コーヒー、お茶、それともイエス様?(6/15, ESSAY)


TIME 6/15 US版のESSAYからです。

*Will It Be Coffee, Tea Or He?
Religion was once a conviction. Now it is a taste
By CHARLES KRAUTHAMMER

あのCharles Krauthammerの正体が遂に暴かれた。(^o^)  やはりユダヤ系だ った。私の推測は間違っていなかったから、少し嬉しい。しかし謎のままでい るのが面白い人もいる。この人はその過激な発言ぶりにほとほとあきれつつ、 いつしか気になる人になっていましたから、謎が解きあかされるのは、少し残 念です。知らないままでいる方が、いろいろ考えることが出来て楽しいという 人もいる。この人は、私にとってそうした人物だったから、わざとINTERNETで 調べることもなく、いつその正体が明らかになるかと思っていたのに、案外簡 単に自分から種明かしをしてしまった。もっともただユダヤ系ということだけ ですが、私は後の経歴はあまり興味ないからこれで十分なのです。

内容は、宗教が現代では信仰や信条ではなく、単なる好みの問題になってしま ったということを論じています。いつもと違って、全体の内容を紹介するので なく、今回は記事のあちこちから気になった表現等について書いてみます。

作者は先週病院で検査を受けたのですが、そのとき受け付けの人が名前や職業 や保険証の番号、病歴などを聞いたあとでした最後の質問。What is your religious preference? 作者にはこれが気になった。昔だったら、Who is your God?、一世代前でも「宗教は何か」と聞いたのに、最近はreligious preferenceになっているわけです。作者のまず頭に浮かんだ答えはが"I think Buddhism is the coolest of all, but I happen to be Jewish."  これで 見ると皮肉屋のKraupthammerも、仏教に対してはあまり辛辣な考えは持ってい ないようです。ユダヤ人は仏教徒からはあまり酷い目に会わされていないから でしょうか。次にヨナに倣って、"I am a Hebrew, ma'am. And I fear the Lord, the God of Heaven, who made the sea and the dry land."と答えたか ったが、変人扱いされてX線検査を受けるかわりに、精神科におくられるのを 恐れて、これも口には出さなかった。

結局作者が何と答えたのかは書いていないのですが、多分おとなしく本当のこ とを言ったのだろうと思います。書いていることは辛辣だが、日常生活は常識 人かもしれない。 (^^; とにかく作者の気になったのがreligious preferenceという表現。信仰もいまやコーヒーやワインやセックスやシャツの 糊付けと同じように単なる好みになった。もちろん病院で宗教に冠する質問を するのは、信仰を云々しているのではなく、万が一に備えて必要な事務処理を するための情報を知りたいからだけなのですが。

しかし一見宗教が流行しているから見えるアメリカでもreligious preference という表現に見られるように、宗教がかつての意味あいを失ってきているので しょう。チェスタトンは無神論者の良いところは(信仰に対して)寛容なところ だと言ったが、それは信仰によってその人の人生が決まり、場合によっては異 端審問にかけられるかもしれなかった時代のこと。現代のreligious preferenceの時代には、車の好みで人が処刑されることがないのと同じよう に、宗教が違うからと言って処刑はされない。

しかし奇妙なことにこの宗教的寛容な時代にあって、現在も生き残っている宗 教的不寛容がある。 that is the disdain bordering on contempt of the culture makers for the deeply religious, i.e., those for whom religion is not a preference but a conviction. どうやらここで言っているのは、 宗教的原理主義者のことではないらしい。逆に、文化の担い手the culture makersというのは、時代の先端を行く人たちのことでしょうか、その彼等が信 仰心厚い人たちを(時代遅れだとか保守的だとかいって)軽蔑のまなざしで見る 態度だが問題だというわけです。

Stephen Carterは、現代を「不信仰の文化」the culture of disbeliefと呼ん でいる。そして知識あるもの、洗練された者は、宗教心を持ち合わせていない し、信仰を持っている者に対しては社会的ハンディsocial penaltyが課せられ る。政治の世界で、自分の政策基盤が聖書(宗教)にあるとでも表明しようもの なら、袋叩きに会う。中絶問題でも他の倫理的・現実的・社会学的・医学的な 理由から、賛成反対を表明するのはかまわないが、自己の宗教心から議論を展 開することは出来ない。Call on Timothy Leary or Chairman Mao, fine. Call on St. Paul, and all hell breaks loose. Timothy Learyや毛沢東の 思想に同調するのは良いが、聖パウロの信仰を根拠にすることは出来ない。 Timothy Learyは、名前は聞いたような気がするけど、良く覚えていない。

本文では、Whitewater事件の検察官hickman Ewingを宗教的狂人と評した大統 領補佐官Sidney Blumenthalや、マスメディアのことも書かれています。ここ でNew York Timesはzeitgeist arbiter of the Establishmentと書かれていま す。指導層の代弁者、というような意味あいが濃いのでしょうか。現在の宗教 的色眼鏡で見たら、キング牧師もMobby Dickもとんでもないreligious fanaticということになるとも書いている。

とにかく信仰心ある者にとっては受難の時代と言うことでしょうか。しかし作 者のここの議論は、少し言い過ぎなような気もする。作者が周囲の者と考え方 が違うということで、ひごろ考えることが多々あるのだろうと思います。それ と作者の今までに書かれた考え方は、一種の反語かもしれないと思っていまし たが、やはり本音のようです。

もう1人、TIMEのEssayで良く見かけたBarbaraとか言った過激な皮肉屋がいま したが、こちらの方は最近その文章を読んでいない。しかし謎の人物でどんな 人かなという好奇心を持たせた点では、この文章の作者CHARLES KRAUTHAMMER が一番でした。彼を除いたら、今の所私には他にそういった人は特別いませ ん。



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