Bobbyの思い出と共に(6/8)


TIME US版6/8のAmerican Sceneの記事です。今週は20世紀の100人の特集第2弾 のようで、面白い記事があるのかなと思っていたら、他にも結構楽しめる記事があり ました。

* Guarding The Dream Thirty years later, Juan Romero honors R.F.K. By STEVE LOPEZ /SAN JOSE

American Sceneの記事です。ちょっといい話しです。

兄Johnの理想を次ぐべくRobert F.Kennedyが大統領選を闘っている最中に銃弾 に倒れて既に30年。Kennedy一族は数々のスキャンダルにまみれ、かつての栄 光にもかげりがでてきていますが、今なお彼の生き方を人生の理想とした一人 の少年の物語です。

少年はRobertの暗殺の瞬間に居合わせた。ホテルの白い制服を着て、自分のロ ザリオをRobertの手に握らせ、必死にその命を救ってくれることを神に祈った 17才の少年。彼の写真はあらゆる新聞雑誌で報道され、有名になった。

しかし彼はいずこともなく姿を消した。マスメディアの情報提供と引き替えの 様々な誘惑をを断って。

今回彼は初めて30年前の出来事を語った。しかしあくまでも彼自身のことでは ない。Bobbyこと、Robert の名前が忘れられないために。彼の名前はJuan Romero。メキシコで生まれ幼年時代を過ごしたやせた少年。はっきりは分かり ませんが、彼は不法移民だったのかもしれない。カリフォルニアの大統領予備 選の前日、Juanが皿洗いをしていたホテルにRobertが泊まった。Juanは他の皿 洗いの人たちに自分が一晩中後かたづけをする事を申し出る。もしかしたら、 Kenneyの部屋からルームサービスの注文が来て、Kennedyと握手できるかもし れない。

Kennedyの人気はメキシコでもものすごかった。その写真は十字架とともに、 壁に貼ってあった。同じカトリックということばかりではない。Bobbyも家庭 を大事にしていたし、兄のJohnはヒスパニックのことを勤勉で家庭を大切にす る人々だと話していた。普段周囲の人々に タコス食いと馬鹿にされていた Juanにしてみれば、政治には関心はなかったものの、Robertだけは特別な存在 だったのかもしれない。Kennedy人気の秘密の一端はこの辺にあるのかもしれ ません。

そしてその夜電話がかかってきて、JuanはKennedyの部屋に行く。彼と握手し たJuanの感激といったらこの上もなかった。 "Ididn't feel like a busboy or a Hispanic. I didn't feel like I was 17. I just felt like a person."

次の夜勝利宣言をするKennedyともう1度握手するために、彼は群衆の中をかき 分けた。そしてRobertの手を再び掴んだその瞬間、悲劇は起きた。Kennedyが 倒れ、Juanがその側に跪き、衝撃と苦悶を感じながら、彼を助け起こそうとす る。Kennedyの頭を後ろから起こしたJuanの手は血まみれだった。ロザリオを Kennedyに手渡し、ひたすら祈るJuan。医者はKennedyは話すことは出来なかっ たといったけれども、彼は確かに彼の最後の言葉を聞いた。それは 'Is everybody O.K.?' か 'Everything's going to be O.K.'" のように聞こえ た。

その後彼は有名人になった。ホテルで働くことは出来なくなった。手紙も毎日 届く。記者たちは彼の後を追い回すし、情報提供と引き替えに大学の授業料の 提供を申し出た人もいる。しかし他人の不幸から利益を得るのは尊敬すべき人 のすべきことではない、という義父の言葉を胸に彼はカリフォルニアを去っ た。

それから町から町へ、職も転々としながら、彼の放浪の生活は続いた。誰に も、2度とあの悲劇の瞬間を話すことはなく。結婚して彼はRobertの精神を引 き継ごうと決意する。勤勉で、神を敬い、家族を大事にし、そして他人に対す る寛容と同情の心を忘れないで。しかし反移民運動のヒステリックな現在のカ リフォルニアで、Kennedyの名前を残すためにも、ようやく彼のことを語った ということなのでしょうか。自分のためにではなく、Robertのために。

彼はRobertの最後の瞬間、当然自分も移っているその写真を所有したことは1 度もなかった。このへんもすがすがしいというか、まねが出来そうもない。

この記事を書いたSteve Lopezが、より詳しい物語を今月号のLifeにも書いて いるようです。

私はRobertの死の瞬間の写真をみた記憶はない。Robertの暗殺をどこで聞いた かも、はっきりしません。しかし彼の死を悲しむ友人に私は冷淡だった。人の 考えは年をとると共に変わりますが、時々昔のことを思うと冷や汗を感じるこ とがあります。  (^^;  あの時代、アメリカも、そして日本の私の回り も騒々しかった。



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