パソコンと蔵書整理のことなど


パソコンの使い道の、1つとして蔵書の整理というのがあるそうだ。所有している本を、Data Baseに入れて、検索すると言うわけだ。

私は、パソコンを使い始めた初期の頃に、所有ソフトでこれを少しだけやってみたことがある。もちろん本格的Data Baseのソフトは持っていなかった。Calcか何かというソフトがあったようだが、それは持っていなかったし、仮に私の持っているパソコンで使えたとして、値段が高くて買えるものではなかった。結局、使ったのはData数が100か200しか使えない、雑誌か何かで打ち込んだソフトだったのじゃないかと思う。

しかしこれは使えたものではなかった。それで表計算のソフトよりも、ただのテキストモードでリストを作ってみたら、こちらの方がはるかに使いやすかった。ただしそのころはワープロソフトははやっていなかったから、プログラム形式のREM文という形で作成した。REMは ' で代用できたから、そのあとにソフト名を打ち込めばいいのである。しかし良く考えてみると、100や200のソフトの数なんか、当時はカセットテープや1DのFDで持っていたが、その管理というのは、特に必要もないことだった。必要なソフトは頻繁に使うし、必要でないソフトはその後再び使う機会はだいたいなかったからだ。私は必要以上にBackupを取っていたが、それでもソフト管理に、パソコンで入れたデータを利用したことは、1度もなかったように思う。そのうち馬鹿らしくなってやめてしまった。

いったいあれは何だったのか。パソコンを始め、夢中になっていたら回りが見えないのだろう。あのとき、私にはそもそも整理しなくてはいけないソフトなどなかったのだし、仮に同じような方法で蔵書整理をやっていたならば、とても使えなかったろう。当時のDatabaseソフトがいくつまでの、data数を処理できたかは覚えていないが、100冊や200冊くらいでは無意味だし、1000冊でも、まず必要はないだろうからである。

現在私が使っているMACは、当時のパソコンとは大いに違う。パソコンに飽いて、一時私はパソコンから遠ざかっていた。もうパソコン生活には戻るまいと、そのときの私は思っていた。しかしある日新聞の広告で、性能がかつてとは比べものにならないほど、向上しているのを知って、思い切ってMACシリーズのPerforma550を買ってみた。これはどうも情報に詳しい人から見れば、悪い選択だったらしい。ICUも一時代前の6030だったし、メモリーは8MB,HDは150MBという、少し実力不足のマシンだからだ。

しかし私にとって、このMACは驚異の連続だった。初代9801シリーズは、直接は知らないがその前のPC8800シリーズと、FM77シリーズは知っている。趣味というか、遊び用のマシンとしては、モデルチェンジのたびに性能は上がっていたし、私も面白いとは思っていたが、仕事には使えなかった。一応プリンターとワープロソフトも所有していたが、お互いのDATA交換は実際上無理だし、印字の遅さ、品質の悪さ、そしてなによりもワープロソフトの質が使いものにはならなかった。かなりの金銭・時間・労力をつぎ込んだ割には、実用にはならなかった。一応パソコンを使っているという、はかない自己満足を得ただけだ。それと自作ソフトのアフターケアに疲れはて、私はパソコンの生活から足を洗った。

そんな経験を持っている私には、数年間かすかに伝わってくるパソコン情報はほとんど無縁のものだった。日経パソコンを始め、何冊かのパソコン雑誌を購読していた私が、パソコンに興味を失ってからも全然読まないのにそのまま購読を続けていたのは、ただ単に怠け者の性分ゆえからだった。それもついには購読期間が残っている日経パソコン(これは3年か5年の契約だから、すぐには切れない。おまけに、途中私がパソコンに興味をなくしている間に、期間満了の通知が来たのだが、そのまま放っておいたら、自動更新になっていた。この雑誌とThe Basicは、創刊号からの読者だから少しは愛着があったのだ)を残して、全部の購読を断ってしまった。日経パソコンは送られてきたのを、封も切らないままのが、だいぶんたまっているという状況だった。周囲には、古いパソコンはあったが、全然さわってもいなかった。パソコンとは全く縁なしの生活は、1年くらいも続いていたろうか。その前の徐々に興味をなくしていく期間を含めれば、かなりの時が流れていた。

それがMacをさわったとき、驚いた。マウスは登場当時から名前だけは知っていた。しかし大したものとも思っていなかった。マウスをも含めてワープロや他のソフトの使いやすさ、それに画面の美しさ、そしてDATAを大量に使えることなどから、これは使えると直感した。これが94年の11月くらいのことだ。なにしろ私はそれまで補助記憶媒体としては、64KBと128KBのFDしか知らなかったのだ。そんな私には、150MBのDATA量は、ほとんど無限にさえ見えた。これなら、たとえいくら文書をつくっても簡単に残せるし、互換性の問題も多分大丈夫だから、そのDATAが失われることはないだろうと思った。

だから、それからはワープロでいくら打ち込んでもそれがいつまでもは使えないかもしれないと言う不安はない。そしてDATA Baseのソフトも、たとえばMACに最初からインストールされていたクラリスも住所名簿には使えた。そしてDATA量は、理論的にはHDの空きメモリーにあたるということのようだから、問題はないと言うことだろう。

今は私のMACも新しい機種に変わり、Power Upした。だから、例えば蔵書の整理をやろうと思えば出来ない事はない。実際実行している人もいるらしい。会社関係は、別としてパソコンで蔵書などの管理をするとどんな利点があるのだろう。そして本当に、蔵書管理をする価値はあるのだろうか。

私の場合は、まずその必要はないという前提があるのだが、専門家の場合は違うのかもしれない。数多くの専門書の、整理は欠かせないのかもしれない。しかし仮に蔵書目録を作ったとして、肝心の蔵書の管理が次に問題になる。

人は例えばどんな風に、本を本棚などに整理するのだろうか。最初に思い浮かべるのは、分野別・著者別に分類しておくという事であろう。しかし中には本の大きさごとに、並べる人もいるらしい。今は保守派の代表的論客となったニーチェ研究家、西尾幹二が最初にその名前を知られたのは、講談社の現代新書から出た「ヨーロッパの個人主義」においてであった。私は大学生の時、この本を何回か読んでいるが、確かに私の好奇心の中心の根底に位置するテーマ「日本人とは何か」は、この本によってもある刺激を受けた。それはさておき、この本の中でドイツの大学量で留学生活を送っていたときの記述がある。そこであるドイツ学生の部屋に入ったとき、彼の本棚が大きさによって、きちんと並べられているのを見たとき、彼はある恐怖を感じたという。A4ならA4、BtならB5の本が、しかもテーマとは関係なく、大きさごとに左から右へきちんと整理されていた。ドイツ人のきまじめさは知られているが、ナチスの論理にも通じるものを西尾は感じたらしい。

個人によっていろいろあるだろうし、整理の仕方の一般論はいえないとしても、とにかくパソコンで蔵書整理をしたとして、今度は実際にその本がどこにあるかが、すぐに分からなければ意味はない。図書館ならば、分類カードもしっかりしているし、その本がどこにあるかもしっかりしている。こうした状況があって初めて、蔵書管理は役に立つ。さらに言えば、必要なときにすぐにそれに応じた本を見つけだせると言うことが大切だ。

私の場合、すべての面で蔵書管理をする必要がないようだ。まず第一に全部の蔵書を入力する作業に使うエネルギーはない。本を何処に置いてあるかは、だいたい知っているが、はっきりは知らない。同じ本を2冊買ったことはそんなに多くはないが、英語の本の場合に何回かある。1度に大量の本を何回かカタログ注文していると、こんな事は当然起きる。さらに、私のような乱読家にとって、2度読む本はそんなにない。あるいは専門はあって無きがごとしだから、繰り返し参照する必要性のある本はそんなに多くない。だとしたら、蔵書管理は考えるまでもなく、無用のことに違いない。

それでも、と少しは考えるのだ。読書は、私にとってかなりの比重を占めてきた。だとすれば、ここらで1つのけじめをつけるのも、悪くないかもしれぬ。私流のやり方で少しずつ、過去の読書を見直して、新しいやり方をやってみるのも悪くない。ここ1年間、パソコン通信を初めてから読書の質が変わってきているが、ちょうどこのあたりで過去の読書を振り返るのも少しは意味があるかもしれない。蔵書を時には、全部始末してしまいたいとも思わないでもないが、今はさし当たり持っている英語の本だけを整理することにした。英語の本はかなり集めてきたが、読んでいないのも多いからちょうどいいかもしれない。それで、InternetのHPを開いたのをきっかけに、そこにUPして見ることにした。HPは、個人の記録としては、なかなかに役に立つ。普通の個人だけに秘められたものとは違って、他の人に公開されているし、自分の刺激になる。何らかの反応があるかもしれない、という期待もある。そろそろ読書の総まとめをしたいという気もある。もうあれこれ乱読をしても仕方がないとも思う。これから自分に関心のある分野がそんなに増えるとは思えない。だとすれば、今までに集めた本を見直すことで、何かが見えてくるかもしれない。

97-9-1   YUKI

p.s. これは、HP読書室に「〜の世界」として、私自身の蔵書の一部をUPするに当たってそれ以前に書いていたものである。最後が尻切れとんぼだし、気持ちとしては未完成なのだが、今はもうこれ以上書く元気はない。しかたないからそのままUPする事にします。 97-9-13



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