Sunday Times 12-21


The Sunday Times 12-21のWorldの記事からです。

1. French city riots over police killing
Youths go on rampage in Lyons after man shot in mouth during interrogation

フランスの若者が荒れてきているようです。16才から26才の若者の失業率が、 25%にもなるという事実が背景にあるのでしょうが、各地で警察などとの衝突 が起きているようです。

まずリヨンでは、24才の若者が警察内で射殺されたのをきっかけに、暴動が発 生。原因は犬の窃盗のことについての議論と言うことのようですから、まあさ さいなことですね。それを1人の警察官が、自分のpump-action gun(ポンプ連 射式の銃)で、容疑者が警察に到着するとすぐに射殺した。彼は、同僚の警官 が銃から弾を抜いていたと思っていたと弁解しているようです。ただ以前にも 容疑者に暴行を加えたことが3回ほどあるようですから、銃を振り回して容疑 者を威嚇することは、普通だったのかもしれない。

この知らせを聞いて100人ほどが警察・消防士などに石や金属、木などを投げ つけ、30台の車を炎上させた。さらに周囲のの高層住宅からも、ビンやコンク リート片が投げられたようです。少なくとも金曜日と土曜日は暴動が続いてい る。火炎瓶も投げ込まれているようです。火炎瓶はa Molotov cocktailだと思 っていたら、a petrol bombという言い方もあるようです。たしかにこちらの 方がわかりやすいですね。

パリ郊外では、16才の少年が交通検問を突破して頭に銃弾を撃ち込まれて死 亡。これに200人の若者が反発して、やはり騒動が起きている。少年の身元は 最初から分かっていたようですから、何故翌日家にいるところを逮捕しなかっ たのか、というわけです。

両方の事件とも、警察の対応のまずさが気になります。ある若者の言葉、We want a professional police force, not cowboys who think they are in New York.しかしこれがNew Yorkだったら、銃の撃ち合いで大変なことになっ ているかもしれません。

若者が警察に欲求不満のはけ口を求めるのは、この2つだけではないようで、 ニースとかストラスブルクとかでも発生しているようです。そしてツーロンな どでは、公共輸送機間の運転手が身の安全を恐れて、就業拒否の事態になって いるようです。大分深刻なようです。社会党政権が、労働時間を短縮してで も、失業率の低下をはかるのはもっともなことかもしれません。

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2. Bury him, says Lenin embalmer
Biochemist says preserving body of founder of Soviet state is barbaric

レーニンの遺体をどうすべきか。現在赤の広場に眠る彼の遺体は、もう母親の 眠る墓地に埋葬してやるべきではないのか、というのが元遺体管理者の言葉で す。

現在84才になるIlya Zbarskiは、レーニンの伝説をその精神面と同様に肉体面 でも生きながらえさせるべく、そのほとんどの社会人人生を捧げたようです。 ただこれには少し問題もあるのですが、これはあとで触れます。彼は現在赤の 広場の大理石の中に眠るレーニンを、ペテルスブルクの墓地に葬ってやった方 がいいと考えているようです。もちろんこんなことはスターリン時代には考え ることさえ出来なかった。

彼がembalmer, つまり遺体整復師のチームに加わったのは1934年。21才くらい の時でしょうか。彼の父親が、初めからその職にあったようです。彼はそれか ら18年間を、遺体をpeachy colorにするために、つまり色つやをあたかも生き ているかのように見せかけるために、働いた。これは生化学者としての彼にと っては、華やかなキャリアだったのでしょう。そのための苦労がいろいろ書か れています。2週間に1度の検査、18カ月間隔での数週間にも及ぶ化学的処理。 失敗すれば、収容所送りになっていたでしょう。戦時中には、レーニンの遺体 をシベリアに疎開すべくクレムリン護衛隊の1小隊がつけられた。レーニンの 遺体を腐敗と悪臭から防ぐことには、いわば国家の威信がかかっていたのかも しれません。Zbarskiが、第2次大戦終結まで、遺体管理に当たります。

しかし1952年に父親がでっち上げのスパイ容疑で逮捕されると共に、彼も職を 解かれます。このとき彼は39才位のはずです。そのあとZbarskiが、どんな人 生を送ったかはよく分かりません。しかし仕事人生の大部分をレーニンの遺体 管理に過ごしたということですから、それからの45年間はあまり自分にふさわ しい職にはつかなかったのでしょう。科学者のチームが、彼からその職を引き 継ぎます。

死してなお国民の前にその姿をさらす。それは栄光というよりは、悲惨という 感じが私には強いのですが、多くの人にとっては、やはりそれが望ましいので しょうか。エリツィンもまだはっきりとは決断が出来ないらしい。革命の父レ ーニンの持つ威厳は、以前として一部の人には根強く残っている。なかなか権 力者は簡単には消えてくれません。

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3. 黒人によるアパルトヘイト
Race in America - US blacks opt for school apartheid
Tony Allen-Mills reports from Detroit on the rapid rise of Afro- centric education

アメリカで黒人達が学校の現場で、同化よりも分離・分化の道を選んでいると いう記事です。タイトルにapartheitが使われています。白人達から差別され るのでなく、黒人達が自発的に選んでいるという意味でしょうが、この傾向が どこまで強くなるのかは分かりません。

Aisha Shule中学校(secondary school)は、黒人の子供たちの通う学校。校長 は多分Imani Humphrey。まずは、この学校の紹介が詳しくされています。場所 はデトロイト。

1日の学校生活の終わりに生徒たちが唱える言葉。"We pledge to think blac k, act black, buy black, pray black, love black and live black. We have done black things today and we're going to do black things tomorrow." 確かに、これはアメリカ教育界を震撼させるに十分な言葉でしょ う。さらに、壁中アフリカ諸国の国旗とスワヒリ語のスローガン。朝の出席調 べは、アフリカのドラムのビートに合わせて取られる、とありますが全学にそ うした音楽が流されるでしょうか。クラス名はAshantiやら、Dogon, Dahomyな どの部族名で呼ばれる。3才の幼稚園児は先生のことをMama Oyaと呼ぶ。当然 これもスワヒリ語でしょう。

どうやら今までのアメリカ教育の根底を揺るがす実験が、各地で広まっている ようです。これまでは人種間の融合は、各人種の対話によって促進されるとい う了解があった。しかし一部の黒人達は、そうした方向に完全に見切りをつけ て、自分たちの失われたアイデンティティを確立することに乗り出したようで す。ただ外から見るとかなりのアナクロニズムに見えます。

もう少し見てみます。Aisha Shuleは今までのカリキュラムを完全に無視し て、アフリカ系アメリカ人中心の教育をしているようです。人種に関係がない ような科目、例えば数学や外国語もどうやらアフリカ系から見たものになるら しい。数学では、エジプトで発達した数学を学ぶとか。Englishの授業も当 然、黒人が登場してくる作品が中心になるでしょう。記事ではシェイクスピア の名前もでてきますが、当然オセロは必読作品なのでしょう。

園児がアルファベットを覚えるのも黒人の観点から教えられる。例えば使われ る本の名前は"A is for Afrikans" 。「AはAfrikanのA」ですか。なぜAfrican ではなく、Afrikanなのかはわからない。記事では原文のまま(sic)と言う言葉 を使っています。レベルの低さを暗示しているのでしょうか。

経済学は、まあ社会的要因の研究が多くを占めるから、別に不思議はないので すが、自然科学系は少し気になります。教科内容に満足している生徒の声も紹 介されていますが、少し疑問が残る。

Aisha Shuleは1995年から公的助成を得たようですが、生徒数は3倍にもなった し、デトロイトにある同じような学校14校の中でもパイオニア的存在なようで す。全国には400くらいある。数的にはまだ少数派だが、急速に広まっている。

この背景には公民権運動から40年。政府が進めてきた人種差別待遇廃止が成果 を上げていないこと.への、黒人層の不満があるようです。彼らは自立の道と して、文化的な独立の道も探り始めた。白人のサンタクロースに飽きた彼ら は、自分たちの流儀でクリスマスも祝い始めている。この調子で進むと、教会 の分離まで進むかもしれませんね。

とにかくHumphreyたちは、ギャングと銃とドラッグが当たり前の黒人の10代の 青少年に自信を持たせるためにはもうこれしかないという決意で臨んでいるよ うです。賢いことは恥、という黒人青少年達の意識、少なくとも学校の成績が よいのはかっこよくないということは、ヒスパニックもそうでしたが、黒人系 にも言えるのでしょうか。彼らの意識をdumb is not cool 無知は格好悪いと いうところまで持っていくのには、これくらいの荒治療が必要なのかもしれま せん。それだけ病根が深いから、外部のものには表面的なことだけで軽々判断 は出来ないのかもしれません。

だが将来こうした教育を受けた生徒たちはどうなるのか。いくら民族の時代と はいえ、この開かれた世界で、しかもアメリカで、自分たちの住む社会から隔 絶されたような教育を受けた彼らが現実に直面したとき、大丈夫なのか。 Spielbergの奴隷制を描いた作品、Amistadも、ユダヤ人が制作しているから見 るべきでないと教えられる。しかも純粋のアフリカ文化というものはどこにも ないはずなのに、それを観念的に作り出そうとしている感じもします。学科の 内容といい、あらゆる点でプロパガンダ教育を受けているようなものです。

優秀な生徒ほど、現実とのギャップに悩むでしょう。あるいは挫折していく。 さらには大学へ進学するときのハンディも大きい。スワヒリ語のスローガンだ けで、ハーバードに合格できるのか、と記事は問うています。ルーツの英雄、 Kunta Kinteには、誰もが慣れるわけではないが、彼から学ぶことは出来る。 それがHumphreyの答えです。

しかしアメリカはこうした学校にまで公的援助をし、そして当然ながら正規の 学校として認めているのですね。度量が大きいと言えばそうも言えるが、これ じゃまとまりがつかなくならないのだろうか。



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