講演会


平成10年度横浜市中央リーダー研修会
「心豊かな子供の育成に効果的な関わりを求めるPTA活動の推進」
           全体会「父親参加のPTA活動を目指して」

お話をしていただいた会長さんお二人とも、地域との密着性の大切さを強調されて、その中でPTAの一人一人(特に父親)が、学校との関係においてなにができるかということを念頭に置いて活動されているようです。そのように考えても父親として何かやりたいと思ったときに学校には父親の居場所がない。父親が主体的に参加できる活動がないということに気づき、港南台第一小学校では「父親の会」、いずみ野中学校では地域、学校、PTAを巻き込んでの「ナイト・ウォーク」を実施して成果を上げています。

 私たちのPTA活動においても、もっとお父さんたちの手があったらと思う場面はしばしばありました。お父さんと地域の方々が積極的に参加して下さるPTA活動をすることが子供たちの心にも良い影響を与えるということを信じて、私たちもがんばりたいと思います。  ーMー

知っていますか?子供の権利条約

 世界には、とても厳しい立場に立たされている子供がたくさんいます。この子どもたちの生命や生活を守るため、国際連合総会で「児童の権利に関する条約」が制定され、我が国も1994年発効しました。この「児童の権利に関する条約」は、子供から大人へのメッセージです。

第1条 子供の定義 

「子供の権利条約」では、17歳までを「子供」としています。

第2条 差別の禁止 

生まれた所がどこであっても、男の子でも女の子でも、何ができるか、できないかで差別してはいけません。

第6条 生命への権利・発達の確保、

一人一人が、命の大切さを見つめ直し、共に生きて行かれるように努力していきましょう。

第12条 意見表明権

誰でも自分の考えや気持ちを、自由に言うことができます。


岩崎 保氏 講演会「国際理解教育に思うー国際感覚を磨くー」を聞いて

 講演をなさった岩崎氏は、昭和58年より3年間パリ日本人学校の校長をしていた。その実生活に基づいた講演はずっと日本に住んでいる私には興味深くおもしろいものだった。

 自己責任について…。たとえば、パリのお店に行く。いろいろな物を買ってふと見るとワゴンの上のパンが安いので買う。それを家で見るとカビが生えていた。日本でこの状況だと、レシートと証拠のパンを持っていけば店側は平謝りに謝って新しいパンと取り替え、もしかしたらおまけもしてくれるかもしれない。しかし、パリは違う。そのパンを買ったのは自分。よく調べてから買うべきである。カビが生えていると気がついたのなら買わなければ良い。文句を言う前に買った自分の責任を問うべきで、レジでお金を払ってから文句を言うなんてもってのほかであるという。

 たとえば、フランスの義務教育は10年である。進級、飛び級、落第がある。義務教育を10年で卒業する子供は、その当時で27%であった。(現在50%)やめさせられた子供はどうするのか?後は自分の責任であるというわけである。自分のことは自分で責任を持つ。逆に言えば、他人に責任を持つ必要はない、というドライな考え方でもある。おのずと自己主張もはっきりする。

 フランス(他民族・他言語形成国家で国境が地続きという国)と違って日本は一民族的一言語的国家形成で四面が海である。大体の人の考えが何となく同じ判断できる環境ではこの自己責任、自己主張の感覚はわかりにくい。そんな日本に住んでいても外国の人たちに接する機会はだんだん増えている。私たちは、お互いに接点を見つけながらいろんなことを受け入れ、同化するのではなく、尊重して、自己責任をとれれば日本人の印象はもっと良くなるのではないでしょうか?もちろん、自己責任を強調しなくても暮らしていける日本のいいところはそのままにして。今回は自己責任についてのみを紙面の関係で書いた。機会があれば親・学校・社会の責任について書いてみたい。        −すみれ−


第14回学校家庭地域連携事業実践交流会に参加して
                    横浜市・横浜市教育委員会 主催

 「学校・家庭地域の新しい創造に向けて」というテーマで、学校・家庭・地域の連携をより一層深めるための地域報告(樽町中学校区で取り組んでいる実践例)と講演を聞いて来ました。まず樽町中学校の取り組みとして「交流する学校を目指して」下記のような実践例の報告がありました。

◇授業公開週間……11月初めの1週間のうちいつでも保護者が学校に来てよい。

◇家庭教育セミナー……体験学習を取り入れたセミナー「親の気持ち、子の気持ち」を行い、その後学校に持ち帰って実践してもらう。

◇中学校紹介パンフレット・ビデオ…地域の人達が安心して通えるように中学校紹介パンフレット・ビデオを作成

*花一材運動 *小・中音楽交流会 *街の教育座談会

*おやじの会 *ボーリング大会

 次に「学校で起こっていること」

〜中学生たちが語るいじめのホント〜 進学ゼミ中学講座編

 上演・樽町中学校演劇部+小学生

 構成・脚本・演出(樽町中学校教諭)

この作品は「学校で起こっていること」という本を基に、構成を劇化したもので台詞は原文どおりです。この本は『チャレンジ』に寄せられた中学生たちの手紙の一部を原文どおり掲載したものです。いじめの体験・いじめに対する怒り、いじめる側の論理をして教師、親、マスコミなど大人や社会に対する強烈な批判を、その体験者と同じ中学生が演じるということで、迫力のある力強い劇であったと思います。そして、中学生たちの叫ぶような語り口がより一層真実味を増し、その思いは日頃、彼らの口から語られることがないということと考え合わせると、根深い問題があるということを痛感せずにはいられませんでした。

最後に「家庭・地域の教育力を高める」という主題で東海大学の助教授 近藤卓氏の講演から

 かつて私達は、家庭・地域・学校等社会の中でいつもどこかでいろいろなつながりがあったが、現在は社会環境がわくにはめられていて、ここからここまでときっちりしている。その中で人と人とのかかわりは以前より希薄になってきているということを考えると、生活の中に「かかわり」の技術であるカウンセリングを持ち込むことが必要になってきます。例えば相手の話を最後まで聞くとか今の自分の立場(親)を離れて子供の気持ちになって考えることにより人間関係をスムーズにさせる。そういう視点が家庭の中にも求められている、というものでした。

 この交流会に参加して一番印象に残ったのは、劇を演じる中学生たちの一生懸命さとひたむきさです。何を考えているのかわからない年頃と言われている彼たちも、手紙や劇という形で自分の心の内に“わかってもらいたい”という気持ちでいっぱいなのではないかと思いました。劇中の台詞に「いじめは会社にもある」とありましたが、手本となるべき身近な大人がいじめを行っているということから彼らの心を奥にとじこめてしまうのは、私達大人の責任が多大にあるということを心に留めて彼らと共感する気持ちを培っていきたいと思っています。          by M


交通センター「交通安全教室」

@自転車の安全な乗り方 A交通展示館の展示説明 B子供を交通事故で無くした母親の手記に基づいて制作された映画の鑑賞

 秋晴れの心地好い午前中に自転車の安全な乗り方を教えていただきました。私も自転車はとても便利なのでよく利用しますし、また、家族みんなでサイクリングにも出かけます。

 しかし、今回「交通安全教室」に参加して今までの乗り方がいかに自分勝手で、安全とはほど遠い乗り方だったのかを実感致しました。そしてその安全という事に無関心な為に自分の子供を交通事故で失ってしまった母親の映画を見て、被害者、加害者ともに苦しい目に会う交通事故に巻き込まれないように、親の責任として子供に安全教育をしていかなければならないということを教えていただきました。

以下に交通安全の為の基本を書いておきたいと思います。

●横断歩道の渡り方

 ◇右見て、左見て、もう1度右を見て手を上げる。

 ◇音を聞きましょう。

  (バイクは遠くに見えても、すぐ近づいてきます。)

 ◇渡る時は自分が渡っている事を運転者にはっきりわかるように手をしっかり上げる。

●自転車の乗り方

 ◇体にあった自転車にする(足が地面につく)

 ◇乗る前に点検(タイヤのパンク、ブレーキの効き具合)

 ◇安全の確認と手の合図

  (発進・停止・右左折をする時は必ず安全を確かめましょう)

 ◇お互いに譲り合う

  (道路はみんなのものです。自分一人のものではありません)   by M


猪熊眞理子氏の講演 “くらしの中の人権を考える” から

 私たちは子供達に「差別してはいけない」というように教えますが、私たち自身のことを考えた場合はどうでしょうか。私たちが生活する中でどのように差別は現れてくるのでしょうか。

 1.“自分自身は差別しているつもりはない”

   “知らず知らずのうちに差別している”

 例として某新聞に靴の製造メーカーの広告が掲載されました。その内容は“歩くから人間”というものでした。後日、人権団体から歩けない人は人間ではないのかという抗議の電話がありました。この靴メーカーは差別しているつもりはなくても差別しているととられました。

 2.“知らないための差別”

 例として聴覚障害の生徒が電車で通学途中「生意気だ。イヤホンなんかつけて」と言われた。この言葉をはいた人物は、聴覚障害者は補聴器を使用することを知らなかったための差別でした。

 3.“自分に関係した時に差別が問題化してくる”

 例として部屋を貸す場合に、もし外国人が部屋を借りに来た場合、外国人だから問題を起こしそうだからと迷うことがあるかもしれませんいざ自分がその状況になった時に差別として問題になって現れてきます。

 これらのことから差別とは何なのかと考えると人を軽蔑すること、人をばかにすること、侮辱すること、尊厳を傷つけること、人を非難すること、無視すること、敬遠すること、人権を侵害すること、人の心と体を痛めつける=人をいじめる(心と体の自由を奪う)こと、人間としての存在を否定すること(これは命をも奪うことがある)。だから私たちは、そういう差別を自分に関係ないと思わないようにすることが大切だと思います。

 では、どのようにしたら差別をなくすようにできるのでしょうか。一つの例として、あるPTAで、人を大切にする活動づくりを行っている会長さんは「もし、あの人がいなければうまくいくのに、と一人でも思う人がいたらうまくいかない。」と言っているそうです。あの人がいなければ、と思うのではなく、他の人にはない素晴らしい特質を持っている。あなたがいてくれてよかった、と思う足し算の人間関係を作る事によってよい人間関係が保て、より良い活動ができるそうです。

 そして、私たちが子供の模範になり、いつでも生活の中で子供に差別についての教育をすることにより親子共々人権感覚がみがかれることになり、差別は少しずつでもなくなるのではないでしょうか。   by M