弁護士は何故死んだか(10/27)


TIME 10/27の記事からです。ASIA版、USA版共通記事です。

* DEATH IS IN THE DETAILS (p.41)
SEX, LIES AND A PORCUPINE FIGURE IN A PENNSYLVANIA MURDER TRIAL TWO DECADES AFTER THE GUN WENT OFF

20年前にペンシルバニアで起きた一人の弁護士の死の真相をめぐっての議論で す。どこでもいつでもあるような事件ですが、面白かったので紹介しておきま す。

1976年6月2日弁護士のMartin Dillonは、友人の内科医Stephen Scherと、 Dillion家の所有地で、 スキート射撃をしていた。そしてDillonが銃で撃たれ て死んだ。Martinの死後、Stephenは未亡人のPatriciaと結婚して、Dillonの 息子と娘を自分の子供として育てた。そして子供たちが成人した今日、Martin の死についての新たな疑惑がでてきた。

Martinがどのようにして死んだのか、大きく分けて3つの説に分かれるようで す。

第1はStephenが最初に説明していたものです。彼らが スキート射撃をしてい たとき、ヤマアラシporcupineがDillonの目に入った。彼はScherの16口径の Winchesterのpump-actionの短銃を手に持ってそれを追いかけた。銃声が聞こ えたので、Stephenが駆けつけると75m離れたところで、胸に致命傷を負った Dillonが倒れていた。明らかに彼は靴紐が何かに引っかかり、倒れ、そのとき に銃が暴発した。これが検視官の事件当時の鑑定でした。

第2は死後10年以上たってから、Dillonの父親Lawlenceが新たな検視を要求し たときのものです。Lawlenceは第1の説明に疑惑を抱いていたが、孫たちの成 人を待って1989年ら、専門家に再調査を依頼した。それを受けて病理学者の下 した判断は、burn markがないから、至近距離から撃たれたものではないこ と、しかも走っているときではなく、座っているときに撃たれたものであるこ と、すなわちDillonは殺されたと断定した。これを受けて警察はStephenを、 殺人罪で起訴。

そして第3の説明はStephen自身が法廷で2週間前に述べたこと。Patriciaとの 関係を認めたあと2人が口論になった。Dillonが16口径の銃を掴んだあと、も み合いになっているときに、銃が暴発した。FBIの検証でも、これを裏付ける ような結果がでている。

なぜ20年間真相を話さなかったのかと問われ、Stephenはその土地に新しく来 たばかりで、しかも唯一のユダヤ人だったから、誰も信用してくれないだろう と思って、話を作り上げたということです。一方のDillonは父親のLawlenceが Montrose市長を務めていますから、地元の有力者ですね。

成人したDillonの子供たちはいずれも義父Stephenの無罪を信じてい る。娘のSuzanneは父親の生命保険の65000ドルを、Stephen、つまり彼女にと っての"dad"の弁護費用として使おうと決心している。

さらにStephenは、事故当時離婚話を進めていたようですが、別れた妻のEdna Ann Vitaleとか、Dillon家の前のbaby sitterの発言などもお互いに錯綜して いるようです。

1つの事故・事件がいろんな見方があるのは当たり前でしょうが、何故今頃に なってという疑問は残ります。1976年に解決しておくべき事件だったはずなの に、Dillonの父親の執念が実ったのかな。しかし当時これは裁判にはならなか ったのか。また時効はどうなっているのか。今週中に陪審結果はでているよう ですが、はたしてどうなったのか。



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