ローマ法王進化論を認める(TIME)


TIME Nov.4の記事です。私の所には、今週号は届いていません。U.S.A版から ダウンしました。

ローマ法王が肉体に関してはは、進化論つまり自然淘汰説を容認したという記 事です。

信仰と科学の関係は、人を悩ませるがカトリック教会とプロテスタントの大多 数は科学と宗教は相異なる知識の領域を対象とするという立場である。イエス の「シーザーのものはシーザーに、神のものは神に」の教えの実践である。ロ ーマ法王ジョン パウロ2世も先週「科学は生命の諸現象をより正確に観察・ 記述・測定するのに対し、神学は創造主の最終意思を導き出すことである」と 述べた。

ピウス12世は進化論に懐疑的だったが、研究・議論は認めた。これに対しジョ ン パウロ2世は「かつて進化論の理論はより深く調査研究するに値する真剣 な仮説であった。今日では新しい知識によって、進化論は仮説以上のものであ るといえる」とまで言ったのである。しかし法王は人間の魂の源に関してはピ ウスと違っていない。人間の魂は、それ以前から存在した肉体の中に宿るとし ても、神があたえたものである、と。

この法王の報告はカトリックの教育には影響を与えそうにはない。進化論は既 に1950年代から教えられてきたし、聖書を字義通りに解釈することはカトリッ クの世界では主流ではなかったからである。ある神父によれば、すでに聖アウ グスティヌスが「創世記は文字どおりに解釈すべきではない、それは詩的な神 学上のことばなのだから」ということである。

創造説論者はこうした考え方に反対しているし、考えを改めるつもりもな い。「進化論の科学的根拠はない。すべての事実が創造説を支持している。法王は、 神が池に浮かぶかすから猿を経て現在のこの尊厳ある地位に進化させたと しても、人間の尊厳は苦しまないとでもいうのだろう」と。

ピウスと違って、ジョン パウロは人間の起源に関してははっきりと言ってい ない。しかし神学者の中には、「聖書学者はだれも私たちがアダムとイブとい う2人の人間の直接の子孫だとは信じていない」という人もいる。そうした学 者やジョン パウロにとっては、肉体の進化の問題は魂の進化ほど重要でない のだろう。

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YUKI



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