第2次大戦中の女性パイロット(11/17)


* The long flight home Women served--and died--in WWII. Now they are remembered BY ANN DARR

第二次大戦中に、アメリカでは女性パイロットも従軍していたという記事で す。もっともこれは公のものではなく戦後しばらくは、秘密みたいなものだっ たようですし、あまり知る人はいないかもしれません。これは彼女自身がその 1人であった、女性パイロット達をしのぶ記事です。

アイオワの草原に広がるのは、広い空。3才の時に母を亡くした少女は、天国 に行けば母に会えると信じた。少女の時の夢は、アイオワ大学に入学したあ と、かなえられた。大学が、民間パイロットの訓練コースを設けて、それに応 募し、そしてパイロットの資格を手に入れた。

1940年代、世界が戦争に突入していた時代、アメリカは不確実の時代だった。 太平洋からは、敗北のニュースばかりで、戦争に勝つとははっきりとは分から なかった。1943年、筆者はWASP,つまりWomen's Air Force Service Pilotsで 訓練を始めます。アメリカ人でもこのWASPの存在を知っていた人は珍しいよう です。戦争に参加した女性は、全員がRiveter Rosiesだと思っていた人もいる ようです。このRiveter Rosiesは、辞書にも載っていません、看護婦?それと も?

とにかくWASPは未経験の女性を訓練したわけではなく、既に飛行経験のある女 性を対象としていたようです。空軍機を正確にとばすことを目的とする訓練だ ったわけです。イギリスは女性パイロットを既に、軍隊の中に取り入れていた ようです。このWASPの責任者が、Jacqueline Cochran。場所はSweetwater's Avenger Field。門には、Walt Disneyが書いてくれたFifinellaの絵。この FifinellaFifinellaは、ランダムハウスには、「飛行機にとりついてパイロッ トを惑わす妖精(gremlin)」とあります。それをDisneyは赤い服を着て、金の ヘルメットをかぶり、青の羽を持った姿にかいてくれた。これは彼女たちのマ スコットだったようです。Avenger飛行場に着いた呼び名がCochran女子修道 院。アメリカで唯一の、史上初の女性パイロット基地。

25000人の応募者の中から、1830人が合格し、さらに1074人が飛行機を与えら れた。しかし当時のアメリカには、飛行時間500時間未満とはいえ、少なくと も数万人の女性のパイロット資格者がいたということでしょうか。これはさす がという他はない。ここで彼女たちは、アメリカ軍のP51からB29までの、あら ゆる訓練を受ける。P51は追撃機らしい。B29は、戦後生まれの私でも、幼い頃 少年漫画でよく出てきたから知っている。BはBoeing社のB。これはロッキード 事件の時に解説されていたような。Superfortressの愛称を持つ、四発長距離 爆撃機。彼女たちは、男性と同様、これらの飛行機も操縦できることを示し た。

厳しい訓練と生活のあと、彼女たちは各地の任務に散っていった。その1つは aerial dishwasher。飛行機の皿洗い、というか整理・準備ですね。WASPの仲 間達が、新しい数千機の飛行機を工場から、基地や港まで飛ばした。その他飛 行機の慣らし飛行みたいなものもやった。窓の壊れた飛行機を修理のために、 工場まで運んだこともある。さらに危険なのは、空中での模擬爆撃みたいなも のもかかれています。筆者達がB-26から、白い布(sleeve?)引きずりながら飛 んでいる近くを、B-17に載った戦闘員達が、その布に向かって色づけをした弾 丸を撃ち込むという訓練です。あとには、色のついた穴が残り、それで誰が目 標物に弾を当てたかを競うと言うわけです。

38人の女性パイロットが殉職した。直接戦地には行ったとは書いていないので すが、彼女たちの飛行機が古かったということも、あったのかもしれません。 衝突事故などがあったようです。しかしまずは民間の事業として始めていたこ のWASPは、結局正規の軍組織に組み込むという法案は議会を通過できなかっ た。1944年、10月20日に解隊された。彼女たちは、前の職場にも戻れず、賃金 ももらえなかった。そして家にかえる旅費も私費だった。しかし沈黙だけは要 求された。

30年後、彼女たちの苦労はようやく報われる。退役軍人veteranという中に彼 女たちも認められた。金銭的補償は伴わないが、少なくとも名誉は与えられ た。そして10年間の努力の結果、先月Arlingtonに女性兵士達の記念碑が建っ た。これはすべての女性兵士達のものですが、WASPの生き残りの多くがその除 幕式に参加した。今は亡きWASPの変わりには、息子や娘達が参加した。

肉体的にも、感情的にも疲れはててはいたが、リンカーンメモリアルから、ポ トマックをわたって、女性兵士の記念碑まで、元気に堂々と行進した。第1次 大戦の生き残り、Frieda Mae Hardinが、人々に向かって、Go for it! と叫ん だとき、私たちはもう1度軍隊に入る準備がある、という気持ちにほとんどな っていた。(^^;

筆者も80才近くにはなっているはずですが、なかなか元気なようです。アメリ カで入隊したり、現在軍人である女性は、180万人ということです。



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