聖なる神話と現世の嘘(7-27, ESSAY)


TIME 7/27 US版のESSAYからです。

*Stories Sacred, Lies Mundane
Ten years later, a casualty of the Tawana Brawley case finds vindication
By LANCE MORROW

このESSAY、タイトルからしてなかなかやっかいです。私は、理想を実現する ためには嘘をついてもかまわない、目的のためならば手段は選ばない、そうし た考えを否定していると勝手に拡大解釈しました。

私たちの精神は聖なるものと、世俗的なものの間を揺れ動く。ある時は自分 自身に対する理念と神話的通念を信じるかと思えば、もう一方で日常的で人間 的な混乱、矛盾、不公平などがあり、だから法律が必要となってくる。この2 つの領域の境界に、危険で面白い嘘の領域がある。

10年前、N.Y.のWappingers Fallsというハドソン川に面している町でこの3つ の領域が交錯した。当時10代の黒人少女, Tawana Brawleyが、白人の警官たち に誘拐されて、森の中に4日間も監禁されていたこと、彼らは彼女を繰り返し 強姦し、腹にKKKとNIGGERの文字を書いたこと、犬の 糞を彼女の体に塗って、 かつて彼女の家族が住んでいたアパートの外にごみ袋に入れて放り出したこと などと話した。ただ彼女にとって運が悪かったことに、そこのアパートの住民 が彼女がこそこそとごみ袋に入り込むところを目撃していた。そして大陪審 は、長期間の詳しい調査の結果、彼女の話の信憑性を裏付ける証拠は何もない と結論づけた。

彼女の話は嘘としては、あまりうまいものではなかった。子どもを育てたこと がある人なら、彼女の話が真っ赤な嘘であること、数日間無断外泊して、恐ろ しい義父の怒りを恐れて、やけになった15才の少女がでっち上げたものである ことがすぐに分かっただろう。

しかしTawanaの話しの中には、私たちの文明の中に固定観念として埋め込まれ ているものがあったから、ブラックホールのようにそのつまらない話しを大き なものにしてしまった。彼女の話は、人種対立がない社会であったら、作り話 として誰も相手にしなかったろうが、人種・強姦・リンチの記憶を心の奥深く にしまっているアメリカではそうはいかなかった。彼女の経験は悲劇的事件と して、過去にもそうであったように崇高な怒りをもって抗議しなければならな い。Tawanaの事件は、1955年にミシシッピのTallahatchie郡で、14才のシカゴ の少年Emmett Tillが、白人女性になれなれしい態度をとった(fresh with)と いう理由でリンチされたことと同じ意味を持っている。こんな風に一部の人た ちは考えたようです。

このTawana Brawley事件の犠牲者は誰か。Tawana自身か。確かに自分をごみと してしか想像できなかったことは、ずるがしこい面もあるが、悲しい面もあ る。だがこの事件の場合、Tawanaの嘘は実害をおよぼした。事件が公表される と、人種問題を専門とする3人の弁護士C. Vernon Mason, Alton Maddox , Al SharptonがTawanaの代理人としてマスメディアを煽った。Dutchess郡の副検 事、Steven Pagonesが犯人の1人とされ、Pagonesは汚名を注ぐのに10年間かか った。

政治家や批評家や映画・テレビのメディアは私たちに神話通念を与える。つま りこれらの人たちは、我々のパターン的思考を満足させるものを提供してくれ るのでしょう。その結果起きる日常の混乱を取り締まるために、特に嘘の領域 では、法律が必要となってくる。先週法律はその役目を果たし、Pagonesの嫌 疑は晴れた。Sharptonたちは彼の名誉を傷つけたとして、陪審はその損害補償 額の審理に入った。

現在のように、メディアが神話を作る時代にあっては、噂とかセンセーショナ ルな事件は原材料である。つまり娯楽のためならば、それを真実からほど遠い ものに加工する危険が常にあると言うわけです。だから事実がおきまりの事 件(cliche)として処理される危険性もある。

特にアメリカの場合、人種・強姦・リンチという観念は、昔からアメリカ人の 中に強い真実として根付いている。だからアメリカの黒人の中には、O.J.シン プソンが有罪であっても問題ではない、Tawanaが嘘をついていても問題はな い、という人がいる。事件が事実であったかどうかは、その背後にある深い真 実に比べれば問題ではない。つまり人種差別という大きな未解決問題が存在す る限り、黒人が犯す小さな犯罪行為は批判の対象にならないと言うことでしょ うか。もちろん白人の中にはこうした考えを聞いて、信じられずに怒りのあま り、自分の額を打つものもいる。このへんはかなり勝手に解釈していますが、 額を打つというのは当惑したときは分かりますが、怒り狂っているときにもそ うした動作をするのでしょうか。

だからTawana Brawleyも、Emmett Tillと同じように、奴隷制度・人種差別に 苦しんだ黒人として、少しくらい嘘をついて他人に迷惑をかけたからといって も、同じような犠牲者なのだ。ここまで言い切っていいかどうかは分かりませ んが、こうした論法はけっこう応用としては見かけるようです。

しかしこうしたごまかしがいつまでも通用するはずはない。ここではナポレオ ンの例があげられていますが、彼もまた常習的うそつきだったようですね。 Sharptonやその仲間はSteven Pagonesの名誉を汚したばかりではない。彼らは Emment Tillの思い出にも大きな悲しむべき傷を負わせてしまった。苦い嘘を 積み重ねることで、真実もいつしかそれとともに流されてしまう。確かにこう した事件が続発すれば、人種問題に新たな火種を与えるのかも知れません。た だこの事件は案外教訓として役にたつかも知れません。先週のESSAYとは、同 じ人種問題を扱っているのに、論点が少し違っています。過去にも人種問題を 扱った記事を続けて読むと、いろいろと混乱することがありました。ただ渦が あちこちでときどき発生するが、すこしずつ落ちついている感じがします。

もう少し簡単に書けたらいいのですが、どうもうまくいきません。



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