悲劇を乗り越えて(11/24)


TIME USA版からです。

* A TRIUMPH OF WILL
A QUARTER-CENTURY AFTER A TERRIBLE TRAGEDY, MARSHALL UNIVERSITY
HAS THE WINNINGEST FOOTBALL TEAM OF THE 1990S

ある大学の現在の栄光の影には、過去の悲劇があったという記事です。アメリ カの大学のフットボールのことをよく知りませんので、知識不足のためとんで もないまちがいをおかすかもしれません。登場人物が多すぎるのです。

West VirginiaのHuntingtonにあるMarshall大学は、今そのフットボールチー ムthe Thundering Herdで有名です。ここはRust Belt, Bible Beltのどちらで もあるのですね。Rust Beltは、重工業地帯。Bible Beltは、もっと南部かと 思っていました。

Huntingtonは人口60000人の町ですが、自分たちの町の大学フットボールチー ムのポスターや、帽子シャツがあふれている。去年は1-AAで、15戦全勝だった ようで、大学フットボール100年目の今年は、Division 1でプレーしたようで す。これは長い歴史で始めてのことのようですから、画期的なことだった。今 年の成績は11勝2敗。Mid-American Conference(MAC)の優勝チームだったよう です。かつてMACから追われた経験があるだけに喜びもひとしおだった。MACと Division 1の関係が少し不明です。アメリカの大学フットボールの組織は、私 にはよく分かりません。

しかしマーシャル大学には忘れようにも忘れられない悲劇を持っている。1970 年11月14日に、75人が死んだ飛行機事故があった。チャーター機だったよう で、75人全員死亡したのですが、そのほとんどが Thundering Herd関係者でし た。37人の選手、25人のサポーター、8人のコーチ、そして5人の乗務員。アメ リカのスポーツ史上最大の悲劇です。マーシャル大学にとっては、フットボー ル関係者は、大学の責任者も含めてほとんどいなくなった。

90年代に入って最大の勝率をもつマーシャル大学ですが、70年代は最低の勝率 だった。事故の後遺症もあって、10年間で22勝しかできなかった。12連敗が1 度、10連敗が2度。フットボールチームを廃部にせよとの声もあった。しかし もし廃部していたら、75人の死が無意味になるということで、存続してきたの でしょう。

このチームは、70年の事故以前にも決して強いチームではなかった。67年と68 年は全敗だったようですし、このときに新入部員の募集に当たってスキャンダ ルを起こし、このときMACから追放されたようです。

あの日70年の11月4日は東カロライナで、惜しい試合を負けて3勝6敗になっ た。しかし選手達の心は、以前のことを考えると、そんなに悪い気分ではなか ったようです。雨が降って風が強い日でした。着陸寸前に、飛行機が木の先端 に触れ、アパラチアの山腹に激突。75人全員が死亡。

これが地域社会に与えた衝撃は大きかった。60000人の小都市。そして大学関 係者が9000人を占めています。選手・コーチが、ほとんど死亡したのを始め、 サポーター達には4人の医師、市会議員、州議員、さらに数名の有力な実業家 など町の実力者が多かった。さらに体育理事などの大学関係者。こうした人が 一度になくなったのですから、確かにこれは想像できます。選手のうち4人は 北のニュージャージー出身だったようです。

もちろん、このニュースを聞いていた関係者はそれぞれが衝撃を受けた。いろ んな人間ドラマが紹介されていますが、これは割愛します。

チーム再建の課題は、飛行機に乗らず陸路で家路についた補助コーチの William Dawsonの手にゆだねられた。彼も飛行機に乗るはずだったのが、直前 になって取りやめた。選手の中では、けがのため遠征に参加しなかったレギュ ラーの数名が残っていた。そしてNCAA全米大学競技会は、特例として2カ月前 に入学したばかりの新入生の選手登録を認めた。当時のニクソン大統領も、激 励の言葉を送った。

71年には奇跡的にも2勝をあげたようです。ところがさすがにそのあと低迷す る。しかし1979年に、Sonny Randleがきてチームを活性化する。彼はthe great NFL receiverとあります。有名な人かもしれません。5年間で12勝42敗 の成績をあげているようです。あまりよくなっていない気もしますが、これが 将来の布石になった。1984年に、チームは20年ぶりに勝ち越し、それからHerd はずっと負け越しがない。92年には、Division 1-AAで優勝。多分大リーグと 同じで、これはDivision 1の下級リーグなのでしょう。

生き残ったDawsonコーチの苦悩を始め、遺族は今でもあの悲劇を忘れることが 出来ない人が多い。しかし遺族同士の出会いと、連帯も一部ではある。父親を 失ったもの同士の恋と結婚もあった。息子の死から立ち直れなかった父親もい た。今でも毎晩息子からの母の日のカードを見る母親もいる。そのカードに は、マーシャル大学のキャンパスにある噴水の絵。毎日流れる噴水のように、 彼女の息子の思いでもまた日々新たなものとなる。



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