カーターの発見、世紀の発見へ(6/28)


*British team find Carter's lost ancient Egyptian city
 by Rajeev Syal

 

タイトルは、少し変ですが、昔ハワード・カーターが大きな遺跡が眠ると 信じながら、発掘作業をあきらめた場所から大きな都市遺跡が見つかったとい う記事です。カーターは、その後ツタンカーメン王の墓を発掘するのですが、 今回のイギリス考古学者のチームの発見はそれ以来の偉業だとSunday Timesは 称えています。

この都市はTell el-Balamunと言って、ナイルデルタの中央部にある。ここは 85年前カーターが遺跡があると地図に書いてあった地点で、正しくその場所か ら都市遺跡が現れたと言うわけです。わずか6インチの沈泥siltの下から、大 英博物館のエジプト学者たちが2000前の巨大寺院を発掘した。その規模はテー ベやメンフィスの寺院に匹敵するほど大きいもののようです。

さらに関連施設からは2800年前の遺跡が見つかり、ミイラの僧侶やIkenと呼ば れた高官たちが見つかった。金・銀・トルコ石などの貴金属も見つかっている から、盗掘はなかったのでしょう。

これはエジプトのデルタ地帯から見つかった数少ない遺跡の1つになるわけで すが、これで北部デルタ地帯がいままで予想されていたよりも豊かで権力があ ることが分かった。いままでは南部の王家の谷付近に上流階級が住んで おり、この地域はdisparate rural communitiesと考えられていたようです。

1913年カーターがここに都市があると考えたのが正しかったことを証明するた めに、イギリスチームは7年の発掘作業と分析を続けてきた。その成果が今週 末に発表される。カーターは湿地の中に、3分の2平方マイルに土地と石が盛り 上がっているのを見て、興味を持った。ためしに数インチ掘したら、南エジプ トの寺院と欲にている建物の壁がでてきた。しかしその時の彼は湿地帯で発掘 作業を続ける資金も装備も持っていなかったから、発掘作業を中止しなくては いけなかった。数年後、カーターは違う場所で世紀の発見と言われるツタンカ ーメンの墓を発見します。

カーターはこの発掘できなかった場所の地図と学術的論文を残すわけですが、 この都市遺跡に懐疑的な人も多かった。今回Dr. Jeffrey Spencerを町とする チームが発見した寺院の外壁は広さ(?thick)20ヤード、長さ500ヤードある。 入り口は75ヤードあり、内部に30ヤードの高さの3つの寺院がある。建造され た時代はツタンカーメン王の治世450年後。主寺院はアメン神に捧げられ、他 の2つにはPsamtik(650BC)とNectanebo王(370BC)の刻印がある。この都市の様 子もいろいろ分かってきたようです。その中では建物の土台のすみに、貴金属 を収めている場所があること、身分も高く豊かなものは甲虫石の装飾品を旨に 抱いて埋葬されたらしいことなどが、私には面白かった。

何故他の考古学者がこの場所を発掘しなかったかといえば、この地帯がエジプ トでも湿気が高い地方の1つであるからのようです。しかし今回の発掘は、ス ペンサーによれば、今までの古代エジプト学が、発掘品が出るたびに新たに書 きかえられるほどの重要性を持っていたようです。

ピラミッドやスフィンクスも最近はいろいろな説が出てきていますが、何時に なったら完全に謎は解明されるのでしょうか。



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