Internetの中の神


Picardさん、こんにちは。

サロンでのおしゃべりがあまりないようですので、私の感想というか、独り言 でも書き込んでみます。サマリーではありません。面白そうなエピソードを勝 手に楽しもうと言うわけです。

最初はNew MexicoのChrist in the Desertの話から始まっていますね。私はこ うした人里離れた地に憧れるんですよ。この僧院は名前も変わっていますが、 電気が来ているところから32キロ、電話があるところはその更に倍の距離があ ると言うんですから、文明果てる地ですよね。こうした中で、俗世と離れて生 涯を暮らすのも、現代でも私はあっていいと思いますよ。

しかしどうやら、この文明社会と隔絶しているらしい僧院にもINTERNETという か、E-Mailは届くんですね。なかなか面白いです。しかしヨーロッパでは僧院 なんかでは、パンを作ったりワインを作ったりといった普段の人々と同じ生活 をしながら神に仕えるということは、当たり前のようですから、別に珍しくな いのかもしれませんね。このベネディクト派の僧院も太陽エネルギーと cellular phoneを使ってホームページを開いていて、なかなか人気があるみた いですね。おまけに教皇庁の目にも留まって、バチカンのWWWの相談にも乗っ ているということですね。

考えてみれば、宗教が他の人間社会とそんなに違っているわけありませんもの ね。逆に考えたら、この神が死んで久しい現代こそInternetは宗教にとって救 い主かもしれませんよ。現代人は、宗教を真面目に考えないし、人前で議論し たり信仰告白なんか、だんだんとしなくなっていますからね。Internetだった ら、現実の社会と違って信じるもの同士、あるいは信仰心の厚い人と無神論者 が議論を戦わせるということが簡単に出来ますからね。現実の社会が、複雑に なればなるほど自分の信仰・信念を話せる人々は周りには少なくなっているの かもしれませんから。

Bill Gatesのことに触れているWebのページが25000ですか。すごいですねえ。 しかし神のことに触れているのは410000、キリストについてだけでも146000で すか。問題になりません。当たり前でしょうね。人々の生き甲斐とか悩みと か、そんなものはいくら機械文明が発達してもなくなりはしませんからね。い ろんな宗教が生まれるのも、それだけ現代人の孤独が深いということですか。

とにかくInternetではいろんな宗教が花盛りらしいですね。この前話したのは 別にしても、面白いのがいくつかありますね。正統派のユダヤ教徒は、E-mail でお祈りを送って、それをエルサレムでWestern Wallに貼ってもらうんです か。Amishのページには馬車の後ろに警告灯をつける方法の解説が載っている んですか。日本でも似たようなことはやっているようにも思いますので、あま り人様のことは言えませんがね。Janismとあるのはジャイナ教のことでしょう か。違うかもしれませんね。仏陀と同時代に生きた宗教家の広めたこの宗教 は、絶対平和主義だったように思いますが。トルストイなんかにも通じるよう な。

しかしなんといってもバチカンが一番熱心みたいですね。Raphaelとか、 Michaelとか、Gabrielとか天使の名前をつけた大型コンピューターを使ってフ ル稼働しているみたいですね。このへんはロボットに百恵とか昌子とかアイド ルの名前をつけて、かわいがっている日本の企業とあまり変わりませんね。今 でもしているのか知りませんが。やはり人間の考えることは同じですかね。と にかく新しい福音はInternetで、というのがローマの本山の意向のようです ね。時代に背を向けたら、宗教といえどもこれからは生き残れないということ なんでしょう。

しかし信者が教会をリードしている面があるのもInternetの特徴ですか。そし て異端者と会話が出来るのもこれまたそのおかげ。カトリック教徒が突然悪魔 礼拝者と会話したり、ユダヤ人がイスラム原理主義者と出会ったり、そしてお 互いをののしりあったり、これは魅力的だと思いますが。原理主義者達にとっ てInternet上で初めてタブーとされた話題について知ることもあるようですし ね。自分の宗派内では、異端視されるのを恐れて聞けないことがInternetでは 簡単に聞けますものね。中国なんかが、Internetの規制に乗り出すのも当たり 前ですか。この点では、宗教界の方がはるかに物わかりがいいということです か。しかしここでエジプトの少女の話が載っていますが、何か可哀想ですね。 ところでこの少女はどこに相談を持ちかけたのでしょうか。「私はあなたのイ スラム教に対する怒りとフラストレーションはよく分かります。分からないの は何故あなたがこの手紙をあなたにとってあまり歓迎されないところに送り続 けるということです」と、解答しているところをみれば、このイスラムからキ リスト教に宗派替えした少女は自分の悩みをイスラム教のWeb Siteに相談した のでしょうか。そうだとしたら、少し哀れですね。

そしてこうした流れが宗教間のお互いの独断・偏見を変えるかもしれません ね。現在の世界を見ていたらそうも思えませんが、お互いを知ることは許すこ とへのやはり第一のステップには違いありませんからね。あまりにも平凡なこ とですが憎しみあうことではなく、理解し合うことこそ人類生存唯一の条件で しょう。もしそうしなかったらここでいっているように人類絶滅でしょう。

テレビは東欧の崩壊にはつながったが、人類を1つにまとめあげるのには失敗 している、もしかしたら、Internetにそれが可能だということですが、たしか にそうかもしれません。TVは情報が一方的だから、知識は入ってくるけれど も、Internetはそれ以上のことが出来ますからね。考える、議論する、とにか く一方通行でないだけに可能性を秘めているというわけですか。そしていつの 日かこうした中から新しい宗教が芽生えてくるのかもしれませんね。

Jacques Gaillotが話題になっていますね。確かに主流ではない異端・傍流の ものにとってInternetは便利ですね。1対1で向き会える。個人対組織で向き合 える。もちろんそんなに流れが展開するのか、あるいは混乱だけが残るかもし れないが、とにかく過去だったら永久に葬られてしまった者が自分の主張を述 べる場だけは確保される、ということはすばらしいことです。まあ、私はUser ではないし、あまりそんなことに興味はないですがね。

記事の後半は宗教とテクノロジーを取り扱っていますね。私なんかはつい宗教 は時代遅れと思ってしまうのですが、そんなことはないですよね。宗教は常に 時代の最先端のテクノロジーを取り入れてきたのであり、そうでなかったら人 々を指導は出来なかったでしょうから。宗教の果たした役割は、各人いろいろ 別れるとして時代時代の代表的頭脳がそれを導いたことも、まあ、事実でしょ うから、テクノロジーと縁が深いのも当然でしょう。産業革命に反対した Luddites機械打ち壊し運動は世界史の授業でも習いましたが、こうした勢力は 歴史上常にいたんですよね。私は消えゆく者の美学もまたあるとは思います が。キリスト教も誕生の時は、本という新しいテクノロジーを採用したことで 急速に普及したんですよね。

シュメールの楔形文字にしても、ユダヤ人が聖書を記録したパピルスにしても やはり当時最新の技術でしょう。しかし中世のヨーロッパで、聖書の写本1冊 が農民の生涯賃金よりも高かったということを考えると、いかに今の時代が恵 まれているか分かりますね。人里離れたところで、僧侶達は毎日毎日芸術的写 本を生産していたんですね。グーテンベルグの印刷術以前は、全ヨーロッパあ わせて30000冊しかなかったんですね。ほとんどの人は本を手にしたことは無 かったかもしれません。

それからラジオですか。日本では初めて相撲の実況中継を計画したとき、お客 が来なくなるとかいって相撲協会が反対したとかも聞きましたが、アメリカで はそんなことはなかったんでしょうか。第2次大戦前のアメリカではラジオが ものすごい影響力を持っていたようですね。ルーズベルト大統領も定期的にい ろり端で話すように国民に話しかけたそうですし。宗教界も同じだったんです ね。Shrine of the Little Flowersのことは全然知りませんが、このCoughlin という人物少しいい加減なところありますね。それとも、時代を考えればそん なもんですか。

それからテレビですか。テレビ伝道師が何人か出てきています。たしかこの前 日本に来たのはBilly Grahamだったですね。

宗教にInternetがどういう影響を与えるかは誰にも分からないでしょうね。宗 教どころか、日常生活がどんなことになるのかも私なんかはよく分かりませ ん。もう変化は結構だという気も一方ではするし、他方では楽しみ・期待もあ るし。宗教界にもInternetにたいして深い懐疑派がいるのは当たり前でしょ う。

最後の方で出てくるprocess theology進歩神学(?)の考え方は、面白いです ね。神も人間と共に進歩しなくてはいけない、いつまでも同じ神であっては変 化のないコンピューターOSと同じだというんですが、まあ同じ宗教でも時代と 共に変わっていると、私は思っていまいす。原理主義者が時々出てきて、原点 に戻れと言い出すから、いつもおかしなことになるのですね。アナクロニズム もいいところだと思います。あ、これは例えば思想なんかをもっと見直そうと いうかそんなことを言っているのではありませんよ。原理主義者達はどういう わけか思想の原点ではなく、いつも枝葉末節にこだわって日常生活やら何やら 大したことじゃないことばかりうるさく言うような気がしていますので。

今日はこのくらいに氏と来ます。また、明日おじゃまします。

YUKI



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