夕暮れサバイバル 〜働くママのひとりごと

VOL.7(最終回)

・・現在働いている母へこれから働きたい母へ・・

 1年間2人の子供を別々の園に通わせてきた苦労が実り、今年はようやく1つの園に仲良く登園するというささやかな夢が叶った。

 現在、2人は毎日元気に保育エンに通っている。子供の社会の中で、日々新たな発見や時には困難に出会いつつたくましく育っている。

 親である私と夫はそれを見届けつつ、自分の人生を仕事を通して見つめ、実現し、子供たちに伝えていく毎日を送っている。

 私が2年前、1度足を洗った会社員に復帰しようと思った時、同じような境遇から保育エン選びやら、仕事探しやらを始めた人が周りに1人もおらず、情報もとぼしく気持ちが消沈してしまいそうでした。生の声を、生の情報が欲しいと思ってもそれがなかなか手に入らず、結局は自分の気持ちだけで奔走する日が続きました。今回、ぽっかぽかにこの「夕暮れサバイバル」を載せてきたのは、もし、2年前の私と同じ気持ちでいる人がいたら、その人のために今の現状を伝えたい。そんな気持ちからでした。

 保育エンに関しては依然厳しい入所状況ではありますが、タイミングの問題というのも大いにあるような気がします。就労形態にかかわらず、職についている限りは資格があるわけないので、トライするのみ!です。

 公立、私立いずれも認可されていれば保育料も市の定めた料金ですし、保育内容も私立さえ事前にキチンと調べておけば、公立は殆ど差はありません。私は、あえて公立の保育エンに入所させましたが、私立も園長の考えに納得できれば・・(幼稚エンと同じですよね)

 親が働きながら子育てするのって確かに大変で辛い時もあります。いずれにせよ、中途半パじゃまずいと思います。とりあえず働いてキツかったらすぐやめる、という気持ちでは子供にも良くないわけで…でも、親も自分の人生、何らかの信念もって職に就くって事は必ず小さな子供にも通じると思います。

働くのを生活のためだけじゃなくて自分のため、そして、大事な子供にも何か伝えていきたいって言いたいですよね。

 子供が本当に親を必要とする時には私もそばにいてやりたい。でも、社会にはそれが通じない時もたくさんあります。もちろん私もいつも応えてやれるとはいえません。だから、少しスタンスに幅を持たせて自分の気道に余裕を持つようにしています。  この先、子供たちの成長に伴って色々な問題や壁があると思うけれど、それを1つ1つ受けとめて考えていきたいのです。

 私は、子育てに専念するお母さんの気持ちもわかりますし、小さいうちは仕事を持つべきでないという意見も否定はしません。人それぞれの考え方や生き方があるのですから…でも、あえて働くお母さんの道を選んだ自分と、そしてこれからそうしていこうと思うお母さんを応援したいって思います。

 私は、同じ立場のお母さんたちにすごく助けてもらっているし、そのつながりってすごくパワーがあってちょっと公園友達とは違う何かを感じています。皆で子供を育てているという気持ちってすごい力だなぁと日々驚いています。

 わが家の夕暮れサバイバルは、今年度よりちょっと落ちついてきました。これからは、前よりも更に仕事を楽しみ(これは理想ですが)子育てを楽しみ、人生、生きていきたい母なのでした。

 長いこと読んで下さった方がいらしたら本当にありがとうございました。最後に、わが家の娘&息子よ!!小さいながらもこの2年、母を支えてくれてありがと。これからもよろしくね!!

               by うさぎ

VOL.6

 2人の子供が別々の保育エンへ行かざるをえなくなって、それがどんなに困難なことなのかとひしひしと感じる事は多かった。

 下の子は入園してから2ヶ月を過ぎるまで、しょっちゅう風邪をもらって来ては熱を出した。それは覚悟していた“洗礼”みたいなものだが、こうしょっ中だとその度にどっちが休むかとか誰かに見てもらわないとどうにもならなかったりで、親は毎日祈るような気持ちだった。どういう訳か、親が2人とも忙しい時期に限ってという事も多かったし…私は旅客運送業に就いているので仕事は殆ど県外で、しかも、途中でエンからTELをもらってもお客様を放り出して帰ってくる事は出来ない。当然この場合は夫の職場にTELが行く。そして夫が迎えた後は、たいてい義姉が預かってくれた。ところが、私の知らない所で夫の職場の上司(女性)からブーイングが出ていた。“どうして親は2人いるのにいつもこちらにTELが来るのか”という内容だったらしいが、こんな言葉が子育てを経験した女性の口から出ることに私は驚きと落胆を隠せなかった。

 日本の社会は、働きながら子供を育てていく親には本当に厳しいし未熟だ。世の中にはいろんな時間帯、場所、内容の職があるというのに保育園も然り。時間がPM6:30まででは間に合わない人も多いはずと思う。わが家のように迎えが2ヶ所だと私にとって夕方はまさしく“サバイバル”だ。ギリギリの時は遅れちゃならない一心で心臓がバクバクしてしまうし、そこで道が渋滞なんかしてた時は本当に冷や汗が出る。そして年中行事は息を合わせたように重なり、昨年は下の子に泣く泣く目をつぶってもらい(0歳という事もあり)運動会さえ欠席してしまった。でも、それもこれもこの1年頑張れば来年は一緒のエンへ入れるという希望があっての苦労だ。時には社会の冷たい風に落ち込むこともあったが1年は私には充実していたし勉強にもなったし子供たちにも目ざましい成長が見られた。特に上の子に“ママお仕事頑張ってね”って言われた時は心が救われた気持ちだった。丁度スランプで落ち込んでいた時だったので娘なりに気を遣ってくれたのかも知れない。“どうして?”と聞くと“ママがお仕事するの好きだから”と言う。子供って大人が思っている以上に色んな事を自分なりに考えているのかも知れない。

 息子も夏以降めったに熱を出さなくなり、友達や年の離れたお兄ちゃんとも良く遊べるようになった。後は“夕暮れサバイバル”が少しは解消されれば、せめて1園だけになれば、気持ちにゆとりが持てるし娘をせかす必要もない。

 昨年、アムロちゃんが笑顔で“1年後には復帰しま〜す。”と宣言したとき、某新聞のコラム欄に「日本の若い女性に多大な影響を与えている彼女の前向きな姿勢は、小子化に歯止めをかけるばかりか、出産してからも仕事を続ける女性が増えるだろう、これはいい傾向だ」という内容の一文が載った。むろんこれを書いたのは男性の記者だ。私はこれを読んで思わず“ふざけんじゃねぇ”と言ってしまった。そうしたら案の定、それから2〜3日後の同じコラム欄に今度は女性の記者が反論していた。「アムロちゃんが、出産前からもう1年後の自分の復帰を自信たっぷり宣言できるのはナゼか?それは彼女が芸能人だからだ。そういう女性とごく一般の女性は同じ量りでは比べられない。普通の働く母親は子供の預け先で骨折り、預けてからは子供の病気や教育、家事に至るまで背負っているのだ。彼女はちがう。たとえ子供がカゼをひいても、彼女の仕事が夜中になっても、彼女が安心していつでもスターとして輝いていられるように万全なバックがついているからだ。社会がもしそんな彼女を賞賛するならば、普通の母親が安心して働けるように社会そのものを改造する以外にない」と。

 本当にその通りだ。話はちょっとそれるが最近の一連の少年の犯罪に至っては、政府は「父親の家庭内における育児のかかわり」が重要だという。でも現在の日本の社会で父親が「きょうは子供の面倒を見たいので休みます」といってすんなり休ませてくれるとは私は思えない。こうした矛盾やギモンをいっぱい抱えて働く母は私だけではないだろう。でも、私は仕事を辞める気はない。仕事が好きだからだ。昨年はついにフリーながら夫からも扶養を抜いてしまった。来年は税金も支払うし、保育料も上がる。それでも2人の子供を1つのからエンにいれたい気持ちの方が強かった。安心はお金に代えられないから…

 私の会社勤めも嵐のように1年が過ぎ去り2年目に入った。そして12月に入りいよいよ2度目の申請も1ヶ月後に迫った。神様、来年こそ1つにまとまるように味方してね!     byうさぎ

VOL.5

 私にとってはドキドキの申請が終わり、2月も終わろうかという頃、毎日ポストをのぞく習慣がついてしまった。保育エンが“NO”ならば3月を待たずして通知が来てしまう。何だか試験の合格通知を待っているみたいで落ちつかない。そして2月25日ごろだったか、いきなり上の子の保留通知が届いた。保留となればその年の12月末日までの間に空きが出るまでは入エン出来ないという事だ。

 大げさかも知れないが、私はかなり落ちこんでいた。何だか“あなたの働きでは入エン認められません”っていわれたみたいで悔しかった。本来ならば働きたい親を含め入エンが許可されるはずの保育エンが、今や勤務日数や年収で判断されて入所の合否を決定する所になっている。それにしても下の子の通知が来ていない。なぜ?1人入って1人だめなんてこと本当にあるのか?!

 結局、上の子は保留だったが下の子は弟2希望のエンにすべりこんだのだった。でもこれでは私にとっては殆ど意味がない。あの温厚そうなオジさまの言ってた“まれなケース”に私はぴったりはまったのだ。何かもうどうしていいかわからなくなっていたが、とりあえず下の子は0才、上の子にはよ〜く話して(何故保育エンに行かれないかを)聞かせた。一応納得したようだったが、それでも本人はエンに行くのをとても楽しみにしていたので淋しそうな顔をしている。

 3月はもうめちゃくちゃ忙しかった。仕事と家事と子育てにプラス保育エン準備が加わる。ジマンじゃないが、学生の頃家庭科がずーっとアヒルちゃん(わかります?)だった私がシーツやかけふとんカバーやら毛布カバーを2枚ずつに手さげバックも作らなくてはいけなくなった。そりゃもう母親に泣きついて助けてもらったりしたが、生地の量がハンパじゃなくて手間もヒマも金もうんとつぎ込んでりっぱに作った時には感激よりも疲労の方が先に来た。3月下旬になると洋服やら小物やらの一揃えも何とか終え後は入エン式を待つだけ。不安と期待で自分が入エンするような気持ちかも知れない。

 そして、3日後に入エン式を控えた日の晩、運命(?)の電話のベルが鳴った。それは、上の子が急きょ保育エンに入エンが決まったという福祉事務所からの知らせ。何でも1人キャンセルが出たとか言ってる。でも―実は、二人が別々のエンになってしまったのだ。考える時間はなかった。今年大変でも頑張れば来年は有利ですとも言うし、上の子はピョンピョン跳ねて喜んでいるし…子供にはやはり友達のたくさんいる環境で色んな事を吸収して欲しい。でも送り迎えには倍の時間がかかるし、本当に大丈夫なんだろうか〜親としては仕事も送迎も大事だから2人で相当悩んだ。こうして、上の子と下の子はそれぞれが違う環境で保育エン生活をスタートさせる事になった。

 2人共公立のエンなので年中行事も殆ど重なっていて(本当にそういう所は見直して欲しいのだが)苦労も多いが、代わりにそれぞれのエンの良さや公ならではのケアがあって親子共々これで良かったように思う。ちょうど下の子が人見知りの時期で初めの2週間は私も泣きたい気持ちだったが、やっぱり子供の底力ってスゴイ!半月すぎたらケロッと先生に抱かれてニタニタしている。

 桜が咲き始めると私も本格的に忙しくなってきた。私が仕事の時は、朝6:00前には出勤してしまうので、夫が朝の支度をして2人を送る。迎えは、どちらか行ける方が行くのだが、私が遅いとこれまた大変で、夫が仕事をぬけて迎えに行き、弟2の保育者宅へ連れていってその場所へ私が迎えに行く。エンの最終迎えPM6:30には仕事が終わってない時も多い私は、本当に周りの良き人間関係なくしては安心して仕事も出来ない。エンが終わったあと2人の子供を快く預かってくれる心の友は、私にとってかけがえのない存在でホントに感謝している。

 4月は、親子にとって新たなスタートで我が家にとっては親子の間の空気が少しずつ変化していくビミョーな時でもあった。親が子供を1人の人間として改めて見つめ、エンという一つの空間に送り出してやり、子供が働く親を身近に見ながら、自分なりに自分の存在を認識するというような…それは恐らくどの家でもいつかは来る“時”なのだろうけど、それがいつかはそれぞれがちがう。我が家では娘3才息子11ヶ月の春、この“時”を迎えた。

   つづく―   byうさぎ

VOL.4

 97’1・某日―。かくして社会復帰して最大の難関、保育エン申請の日がやって来た。さんざん周りの情報に躍らされ(?)福祉事務所の職員さんに半ば脅かされ(?)この日を迎えた。何を今さら物おじする事なんてない、堂々と自分の仕事ぶりを理解してもらおう!という強気の心と “でもなあ、私はフルタイムでもない、しかもシーズンとオフがはっきりしすぎるしなぁ ムリだったらどーしよー 今年ははたらけないよなー” という弱気な心の葛藤が私を揺さぶっている。

 受付時間を10分位回り、書類を手に1人の手をつなぎベビーカーを押し会場へ向かった。私の目指す第1希望のエンは人気があることでも有名だ。(ナゼか)廊下まで人が並んでいるようならあきらめもつくか‥‥ところが!! 廊下はおろか会場内にずらっと並んだイスにも人影はまばら!内心拍子抜けだ。受付に行くと上の子の3歳児クラスは6番目、下の子の0歳児クラスは4番目。幼稚エンとちがい先着順ではないとわかっていても何だか嬉しくなってしまう。がぜんヤル気が出て来た。人も少ない時間なら自己PRも全開でやっちゃおう!

 ―オイオイ、ここはオーデション会場じゃナイヨ―

そーなんだ。でも保育エンの入所審査ってやつは条件でどんどん落ちていく。オーデションと大してかわらないではないか。とりあえず2人を一角のプレイスペースに預け順番を待つ。

 何気にあたりを見回すと化粧しているのは私だけだった。以前こんなウワサを聞いた事がある。 “申請の時には髪の毛ふり乱して いかにも生活困ってるので働いてるんですってという格好してかないと入れてもらえないんだってー” うそでしょー?でも私はそこまで自分を作りたくないぞ。私は私のままで勝負するんだ、それでダメなら今の日本がワルいんだ。と、勝手な言い訳を考えていたら呼ばれた。

 1人の職員のブースへ招かれイスに座る。見るからに温厚そうなオジさま。一通り提出書類に目を通し、記入もれ等がないかをチェックする。そしていよいよ本題に入る。

 今までお金を払って(それもけっこーな額で)義姉に預けて仕事をしてきたこと、何故フリーなのか、年間通して仕事の量に月々差があること、仕事の内容やタイムスケジュールをこと細かに話し全てを書類の欄外に書いてもらった。

 オジさまはこう言った。 “確かに入所されたい理由はわかりました。ところでこの今まで預けられていた方には引き続きお願いできないのですか?” “ふ〜ん、これがウワサに聞いていた預け先のある人は順位落ちってヤツかー” と、内心冷ややかに思ったが私は答えた。 “義姉には3人の学生がいますし、保育エンに入れる迄という約束ですし、何よりも子供達にはお友達のたくさんいる環境の中で遊ばせてやりたいし‥‥” 温厚そうなオジさまは本当に話のわかるいい人だった。ニッコリ笑って “はいわかりました”。 キャー、けっこう緊張したけどまあこれで泣くも笑うも結果待ちね、といささかホッとした。

“さて。”そんな私に不意にオジさまは話しかけて来た。 “お宅の場合はお2人ですよねぇ今年はどーかなぁ‥‥

0才児は枠が6人、3才児は持ち上がりをぬくと6人、2人一緒には入れないと意味ないよねぇ?” そんなの当たり前じゃーっ!その為に皆の協力を得て働いて来たんでしょーが。すかさず兄弟でも1人入れて1人保留なんてアリ?と聞くと “まれですがあるにはあります” というシブ〜いお答え。 “でも、まぁその時は事前にご相談しますし何とかお2人入れるよう、審査でかけあってみますから。大丈夫ですよ、とにかく2月下旬から返事が行きますから待ってて下さいね” 最後はエールを送ってくれたオジさま。信頼するしかないよ、やるだけやったんだから。でも今年度は募集人員(つまり持ち上がりの人数をぬいた新規入エンの数)がゼロなんていうひどい所もある。

 横浜は、特に都筑区は公立保育エンが少なすぎている。来年は2つ増えるらしいけど私には今、必要なんだよなあ〜。ガゼン意気込んだ申請だがやっぱり帰る私の足どりは重かった。こうも現実の厳しさを思い知らされるとは×××そんな私に、でも仕事は待ってくれるよしもなかった。そろそろシーズンに向けて準備しなくっちゃ。

         〜つづく〜     byうさぎ

VOL.3

 こうしてさまざまな問題、不安、その他モロモロの悩みを踏み越えて(?)とりあえず私は久しぶりに働き始めた。何も全てがクリアされた訳ではないのだ。でも働き出さなければいつまでも変わらない!(と心にゲキを飛ばしつつXXX)

 当然の事ながら外の世界では私は妻でも母でもなく一人の社会人である。皆が私を名前で呼ぶと不思議なほど嬉しくて“コレだ!”と思ってしまう。この場では私は奥さんでも〇〇ちゃんのママでもない一人の個人なのだ。こんなたわいのない事が私には一大事でしかも独身の頃は働いて給料をもらうのがまるで惰性のようにつづいていたが今は1日1日が自分の人生(!!オーバーだが)という気がしてならなかった。

 私は会社にはフリーという事で勤め始めた。仕事の内容からも契約してしまうと泊まり勤務もあるしまだ保育エンにも入れていない子供を毎日預かってくれる人も大変だったのだ。

 あと2ヶ月もすれば保育エン申請の日がやってくる。その時堂々と申請できるよう忙しい間は仕事に精を出しきちんと保育料を支払って義姉に預けた。幸いにも子供たちは義姉にもよくなつき楽しんでくれたのでだんだん私も生活のペースに乗れるようになり不規則な仕事ながらも体をこわすこともなく夢中で日々すぎていった。

 保育エンについてはオドカシなのか本当なのか“200人待ち”、“ウン年待ち”などと行った怪情報ばかり入ってきた。確かに我が横浜市はまだまだそういう面で立ち後れてはいるがそれを肌で感じる時が来たのだ。

 昨年の今頃、私はこんな風に仕事、生活子育ての3本柱の間を行ったり来たりの新しいスタートを切ったのだ。ヤセガマンではなく、“疲れ”よりも“充実感”の方が上回っていた。周りの人達に感謝カンゲキしながら・・・

         (次回へつづく)    byうさぎ

VOL.2

 働くぞ!と決めた時から次から次へと問題が山積みされいささかくじけそうだったが、でも今回は周りのみんなに公言した以上“働くつもりだった”ではすまされない。

 とりあえず新聞を読みあさり情報収集と久々に社会常識たるものを吸収し始める。わずかばかりの自己投資(コレが本人にとっちゃ全然わずかじゃないが)もして学校へ通ったりもしてみる。で、子供達をどうしたかというと主人の義姉に保育料を払って週1、お願いすることにした。

 そんな生活を夏から2〜3ヶ月続けた頃、昔の同期の桜に会社に戻って仕事を手伝わない?と言われたのだ。正直いってお金も出ていくばかりで心もとなかったし、このまま義姉に頼み続けるのも心苦しい・・・しかし、この仕事は給料はいいが正直言ってキツイ!!出勤は5時〜6時、遅くても7時台には始まるし帰りだって何時になるかその時にならなきゃわからない。しかも仕事の内容だって何年も遠ざかっている

私には新人同様、人の数倍頑張らなくちゃイケナイ。心は大きくゆれたが2週間は悩み続けた。他に仕事があるのか、保育エンにいきたがる長女はどうするのか、社会は厳しいぞ、夫には何て話すのか×××

 周りの反応はさまざまだった。“頑張れ”と言ってくれる人、“お互いに協力していこう”という働くお母さん、“保育エンなんてかわいそうね”とさらっと人の心にキズアトを残すママ。この一言はけっこうキツかった。ちょうど結婚した女性に“赤ちゃんまだ?”って聞くのと同じかも知れない。でも人それぞれ生き方も考え方も違うのだ。専業主婦や働く母がいいとかワルイとか決められるモンではない。結局、大勢の心の友が応援してくれて夫もOKを出し何よりも子供が保育エン行きを喜んだのが心の支えとなり私の心は決まった。“やるだけやってみよう!!もう1度自分は自分の名で生きれる場所と時間を手に入れよう!”と。

                (次回へつづく)  byうさぎ

VOL.1

 働くママ達がワーキングマザーだのキャリアマザーだのと、とかく格好いい!と言うようなイメージで世間にアピールされ始めたのはいつ頃からだっけ・・・。

 でも本人いわく決して格好いいワケじゃない、主婦よりエライとかそんなこともナイ!と思っている。それなのに、あえてこの子育てがヒジョーに大変な時期に働く理由・・・それは私の場合、社会という波の中で仕事という形で自分自身を表現したかったのとそれを子供に伝えつつ何らかの影響を与えたかったのだ。(エラソーな事を言ってるがこれを実践するのがムズカしい)ところで、今は産休、育休制度も社会的にだいぶ充実し、結婚し、子供を産んでからも継続して仕事をするのが昔より多くなっているようだ。この場合保育所問題さえクリアできればまずまず安泰という感じかもしれない・・・。

 私はというと自分の職はウン年前、結婚と同時にあっさりと捨ててしまった。典型的なサービス業で直接人とかかわりながらの仕事だった為、拘束時間が長すぎてすっかり疲れ、のんびりしてみたかったのだ。それが4年の間に2人の子供を産みすっかり「外へ出て働きたい病」になり文字どうり“0ゼロからの出発”とあいなった。だけど長いブランクあってのゼロ・・・がこんなにキツイとは思わなかった!職探しや子供のコト、夫との連携プレー等々・・・。考えただけで、やっぱり家でおとなしくしてよーかとかチラチラ思ってしまう。でも、何はともあれまずは、職探しから出発!!やりたい仕事は2〜3あったが何せ専業シュフ、自分に果してできるのかがモンダイとなる。それに、このご時世、自分なんか使ってくれる会社があるかどうかも大モンダイだ!!

 しょっぱなからくじけそうな問題にブチ当たってしまった・・・ 

                    (次回につづく・・・)byうさぎ


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