インドの核実験と我らの幻想(5/25, ESSAY)


TIME 5/25のUS版のESSAYを読んでみました。作者は過激な超現実主義者 CHARLES KRAUTHAMMER です。

* India Explodes A Nuke--And Our Illusions  
So much for the Clinton doctrine of "peace through norms"
By CHARLES KRAUTHAMMER

インド核実験の報道が伝わるや、ワシントンではスケープゴート探しが始まっ た。CIAは何をしていたのか、諜報機関は何も知らなかったのか、というわけ だ。

たしかにいい質問だが、的外れだ。人口10億の勢いのある国が核所有国の仲間 入りをしたいからといって、それを信じることの出来ない大統領や国務省がお かしくはないか。もしもインドの核実験がアメリカの外交政策の失敗を意味す るのなら(私はそんなことは信じないが)、それは核実験を前もって察知できな かったからではなく、彼等に想像力というものが欠如していることが何よりも 問題なのだ。

5年間というもの、クリントン政権は世界の重要問題を解決するためには条約 さえ締結すればよいという考えに凝り固まってきた。化学兵器、生物兵器、弾 道弾迎撃ミサイル 、核実験など、条約締結ですべては解決すると考えてきた のだ。

特に核実験については、包括的核実験禁止条約はクリントンから絶賛を浴びて きた。「武器削減交渉の歴史において長年求められ、ようやく勝ち取られた成 果」というわけだ。

武器削減担当の国務次官補John Holumはさらに熱心だ。わずか2カ月前、彼は 上院にCTBTを批准するように求めるに当たって、「すべての地域のすべての者 が永遠に核兵器を最終的に禁止する歴史的チャンス」と言い切った。

インドから見たらどうか。彼の言葉は、大げさであるだけではない。馬鹿げて いる。

クリントンはインドとパキスタンが条約調印に抵抗していたことは知ってい た。しかし彼のような人物は決して現実を見つめようとしない。国連総会でク リントンは言った。「大国と他の国が条約に調印すれば、条約が正式に発効す る以前であっても、核実験に反対する国際的規範が出来る」

ここにこそクリントン・ドクトリンの原型がある。規範を通じての平和。規範 さえ打ち立てれば、それに頑強に抵抗している者でも、やがて従うようにな る。彼等は条約には調印しないかもしれないが、国際的合意の倫理的拘束力の 前では、それを敢えて無視することはなくなる、というわけだ。

何という洞察力だ。大いなる幻想に過ぎない。インドのような国にとって、規 範よりも重要なものがある。例えば、力だ。水素爆弾であれば、なおよい。

しかし力こそすべて、という考えほどクリントン政権の中枢にいる人々に無縁 な考えはない。彼等に言わせれば、それは時代に逆行するつまらない考えにす ぎない。世界経済と世界化の時代にあって、国際共同体と国際協力の時代にお いて、力を崇拝するというゼロサム的思考とは、いかにも原始的なものだとい うわけだ。

もちろんアメリカ人がそうした考えをするのももっともだ。既に世界で一番強 い力を持っているのだから。指導者たちが力への信仰に飽き飽きして、条約や 協定を重要視し、その結果としてインドの核実験により、心地よい幻想を打ち 破られたことのショックがいかに大きいかということは理解できる。

だがインドから見たら、軍事力信仰は決して過去のものではない。1962年には 中国に屈辱的敗北をうけたし、今でも中国の核ミサイルの脅威にさらされてい る。そしてライバルのパキスタンに中国は密かに核技術を供給している。だから 中国への抑止策として、パキスタンへの脅しとして、さらには大国の証として 核実験が必要なのだ。

拒否権を持つ国連常任理事国の5大国に共通なことは何か。ただ1つ核兵器所有 国と言うことだけだ。

インドは大国の仲間入りに何が必要なのかが良く分かっている。だから5月11 日に彼等はその切符を手に入れたのだ。たしかに短期的には制裁を受けるだろ う。だが世界は長期的にはインドが核大国の仲間入りをしたという事実を受け 入れる。

クリントンにとってこうした考えは非常に困惑させられるものである。彼は言 う。「インドは核兵器を持たなくても21世紀には超大国になりうる可能性を持 っているではないか」しかしそれは父親が腕に入れ墨をして、夜中過ぎに酒を 飲んで家に帰ってきた十代の息子を諭すようなものだ。

クリントンからインドへ: 「大人になれ」
インドからクリントンへ: 「自分のやり方で大人になったよ」

インドの核実験によってわが国の条約崇拝の指導者たちは教訓を得なくてはい けない。しかし多分彼等は、CIAの何名かの責任者をスケープゴートに仕立 て、今回の教訓を忘れ、相変わらずの外交性策をとり続けることだろう。

私が新聞などで見た論調はガンジーの国インドの連想が働くのか、インドを日 本のような平和国家と考えている人が多かったようです。しかしガンジーは、 同じヒンズー教とのインド人に暗殺されたし、彼の弟子ネルーも必ずしもガン ジーとは同じ考えではなかったようです。世界の核論争はインドの核実験で一 気に新しい局面を迎えたようです。もしもパキスタンがインドに続けば、もう 歯止めはきかなくなるかもしれません。現実主義の強硬路線の前には、理想は いつもはかないものなのでしょうか。



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