ここからさして遠くはない「こどもの国」にカワセミが生息しているという新聞記事を読んだことを思い出し、自分なりに納得したものだ。

 我が街の鳥の住人は、もちろんカワセミだけではない。早春、空き地ではヒバリがさかんにさえずる。初夏となれば、マンションのベランダ(高層階)の前をツバメが目が回るほどの早さで飛び交う。その他にも林の奥ではウグイスが鳴き、水辺ではサギまでも見られる。

 私の小学2年生の子供は、なぜかこのサギが気に入って「サギのサック」と名前まで付けて、親し気に声をかけている。今のところコミニュケーションは、子供からの一方通行のようだが。「7歳(うちのは8歳)までは夢の中」と割り切れば、これもまた微笑ましい光景に思えてくる。

 ところで、我が家では、家族新聞(通信)をそれぞれ発行している。私の担当している新聞のでだしに、毎回こう書くことにしている。
【今日、朝、会社に行く時、マンションの駐車場で、階段状に置かれている車をぬって、緑の鳥が飛んでいきました。その鳥の名を知っていますか。ウグイスです。

 まだ、このあたりには林やせせらぎがあるせいか、ウグイスの他にカワセミやサギのサックのような美しい鳥もいます。そして、美人のせきれい鳥、可愛いヤヤ鳥、疲れ気味の浮草鳥 もいます。

 ただ、せきれい鳥は鳥のわりには朝に弱く、ヤヤ鳥も朝「ヤヤヤヤ」とさえずります。浮草鳥はというと夜「ホーホー」といびきをかきます。困ったものです。この3羽の鳥たちは、四葉のクローバーを探すのが得意なので、仲間から「四葉のクローバー家族」と呼ばれています。】

 ペンネームの浮草鳥の由来は、妻と子供によると、「浮草を好む鳥というのではなく、髪の毛が寝癖で鳥のようになるし、性格が浮草のように地に足がついていないから。」だそうです。

 最後に、これから都筑区の人口が増え続け、それに反比例し緑が減り、必然、そこで暮らす鳥たちも減ってしまわないよう、人と残された緑がうまくバランスしてくれればよいなと願っています。

 浮草鳥

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お父さんのひとりごと

 先日私は、やつと新しい自分の仕事を見つけることが出来ました。

 それまでの仕事には、かなり不満があり、辞める事を考える日々が続きました。しかし8年続けた仕事をそう簡単に辞めれるはずもありません。それなりに責任のあるポジションでしたし、つきあいのあるお客さんもたくさん居ました。それよりなにより、私には、妻と子ども2人を自分の我が儘のためにひもじい思いをさせることになるかもしれません。

 ある日そんなことを、家で奥さんに話していたら、あけみさんは(私の奥おくさんです。)「辞めればいいんじゃないの、今まで悩んだんだからもう結論は出てるんでしよ…。」とあっさり言ってくれました。それは私にとって、なんとありがたい言葉だったことでしよう。何年も何年も悩んだ自分が、あっさりその言葉で解きほぐされる思いでした。結局私は、その職場を昨年の8月に退職してしまいました。

 あっさり退職したものの、世間を知らない私は、現実を見せつけられて、愕然…‥職安の混み具合と求人票の少なさ。条件の悪さ。求人橋報誌も買いあさりましたが、自分の経歴では採用される見込みもありませんでした。何件も会社を回り、ことごと<断られました。求人票の記述を読み飛ばして面接で恥をかいたり、仕事を得ることに執着してとんでもない会社に就職しそうになったり、自分でも無様としか言いようのない日々でした。失業生活も数カ月が過ぎ、退職金は湯水のように車のローンと、生活費のために消え、今まで貯めていた貯金も切り崩さなくては、行けない状況になっていました。

 子どもにとっては、今日もパパが休みである事が嬉しいようで、近所の子に自慢げに「今日もパパが家に居るんだ!!」と言っているのが、とても照れくさかったのを覚えています。

 そんな中でもあけみさんは、私に焦らせるようなことはありませんでした。むしろ、そんなに焦つている私を見て、まだまだ就職しないで遊ぶことを進めたり、「ぽちぽちいこか」というカバの子が将来の仕事をなににするか考える絵本を見せてくれたり、私にとって涙が出るほど感謝の気持ちでいっぱいでした。

 結局、職安からの紹介で、ある会社に入る事が出来ましたが、その会社も正社員で入社したのですが、使用期間を終えてもパイト扱いで雇うような会社で3ヶ月で退職し、友人の紹介で、何とかちゃんとした所に勤める事が出来ました。

 しかし私は、この失業期間中のあけみさんのすごさ、おおきさに感謝せざるを得ない気持ちでいっぱいです。たぶん一生忘れることはないと思います。

そして、どうして冷静でいられたのか、これから解明していきたいと思います。

 

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哀しきピアノマン
      浮草鳥

 昨夏、ピアノを習っている娘のために、電子ピアノを購入することにした。勿論、本物のピアノが欲しかったが、家計と住居(マンション)の事情からこういうことになった。子供みたいで恥ずかしい話だが、新しく購入したとなれば、とりあえずピアノに触ってみたくなるのが人情というもの。昔とった杵柄で(小学校のとき、エレクトーンを習いにヤマハ音楽教室に通った。勿論、練習が嫌ですぐ挫折したのだが。)軽やかにメロディーを奏でれば、我が家における夫・父としての名誉回復が果たせるのではと考えたのだ。

 最初は、結構、半端ではなかった。平日は、会社で残業後、帰宅。それからピアノに向かう。楽譜と鍵盤とを交互ににらめっこし、よちよち弾き始める。途切れ途切れにヘッドホーンを介して届く音色(眠色?)のせいで、そうこうするうちに意識がなくなってくる。これでは何ら巷のうさんくさい催眠療法と変わらないではないか。それでも暫くの間は、娘より一歩先んじてブルグミュラーに取り組み、その成果を妻と娘に、ホクホク気分で披露した。

 ところで、最初についた先生の指導ぶりに疑問を感じたので、妻が良き先生を見つけるべく走り回ったうえ、思い切って新しい先生に代えた。今度の先生は、音楽教育に熱心な方で、当たり前といえば当たり前だが、基礎をしっかり教えることを基本に、音楽の表現力等、総合的にご指導いただいている。やっと、親子ともども、信頼できる先生にお願いできることとなった。

 娘にとっては、以前より練習がだいぶきつくなったと思うが(今のところ、どういうわけか挫折していない)、まだ習い始めて数ヶ月だが、娘の上達ぶりが顕著にみられるようになった。親バカかもしれないが、娘の曲に表情がつき、曲のメロディーによっては確かにキラキラ聴こえることがあるのだ。裏返しに言えば、前の先生に失礼かもしれないが、これまでの一年半、娘に損をさせてしまったとつくづく感じる。同じマンションだから通うのが便利でよいと安易に決めてしまった私たちは、娘にすまなく思っている。自分たちのことを振り返ってみても、ピアノなど習いごとに限らず、学生時代に(本人にとって)良い先生と出会うことは、結構、難しい。

 さて、このように、娘がある程度、ピアノを弾けるようになってしまうと、必然的に、私の占める相対的地位が低下することになる。この頃では、土日など、娘のまだ課題として与えられていない練習曲に、私か取り組もうとすると、妻から演奏禁止令が出される。「子供のいるときに弾かないで。新しい曲を間違ったリズムで子供に刷り込みしてしまうでしょ。どうしてもというなら、ヘッドホーンをつけて。」といった具合である。「お日様の高いうちから、ヘッドホーンなどつけられない。」と私もブツプツ…

 我が家の「ピアノマン」こと(確か昔、ビリー・ジョエルが歌っていた。おわかりの方は、結構お年かも。)、私は最近、肩身が狭いのである。

 まったくの余談ですが、出動途中、自宅近くの交差点で信号待ちをしていると、反対側で信号待ちをしている一台のトラックが目に飛び込んできた。なんとトラックの荷台に積まれているのは、いくつもの大きなピカチュウ(特注ピカチュウ?)の石像らしき物体なのでした。果たして、どこかのお宅のお庭に置かれるのでしょうか?

 

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トレーニングジムで…

 現在,トレーニングジムに通っている。自分に甘い人間なので,ジムのコーチに1対1で週一回ついてもらっている。「行かねばならぬ」状況に身を置いてしまうわけだ。

 こう書くと嫌々行っているようだが,実はそんなことはない。楽しさを感じている。少しずつ重いバーベルを持ち上げられるようになる、体つきがはっきり変わってくる、体重がしぼられてくる,ジムの人たちとの楽しい会話など楽しいことがたくさんある。

 しかし,一番の動機はついてもらっているコーチの存在だ。このコーチは全国のボデイーピルの大会で4位になったほどなので凄い体をしているのだが,もっと素晴らしいのは私たちに対する対応である。少なくとも私の通う2年間に,「ダメですね」とか「これも無理ですか」などというマイナス面の言葉を一度も聞いたことがない。私自身が「この間より調子が悪いな」と思っていても,「うん。いいですね。フォームも固まってきていますよ」と必ずプラス面の言葉をかけてくれる。しかもやさしい笑顔で..・

 さらに,私とのトレーニング中は私に集中してくれている。約60分の時間を私のためだけに使ってくれているのだ。当たり前といえば当たり前かもしれないが,なかなかできることではない。私に合ったメニューを次々に考え出して,トレーニングしてくれる。

たった一人の人間のために労力と時間を使い,やる気を引き出してくれる。

これぞプロの仕事ではないだろうか。

教員である私にとって,このコーチの姿勢は大いに見習うべき点がある。

                                都筑区佐藤

 

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